
北海道出稼ぎ男・・大沼君、ついに上陸!(なぜか、峯さん付き)
島に連れて行けと、言われ続け、3年前にすべての手配が済み、ガイドブックも配布・・・・そして、コロナはうなぎのぼり。沖縄は、10万人当たりが全国1番・・医療崩壊状態になってきていた・・・
フライトの1週間前に、涙を呑んでキャンセルしたのだった・・・そして、ついに、島の土を踏んだ。
初めての沖縄の方のガイドなので①沖縄戦を学ぶ基本形コース②世界遺産などの観光の2本立て、ほとんどこのブログで紹介した場所だらけなので、写真と簡単なガイドの思いだけ、記して、さっぱりした記事にしたいのう・・・③でマイ企画も織り交ぜてあるので、そこらは俺の初めての場所なので、日記として、やや解説的に記載かも・・・???

古本屋さんにも行ってみたいとの希望で、いつものちはや書房。相変わらず峯さんは孫に本購入。



初めての場合「平和の礎」は良い。墓碑に圧倒されながら、戦争や平和を想う。


ロストのますえちゃんのおじさん「小金沢辰五郎」さんに合掌。毎年追加が刻まれる。

もはや32軍本体が首里からここ南部に撤退した5月にはこの摩文仁の丘から眺める太平洋は1000隻を超える軍艦で黒く染まっていた。


沢山の若者・・・若き知性達が死んでいった・・・・

工業高校出身の彼・・・沖縄工業高校鉄血勤皇隊の学徒碑の前に・・・・動員数94名。犠牲者85名・・・ほとんど亡くなっている。


沢山の韓国朝鮮の人・・・1万余を徴用し、或いは慰安婦として戦争に巻き込んだこの国。さて、ドイツのようにしっかり「謝っている」だろうか?
ここは必ずお参りする。祖国の方向を指す、矢印が胸を打つ。


戦前の日本人で嫌われていない3人の軍人・行政官そのうちの2名が慰霊されている。
戦前最後の知事「島田叡」そして警察本部長「荒井退造」。
終焉の地の碑の奥には、彼らが最後に居たことが確認されている「32軍医療壕」がぽっかり口を開けているのだった・・・(訪ねたら、必ず碑の後ろまで行ってください)

やがて、摩文仁の丘の各県の碑など見ながら、32軍のトップたち、牛島中将と長参謀長らが自決した壕を見る。



沖縄師範学校鉄血勤皇隊の学徒碑は、32軍の壕を海沿いの絶壁に取り付けられた坂道を降りたところにある。
摩文仁の司令部壕から400mほどの自然壕に彼らは入り、食料収集・弾薬運搬・切り込み隊と休む間もなく働き、その過程で、沢山の学徒が死んでいったのだ。
動員数386・それとは別に招集兵として入隊75名。犠牲者数226名。招集兵犠牲64名。


学徒碑付近に2筋の道があった。あったのは知っていたが行ったことは無かった。ずっと下って、あれまぁ・・・美しい海に出るんだねぇ・・・




沖縄の文化・風俗・そして沖縄戦と基地・・・こんなことを大沼君に感じてほしかった。
弁当!!主要道を走れば「弁当や」・・市場でも弁当がたくさん売られている。それが、ボリューム満点、しかも本土と比べると40%は安い。
100円弁当からあるが、小腹を満たすには100円弁当だな。
今回旅は、2日目の昼飯は「沖縄弁当」わ、風光明媚な場所で食べることにした。
そこで、ジョン・万次郎上陸の浜辺と決めていた。



シュノーケルのメッカなのだが、そこから少し離れた浜は独り占め(3人占めだけど・・)。
ヤドカリがあちこち徘徊する浜で、美味しく食べた。




そして「ひめゆり」!!まぁ・・外せない。ここまで来て、大沼君は、かなり衝撃を受け、また、心に刻むものがあったようだ・・・
連れて来た甲斐があった。しばらくぶりに俺も入った(何度も来ているので、いつもは案内すると外で待っていることが多かった)。
何度入っても感じるもの・新しい印象があるものだ。
もはや、生き残った彼女たちの生の話は聞くことはできないが、多くの方がビデオで語る画像は圧巻。
「私たちは、死ぬときは天皇陛下万歳と言って死ぬと思ってました」「でも私たちの看護して亡くなった兵隊さんは1人もそういわないっですよ」「みんな、お母さんや身内の方の名を呼びながら死んでいったんですよ・・」
動員数222名。犠牲者123名。

ひめゆりの隣に昭和女学校「梯梧学徒隊」の慰霊碑がある。この旅の前、軽便鉄道の爆発事故のビデオを見た。
それは、後日記述するが、そこで、梯梧学徒隊の生き残りの方の話を聞くことが出来た。
動員数17名。犠牲者9名。

ここも外せない「魂魄の塔」。耕しても耕しても出てくる骨・・・住民たちが遺骨を納めた塔だ。

ここに、北海道の碑はある。




旅の終焉・・・ひめゆりたちが彷徨し・・自決した現場に行く。多くは逃げまどいながら裸足だったと聞く。
僅かながら、靴下はOKとして、その荒崎海岸の岩の上を歩いてもらう(これはせいごうちゃんの発案で始まった)。


海岸の代表的な草「クサトベラ」の向こうに慰霊碑が見える。
ここのクサトベラを題材に、鈴木幹夫氏が歌を作った。


手を合わせ・深呼吸をして、祈る以外にない場所だ。大沼君の無言に、連れてきてよかったと・・俺は思った。

毎年、遺骨収集が行われ、今も遺骨・遺品が見つかる場所だ。
そこの土を辺野古の埋め立てに使うの、うず高い山が出来ている。遺骨の混じった土を使うなよ。それ以前に「辺野古を埋め立てるなよ!」だな。
18日の濃厚接触・・大・R・