政治家は、時として『プライバシーを配慮して』という言い訳を楯にします。
しかし、私は『行政において国民に公開できないものがあってはならない』と思います。
外交や防衛関係の一部は除外するとしても、他は主権者である国民が知るべきと思う。
献金についても名前を出してほしくないなどと云うことは、プライバシー保護とは違うでしょう。
後ろめたさや都合の悪いことがないのなら堂々と名告れば良いし、それができないのであれば献金という手段は使ってはいけないと思います。
5万円の壁は、献金する側の都合ではなく、受ける側の都合なのではないだろうか。
献金は議員活動の幅を広げる大切なものでもあるが、議員活動の足かせになる場合も有る気がします。(自分から望んで縛られたい議員も居るかもしれませんが)
外交関係にしたって、30年もすれば後悔しても何ら支障が無いと思う。
(現にアメリカで公開しても、それにより外交関係が破綻した等という例はないでしょう。今の世の中、変化が激しいので10年でも長い。そのくらいのスパンで見直しを図らないと、より国益に担った外交政策は執れないのではないか?)
現在、過去を検証する作業のほとんどが、アメリカの公文書公開(30年?)によるものです。
主権者に煙幕を張る手段としてのプライバシー感覚と、『墓まで持って行く』などという間違った正義感が、日本の成長を阻害し、遅々として進歩しない(同じ過ちを繰り返す)政策の原因となっていると思うのです。