今回、この面々。子供は長女のみ連れて行ってなくて・・・ずっとせがまれ・・・ついにこの日が。
アツコは2年待ち?そして、もれなく付いてくる女房・・・
ガイドは、疲れるに違いない面々のご相手であった・・・アハハ!
11時30那覇・・12時半の高速バス「やんばる急行」で名護2時過ぎ着。ホテルに荷物を預け、初日の旅が始まった。
毎回のガイドでも、必ず俺の行ってない場所を密かに挿入するのだが・・・今回はのっけからその場所!
名護高校・・・・学徒動員され、犠牲となった学徒の慰霊碑を訪ねるは、俺のテーマだったが、ついのここで、沖縄本島の「全学徒碑」を回るが完結なのだ。
第三中学鉄血勤皇隊と通信隊、そして第三高女「なごらん学徒隊」の慰霊碑をやっと拝むことが出来た。
さて、まさに「観光コースでない沖縄」2023・7月はこうして始まったのだ。
高台にある名護高校の坂を300mほど下ると、リニューアル移転した「名護博物館」だ。
名護は「ピートウ(くじら)」の街だ。湾内にイルカが来なくなって1980年代の終わりには漁はほぼ終焉するが、沖縄で一番イルカ漁が盛んだったのである。
博物館もイルカと名護の展示が満載。
天然記念物「名護市嘉陽層(かようそう)の褶曲(しゅうきょく)」。嘉陽層の地層は、いまから5000万年ほど前に、日本列島がまだアジア大陸の東端にくっついていた時代に、海の底で作られた地層。
つまり、日本列島と同じ成り立ちの島が沖縄本島の北半分と言えるわけで、南半分は海でできたサンゴの島と・・・成り立ちの違うものの合体が、沖縄本島ってわけさ・・・
まさに頬ずりしたい、褶曲だわな。
さて、初日最後の場所「名護城址公園」にやって来た。タクシーで頂上付近のビジターセンターに下ろしてもらい、下りながら、自然満喫の旅が始まるのだ。
そして、まさに城跡「名護城(ナングシク・・と地元では島言葉で)」跡にやって来たのだ。
沖縄の城跡はほぼ「石垣組」の城だ、この名護城址は数少ない「土でできた城」であった。登りながら、土塁の跡など散見。
築城主など不明・・・・
名護城址に傍らで老夫婦が枯れた松の葉を集め、焚いている。白い煙が春の空に立ち上る。そこから眺める沖には黒い煙たなびく汽船が走り、やがて本部半島に消えていった。
船には大阪の紡績へ働きに行く娘が乗っていた。
この親子は見送りの心のつなぎを、白い煙に託したのだった・・・・
当時師範学校教諭の稲垣国三郎の「沖縄小話」の一文が写真のものである。
こうして、初日は暮れていったのだった・・・・皆、ホテルで一息ついて、夜の名護に・・・