館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

離島「座間味」に渡る・・・沖縄旅2012その2。

2012-11-13 00:46:14 | 旅は続く
いよいよ、本編ね。

しじょ~に長いのね。

まっ、許せ。




いよいよ今回のメインの旅。9時の高速船で座間味を目指した。

旅のテーマは「ひたすら、のんびりする!」なのだ。



米軍は,補給基地を確保するために,沖縄本島上陸前の1945年3月26日,慶良間列島に上陸した。
そして、あの「集団自決」で多くの村民が亡くなった島である。

座間味、渡嘉敷両島での集団自決。渡嘉敷島では329人、座間味島178人、慶留間島53人が犠牲になったのである。(人数については諸説ある)

港を出てすぐ、島に1つだけの信号・その側の空き地に、それを伝える碑が建っている。




僕は5度目の座間味だ。



懐かしい路地・懐かしい家並みである。



10時をやや過ぎて、今回の宿「チャーヴィラ」。荷物を預かってもらい、島の東のまだ行っていない集落「阿佐地区」に貸しバイクで向かった。




海が綺麗だったら、キレイなのだ。



しばし、波打ち際の平らな岩で昼寝・・うとうと30分。



島は各所に展望台などあって、トイレなどもある。
水事情に厳しい島では、屋根の雨水も上手に利用である。




本島は琉球石灰岩(珊瑚が堆積な)のごつごつした岩が多いが、座間味は堆積岩の隆起、その砂岩状の積層に、火成岩が入り込み、隆起した地層が随所に見られる。
村落は、海辺の平らな場所に数箇所で、他は小高い山が、圧倒的面積を支配し、舗装された主要幹線の周りは、亜熱帯の森で覆われているのだった・・・




僕の行った阿佐地区は、「風待ちの港」として薩摩に侵略される前から栄えた地域なのだ。そして、何処でも「神様」が祭られているのが沖縄である。




昼も回って、お目当ての食堂「まるみや」で刺身定食。驚くほど旨い!



さて、午後!島に1軒しかないジェネラルストア「105ストア」で酒・つまみ・氷(1キロ105円)など買って、宿でまったりの時間がやってきた。



4時間弱、呑んで・寝て・日光浴・宿の主人とお話し・また呑んで・まったりと、・・・見事な時間が過ぎた。
たまらない、見も心も開放のひと時であった。



ひさしぶりに、反省もしただよ・・・



集団自決の幾つかの壕には、忘れないためのモニュメントが建っている。
今回観光案内所に行ったら「戦跡を巡りませんか?」と写真と共に案内があった。
今までは、無かったなぁ・・・

ほとんど回っていたが、学校職員の壕・があることを知った。
民宿の主人に、場所や経緯など聞き、訪ねた。校長が手りゅう弾を爆破させ、集まっていた職員がすべて亡くなっている。



躑躅の塔・・・すぐ上のダムの建設で整備され、まあ、この辺りだったな・・と言う場所に「碑」を建てて弔っているらしい・・・・・



シャワー・少し部屋でくつろぐ・・・やがて夜。
この時期沖縄では、あちらこちらの地域で「お祭り」が行なわれている。
ここ、座間味は11月に入ると「感謝月間」と言って、毎土曜、波止場で村民揚げて、祭りが行なわれ、数軒の食堂は皆出店を指し、宿は夕飯は無いのであった。



民族芸能・フラ・エイサー・ロックやフォークの演奏と、村民が1年かけて鍛えた「芸」を披露してくれるのだった。



食べ物や飲み物、当然酒も、リーズナブルな金額で、楽しめるのだった。



ほとんどの観光客も参加。実に賑わう。



若者たちの「エイサー」!僕のお目当てだ。
島には「島唄」・受け継がれる「踊り」・・・・・・・・・・・
若い人たちの、真剣で、純なエイサーにオラ・・・涙が少しでてしまっただよ・・



翌朝の港・・・・



坊主に頼まれた「貝殻」(種類の指定があってな・・・)など拾う。



素泊まりの宿が多い。だから105ストアは7時から開いていて、ホッカホカのオニギリなんぞが売られる。8時頃になれば、ホッカホカの弁当も出る。

オラ、オニギリ1個と、ミニまるちゃん!



楽しかった、何もしない、島の空気に包まれただけの時間が過ぎた。

ずっと居たかったが、分かれの時間がやってきたのだった。

10時の船・・・・汽笛の流れる港には、見送る島の人たちの手を振る姿がある。

また、いつか、座間味にゆぐ!

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする