歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

ほら…出た、ピカソ100億円

2010年05月05日 23時19分32秒 | 日記
ああ分かりやすい馬鹿の頭ぁ~♪

ピカソの絵画に100億円の値段が付いたそうだ。

馬鹿文化系大学出は、物事を隠しているようで実に分かりやすい。

そういえば東京海上火災の馬鹿取締役がゴッホの「ひまわり」を100億円で落札したっけ?何とか製紙の馬鹿会長が「ワシが死んだら棺に入れて燃やしてくれ」って何か名画を買った時にほざいていたよな。

ば~か馬鹿馬鹿馬鹿文化系大学出!

この顛末は、バブル崩壊と共に価値が目減り、最終的に30%になったっけ?馬鹿会長は、本当に棺に入れて燃やしたんだろうか?正直「ちっちゃい、糞みたい」なチンカスである。文化遺産と低脳で醜悪な老い耄れを同じに扱うなんぞ馬鹿の典型であると世界中が認識しただろう。

これもまた形を変えた「現物回帰」または「現物逃避」であろう。要は、金融資産は信用できないという事なのだろう。そんな事は「クリスティーズ」や「サザビーズ」なんて「生き馬の目を抜き屋さん」(美術オークションなんて可愛い名前じゃない)が、馬鹿の存念を知り尽くして「ああ、イイ鴨がやってきた~♪」って小躍りしてやってんだぜ。馬鹿!おい!そこの馬鹿!銀行の馬鹿!株屋の馬鹿!

美術品の価値が「現物」と同じく価値安定性(下方硬直性なんて寝言が土地神話について回ったな)を持っているのは慶応論法・朝日論法。「願望」を「現実」のように思い込む事なのです。実際、美術品の価値の高騰を見てみる事です。

2005年から2008年の卸売物価指数(今は名前が変わっているけど、すぐ忘れるのでおなじみの名前で)の変化を見てみると、やっぱり「現物回避」の様子は見て取れる。美術品の価値が、本来的な価値増加を超えている場合、それは「美術品バブル」なのである。

馬鹿なので、それが分からない。

馬鹿って困るね。

私は通貨価値はなくなるものだと思っているので、今の内に使うように考えている。(40万円台しかもって居ないのが残念だ)

ああ、慶応の馬鹿!慶応の分際で小金を持っている馬鹿!せいぜい、その小金溜め込んでおけ!後で、滅茶苦茶目減りする事請け合いだから。ああ、これは俺が口で言っているだけだよ。判断は自分でしろよ!低脳で醜悪で悪辣で下劣な慶応。

「えりーと」なんだろう?「自称」だろうが。

件の指数のグラフは経済産業省のレポートで出ている。これはサブプライム問題の断末魔として取り上げられている醜態である。価値を保存したい、何とかしたい。金は使わんぞ!こんな時に金なんぞ使ってどうする!って馬鹿の叫び声が聴こえる。そして、結局どうなったかというと、右往左往している間に金融資産価値は無くなった。穏当に20%以上目減りした。

まぁお利口さん!

私は、こんな慶応のような馬鹿を見ると、ジョセフ・ケネディー(JFKの親父)の見識を認めざるを得ない。最低で悪辣な奴だが「相場師」としての目は認めざるを得ない、そして度胸の程、冷徹な判断力は凄い。

彼はアメリカ株大暴落の数ヶ月前に一切の資金を株から引き上げた。実は、名前を忘れたが、これまた嫌なババァがいて、そいつは数日前に全額引き上げたんだが、アメリカの株式大暴落で全く無傷だったのは、この二人だけだった。

って知っているよね?

まぁ彼らは、放っておいても金をつくる株式市場への拘泥がひどい馬鹿とは違って「目減りしたしょうがないじゃん!それより暴落したら、話になんないよ」って言う見切りがあった。

だが現在では、それすらも出来ないかもしれない。金融の全てが駄目になる可能性がある。つまり1929年は「株」にまつわるもの全てだったが、これからは「金」にまつわるもの全てである。(可能性があるって事)

まぁ池上彰さんは次の学べるニュースで「景気回復」の話をするようだが、私は、エコポイント・エコ減税は空虚な「ファントム需要」と思っている。このサプライサイド的な「屁」みたいな需要は、やっぱり「亡霊=ファントム」なのだろうと思っている。

私は変人で名が通っているので、そう思っていてください。

私は、変人と言われ、私の言う事が間違っている。杞憂が形になったのが私だと言われる事は何とも幸せな事である。私は権力を持たず、発言権が無い。だから、どんな事を言おうとも相手にされない。

だが、当たるんだよ。当たるって言うより、後になって聞くと理屈が通っていると言った方が良い。逆に慶応の教授・准教授とほざく物体のほざく事は「願望」とか「先入観」が満載って事が多い。って言うか「慶応」には、それしかない。

事ほど左様に、権力を持っている馬鹿は、大抵全く当たらない事をほざく、特に慶応を出ていると、先ず聞かない方が良いだろう。慶応とは将来「妄想」か「寝言」という意味になるだろうから。

これを読んだ奴、私の言う事を疑え!信じるな!だが当たった時は、その当たった原因を考えよう。その原因は、慶応の「寝言」の発生した方向性を示す。

慶応は、朝日は、毎日は「幻惑」させる為の存在である。その方法論をその時に学ぶのだ。

人の言う事を耳から聞いた通りってのは「学び」にならない。疑って、注意して、それで「俺はこう思う」ってのがあって「同意する」のが一番正しい。

私は権威ではない。これを読んでいる者も。それで良い。信じるのではなく、理解して、自分の理解と判断の元「まぁそんなもんだろう」が一番正しいのだ。

だが慶応は、朝日は、毎日は、ほざく「私が正しのだ」と。そのくせ、間違ってばかりなのだが。

判断するのは「自分」なのだ、その時に、後になって結果論として正しかった結論を出せなかったら負けである。負けても後悔しない判断をしよう。不味い判断をする毎に「負債」は増えるのだ。だから、判断は注意するべきだ。私はこう思うが「私の言う通りにしなさい」とはよく言えない。だが言うのだ。朝日は、毎日は、慶応は、レテ東出の朝日にくっ付いているタレ目生命体は。

結局間違い、言い訳ばかりをするのに。(タレ目は言い訳すらしない。)

よく覚えておく事だ。新聞は、一瞬間の事実のようなものを切り取るしか出来ない。翌日は前日とは全く違う事を言っている事が多い。

その典型は、日経新聞と日刊工業新聞のITバブル崩壊前後の記事である。よく見ると良いだろう。手の平を返すとはこう言う事だと分かるから。

これを学校では教えない。


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