時々雑録

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日本代表の終戦によせて その2

2010年07月06日 | サッカー
前回に引き続き、監督について。

予戦からの戦い方が上手く行かないと悟り、切り替え、突貫工事で結果を出した。その鮮やかな変貌振り、大会前の最悪の予想と比べたら結果がよかった、ということもあり「岡チャンゴメンネ」という声が大きいようですが、私はやはり岡田監督を高く評価できません。

まず、戦術。現有戦力を考えたとき、彼の引き出しからはあの解しか導けなかった、それは仕方がない。問題は二点。一つ目が「最後に変わったこと」。上手く行かないなら修正は必要でしょうが、その判断が遅すぎる。二つ目が、「選手層が薄くなったこと」。ぎりぎりの戦術変更のせいもあり、23人のうち一部に「実質戦力外」を抱え、ほとんど11人だけ(+岡崎?)で戦ったようなもの。就任期間全体を通しても、たくさんの選手を招集して試したようで、じつは重要な場面を経験した人はごく限られる。

「代表は育成の場ではない」という常套句をエクスキューズにしてもらっては困る。代表で修羅場を経験した、戦力となる選手の層を厚くしながら戦っていける手腕を代表監督には求めたい。終戦直後のインタビューの「日本の未来まで考える余裕はありません、ごめんなさい」は、本音でしょうが、「ただひたすら結果を出すことのみ」という人に任せるとすれば、例えば最後の3ヶ月。2年半もそんな人に任せる意味はありません。

私が日本代表で達成して欲しいのは、「その時点で日本サッカーの最高の要素を結集したらどれほどのサッカーが出来るのか」を示すこと。監督はあくまで黒子で、4年与えるから、日本中から誰でも選んでいいから、日本が有するその時点で最高の選手にその力を存分に発揮させて欲しい、というファンの「夢」のようなものを託される役割だと考えます。「ファンまで背負えない」と言ったそうですが、その国のサッカーの象徴であるチームを任される人はファンまで背負って当然で、その度量のある人のみがふさわしい。

そもそも、監督の豹変ストーリーとか、そんなもんが焦点になる必要はないのです。23人を選んでしまってから戦術を変え、別の戦術を想定して選んだ選手の一部で戦う。私は、そう戦うのだったら本来選ばれ、出られたはずの選手のことを考えざるを得ません。逆に、選ばれながら最後の最後に「戦えない(報道が正しければ本当にそういう言葉を使ったはず)」というレッテルを貼られた選手もきつかったでしょう。それでも、「チームのため」と役割を全うしたらしい選手たちには、心から敬服しますが、本来の主役であり、日本中のサッカー全体の「代表」である彼らは、もっと敬意を持って扱われるべきだと思います。

(余計なお世話ですが、たとえば、中村俊は4年前のドイツ大会で代表キャリアを終えるべきだったと思います。以前(6/10/2010)書いたように、彼は代表のような重いものを背負えるプレーヤーではないし、技量的にも、高いレベルになればなるほど消えてしまう。あとは、比較的ラクなスコットランドリーグで「王様」として君臨して、彼と日本の評判を上げてもらう方がよかった。そして日本代表はその時点で次の世代へ移行すべきだった。オシムさんが彼を最初使わなかったので、その路線になるものだと思っていたのですが、なぜ彼を復帰させたのか。あまりに予想どおり、いやもっと最悪に、彼の晩節を汚すことになってしまった。彼自身の選択でもあるとはいえ、非常に疑問です。換言すれば、「コンディションが戻っていれば」とは思いません。)

代表監督って、ものすごく難しいのでしょう。私なんかに出来るはずがない。だからって、批判していけないわけがないのは、総理大臣にふさわしい人を議論するのが当然であるのと同じ。それだけの特権・高給が与えられるのだし。JFAが続投を打診する方針、と聞きますが、もちろん反対。今度こそ、広い範囲から十分に検討して、もっと度量の大きい、そして、日本サッカー全体のスケールを大きくするための種を蒔いてくれるような人に任せたい。世間のムードに日和ってないで、「日本をサッカー強豪国にする」という目標に忠実な人選・強化策を本気でやってほしい、と思います。

2回にわたって日本代表を振り返りました。今回の代表が得た経験、次世代に渡せる希望を考えたとき、あっさり終戦ではなく、一定の結果が得られたことは小さくないし、賞賛もしたい。でも、4年を通して考えたら、やっぱり停滞だったことは忘れたくない。全体としてはこのプロジェクト、「成功」とは呼びがたいものだった、と銘記したいと思います。