館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ヒューマンファーマーズの復興支援コンサート。

2011-11-02 05:51:06 | 音楽を思う


茨城の知り合いが、このようなコンサートを開くというので、行ってきた。



結城市の市民情報センターってのが会場なんだけど・・なんだか、金属を感じる建物は、落ち着かないのだった。



三味線など・・・・

ただ演奏して引っ込んだが・・やはし、こうした演芸は、「復興支援」に一言語るのは、スタイルでないのかな?

フォークは語るのだが・・・・



知り合いの、百姓フォーク「ヒューマンファーマーズ」。

もう、憲法フォークジャンボリーなどで、何度も競演しているので、すっかり馴染みになった。

相変わらず、骨のある歌を響かせていた。

彼らにとって、TPPや福島の百姓達への、怒りや、思いやりが、歌を歌わせているのだろう。




福島・飯館村の酪農家の、長谷川健一氏というかたの、スライドを交えた、あの日からここまでの、報告や講演が圧巻であった。

長谷川さんは、福島県飯舘村の酪農家。58歳。飯舘村前田地区区長。福島県酪農業協同組合理事。
大多数の住民が避難した今も村に残り、見回りを続けている。事故後に購入したビデオカメラで村の現状を記録、各地で自らの体験を語り始めた。

という方である。

人口6300人・約1800世帯の住む飯館村は、その自然を生かし、村を上げて「農的ライフスタイル」の実現を掲げ、木質バイオマスでの再生可能エネルギーの試みや、何といっても、農民や村が一体になって、自然飼料で育てた、ブランド牛「飯館牛」を作り上げてきた村である。

震災は6弱の地震が襲うが、人的被害や、住戸被害はほとんど記録されてないとのことであった。

そこに、死の灰が降り注いだのだ。驚くべき線量・・公開しない行政・取材でやってきたマスコミが取材過程で約束した「報道」をまったく、反故にした恣意的な報道を続ける。

育て上げた牛を殺さなければならない農民の苦悩・搾らなければ病気になる牛の乳を搾り続け、畑に捨て続ける日々。

こうして当事者に会い・当事者の言葉を聴かないと「実感」出来ない我の鈍感さが身にしみた。

「人災は戦争の体験と同じようで、語り継いで行かなければならないのです。語り継がなければ、やがて忘れられてしまいます」の言葉が沁みた。

「負の遺産」は忘れたいものだろう。まして、今、「安全神話」が壊れたので、東電・政府・・・原子力村に群がった多くの学者や企業は「放射能って、思ったより安心・大げさに心配することはないものですね」キャンペーンを始めているのだ。

原発を止めるのは、これからの、僕らに問われる、突きつけられる大きな課題だな。



笠木透と雑花塾のコンサートがトリ。

あかんべやま以来の、笠木氏との再会であった。元気そうであった。本人は、「もうよれよれだ。」と言っていたが・・・


この地に・この時に、この歌を!と、演目も見事。

「海に向かって」がひさびさに、沁みた。

全国を回っている彼の

「西と東の温度差はすごく、それが気がかり・・・」の言葉が、胸に刺さった。

12月には、一緒にステージだ。

ゆっくり話す時間もあるだろう。楽しみだ。



主催者・K氏である。

北関東・茨城に力を戴いた。

来年は、しっかり準備して、我が群馬・・・T市も頑張るのだ!

コメント (8)
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