香港記が中断してますがとりあえずその前に。
昨日、一般に言うところのDefense、正式にはFinal Examinationがありました。やったことはつまり博士論文の口頭試問。3ヶ月ほど前にこの日を目標にすることを審査委員の4教授と合意、ここを目指して作業をしてきて、結局なんとか予定通りに済ませることができました。
最終試験はインディアナ大全体の大学院(Graduate School)から日程等が正式に承認、公表されて、公開で行われます。私の場合は、審査委員の教授陣4人以外に聴衆6人。まず、最初に25分ほどで博士論文の概要を述べる発表を行い、その後はだいたい一時間ちょっとの質疑・応答。最後に審査委員だけが部屋に残って合議、私が呼ばれて結果が伝えられる、というものです。来てくれた後輩の学生とちょっと立ち話をしているうちにドアが開き「おめでとう」と握手。用意しておいた承認のサイン用のページに4人のサインをもらって終了。
幸い、審査委員の評価はよかったもよう。あとは、ちょっと最後の修正をして、最終版を大学院に提出すれば、事務的な手続きを待って正式に学位が授与される、ということでした。今日確認に行ったところ、次の提出期限が9月15日で、それに間に合わせれば9月中に学位が出るそうです。
2005年9月にプログラム開始、まる6年かかりました。仕上げった論文を見ると、この程度のものならあと一年くらい早くできたのではとも思いますが、まあ、自分にはこれが精一杯だったかも。
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師匠Ken de Jong先生が提案してくれて、その日の夜は先生のお宅でカジュアルなパーティを催しました。審査委員の教授4人と、いっしょに仕事をする機会に恵まれたJohn Kruschke先生、師匠の学生数人が来てくれて、ほんとうにありがたい機会でした。料理は師匠の奥さまにもちょっと補助をしていただきつつ、うちの嫁さんがほぼ全部用意しました。さいわい好評、Good Jobでした。写真は、娘と遊んでいるときに私が描いた、師匠Ken de Jongの肖像。博士論文より出来がいいかも。
昨日、一般に言うところのDefense、正式にはFinal Examinationがありました。やったことはつまり博士論文の口頭試問。3ヶ月ほど前にこの日を目標にすることを審査委員の4教授と合意、ここを目指して作業をしてきて、結局なんとか予定通りに済ませることができました。
最終試験はインディアナ大全体の大学院(Graduate School)から日程等が正式に承認、公表されて、公開で行われます。私の場合は、審査委員の教授陣4人以外に聴衆6人。まず、最初に25分ほどで博士論文の概要を述べる発表を行い、その後はだいたい一時間ちょっとの質疑・応答。最後に審査委員だけが部屋に残って合議、私が呼ばれて結果が伝えられる、というものです。来てくれた後輩の学生とちょっと立ち話をしているうちにドアが開き「おめでとう」と握手。用意しておいた承認のサイン用のページに4人のサインをもらって終了。
幸い、審査委員の評価はよかったもよう。あとは、ちょっと最後の修正をして、最終版を大学院に提出すれば、事務的な手続きを待って正式に学位が授与される、ということでした。今日確認に行ったところ、次の提出期限が9月15日で、それに間に合わせれば9月中に学位が出るそうです。
2005年9月にプログラム開始、まる6年かかりました。仕上げった論文を見ると、この程度のものならあと一年くらい早くできたのではとも思いますが、まあ、自分にはこれが精一杯だったかも。
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師匠Ken de Jong先生が提案してくれて、その日の夜は先生のお宅でカジュアルなパーティを催しました。審査委員の教授4人と、いっしょに仕事をする機会に恵まれたJohn Kruschke先生、師匠の学生数人が来てくれて、ほんとうにありがたい機会でした。料理は師匠の奥さまにもちょっと補助をしていただきつつ、うちの嫁さんがほぼ全部用意しました。さいわい好評、Good Jobでした。写真は、娘と遊んでいるときに私が描いた、師匠Ken de Jongの肖像。博士論文より出来がいいかも。