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日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

元自動車業界のおっさんが言う、トヨタバッシングの裏ってこんなもの?

2010年05月07日 00時27分01秒 | 日記
トヨタが大変みたいですねぇ~。

まぁハケン切りとか、色々と好き放題やってきていますもんね。その報いというと、ちょっと因縁めいて、良くないって思いますが、まぁ因縁とかとは別の方向で、まぁこんな因果関係があるって考えを提示します。(結構色々な人が意見を述べていますので、それにはそれなりの合理性があるでしょう)

先ずは、全ての原因は「馬鹿文化系大学出的システム」(出ましたね。私ならば、すぐに馬鹿文化系大学出が出る!)の影響だと思います。つまり一方的なシステムです。

何のこと?って思うでしょう?それは「コスト管理」の問題。

これはリコール隠しをした、ある自動車会社の内部で、リコール隠しをする前に発生した問題だろうと「邪推」している事です。

コスト管理は、大抵トヨタのやり方を真似ているので、トヨタもこのシステムだと思いますが「コスト管理は、コストダウンの指摘が出来、それによって発生した不具合は、指摘されたところの所管である」という一方的なシステムでやっています。

これが一方的なのです。何故ならコスト管理の跳梁を皆恐れています。何しろコスト管理の数値とか、代わりに使えという部品とかの選び方は、適当で、値段の目標という性能とは全く違う要因で決めているのです。

これは、コスト管理の人が飲み会で言っていた事なのですが。こんな話があります。

「あれ?って思ったの、この部品。毎年毎年確実に同じ価格で下がっているの!って事を続けると、この部品は、あと7年で0円という事になるの」

こんな馬鹿がありますか?通常、これこれこういう原価でやっていて、結局色々な経費を考えると…って考え方で決めると思っているようですが、コスト管理は言葉尻を取って、先年はコレぐらいの引き下げだったから、今年はコレだけやってもらわないと…って、面子の問題となっているのです。

合理性が働かない。これがコスト管理の原理なのです。要は主観と、べき論なのです。馬鹿文化系大学出の世界なのです。

それをベンダーにやるならともかく、自分の会社の内部でもやるのです。往々にして価格は前年幾らで、今年はそれ以上と馬鹿が馬鹿面してほざいているのです。そして、今年のコスト削減目標とその分配は、その性能がどうこうという事抜きに、先ずは価格目標をどうするのか?という事を前面にすえるのです。

そして、その時の価格交渉は、先ずは発言権によって決まっていると考えても間違いではない。発言権が弱い所は、その開発コスト自身が削減され、ベンダーへの影響力は減っていく。

要は、設計する所より、コスト管理や調達の連中の方が力を持っていると言う事です。そうなると開発の人間が自由に開発が出来る余地が少なくなります。これはトヨタですらも、強くなる事はあっても弱くなる事は無いと思っています。

そうなるともう一つ問題が出てきます。それは、コスト管理は出世に強い部署となる事です。実際、リコール隠しの会社はそうでした。

何がものを言うかというと金が払えるか?金額を決定できるか?なのです。そう言う意味から言うと、コスト管理と調達は無敵です。

そうなると、社内覇権を考える時、コスト管理をどう抱き込むか?が問題となってきます。出世コースの人間はコスト管理へ向かい、そちらへ派閥の人間を増やし、それこそが社内の勢力争いをやる時、有利に働く。

トヨタ内部の首脳部の人員配置を見た時、どの部署からの出身か?が気になります。多分に、出世しやすい所から出てきていることでしょう。

先刻も述べた通り、コスト管理は馬鹿文化系大学出的システムです。無理や無茶(誤変換で飲茶になっていた)が通り、功績が貪り易い所なのです。そうなると考え方が慶応になります。上から目線で真面目に一生懸命やっている人間を馬鹿にします。この時点で厄病物体になっているのです。トヨタ自動車の。それは最早人ではない。

コスト管理は出世をする為に益々無茶に拍車がかかります。そして、会社の製品をボロボロにして、それで自分の功を誇るのです。

その一方社内の評価があります。トヨタは、数万人いる社員の中で一人として同じ点数が無いという評価システムが「自慢」のようです。しかし、それが果たしてどうなのか?

これまた、実際に聞いたお話。

リコール隠し会社の開発担当の奥さんがトヨタのエリートさんの奥さんと友達になっておりまして、これが夫婦ともにいい人なんでしょう。意気投合して色々と話をするようになったそうです。ちなみに奥さんは知りませんが開発担当はいい人です。あのライフセーバーのあんちゃんに似た感じのスマートなナイスガイです。

そのトヨタエリートの奥さんは、旦那さんの健康が何より気になるとの事です。30になっていないのに、胃を二度切るほどストレスが溜まり、相当にきつい評価があるそうなのです。奥さんは、真面目に「トヨタを辞めて欲しい」との意志が強いそうです。

とにかく、評価評価と毎日それに追われているのがエリートさんたちの毎日なのでしょう。真面目な人間は、どんどん、それに負けて落ちていく。そんな中、コスト管理のような人間性は無く、合理性は無く、人を馬鹿にするクズが幅を効かす会社にトヨタはなっているようです。

何とはなれば、人を痛めつければ功績は勝ち取れるのです。馬鹿になる一番の要因は、思考停止で「ある事」さえやればいいんだ!って事です。それは、これまで書いてきたと思います。

しかし、その中で、問題があります。それは、評価方法の点数が、どんな配点になっているのか?です。

評価方法にはある程度の合理性を求められています。そして会社に損害を与える事がマイナス点を決めるものです。その中で一番のものが「リコール」なのです。

会社自身リコールは回避します。しかし、それ以外でも、自分の派閥にはリコールを起こしたと「判定されたくない」と言う力学が働きます。

しかしコスト管理は、無茶を毎年酷くやるので、リコールに発展する馬鹿を何度もやりますが、何とか事なきを得て馬鹿が馬鹿を誇るようになります。馬鹿文化系大学出のシステムの典型です。

結局、問題を起こす奴は、全く無傷で悩みも対策もしません。だから気楽なものです。それでドンドン馬鹿の幅を広げます。その結果対処が出来なくなります。そして…。

大体文科系とは何ぞや?それは「文に化す」ロマノフ王朝の最後の皇帝ニコライは、その王朝を滅ぼす端緒となる血のメーデーの日の日記に「何も大した事は無かった」と書いてある。これは馬鹿文化系大学出の得意技でもある。つまりリコールっぽい状況になっても。日記(業務報告)には「何も大した事は無かった。」と言う文に化しているだけだった。

これは2008年の初夏の直前まで「サブプライム問題は引当金を当てているので過去のものです」ってほざいていた慶応の下劣で悪辣で醜悪な厄病物体と同じである。

その結果を国交省に報告を上げる。こういうものを通常は「粉飾」と言うのだが「完全な思考停止」物体馬鹿文化系大学出にとっては「当たり前」の事です。この「当たり前」ってのも慶応の下劣で悪辣で醜悪な厄病物体と同じである。

そんで実態が付いてくる。事故が起きる被害者が出てくる。しかし上の方は分からない。何故なら文に化した報告書は実態を告げていない。何故って?馬鹿文化系大学出だからだよ!

そんで対応が遅れたというわけだ。実際、某もう芸能界を辞めちゃった沖縄出身の「本当のワル」と梅宮辰夫に言われた奴の様にリコールっぽい物件に対して「あぁ~!何故か分からないんだけど、まぁ見た限り限りなくリコールに違いないんだけど、これはリコールじゃないんだぁ~。」って頭を両手で抱えてオーバーアクションでトヨタの「出世が確実な」馬鹿の集団がほざいている。

こんな馬鹿は「頭の悪い奴が出世する」トヨタでは通るし、ある財閥系の自動車会社でも通用した。しかし国交省には通用しなかった。って言うか、そっちでももしかしたら通用したのかな?しかし、ちょっとイラついていたアメリカでは通用しなかった。

大体は出所はレクサスの問題だったりする。

ブレーキが戻らないという問題から発生した。大体こう言う時には、社内と同じ対応をするものである。それは

「圧殺」

である。「出世が確実な」馬鹿の集団は大体そんな事をやる。何故って?「完全な思考停止」をする馬鹿の集団だからだよ。実際、その事でアメリカのマスコミや消費者に火がついた。

その事件は、大体穏当に行われていたら問題になるようなものではなかった。だが「あぁ~これはこちらの失敗に限りなく近いけど、こういう問題を上に挙げたら、上の出世するのが確実な馬鹿の総領XXXさんの評価点数が下がるから上げられないんだ!世の中はそういうものなんだ。私はそういう思考停止をするから出世できたんだ。私は慶応の嘘と誤魔化しばかりを習ってきた経済学部、別名詐欺学部の出身者だ!」ってな感じで、コールセンターは黙殺の巷になったりするわけだ。

それはちょっとの間なら通用するけど、エンドレスは無理って事を「私は思考停止をするから出世できたんだ。私は慶応の嘘と誤魔化しばかりを習ってきた経済学部、別名詐欺学部の出身者だ!」ってな「馬鹿」は分からないんだな。

そんで「処理が遅れる」のではなく「『処理が必要である事を認識できていない』を認識するのを遅らせる意志が働く」という「まぎらわしい」状況が発生する。これぞ馬鹿文化系大学出の真骨頂である。

その真ん中にいるのは「トヨタ章夫くん」だったりする。又の名を

「裸の王様」

って言う。まぁ顔を見ると私より一回りは年上なんだろうけど、どうも「おぼっちゃん」と表現したくなる顔だったりする。

この王様は、ようやく「おかしい?」って感じだったのだが話を聞いて来ると雪崩の様に出てくる報告されない「不祥事」だったりする。それは何と「章夫くん」の周りに多かったのだろう。その後「年金問題をマスコミが取り上げたので国会が上手く進まなかった報復する」と言う公人とは到底思えない「素晴らしい暴言」で「フセイン」のミドルネームを拝領した「奥田」硯(すずり)くんあたりが「創業家社長は、どうも下手糞だ」なんて茶々を入れるが、まぁ「フセイン(復讐者)奥田」ごときが何を言う。(このフレーズ、章夫くん使おうよ。面白いよ!フセイン!しりとりしたら一発で負ける言葉)

それはともかくとして、言い訳の一つも取り上げられないのは、フェアじゃないけど、それはしょうがないクライスラーにGMが破綻、フォードもそれを待っている状態でアメリカも「誇り」を見失っている。そうなった時、世間はヒステリーになるのだ。

大体自動車販売なんて、価格安定(調整を意図的にしているのだな)がしっかりして、利益が滅茶苦茶上がりやすい仕事をもっとも車好きが集まっているアメリカでやらせてもらっているのだ(これはアメリカにおもねり過ぎと思われるかもしれないが、実際ぼろい場所であり商売であるのは間違いない)。多少の「空気」を読むのは当たり前だ。しかし「出世するのが確実な」馬鹿の集団は分かっていないのだ。

私はGM破綻の時に「助け舟」をトヨタが出すべきだろうと思っていた。「パトレイバー」の中でテロリストというか天才犯罪者の内海(リチャード・ウォン)がこう言う。「頭は勝っている時に下げるものだよ」それを負けている奴には徹底的に下げさせたがる低脳の糞馬鹿がいる。慶応である。そして、それと似たような糞馬鹿野郎である。

だから腹を立てる原因を探していたアメリカ国民の食指を動かした。だから情緒的に徹底的に叩いたのだ。

そもそもプリウスのリコールも大したものではなかった。プログラム上の問題で、リコールというほどのものではなかっただろう。

ただし!通常に対処していたらばの話だ。それを

「いやぁ~ブレーキが効いていなかったってぇ~そう言うのはぁ~皆さんのぉ~感覚でぇ~われわれのぉ~かんかくぅ~ではぁ~そおぉんなぁ~感じではぁ~なくてぇ~問題なくぅ~動作していたってぇ~思っていますぅ~」

なんて言うもんだから「ふざけてんのかぁ~!」ってな問題で国内が盛り上がった。

大体、何だ、この取締役は?!って思っていたが、それこそが「フセイン奥田」{ううん、いいねぇ~この音感。定(面白い誤変換本当はサダム)フセインに匹敵する傍若無人さ}の指摘する点である。馬鹿な側近の集まりだと言う事だろう。

それもその筈、彼は「章夫くん」の取り巻きの1っ個だったりする。あんな時の話し方をするなんぞ「思考停止の糞馬鹿」の最たるもので、口の効き方も知らないで50を越えて、もしかしたら銀座に「恥ずかしい愛人」を作ったりしていたら「課長島耕作」の世界だったりする。

こう言う時には、こういえば良いんだよ。

「皆さん!色々不満もあるかもしれませんが、目下対策を急いでいる真っ最中です。何分にも大きな会社でございますし問題の重大性も絡んでおります。ですのでこの場で明言は出来ませんが必ず全社一丸となって、この問題に対処する所存でございます。我々の意志は、お客様のそれと一緒でございます。どうぞ御忌憚なく、クレームを賜れば幸いでございます。しかし、今は若干のお時間を賜りたく思っております」

こう言えないのは「リコールを肯定したら我々の評価点が下がり、それは社内の発言権を下げる。参ったなぁ~俺ってこんな時に取締役ぅ~?たりぃ~なぁ~ちょ~ぉ運悪いぃ~」って存念があったからだろう。

それと「それはあなた達の感覚であり、我々の感覚ではないですよぉ~」ってのは、こいつの口癖だったんだろう。社内でも社外に対しても同じ様な事を、このクズは、こんな風に言っていたんだろ。そんな奴が今のトヨタの上層部として「鎮座ましましている」ってわけだ。

「座・章夫くんとその不遜な属領たち」は、そんな感じでやっていた所をその「空気」を感じてアメリカのマスコミが「イエロー化」しちゃったわけだ。その先頭を走ろうって「NEWSWEEK]は潰れる感じだけど。騒ぎ出したという訳だ。

状況を管理するという事。それをやるべきなのに「馬鹿で慢心する能力のだけは人の4000兆倍の糞馬鹿」はやらないわけだ。一旦広まった怒りは早々に消えない。それはアメリカのトヨタ、日本では民主のハトである。

後は「章夫くん」が「グラスホッパー」ならぬ「コメツキバッタ」になって日米欧亜で、その中身がどの程度あるか分からない頭を下げ捲くっている訳だ。

もっと前に下げていれば下げる必要性の無い頭をである。

事の順序を取り違えるという事は、戦争などでもそうだが、結果論として大きな違いを出してしまう。これもその好例にしか過ぎない。

全ては、小さな村の中の決まりを大企業の中に広げて、そしてその外の世界にまで通用させようとする割には「思考を停止して」いる馬鹿の集団の当然陥る結果だったと言う訳です。


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