歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

江戸の老舗に多い菓子屋、紙屋、鰻屋、蕎麦屋。

2014年06月27日 22時23分39秒 | 日記

ケンミンショーで西村何某が「京では老舗が当たり前」とホザクのだが、この老舗は京にも少ない。

色々調べると幕末期に起業した店の多いこと。

江戸もそうだが、それ以外の所も多いのだ。

その中で見ると、意外にと言うか、菓子屋が多いのだな…。

それは平安時代からとか色々あるが、まぁ菓子屋の寿命の長いこと長いこと。

私は「商業の寿命」を注意してみている。

それからすると「商業は短い寿命」なのである。

私の周辺でも市場は30年は持たない。

それからすると今市場は滅んだが、その後も「菓子屋」単独で生き残る事が散見される。

他にも「食い物屋」も生き残っている例がある。この場合「出前」が結構な力となる。

また今の時代「化粧品屋」も地元では強い。

何も店屋のない「岡山県備前市」には「潰れかけスーパー」が1件と多数の化粧品屋が残っている。これは理容室よりも多い。

こんな現実を目にしていると、何故菓子屋が生き残るのか?と思う。

江戸では、紙や、昨日の「爪楊枝屋」なんかの店が生き残っている。

この爪楊枝屋はGoo江戸地図にもある所である。

他にも大伝馬町に江戸屋というブラシ屋さんがある。ここは店を据えた。歯ブラシを売っている所だ。

だが、実際には歯ブラシも、歯磨き粉も売り歩きで買っていたのが実情である。

この歯ブラシは「仏教の基礎的な教義」として存在したもので、房楊枝と言うものは、クロモジの木の枝を噛んで毛羽立たせたものである。

これにより歯磨きが伝わり、今に至るのだが、この歯ブラシも多分高級品と思われる。

江戸屋の歯ブラシは今の様に1月で変えると言う事はせず「一生モノ」となっては、意味もないだろう。

第二次世界大戦直後まで、歯磨き粉ではなく、塩を使う歯磨きが多かったと言う。

歯磨き粉が広まる所以は私が知る限りにおいては「タバコ」が原因で「ザクトライオン」と言う今は殆ど見られない歯磨き粉(本当に粉だった)が塩でしか磨かない田舎モノでも歯磨き粉を使おうと思わせたものだったようです。

それほど「タバコを吸った口」は「朝気持ち悪い」ものだったようです。

ってことで、適当に終わります。


漫画「ぎゃぁなか平吉」を見て思う。教育は糞。遊びは天。

2014年06月27日 21時48分47秒 | 日記

この漫画は30年も前のもので確か壱岐か対馬の子供の話で親父は東大出の秀才だが、ある日故郷に帰ったのである。兄一人妹一人の子供を持ち、そこで自由な生活をさせたが、子供は勝手に勉強をして10歳で中学の数学のカリキュラムを軽々とこなす話である。

そこで、その親父は「子供は勝手に勉強する」と言っていた。「要は動機をどう与えるか?」と言うものだった。

また別の話では「子供は成長したい様に成長する。それが一番自然である」とも言う。

「ぎゃぁなか平吉」では日教組や教育委員会色の臭くて臭くてしょうがない長崎臭プンプンの糞がやってくるのだが、父親を罵倒するものの、自分の無能さを思い知るのであった。

私も「鍛えれば全身がばねになる」ではなくて「馬鹿を全開にすると、馬鹿の果てを知るから、そこから何をやってもマシになるでしょう」と言うのが座右の銘である。

と言う私は、パソコン7台(これはWindows級の奴ね)、ラズベリーパイ5台、PICのマイコン80台、STM2台、H8,3194、4台、SPARTAN8台、MaxⅡ3台、CPLD4枚、と馬鹿みたいにチップをもって遊んでいる。

何か佐賀でパソコンの教育をするという。小学校一年生からである。それはどうしたものか?

実はビルゲイツは、そのぐらいでUNIXの丸ブラウン管の画面を持つコンピューターでコンピューターゲームを作っていた。この丸ブラウン管とは、本当に丸いのだ。直径は20cm程度なのだが、昔のオシロスコープがそうだったように丸い画面だったのだ。

ビルゲイツが作ったゲームは、いわゆるシューティングゲームで、丸い画面の周りから打つと言うものだった。

思うに、今のWindowsでは必ずタスクバーと言うものがある。だが、それはビルゲイツが育った環境を全く否定するものだ。

今丸い画面のPCがあると、相当に受けるだろう。そんな事を思いつかないとは、まぁ関係者の「教養のレベル」が知れる。

私は大学院を出ているが、分かったのは「勉強」をするのは「強制」の意味があり、必要なのは「技術を身につける」と言う事である。それからすれば、勉強は逆効果である。正直糞みたいなものである。

私は学童教育にちょっかいを出したいと思っている。私は出てこない。ただ、私の作ったおもちゃが動くのである。コンピューターゲームなんて糞みたいなものだ。

コンピューターは良いだろうが、それよりも「できるかな」みたいな、面白い「創造」と「破壊」を一色にしたものが良いんだ。

「私はコンピューター教育と絵画による芸術」ってのが嫌いで、子供は「気持ちが良いくらい馬鹿をやる」ってのが大好き。

子供は何故ソフトクリームが好き?と聞かれて「美味しいから」では半分、それより「口の周りを汚して面白いから」ってのが、残りの半分の正解。

親がよく「全く汚い」と言うが、それは「子供の情操教育」は九割五部「ぶっ殺される」のである。

「汚い」から「面白い」のであって「心が伸び伸び」とするのである。

私はプログラムの教育をする時に「君が考える一番下らないプログラム」を考えろ。

とか「一番元も子もないプログラム」とか「笑える」とか「プログラムの目的は簡単に手間をかけない」なら「もっとも面倒で手間がかかって出来るのは下らない事」を目的とさせる。

そして、一番いい点数は「一番馬鹿」な奴に上げるのが最高。

そしてみんなが「生き生きとした目を輝かせて」「どうして君は、こんな下らない事を思いつけるんだ?」と大笑いで賞賛するのだ。

これが「子供の勲章」なのである。

先々週来た姪が教えてくれた。


映画「ノア」を見て思う。ノアが受けた神の啓示。

2014年06月27日 20時41分00秒 | 日記

まぁ古代歴史を齧っている人間は、大体知っているんだけど紀元前8000年ぐらいから3000年ぐらいは大体「洪水」が山から流れてくる伝説の山であって、何も古代ユダヤ王国だけではないのである。って言うか「ノアの箱舟」自身は「前古代ユダヤ王国」の前なんだけどね。

今、「パワポの古館」が温暖化を吹聴するが、実は氷河湖の融解問題は前氷河期が終わった15000年前から12000年前以降から、じわじわと出てきた問題で、それが決壊して世界中で天からの洪水伝説となっているのである。

無論糞みたいな日教組+文部や科学を分からなくさせる糞省の願いであるし、目的である為に、決して教えない。

映画の予告を観て思うのは、ノアは風の谷のナウシカの「腐海の剣士・ユパ・ミラルダ」の様な「放浪の末、故郷の危機を伝えた」人ではないか?と思うのである。

つまり、あっちでも、こっちでも「洪水が起きる」だから、アララト山の麓のユダヤ王国も危ないのではないか?と思ったのであろう。実際氷河湖を見て、そう実感したのであろう。

私は、NHKで特集した「アイスマン」も意外と「ノア」の様に、異変を感じて探検した一人なのではないのだろうか?と思うのである。でなければ、あんな格好をして、あの時代、氷河の周りを探索した理由が分からない。

我々は伝説で、ノアの様に「危険を察知して対策を採る賢人」を知った。そして「アイスマン」によって、どのような装備で、その「危険の察知」を行ったのか?と言う事を知れたのである。

アイスマンは、きっとノアの様な人だったのだろう。だが目的を果たせず死んだ。だが死んでも、人々の役に立った。なんとも立派な存在だろうと思う。

そうではなく、私の様に故郷で「変人のキチガイ」と言われている人だったのかもしれない。だが、あの装備で好き好んであの場所を歩く理由が不明だ。

「ノア」を見て、旧約聖書を読み、創造の羽を広げてはどうだろうか?