DCEP(どせぷー)ことデジタル人民元を称賛するが、果たしてどうなのだろう?
ただデジタルでマネーを売るに関して言えば竹田恒泰氏の方が先達だし、扱っている通貨の種類は多い。そして何より竹田氏の両替商は「表(正規)」である。この意味を中川コージは理解しているだろうか?日本人が「闇」とか「裏」とか「地下」とか聞くと、表にしたくなるようで、旧日銀の人が「小さな表の金融」を中南米で始めて、それが評判を呼んで、アメリカの銀行が取り扱うようになった話がNHKであった。
だが糞舐め汚い虫獄ゴキブリは、「闇」とか「裏」とか「地下」とかが落ち着くらしく、上田ハーローで扱えなくなる元も「闇」とか「裏」とか「地下」とかの銀行で取引が出来る。
これは権威がないし保証がないから「闇」とか「裏」とか「地下」なのである。
表の窓口が無くなると「闇レート」が「噂先行」で決まり「ボラティリティーめちゃ高」の相場変動となる。
例えば戦後日本も闇市があったが、その対岸には「配給所」と言う正規の流通があったのである。その後「配給」は自由流通となったが昭和48年まで「食糧管理法」で守られ今は円の力と日本企業の力で維持されているのである。
これまでの議論で分かる様に、中川コージの虫獄アゲは、虫獄の狂惨盗や豚菌病の打ち出す手が、汚く、信用がなく、保証もないのである。
闇市も、最初秩序はなかったが、商売の勝者が出てきて優良・劣等が別れて、秩序が出来上がるものである。これらを暴力だけで通し、奸計で黙らせるのが中川コージの論法である。
糞舐め汚い虫獄ゴキブリは永遠に、その秩序が支配する社会は来ないのだろう。日本では、あの荒れた戦後でも結構秩序形成が出来ていた。この辺りが、各々の論法が拠って立つものの違いであろう。
ここで重要な言葉として「覇権」と豚菌病が豚の分際でホザクのだが、この「覇権」は、宮城谷昌光氏の「孟嘗君」の中で商鞅(公孫鞅)秦の孝公に戦国時代の頂点に立つ方法論の説明で使われた言葉「覇道」と同じ意味である。
「覇道」の上には「王道」があり数代の治世と威厳、威容を備えて、世に王道を唱える方法である。これに対して「覇道」は一代で達成する急ぐ方法であり、敢えて正道を採らず、近道をする着実性に欠ける危ない方法である。言うなら先程の「ボラティリティーめちゃ高」の試練を越えていく方法論である。また例え制したとて、安定をするには、結局数代の統治が必要で安定より先に首根っこを押さえる方法が「覇道」であり、それは劉邦の帝国がそうであり、彭越、韓進、呂后と3つの大乱を越えて安定を得た。それは呂一族の簒奪を知った斉王の意を受けた陸賈の仲介を受けた周勃は陳平らによって、辛うじて得た帝国である。
他方で、根無し草の豚一族の菌病如きは、2600年を超える治世の日本と比較するも愚かな愚昧の暴徒である。文字がある時代から四民平等であり、初の文書が、詩の本である万葉集である。これを持って国民の声とする日本の考え方とは根底から違うのである。
覇権・覇道を血みどろで追いかけても、それらはヒッタイトやアッシリアの歴史が語る、平安なる国家も、自分自身の心もない、野獣の底酷である。
とても商売なんぞ出来たものではない。挙げ句の果に生物兵器である。国家の活動の動脈たる四民の活動の最たるものを世界的に壊しておいて覇道だと?語るに落ちる!
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