シーカヤック釣り 海をてくてく

カヤックフィッシングとハイキング
足漕ぎカヌー(スワンじゃないよ)と自分の足で、陸上、海上、遊びあるき

奈良若草山焼きをてくてく

2020年01月29日 | 散策

本日、若草山の山焼き開催とのこと。

で、15時ぐらいからレッツラゴー。

大仏様の東大寺前は凄い人。半分は中国人?

武漢からの観光客乗せた観光バスの運転手が、コロナウィルスに罹ったと報道がありましたが、

ここに限らず、出勤時の御堂筋線もインバウンドが沢山いて、こんな密度ではどうしようもないのでは?と思ってしまう。

別の海外の人が、ここでもらって自国に帰って発症すると、もう追いかけようがありません。

かくいう自分も、アゼルバイジャンで風邪を貰い、イスタンブールでやや発熱した後、日本に帰り、

入れ替わりに修学旅行に行った息子が、グアムで一晩、高熱だしたとのこと。

グアムである人が、息子から風邪もらったとしたら、ウィルスの原産はアゼルバイジャン。

追跡しても、日本から来たってよ。で終わりでしょう。

ニュース報道が、武漢に行ったかどうかで確認終了なのは摩訶不思議。

コウモリからハクビシンに、ハクビシンから人に、人から鹿に、鹿から人に?。

堪忍してほしいわぁ。

心なしか、マスク付けてる日本人の割合が多く見える。

中国人はほぼしてない。マスクで国籍が分かりそう。

東大寺。今日は外から。

時間つぶしで二月堂。お水取りと言って、松明で火の粉をまき散らす行事が行われる場所です。

17時。1時間前ですが、皆、場所取りっぽくするので、仕方なく位置を決める。

初めて来たときは、寒くて地団太踏んでましたが、今日は使い捨てカイロが効いて、暑いぐらいでした。

消防団の皆さんが松明もって配置に着く。

ご苦労様です。

18時15分。

花火の始まり。

ドンッ、ドンッ。良い感じの距離間と腹に響く感じ。

本日のベストショット。

ただ、ピントはボケてる方が、光が膨らんでいいかも。

ずっと写真を撮り続けてましたが、途中で腕がしんどくなって休憩。

でも、そこそこ、だいたいは撮れたと思います。

変わり種花火は、何の絵かわかりませんでした。

動画で撮れよ。と、今思いました。

跡引くラスト。

花火は、18時15分から30分まで。

松明部隊がスタンバイ完了。

生駒方面の夜景。

じわじわ炎が広がります。

手前の人と比べると数メートルは上がっています。

炎が横一線のラインとなって、山の上に攻め上がりますが、スタート地点が暗くて見えず、絵面の変化が分かりにくい。

かぶりつきの場所では、変化が分かりにくく、そそくさと人が引けていきます。

電車の混雑と山焼きの後半戦を、天秤にかける相談がちらほら聞こえてくる。

山焼きはある程度引いて、全域見えた方が見応えがあります。

ここは木が邪魔ですが、若草山公園の中より、芝公園のほうが、山焼きは良い写真が撮れます。

今度は動画を撮ろうと思った、ぎりぎり1万歩のてくてくでした。


治水記念館をてくてく

2020年01月25日 | 散策

続いて周辺散策。

川を下って治水記念館へ

途中、でかいポンプ場がありました。右側が増強の新ポンプ場。

昔から今も続く洪水対策。

上から左下に伸びる土手は、明智光秀が城を作る際、洪水の発生しやすい合流点に土手を作って、由良川を付け替えた。

土手は明智藪と言って、竹や雑木の根で補強されています。

物資の輸送は川。掘は港でもありました。

川は必要だから、離れるのではなくまず治水なんですね。

明智藪。

支流との合流点。

福知山は結構、山の中で中流なのに、

この堤防を越えるんだから、地形的に抜けにくいのか。

治水記念館は、100年前の呉服屋さん。

結構可愛いけど、情報はぎっしり。

明智藪を作ることで由良川を付け替えた。洪水で使いにくい土地が城下町として繁栄。

商業には地代を免除するなど、政治の手腕も振るっていたとのこと。

丹波地方の数多くいた大名を、連戦に次ぐ連戦の末、制定し、信長に与えられた土地。

思い入れも相当あったと思います。

平成26年も洪水。水路やポンプ場の増強が行われています。

防災の情報はこちらから。

100年前の生活道具のあれこれ。

炭を入れる道具。

6角で蹴とばしてもひっくり返らない。

下のひしゃくみたいなのはアイロン。

2階で昭和28年の洪水の様子がビデオで見れます。

床上浸水ぐらいは頻発してたようで、荷揚げの会話もなんだかのんびり。

つい笑ってしまう。

荷揚げの滑車と吹き抜けは必需品。

夜9時。おや? やばいんとちゃう?

電話とかはとっくに不通で情報は皆無。

天井破って脱出。

そういう風に作ってあるのかは不明。

朝までずっと屋根の上・・・。

2階ふすまの真ん中まで泥水のあと。

平成16年も由良川下流で洪水。

水に浸かった観光バスの屋根から、ヘリで人が救出される映像はまだ記憶に新しいですが、

その時、ここら一帯は、堤防ぎりぎりでセーフ。

中流で逃げ場のないぶん、下流で大きな被害となったらしい。

ボランティアの方が聴けばなんでも教えてくれます。

昭和28年の堤防決壊と、平成16年のギリギリセーフの解説図。

吹き抜けと滑車。呉服屋だけでなく、一般家庭でもあるのか聞くの忘れた。

大阪府でも、各市町村に、数多くの巨大なポンプ場がありますが、通常は、全域同じ雨の強さではないので、強いエリアでポンプは100%運転可能。

但し、全域大雨の状態で、全部が全部、自分のエリアを守ろうと、フルにポンプを動かすと淀川の堤防が決壊します。

決壊した堤防は手が付けられないので、堤防を壊すよりは、少しポンプを停めて、皆さん、ちょびっと浸水しましょう。

という方法を取ります。

大阪府の下流域の堤防と水位の関係を見て、上流にある各市町村にポンプを少し止めるオフレを出すわけです。

なんと、止める台数は最大50%。

自分のところの堤防は超えてないのに、床下浸水したのはなぜ?

ということが今後起きても、それは最悪の状況を避けた結果。となるそうです。

ちなみに、少しポンプを止めるオフレを出した回数はまだゼロ。

オフレを出しそうだから、各自治体総員配置。は何度もあったそうです。

 

光秀ゆかりの神社、丹波御霊神社。

以下、御霊神社のホームページを拝借しました。

御霊神社の祭神は宇賀御霊大神であって元来稲を主宰し給う神を祀ったことから五穀豊穣商売繁昌の神として崇められてきました。
しかしこの本社を御霊神社と云うのは明智光秀公を祀ったことに由来しています。光秀公は織田信長公を倒したことから逆臣の名を史上に遺していますが、彼は丹波に於て諸豪が所々に割拠していたものを平定しその拠点として福知山城を修造し、由良川に長い堤防を構築して其流路を転じ、氾濫を防ぎ、ここに城下町を建築するに当たっては地子を命ずるなど、種々善政を施したので郷民は悦服しました。生前人々に慕われて居たものが冤罪(エンザイ)を蒙った様な場合に、その御霊を慰めようとした御霊社が各地にあり、本社もその一例であります。

光秀さん。

民から慕われてなければ、死後、神社は作られておりません。

前の境内らしき公園には、昭和28年の浸水ラインが分かるようになっていて、自助努力を意識できるようになってます。

この看板みると、つい、この線より上の建物はどこか、見渡してしまいます。それが大事なんでしょう。

ここには、堤防神社があります。

初めて見ました。

最後は神頼み。

今後、熱帯雨林化していきますが、堤防の高さを少し上げるだけで、ウン百億円。

いくら金をかけても、下流との痛み分けでポンプを停めちゃうこともありますから。

光秀さんが龍や鷹と戦っています。

地方大名か、氾濫する川の例えか。

最後はポッポランド。

昭和18年。川車? 

水に強いのかと検索したけど違いました。

川崎車両製造の略。

へんに反応し過ぎであります。

帰り、城を裏側から一周してみる。

周りの石垣は緻密で石が大きい。秀光着任後、城を改築してますが、その前のものかも。

光秀さん、丹波を制定中に、和歌山の雑賀や大阪の石山本願寺の寺家とも交戦。

大河の初回で、いくら戦えば、この土地を守れるのかと嘆いておりましたが、

信長の家臣になったらなったで、いくら勝っても、次の対戦相手を決められて、落として来いと・・。

基本、自分から征服に行ってるわけではないのですね。

地方大名は星の数。負けて死ぬことは時間の問題。

自分が生きつづけるには、自分の領地を安定させて、命令元を断つ。

こんな考えもあったのでは・・。

動機は、自分が死ぬ前に、まずはお前が死ね。ではないでしょうか。

それでは大河ドラマの終わりに相応しくない?

ただ、大河の大河である大義名分は振り回さないでほしいなぁ。

 

帰り、社会実験で、おばあちぉんの道の駅によるために、高速途中下車しても料金はそのままとのこと。

肉まんが旨かった。

栗食った豚の豚まん。

栗入り豚まんではありません。

ここでも一つ誤解と解いとかないと・・。

餌は丹波栗100%ではありません。


福知山城をてくてく

2020年01月21日 | 散策

明智光秀ゆかりの地へ。

今回は福知山城。

家から1.5時間。高速降りたらすぐに城。

手前に美術館があり、大河ドラマの特別展が今から1年やっています。

写真禁止ですが、人物の対立関係図があり、結構時間が潰せます。

ま、当然ですが、ドラマ末期で演出されるので、本能寺の変の動機は曖昧のまま。

若い秀光の記録はなく、今回の大河はいきなり二十歳ぐらいから始まった。

これからの大河、幼少時代は一切なしでお願いしたい。

だらだら幼少時代を続けるくせに、重要な事件が一瞬で飛ばされて肩すかしが多いのです。

本能寺前の変の前後2週間は、最低でも週一として3カ月は持たせてほしい。

初回を観ましたが、4Kをアピールしたいのか、皆、貧乏でも服がパステル調。ん?と思いました。

農民の岡村さんの、言わされてる大阪弁にも、ん?

龍馬伝のように、わざと全体に少し褐色のフィルターをかけたような映像が逆にかっこ良いんですけど。

秀光が単身、馬で大阪の堺に向かうシーン。

秋に通ってる高雄のハイキングルートを使って、神護寺から撮影しているのにはつい笑ってしまった。

本人じゃないでしょうけど。

再建の城ですが、なかなかかっこいい。

鯱が沢山、角のように出てます。

見る方角によって、すべて姿が違う。

安土城でもそうですが、近くの石仏?などが石垣として多数採用されています。

石仏がはまっています。

石垣は再建か当時のままかは不明ですが、見た感じ、再建してあえて石仏を使ってるような気がします。

大きな井戸があります。

緑の堤防が明智が築いた明智藪。

堤防で河川のルートを変えて、城下町を水害から守っています。

橋の根本まで続いています。

ビデオ映像がありますが、本能寺の変は、当然ながら、もやっと。

想像力が問われる大河ドラマ、麒麟がくる。

どうせ、真実は誰も知らない。

思い切ってスカッとしたものにしてほしいと思いました。


八幡山城をてくてく

2020年01月20日 | 散策

まだ少し時間があるので、近江八幡宮へ。

初詣の方で賑わっていました。

空いてたので、近江八幡宮で御朱印を頂きました。

ロープウェイで標高300mの八幡山城跡へ。

左が内湖、右が観音寺城跡がある山。

手前の濃い色の低い山が、安土城跡がある山。

当時は内湖が手前の低い山を取り巻いておりました。

低くても、城を掘で囲めば住めるようになる一つの手法。

上から見える琵琶湖は一部。

八幡山城は石垣のみ残っていました。

端っこに稲荷大社があったので、参拝しました。

ここは当初は、豊臣秀次が築城。標高300mですが、何とか生活していたらしい。

その後も、堀が琵琶湖の海運の要所となり、城下町は繁栄したとのこと。

秀次。子供のいない秀吉の養子となって後継者になる予定が、秀頼誕生により狂っていく。

元々、秀次の素行は明らかでないとあるが、ウィキによると辻斬りは自慢してたとのこと。

前の大河の真田丸では、秀吉に対しては弱くてあまり衝突するシーンはなかったように思います。

でも最後は妻子を含め、関連する全員、見せしめに斬首・・。

その時、27歳。秀頼の時代までリリーフを務めるように立ち回って、淀殿に変わって徳川と対峙すれば違っていたかも。

でも、秀吉の目には、秀頼への最危険人物にしか見えなかったんでしょうね。

秀次ゆかりの地。最後に読んだ資料が重くて、ちょっとどんより。

天気もどんより。

でも、ここは現在、恋人達の聖地として、絶賛売り出し中。

これからはギャップ、ふり幅の時代ということで。

ここの掘は、映画や時代劇では有名な撮影スポットとのこと。

本日、テーマは秀光ゆかりの地でしたが、思いかけず、秀次も再認識したてくてくでした。

結構謎が多いみたいなので、秀次の大河、誰かやってくれないかなぁ。


信長の館をてくてく

2020年01月18日 | 散策

まずは、安土城考古博物館。

途中で6角を入れる安土城天守を模したデザイン。

稲作の前の食糧分布図。

トチノミ?のウェイトが凄い。

今、そんなに栃の木はないし、栃餅そんなに売ってないし。

杉の植樹の前は栃の木だらけだったのかも。

狩りや採集。

シーズンによってやることが変わります。

当然と言えば当然ですが。

物によって、豊漁、不作があるため、まんべんなくが昔の基本。

現在のように会社が出来て専業化されて、年中同じ仕事よりは、良いかもね。

銅鐸。豊漁を祈願するものとのこと。

当初は鐘として鳴らすものだったのが置物になったとか。

この時代、実用的でないものをわざわざ沢山作っていることに疑問です。

実用的な説が欲しい。

間に色々あったけど、すっとばして安土城。

立派な天守で、天下統一、権力を印象づけるのは、この城から。

以降の城はこの模倣とのこと。

湖で防御する方法も、今の掘に共通します。

通常は左端から行き来しますが、天皇は真ん中の真っ直ぐな道で迎える予定だったとのこと。

天皇のところに行くのではなく、天皇が城に来ることに意義があります。

天下布武。武力で統一を目指し、武家同士が争っているだけのイメージが強いですが、

武家、天皇の公家、比叡山延暦寺のような寺家の3つも、上手くまとまらなかった。

政治その他、武家が代表してまとめようというのが、天下付武らしい。

寺家。延暦寺焼き討ちなど、今ではとんでもない行為に感じますが、当時は利害関係で対峙する武家と変わりない存在だったようです。

城の解説は以下。

安土城の前の城。観音寺城。

標高400mと高く、日常は下で暮らしており、闘いの時だけ入る。

遅く出たので割愛しましたが、いつか行こうと思います。

後で調べると車でも行けるらしい。

暮らすには大変な過去の城。

安土城は、掘による防御を行い、標高200mで何とか暮らせるようにしたとのこと。

小谷城はもっと高く標高500m。

籠城的発想。

安土城直下の秀吉屋敷。

琵琶湖は当時の海運の要。

こんなデカい船が行き来していたとのこと。

確かに馬に乗せての物流より、はるかに効率的です。

続いて信長の館。

たった3年で焼けたので、焼ける直前もこのレプリカみたいに金ぴかのはず。

勿体ない。

家康をたたえた当時の豪華料理。

接待担当は、明智光秀。

仕度の行き過ぎを叱責されて、豊臣秀吉の援軍に回されて、

京都の本能寺の横を通過していくはずが、本能寺を急襲。

最も特をしたものが真犯人説で行くと、暗躍していたのは秀吉らしいけど、30年後に天下布武を実現したのは家康。

光秀の三日天下の後、

鳴かせてみよう時鳥が、なんとかしようとして根絶。

鳴くまで待とう時鳥が、300年笑った。

黒幕は家康?

ちなみに、鳴かぬなら殺してしまえ時鳥は、今やってるアニメで生まれ変わりの柴犬曰く、言った覚えはないとのこと。

中身の写真は撮りましたが、SNSはダメとのことで、見に来てください。


安土桃山城をてくてく

2020年01月15日 | 散策

連休中日。曇天。

電車とレンタサイクルも考えたけど、雨が降りそうなんで、車で安土桃山城。

麒麟が来る に備えて、ゆかりの地に行きたいなと。

実物のデカさ、広さ、高さを感じようかと。

越前、福知山もゆかりの城があり、仕事に絡めて画策中。

光秀さん、ある程度の位に着くまでの経歴は不明らしい。

まずは最後の主君であった織田信長の安土桃山城。

観光ルートは一方通行で、まずは天皇を迎えるべく作られた天守までほぼ真っ直ぐな階段を行く。

普段は使わないそうな。

羽柴秀吉、前田利家の屋敷を参道の両側に配置し、万が一、敵が攻めてきたときの防御としていました。

明智光秀の屋敷はありません。

秀吉屋敷の石垣。

城の中に寺がありました。

御朱印は下の料金所で気が付きませんでした。先に渡して後で受け取るスタイル。

織田信長像。あちこち沢山ありますが、キリストよりはぶれてません。

天守は四角、六角、また四角の作り。世界中の宗教を和洋折衷。

わずか三年で作られ、わずか三年後、本能寺の変の後、天守だけ火災でなくなってしまいました。

色んな所に、綺麗なカラーの絵や模型がありますが、想像の産物なので作った人の著作権があるらしく、

写真お断りの張り紙が目立ちました。

お茶とお菓子でほっこり。最初に寺を見学するコースだけど、落ち着かない。

全部見てからでいいのでは?

階段を奥へ。

わずか3年で作ったため、石仏も建材としてかき集めたらしい。

階段にも平気で使われています。

端っこだと、踏まないけど気付かない。どっちが良いだろう。

家督を譲られた信忠。

天守の近くには血のつながりの濃い人の屋敷があります。

織田信澄、甥っ子だとか。

石垣の石が大きくなって行きます。ルートもクランクし、先が見えない構造に。

石垣の中に組まれていた仏足石。

まだまだ、見えないところにいっぱいはまっていると思います。

本丸は天守の手前にある邸宅。

天守閣への道。クランクしてブラインドコーナー。

内側の基礎だけでなく、石垣の上全体に天守が乗っていたとのこと。

曇天でスカッとしないけど、田んぼでのどか。

当初は湖の中に立つ城で、他3か所の城を含め、琵琶湖の海運の要所でもありました。

天守から本丸への出口。意外と狭い。

攻められた場合の脱出ルートみたいな所が3か所ほど。

船着き場も何カ所かありました。

 

織田家の墓。

信長以降も血筋は絶えていません。

スケートの織田信成さんまで続いているって、この時代では凄いと思う。

 

帰りは右にそれていきます。

もう一つ、城の中に寺。

摠見寺。

本堂は燃えてしまったけど、三重の塔と門が残っています。

こちらが通用門で、大名などはこちらから寺を経由して天守に上がる構造となっています。

内湖が見えます。

当初はこの景色もすべて湖。

受付で御朱印を貰おうとしましたが、待たされそうなんでパスしました。

天下布武。実にカッコいいので今度は貰おう。

既に書いてる御朱印もありましたが、結局どっかに行っちゃうんですよね。

スケール感が分かったところで、次へ。


朝日山をてくてく

2020年01月14日 | 散策

明けましておめでとうございます。

今更ですが。

出勤始まってちょっとドタバタしておりまして・・。

って言うのは嘘。

正月番組録画の消化に追われておりました。

元旦は家族で朝日山で初詣。

香川では金比羅山や善通寺など、有名な初詣神社が沢山ありますが、渋滞で大変なのです。

毎年、空いてる朝日山。

昔、加ト吉フーズが地元還元で寄贈したとのこと。

レオマワールドも一時期事業を引き継いでたとか。

結構手広く地元のために尽くしていました。

10時過ぎでしたが、栗入りの御粥さんは終了。

お神酒だけ頂いて帰りました。


雲辺寺をてくてく

2020年01月03日 | 散策

近くに雲辺寺ロープウエイ。

前も来たことあるけど、66番 雲辺寺、67番 大興寺と本日4つ回れそう。

食堂のおばちゃんに聞くとロープウェイは2000円とのこと。

車だと一旦徳島に入って遠回り。

前ロープウェイ使ったので、45分かかるけど車で行く。

物凄く山を下りて、物凄く山を登りなおして、雲辺寺着。

御朱印と道路補修協力金合わせて800円です。

まずは、おたのみなす で開運祈願。

本堂は真新しく、周りの古いのが本堂と最初勘違いしてました。

展望台に上がる。

雲辺寺スキー場。楽しそうです。

ロープウエイ駅から少し歩くだけで、上のリフト降り場に着く。

奥が石鎚山。雲の中。

こっちは剣山。

夏は優しい山も、厳しい表情を見せてます。

大興寺への道はすごく狭く、遠回りを選択すると、最後に寄る予定だった温泉に先に来てしまった。

財田のたからだの里 環の湯。

水曜どうでしょうで、ダダダダダッの大工事で紹介された大興寺は、前も来たからまた今度。

露天風呂で晩御飯に合わせて1時間、じっくり汗かいて終了。

水曜どうでしょう。北海道で復活したらしいです。

関西でも見れるようにしてほしいなぁ・・。


豊稔池ダムをてくてく

2020年01月03日 | 散策

本日メインは豊稔池ダム。

手前の食堂でメシ。天ぷらうどん400円也。

お母さんの普通のウドンでした。やさしく旨し。

豊稔池ダム。

我が国初のコンクリート製とか。

デザインが凝ってます。

表面はコンクリートブロックで出来ています。

農繁期でもないため、水を抜いており、水面下もしっかり確認できます。

ちょっとどぶ臭いですが。

当初52万円。現在の価値で7億円とか。

今作ると7億円では到底できないと思います。

金と人数以外の単位は当初のもの。すっと入ってこない。

サイフォン式で下から上へ引き上げて放流しているとのこと。

最初どうやって通水するのか書いてないのでウィキで調べるけど判明せず。

金魚の水槽なら、吸ってウエッと吐き出すのが定番ですが、そうもいかんでしょ。

気になる~。

底や右側の地形も、当時のままを利用しており、放水経路が面白くなっています。


天空の社 高屋神社

2020年01月03日 | 散策

天空の社、高屋神社。

晴れたら登ろうと思ってましたが、風が強いのでパス。

近くを通るので駐車場でも確認しようと、ググッてみると山頂近くに駐車場のPのマーク。

あっさり行けるので行ってみた。

御朱印は上ではやってません。

車で来ちゃったので感動は今一つでしたが、なかなか良い。

来年は下から歩こうと誓いました。

近くにお遍路の観音寺と神恵院があったので、久々に御朱印を貰いに行きました。

前回・今回とも、車ですが。

69番観音寺。

コンクリートの箱に入ると、68番神恵院。

面白い。

近くに寛永通宝の砂絵があったので、寄ってみた。

近くで見ると訳が分かりません。

高台から見れるようになっています。

白波とのコラボは珍しい。