
去年から今年にかけて、人類史にとってかなり重要な新発見がありました。その一つが、ネアンデルタール人の遺伝子が現在の人類に少し貢献しているということで、これで、ここ20年ばかりかなり有力な学説だった「人類のアフリカ単一起源説」に若干修正の必要が認められそう。また今年、「光より速い物質を発見!?」という報告があり、「アインシュタインの相対性理論が覆されるか?」が物理学者の大きな関心事になりそう。
科学的研究の真価は、このように、有力な学説であっても、新たな発見によってくつがえされる可能性を必ず残しているところにあるのではないでしょうか。その意味で、「科学的研究によって○○を<証明した>」というのは、数学の定理のようなものでないかぎり、正しい伝え方・理解ではないはず。
また、「△△は科学では証明できない」というのもよく聞きます。これも、無理にでも主張したい考えがあり、それに否定的な判断を下しかねない科学の価値をおとしめるための詭弁に過ぎないことがほとんどと見えます。実際たとえば、Bloomingtonの街角で、ある世界的宗教を奉ずる人が私に対して、この論法で自らが信ずる宗教を弁護しました。しかし、科学によって得られるのは常に、現時点で知るに至った確実性の高い証拠から導き出せる、他と比べて最も信頼性の高い考え方に過ぎません。これは最も誤解されている点の一つであり、かつ、「科学的な言説」と、「(過去は科学だったことがあるにせよ)科学的ではない言説」とを明確に分ける点だと思います。だから、「科学には証明できない!」と言ったところで、(少なくとも真の)科学者ならそもそも「証明しました」など主張するはずもなく、批判になっていません。
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前置きが長くなりましたが、表題の本について。著者は、日本人の変遷にかかわる科研費プロジェクトの代表者だった方。その報告Webpageで「本プロジェクトが発足して2年半後の2007年秋、それまでの知識では班員全員の同意が得られるようなシナリオは作れませんでした」と書かれているのを読む前に知っていたので、この本もそれを反映し、かなり保留つきの、結論を濁した内容になっていると予測しました。
読んでみたところ、筆者はそれよりはかなり踏み込んで、個人的に現時点で最善と考えるシナリオを披瀝してくれている、という印象です。その中には、筆者が、「かなり確実」とお思いの箇所と「ここはまだまだ」という箇所があるのでしょう。個人的に注目なのは、(1)縄文人がオーストラリア先住民等と同系、(2)プロセスはどうであれ、結果としては本土の現存日本人は、3000年前以降というかなり新しい時期に到来したいわゆる「弥生人」にほとんど置き換えられたに近い、(3)そのニューカマーたちは、「中国東北部から江南地域にかけて住んでいた」可能性が高い、というところです。
以前紹介した、系統分岐の統計手法を利用した日本語族の系統の研究について、「朝鮮日報」が「東大教授が日本語のルーツは韓国語にあり」と伝えました。しかし、(3)を参照して考えれば、日本祖語が弥生系ニューカマーが持ち込んだ言語だったとしても、それは中国東北部に3000年前ごろ以前に話されていた言語由来である可能性をまず考える必要があるでしょう。たとえ彼らが朝鮮半島を経由して来たにしても、日本語族に属する言語が日本列島と沖縄諸島にしか見られず、半島に残っていないことを考えると、日本祖語を現在の朝鮮語(やその祖語)に結びつけるのは相当に無理があります。(結びつくんだとしても)たとえば、日本語も朝鮮語も当時中国東北部にいた民族の言語由来で(そこで結びつくが)、たとえば朝鮮祖語も日本祖語も、別系統の言語の影響を強く受けて、各々別の方向に大きく変容してしまったとか... むしろ、「どっちかがもう一方を起源に派生した」というような直線的な結びつきには限りなく否定的な証拠がそろっている、というのが現状でしょう。
(追記:「朝鮮日報」の伝え方につき、記憶違いで勇み足をした部分があり、訂正しました)
ともあれ、人類史や極東アジアにいた(&いる)人々についての歴史について、さらに新たな知見が見出され、以前は定説と見られていた考え方に修正が加えられていくのは科学として健全であり、エキサイティングなこと。現時点での個人としてのベストを伝える努力を払ってくれた著者には(僭越ながら)感謝と敬意を表したいです。
科学的研究の真価は、このように、有力な学説であっても、新たな発見によってくつがえされる可能性を必ず残しているところにあるのではないでしょうか。その意味で、「科学的研究によって○○を<証明した>」というのは、数学の定理のようなものでないかぎり、正しい伝え方・理解ではないはず。
また、「△△は科学では証明できない」というのもよく聞きます。これも、無理にでも主張したい考えがあり、それに否定的な判断を下しかねない科学の価値をおとしめるための詭弁に過ぎないことがほとんどと見えます。実際たとえば、Bloomingtonの街角で、ある世界的宗教を奉ずる人が私に対して、この論法で自らが信ずる宗教を弁護しました。しかし、科学によって得られるのは常に、現時点で知るに至った確実性の高い証拠から導き出せる、他と比べて最も信頼性の高い考え方に過ぎません。これは最も誤解されている点の一つであり、かつ、「科学的な言説」と、「(過去は科学だったことがあるにせよ)科学的ではない言説」とを明確に分ける点だと思います。だから、「科学には証明できない!」と言ったところで、(少なくとも真の)科学者ならそもそも「証明しました」など主張するはずもなく、批判になっていません。
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前置きが長くなりましたが、表題の本について。著者は、日本人の変遷にかかわる科研費プロジェクトの代表者だった方。その報告Webpageで「本プロジェクトが発足して2年半後の2007年秋、それまでの知識では班員全員の同意が得られるようなシナリオは作れませんでした」と書かれているのを読む前に知っていたので、この本もそれを反映し、かなり保留つきの、結論を濁した内容になっていると予測しました。
読んでみたところ、筆者はそれよりはかなり踏み込んで、個人的に現時点で最善と考えるシナリオを披瀝してくれている、という印象です。その中には、筆者が、「かなり確実」とお思いの箇所と「ここはまだまだ」という箇所があるのでしょう。個人的に注目なのは、(1)縄文人がオーストラリア先住民等と同系、(2)プロセスはどうであれ、結果としては本土の現存日本人は、3000年前以降というかなり新しい時期に到来したいわゆる「弥生人」にほとんど置き換えられたに近い、(3)そのニューカマーたちは、「中国東北部から江南地域にかけて住んでいた」可能性が高い、というところです。
以前紹介した、系統分岐の統計手法を利用した日本語族の系統の研究について、「朝鮮日報」が「東大教授が日本語のルーツは韓国語にあり」と伝えました。しかし、(3)を参照して考えれば、日本祖語が弥生系ニューカマーが持ち込んだ言語だったとしても、それは中国東北部に3000年前ごろ以前に話されていた言語由来である可能性をまず考える必要があるでしょう。たとえ彼らが朝鮮半島を経由して来たにしても、日本語族に属する言語が日本列島と沖縄諸島にしか見られず、半島に残っていないことを考えると、日本祖語を現在の朝鮮語(やその祖語)に結びつけるのは相当に無理があります。(結びつくんだとしても)たとえば、日本語も朝鮮語も当時中国東北部にいた民族の言語由来で(そこで結びつくが)、たとえば朝鮮祖語も日本祖語も、別系統の言語の影響を強く受けて、各々別の方向に大きく変容してしまったとか... むしろ、「どっちかがもう一方を起源に派生した」というような直線的な結びつきには限りなく否定的な証拠がそろっている、というのが現状でしょう。
(追記:「朝鮮日報」の伝え方につき、記憶違いで勇み足をした部分があり、訂正しました)
ともあれ、人類史や極東アジアにいた(&いる)人々についての歴史について、さらに新たな知見が見出され、以前は定説と見られていた考え方に修正が加えられていくのは科学として健全であり、エキサイティングなこと。現時点での個人としてのベストを伝える努力を払ってくれた著者には(僭越ながら)感謝と敬意を表したいです。
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