時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

Grandma

2007年06月27日 | Bloomingtonにて
旅行の話が書きかけで、もうだいぶん前のことになってしまいました。それはまたにして住んでいるアパート内で知り合ったおばあさんの話。もう一年以上前のこと、ドアから出てゴミを捨てに行こうとしているおばあさんを見かけました。ここは学生がほとんどなのでちょっと意外に思いつつ、足元がおぼつかない感じで立ち止まっているので「捨ててきましょうか?」と話しかけたのがきっかけ。「あんたは中国人?」と聞く彼女。「(やっぱりそう見える?)」と思いましたが、どうやらそれは彼女の夫が中国人だからだったようです。

フランスからの移民を親に持つ彼女はIndianapolisで電話交換士として働きながら、さらに頼まれて週末ウェイトレスとして中国料理のレストランで働いていたそうです。そこで知り合った中国人のコックさんにプロポーズされ承諾。結婚直前になって始めて年齢を聞いてびっくり。29歳の彼女に対して相手は43歳! 中国人とフランス系アメリカ人の結婚も前例がなく、ずいぶん反対されたそう。結婚式は二人だけ、手続きをしてくれた司法書士だかの事務所の女性二人に承認を頼んだとか。

シカゴに移り住み、30年仲良く暮らしたあと、夫はなくなりました。それ以来彼女は30年以上一人暮らし。でも、アメリカ、台湾、中国、オーストラリアなどあちこちに何十人といる親戚、アパートに住む(主にアジア系の)学生などが頻繁に遊びに来たり、電話をくれたり。87歳(たぶん)の彼女もまだまだ元気で、車に乗せてもらえばかなり長距離の旅行も平気。私も、春学期が終わってからは多少余裕があったので、食事を持ってお邪魔したり、逆にお昼ご飯に連れて行ってもらったり、スーパーへ買い物に行ったり。このアパートの学生たちは彼女をGrandmaと呼びます。

「日本に帰る前に寄ってね」と言ってくれたので、今日は団子を作って持って行きました。しばらくお別れだから、と思ったのか、体調がよかったのか、今日はえらい勢いでしゃべりまくってました。第二次世界大戦直後、シカゴ周辺には主に工場の仕事がたくさんあって人が押し寄せたそうです。人種差別は今より激しく、中国人にはどこも家を貸したがらない。稼いだお金で買った家の周辺はドイツ系移民が多く、一年以上完全に無視されていた。英語がほとんどできなかった彼女のお母さんも、けっこう辛い目にあったそうです。

話を聞くたびに圧倒されるのですが、働きづめの人生だったようです。彼女も夫も、週7日勤め。「でも、みんなそうだったんだよ」とのこと。生活の大変化を経験している彼女の話はとても興味深いです。そんなわけでGrandmaとしばしの別れを惜しんで明日、日本に一時帰国。彼女以外にも友人、知り合いも増え、Bloomingtonにも慣れ、1ヶ月とはいえ離れがたい気分も。今回は事情でシカゴから名古屋セントレアへ。岐阜の実家に直行です。

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