歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

100分de手塚治虫を見て、思う事。(2)だらしないドラマを見せてくれるのは、白土三平か手塚治虫だろう。

2016年11月14日 22時43分34秒 | 日記

今の時代劇の描き方は、武家ベース、梨園ベース、歌舞伎ベースであり、完成された演芸ベースなのである。

だが、ショーケンの黒駒の辰三をやった、清水次郎長を悪役にするドラマや、同じくショーケン主役の「股旅」と言う映画があるが、1970年代以前の世界で評価される日本映画の時代劇は、妙に生臭い風俗の日本人の姿が見える。

この100分de手塚治虫の中では「寄子」などの中の村の「アーパー女」のだらし無い着物の着方は、今の話の中では見られないが、浮世絵の中や、江戸時代の文献を見ると、だらしないのが庶民だった。

もっと、特徴的に見せるものとしては「どろろ」がある。

また、似たような雰囲気は横溝正史の金田一耕助シリーズに連綿として流れる、暗い、だらし無い庶民の風俗です。

特に「寄子」では、土蔵の地下室に押し込める。

これは、横溝正史や江戸川乱歩の淫猥な暗い世界に通じるものがある。

今は放送コードが出過ぎているが、例えば「七人の侍」の中の三船敏郎が演じた役は、将に、江戸時代の百姓の姿で、この姿は、江戸の宿場の篭かきの姿であり、人足の姿である。

近年の時代劇は、お約束の林立している、NHK、名物「いやぁ〜ちょっと、そこ違うんだよなぁ〜」野郎のお決まりの世界で、嘘ばっかりです。

本来はもっと、ふしだらだったりする。

例えば、時代劇では殆ど水路の運送を見せない。

だが、当時の江戸は物流も交通も全部川がメインで、そうでないと道は人で溢れる状態でした。

これは、江戸の浅草や本所深川の中央部は、いつも押すな押すなの状態でした。

一方で、谷根千は、殆ど田んぼだらけで誰も居ませんでした。

もう一方で、例えば、浅草などの庶民街では、昼の日中から、女郎が船に乗って、道を歩いている人を誘っている絵が残っています。

大体経団連は、江戸時代人々は、殆んど休日はないとほざいていますが、それは嘘で、実は江戸時代の労働時間は、実に180日程度だった可能性が高いのです。

通常出職は雨の日は休みで、また正月になったら、ほぼ1月休みみたいなもので、この時期働いているのは商売人で全労働者からすれば一部だったのです。

今守貞漫稿で窺い知るだけですが、信じられない程アホくさい事が仕事となりました。

その最たるものが、着ぐるみで、母親を背負っている孝行息子を仮装する事で「親孝行」と言う商売になり、これで金が貰えたのです。

また、今の時代では想像できませんが、恐ろしく江戸時代は暗く、暗いからこそ、その時間を満たす為にふしだらに、ただひたすらふしだらに生きていたのです。

つまり光の無い所ではでは、性の領域は今より広く深かったのです。

「寄子」や「どろろ」の暗い世界は、今のように妙に明かりが得られる時代とは違う、薄暗い所の生活を見せる意味で、本当に意味のあるものです。

だらしなく、ふしだらな姿は、ある意味での本当の人間の姿です。

江戸時代は、今では失われた性の遊びがあり、その奥義は、実は戦後幾らかの時代残っていたと聞きます。

今の性生活は、江戸時代からするとかなり貧相で、暴力的なものなのだそうです。

明るい世界でも暗い世界でも江戸時代は潤いがあった世界だと思うのです。



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