ケンミンショーで西村何某が「京では老舗が当たり前」とホザクのだが、この老舗は京にも少ない。
色々調べると幕末期に起業した店の多いこと。
江戸もそうだが、それ以外の所も多いのだ。
その中で見ると、意外にと言うか、菓子屋が多いのだな…。
それは平安時代からとか色々あるが、まぁ菓子屋の寿命の長いこと長いこと。
私は「商業の寿命」を注意してみている。
それからすると「商業は短い寿命」なのである。
私の周辺でも市場は30年は持たない。
それからすると今市場は滅んだが、その後も「菓子屋」単独で生き残る事が散見される。
他にも「食い物屋」も生き残っている例がある。この場合「出前」が結構な力となる。
また今の時代「化粧品屋」も地元では強い。
何も店屋のない「岡山県備前市」には「潰れかけスーパー」が1件と多数の化粧品屋が残っている。これは理容室よりも多い。
こんな現実を目にしていると、何故菓子屋が生き残るのか?と思う。
江戸では、紙や、昨日の「爪楊枝屋」なんかの店が生き残っている。
この爪楊枝屋はGoo江戸地図にもある所である。
他にも大伝馬町に江戸屋というブラシ屋さんがある。ここは店を据えた。歯ブラシを売っている所だ。
だが、実際には歯ブラシも、歯磨き粉も売り歩きで買っていたのが実情である。
この歯ブラシは「仏教の基礎的な教義」として存在したもので、房楊枝と言うものは、クロモジの木の枝を噛んで毛羽立たせたものである。
これにより歯磨きが伝わり、今に至るのだが、この歯ブラシも多分高級品と思われる。
江戸屋の歯ブラシは今の様に1月で変えると言う事はせず「一生モノ」となっては、意味もないだろう。
第二次世界大戦直後まで、歯磨き粉ではなく、塩を使う歯磨きが多かったと言う。
歯磨き粉が広まる所以は私が知る限りにおいては「タバコ」が原因で「ザクトライオン」と言う今は殆ど見られない歯磨き粉(本当に粉だった)が塩でしか磨かない田舎モノでも歯磨き粉を使おうと思わせたものだったようです。
それほど「タバコを吸った口」は「朝気持ち悪い」ものだったようです。
ってことで、適当に終わります。