琵琶湖疎水。
京都。明治時代、東京に都が移され、人口が2/3になるほどの経済的打撃を受けたとか。
盛り返すべく、打ち出された巨大公共事業。
京都の東側一帯、山と鴨川の間に琵琶湖の水を供給し、生活用水、灌漑用水、産業用水、インクラインで船舶輸送、更に水力発電所を作り日本初の電車まで走らせる。
なるほど、水さえあれば何でもできる的経済発展であります。
とりあえずはスタート地点。トンネルの向うの明かりが見えます。
ここでお昼。今回はお握り。
やや早歩き程度の流れ。障害物等、変化はなく、魚の姿はありません。
あちこちで桜の開花宣言があるのに、オール蕾であました。
ここで思いかげず、特急サンダーバートに遭遇。
相当高いところを山の地形に沿って疎水が作られていることが分かります。
スタート間もない琵琶湖疎水。凄い高低差です。
下には川らしいものがないため、地震等で決壊すると道路が川になるかも。
日本初の鉄筋コンクリートの橋。
ほんまかいなそうかいな。
今は鉄骨で補強されてます。
またまた南禅寺。
水路閣、素晴らしいのは日本人の手ではじめて、設計・施工されたこと。
北へ向うにつれ、要所要所で水を抜いて、景観のために滝など作られてます。
明治時代のメイドインジャパン。耐震性は良いようです。
高度を保ったまま、北上。
東山中学・高校のあたりから、結構な量の分岐があります。
この水量に乗って、鴨川から南禅寺の西まで船で来て、インクラインで高低差をクリア、琵琶湖に船ごと荷物を運ぶ。
哲学の道。
今は水道があるので、せいぜい景観用水になってますが、
哲学の道は、本来の目的は琵琶湖疎水を北に運ぶ水路の管理道路。名前は観光用に後付けでしょう。
この当たりでも、寺などの池その他、主に景観用に分岐して行きます。
銀閣寺を見ようと思ったけど、結構記憶に残っているし、すごい人なんでパス。
で、抹茶ソフトで休憩。
銀閣寺を下った先で一部、横の開口から分岐して白川へ。
琵琶湖疎水の末端は右側に直進し、出町柳のさらに北、鴨川支流の高野川で合流します。
比叡山から降りてくる白川に、さっきの琵琶湖疎水が一部合流し、今度は山と鴨川までの中間地帯を南下。
最後は、山水である白川の水が勝って、透明度が改善されて、また南禅寺の西で琵琶湖疎水に合流。
出町柳着。右が支流の高野川。琵琶湖疎水の末端は、か細いですが、このかなり上流まで伸びてます。
山科までは電車ですが、かなりの範囲の琵琶湖疎水を把握出来ました。
まとめると、
本流が大津から銀閣寺を超えて出町柳の先まで、東山の山沿いを北上。
途中、要所要所で西へ分岐して平地を潤し、鴨川へ。
更に、東山と鴨川の中間の白川に合流して、今度は南下しつつ、南禅寺の西で再び琵琶湖疏水に合流。
京都三条から出町柳まで縦横無尽に潤しておりました。
琵琶湖疎水と京都の繁栄。
自分の足で納得のブラタモリでありました。