館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

さとうきび畑の碑・普天間基地など・・沖縄旅2012秋最終。

2012-11-15 06:27:17 | 旅は続く


4日の島からの帰り船は11時に那覇の港。あかんべ山で音楽を共にし、今は結婚して本島に住んでいるゆきちゃんと、CDの打ち合わせなどあって、読谷村に向かった。



読谷にくると、いつもここ「大木海産物レストラン」。まるで、我が娘でもおかしくはない若いベーべーと会うので、楽しみだ。んで、おじいはご馳走しただよ。

ユキちゃんリクエストで、刺身定食!今回は刺身に縁があるおきなわなのだ。




会話ははずんで、意思も確認できて、新しい生活(ひっこしもして、来年には、焼き物の修行を終え、いよいよ独立なのだ!)の話などして、あっという間に時間は過ぎた。

帰りに、今年できた「さとうきび畑」の碑を見たいのだと言ったら、案内してくれた。

天気予報は当たりで、小雨が降ってきたのだが、何とか傘なしで見ることができた。



その名のとおり、さとうきび畑の只中に、都会の小さな公園のような敷地に、しっかりと存在感を示してそこはあった。

いいでしょう?この「ざわわ憲章」。



 作詞・作曲した寺島尚彦(なおひこ)さんは1964年6月、本土復帰前の沖縄に、シャンソン歌手、石井好子さん(10年に87歳で死去)のリサイタルの伴奏者として初めて訪れる。公演翌日、地元の人に摩文仁の戦跡を案内され、サトウキビ畑に分け入った。「あなたの歩いている土の下に、まだたくさんの戦没者が埋まったままになっています」。その説明を聞いたときの衝撃を、02年の著書「さとうきび畑 ざわわ、通りぬける風」で次のように記している。

 <一瞬にして美しく広がっていた青空、太陽、緑の波うつサトウキビすべてがモノクロームと化し、私は立ちすくんだ。轟然(ごうぜん)と吹きぬける風の音だけが耳を圧倒し、その中に戦没者たちの怒号と嗚咽(おえつ)を私は確かに聴いた>

 国内で唯一、住民を巻き込んだ地上戦を経験した沖縄の凄惨(せいさん)な事実を本土に伝えたい。寺島さんは歌を作ることを決意するが、風でサトウキビの葉がすれる音をどう表現するかで悩む。「さわさわ」ではきれいすぎる、「ざわざわ」では騒がしい。「ざわわ」を思いつくまでに2年近くかかった。(この説明は、碑の側に建つ、作者の紹介に彫られています)

米軍が本島に初上陸した地が、ここ読谷村。さとうきび畑は火炎放射で焦土になり、逃げ込んだ多くのガマでは、集団自決を含め、おびただしい人びとが亡くなった場所に、この碑が建つ意味を確かめ、胸に刻ざんだ。


碑にはこんな風に、楽譜など彫られています。

寺島さんの別荘は女房の実家の近くにあって、少しご縁がありました。
今も、寺島さんの別荘の回りで、キノコなど採っている僕であります。



碑で、ユキちゃんとバイバイして(お土産など戴きました。女房子供が喜んで食べています)那覇に戻る。チェックインして、買い物をした。

写真含む3軒の古本屋をはしご。3冊とCD1枚を購入。



平和通り。



「ミヤギミート」
大半のリクエストされた土産を買った今回の店。
同じ土産も、店によって値段が結構違います。物色して、今回の安い店を探します。



「松本商店」
ここの鰹節は最高に旨い!毎回買う。仰山買います。



ホテルに戻り、シャワー・・・一眠りして、結構な雨の中、呑み!に向かった。



翌朝ホテルからの眺め。




最終日はホテルの朝食。
沖縄の「味噌汁」はおかずです!
具沢山で、本当におかずなのである。



市場の、いつものおばあの店で、昼に空港で食べるおにぎり・そして、T市に帰って夕飯で食べる「てんぷら」を購入。ほとんどの荷物は、朝ホテルから宅急便で発送したので、リュックはがらがらであります。



最終日は、あのオスプレイの配備された、普天間基地を抱える、宜野湾市役所に行きました。




ロビーに垂れ幕・・・・・参る。

屋上に上りたいと、受付に・・「はい!3階の基地対策課に行ってください」と・・・

そこでは「今、オスプレイの飛行時間とか、いつ飛んだとか、調べ続けて、ちょっと一般の方は上れません・・」とのことだった。
邪魔しちゃいけないので、案内された3階から眺めた・・・

休日明けの月曜の朝では、飛んでいないようだった・・・




しかしまあ、宜野湾市・・・普天間基地・・・・

空白のど真ん中が基地で、周辺の色づけされた地域が、住民の居住区だ。

右上の空白も、「キャンプ瑞慶覧(きゃんぷずけらん)」で、米軍海兵隊の中枢である。
キャンプ瑞慶覧の占める土地のうち、およそ十分の九は私有地である。このため年間81億円を超える賃借料が、日本政府から地主に支払われていることも、忘れちゃいけないのだ・・・

すさまじい、やね。

一等地が基地で、その周辺にへばりついて、住民が暮らしているのだ。見事に、自治体の発展を阻んでいるべ?




現場に行くってだいじだよな・・・などと、思った次第。

帰りの宮古島出身のおじいのタクシー・・・おじいの話は、ネタなのだが、今日も長い・・・・

いつも遅れる帰りの飛行機に乗って、T市に帰ったのだった・・・・

未練たらたらでさ!
コメント (8)
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