歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

100分de手塚治虫を見て、思う事。(1)ちょっと、嫌な流れだったな…。

2016年11月14日 20時43分49秒 | 日記

ちょっと色々あって最近きちんとビデオが取れておらず100分の内の30分が抜けておりました。

見ていて、まぁ最後は、伊集院氏が狙っていたのかディレクターが狙っていたのか分からないけど、いい終わり方をしており、これは唐沢なおき氏を怒らせた「いやぁ〜ちょっと、そこ違うんだよなぁ〜」野郎とは違うと思いました。

さて、この中では、手塚治虫のリボンの騎士では、ちょっと大げさすぎる気がする。

私はBBCの「人生は全て舞台」って言うドキュメンタリー(30年ぐらい前)のがあって、この中で、ギリシア神話、ローマ神話にはデュオニソス(バッカス)が居り、半陰半陽の神が居て、その主題、つまり性を超えた恋愛は3000年ぐらいのテーマがある。

確か、シュメールの時代から起源があるのです。

ただリボンの騎士では、当時ヨーロッパのウーマンリブの影響もあるんじゃないかな?と思いました。

その日本の漫画が何故広まったのか?と言うのもそうだけど「手塚治虫が居なかったから」と言うのだが、それはどうだろうか?

日本には鳥獣戯画などのアミニズム文化が平安時代から有り、自然の擬人化は、浮世絵の世界で、バンバン出ている。

例えば現代のスペイン映画「所有」と言う変態映画は葛飾北斎だったか?女を犯すタコのイメージをそのまま使っていて、この手の獣姦の最たるものが「半魚人現る」などにも出ている。

また日本は薩長の明治維新以降の明治政府で男色は禁じられましたが、実は、薩摩は男色といえば薩摩と言われるほど噂が有り、それはそれは昔からの日本の文化の中にはあったのです。

しかし、手塚治虫のリボンの騎士は、その日本の男臭い同性愛よりも、トランスジェンダー色が強く、ヨーロッパの棋風なのではないだろうかとも思っています。

また、その中にはカワイイ文化も入っており、日本ほど、可愛い動物を可愛く描くのは珍しいし、一時期、浮世絵の中の猫を探すと、ダントツで多いのです。

それも可愛い猫です。

女が化身するものとしては狐も居り、カワイイ娘は猫、狡猾で妖艶な女は狐がシンボルでした。

他方で、男のむさ苦しさは、実は狸が受け持っており、狸の浮世絵は、狸の陰嚢八百畳を徹底的に茶化した浮世絵は沢山あるし、見ると腹を抱えて笑う程の面白さです。

この様に、トランスジェンダーや、キャラクターの可愛さ、そして、漫画文化が日本に強力に根付いていたのか?は、元々漫画国家日本があり、それを許すものは、恐らく天皇陛下の「奴隷をもってはならない」と言う勅命でしょう。

そして、大和朝廷から続く八尾万津の神は、今も自然を維持している唯一の国家日本を哲学・宗教そして、民間の風俗が支えており、その事は何も今ではなくて、印象派の時代から、いや、その前の有田焼や伊万里焼七宝焼きなどの文化なども、ヨーロッパにオオウケだったのです。

つまり、手塚治虫が漫画家になるべくしてなったのは漫画文化である日本文化だからこそだと思います。

ただ手塚治虫の称揚のみで、延々と構成しているけど、それは手塚治虫の漫画に呼応した読み手の偉大さをもっと言うべきであり、つまり「100分de手塚治虫の出演者」との連携があって手塚治虫が出来上がった事を何故言わない。

偉人も評価されねば埋もれるもので、埋めなかった、読み手があってこその、手塚治虫である。

つまり世界の文化を先進するのは元々、その文化に応える読み手の存在、左翼の気違いが漫画有害論が出ている中、隠れて、漫画を読んでいた人々が、それこそトランスジェンダーの多少の淫猥さがある漫画を支えていたと私は思う。

そんで「傷だらけの天使(4コマ漫画:喜国なんとかさん)」のなかで手塚治虫氏の発言を取っていて「PTAが目を背けるような漫画こそ、本当にいい漫画なんです!」と言っておりました。

と言う事で、私は「読み手なかりせば、描き手、描き手足らず。」と言います。



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