記憶がうろ覚えなんだが、このブログにも書いているので興味のある人は検索下さい。
まだリーマン・ショックの影響が残っていた頃、我々、竹内薫よりは1000億倍マシな知能の連中は、ある異常事態に気がついていた。
2010年の11月からか、2009年だったか?忘れたが、まぁ嗜みとして、太陽天気予報を見ていた。
思うに地震の影響との比較を見るためだ。この頃、太陽の黒点が極小さくなり、消えるのでは?との予測が伝えられたのである。
「それって極小期?(マウンダー極小期をググってご覧)」と思った。
マウンダー極小期の常識では、太陽の活動と黒点数は比例するのが、まぁ観測も実態もそうだった。
ここで、ですよ。サンデー何とかってテレ朝の詐欺嘘情報流すクソ番組で長野智子が「何と氷河期は17時間で起こる!」とホザク馬鹿が居て、まぁ長野智子も馬鹿だけど、見ていて、マジかよコイツ!と思った。
基本的にミランコヴィッツ大先生に「ああ、馬鹿がいます。殺してもいいでしょうか?」と祈ったものだ。
例え、今この段階で太陽が亡くなっても、氷河期と同じ状態になるには百年スケールの時間が必要だ。そうじゃないと、熱の交換が上手く行かない。
何処かの「異端児」の大学勤めがホザイたようだが、どの太陽モデルで、どう言う気候モデルで検討したのか?さっぱりわからない。
今明確に何でも嘘をホザクテレ朝だが、この時代も元気に理解も出来ない科学について大嘘を投げかけた。
もう一方で2010年の12月には0黒点が始まった。
ここで「竹内薫ではない、まともな人間」が「おい!太陽ニュース、黒点0だぜ。」「また少氷期の発生か?」「おいおい、三国志型か?それとも日本戦国時代型か?」と言う話があった。
これは太陽活動の極大期の中で、シュメール極大期、ストーンヘンジ極大期、ピラミッド極大期などの大きな極大期が有り、その度毎に王朝や文化の極端な進歩があった。キリストが生まれる西暦0年近くでも変動はあった。
もっとも、その前にローマ極大期とでも言うべきBC500年ごろの活動の活発期があった。
三国志も、その始まりである黄巾党の乱を呼び起こしたのは、短期的な極小期があった事が知られている。
そんで、戦国時代は、シュペラー極小期で応仁の乱が発生し、1600年頃に極めて短期の極大期が存在し、その後マウンダー極小期が300年ほど続く。
江戸時代がマウンダー極小期と言うが宮沢賢治のエッセイを見ると、明治時代の中頃まであったというのが正しいと私は思う。
さて、極小期の問題に関して言えば、以上なのだが、それについて竹内薫はなんぞホザイただろうか?
実は2012年の巨大フレアは、この突如発生した黒点0期があって、発生したのだというのが、まぁ竹内薫より知能が1000億倍はありそうな連中の間では、ささやかれている。
実際、「すわ!氷河期か!」と長野智子と「異端児」と言うか「馬鹿丸出し」がホザイテイたが、気候は?と言うと極端に上がりもしなけりゃ下がりもしない。
何だこりゃ?と色々言われていたのだ。大体2011年の7月ぐらいには黒点が見え出した。
「なぁんだ、ちょっとした気まぐれか?」と思っていたが違っていたのである。
その後現れた黒点は、徐々に増加していった。太陽活動は変化していないのに、何故無黒点だったのか?
それは、活動のモードの一つで、無黒点でも活動が活発な状態が存在しうると言うものだった。
その答えが巨大フレアーだったのだ。
大体、太陽天気予報を見ても大体Cクラスなんだが、Xクラスだという。
多分こうだろう、太陽の活動は捻じれる地場の影響に依って発生するが、この地場が、通常とは90°違う角度で発生すると、表面に黒点を作らず、地場の歪みを太陽表面から消してしまうのではないか?そうなると、この地場も、往々に太陽フレアがそうであるように、何れ消散する。
しかし、地場の表面の爆発に比べ、太陽深くに沈んだ地場の歪は、周囲の地場の反発を受けて巨大に爆発する可能性がある。
それが、これだったのでは?
つまり太陽活動、少なくとも太陽電池の発電がソコソコあるのに黒点が消えるというのは、巨大太陽フレアの1つのサインかも知れないか?と言う事を竹内薫やNHKの馬鹿はわからないんだろうね?