山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

秩父往還歩き最終回です。

2022年05月25日 | ウォーキング
 5月21日荒川最奥の集落(?)川又を午前10時30分に出発(上の写真位置)。この手の登山には些か遅すぎるスタートなんだけど、兎に角雁坂峠を目指しました。霧雨で視界は良くない。それでも秩父往還雁坂道のまだ雁坂トンネル開通以前、現在の入川橋が出来る前まで使われていた八間橋があった時代のコースを辿りたいと思い、入川橋を渡ってすぐ右の尾根に取りついて、その道型を探しながら行くも所々それらしき道跡はあるものの、ほとんど獣道、あるいは作業道を繋ぎながらの登行と相成ってしまいました。現在の雁坂峠入り口からの道といずれ合流するものと思っていたのに、どうやらその位置より上を歩いていたらしく、途中から古道を探すのは諦めて稜上まで上り詰め、1163mピークからは稜上を辿り1298m地点で正規のコースに合流しました。


 荒川が川又で滝川と入川に分岐するその上に架かる入川橋です。


 その入川橋から入川に沿って真の沢に向かう道を見下ろす。


 入川橋から1163m地点までは杉、ヒノキの植林帯で、それらは冬の間に鹿による食害がひどく、上記の写真のように無残に食い荒らされています。


 やはり変人は私以外にもいるようで、所々に赤いテープがつけられていました。そして正規の道に合流するとなんと歩き易い事よ。


 1198m地点に出てから初めて出会った標識です。


 突出峠からはゆるい登りが続き、樺避難小屋に着いたのが午後3時20分でした。天候は相変わらず霧雨。小屋内には2リットルのペットボトルに水が入っていて、下の水場から汲んできたものです。御自由にお使いくださいとメモがありました。親切な人がいるものです。


 午後5時半、やっと雁坂小屋に着きました。7時間の長い登りでした。小屋には若い男女の小屋番が二人いて、主の山中さんは所要で下山中とか。予約も無しでいきなり飛び込んできたジジイにちょっと驚いた様子だったのですが、とても親切にしてくれました。当日の客は私一人。




 小屋の内部はこのように昔懐かしい作りです。今はまだ素泊まりのみということなので、夕食はご覧のようにカップラーメンとレトルトのご飯、サンマの缶詰で済ませました。結構おいしく頂きました。就寝午後8時。夜もずっと雨は続いていました。


 22日午前4時20分に小屋を出ました。この時期になるともう薄明るくてライトは不要。






 雁坂峠には賑やかに看板や標識が立ち並んでいて、一気に娑婆臭くなりました。峠はまだ雲が低く何も見えません。


 峠の秩父側と山梨県側とでは全く眺めが違っています。秩父側はあくまでも鬱蒼とした原生林で谷も深く陰鬱さがありますが、山梨県側は反対に熊笹の原が広がり明るい雰囲気です。ただその熊笹はバリカンで刈ったように短く刈り取られています。どうやら冬場の鹿の餌になったようです。


 どんどん下って笹が無くなると斜面一帯が落ち葉の絨毯に変わります。新緑の緑と落ち葉の赤の配色が面白いです。


 峠沢の流れも美しく、朝まだ早い時間の渓流の音がとても心地ち良く耳に響きます。


 上から見た登山道の終了点である沓切沢橋です。立派な車道がここまで上がって来ているので、車で来れば楽なものと思いましたが、途中土砂が道を覆っていたり、大石がゴロゴロ転がっていたりしていて、車は無理でバイクくらいしか通ることはできないです。車道終点にスーパーカブが駐車していました。


 白樺の白と新緑の混ざり具合が最高で疲れを忘れさせます。


 雁坂トンネルの山梨県側の入り口です。


 雁坂トンネルへの国道140号の高架橋を下から見上げます。








午前8時に笛吹小屋キャンプ場に着きました。笛吹小屋は奥秩父の山小屋としては最も古い小屋で、キャンプ場の管理棟は其のころの建物です。とてもレトロで良き時代の面影をそのまま残していています。ここに立ち寄って頼んでおいたコンビニ弁当で朝食を済ませました。ここの管理人さんは私と同じ昭和18年生まれの78歳。昔話に花が咲き1時間も居座ってしまいました。


 キャンプ場の向かいが三富道の駅です。雁坂トンネルの手前にあって土日には多くのドライバーたちが立ち寄っています。


 さて私は秩父往還歩きでゴールと決めている山梨市駅まで行かなくてはならないので、9時前にキャンプ場を後にしました。広瀬ダム手前に木材を積んだトロッコが置いてありました。昭和43年まで走っていたといいます。私が初めて笛吹川東沢を遡行した時にはまだ走っていました。長い長いトロッコ道歩きのことを今も覚えています。



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 広瀬ダムに着いた頃には天候はすっかり回復して夏の日差しに変わり、ここからTシャツ一枚になって歩きました。


 広瀬の旧道にはこのような道祖神がありました。この後も旧道に入る度にこの形の道祖神を見ました。




 天科の旧道から釜口橋を渡って、名所と言われる一の釜に立ち寄りましたが、女滝、雄滝共に西沢渓谷や東沢釜の沢の景観に較べると全然そのスケールが小さくて、寄り道して大事な時間を潰してしまいました。釜口橋の手前に旧川浦小学校があって、笛吹小屋の親父さんは学校の往復にトロッコ道を歩いていたと話していました。


 川浦のお伊勢の宮です。街道脇にあって、昔お伊勢参りや三峰神社参拝に、雁坂峠を越えた旅人が後に置いて行ったお地蔵さんが並んでいます。




 川浦のバイパス左の一段高い所に口止め番所がありました。これは秩父往還栃本関所と同じく、甲府側の番所で現在の建物は復元されたものです。


 川浦口止め番所跡を示す標木が旧道の隅に道祖神と並んで立っていました。


 旧道を歩いているとこのような形の屋根を持った家が散見されます。この地域独特の屋根の作りです。




 これは湯の平で見た、いのぶた供養塔です。またこのような丸い道祖神や風化した六地蔵などもいくつか目にしました。


上萩原を過ぎたところで道は笛吹川右岸に移り、三富下釜口の民家の木陰で昼飯にしました。笛吹小屋で昼飯として持たせてくれた三角おにぎりと、ミニカップラーメンで不思議とおなか一杯になりました。旧三富小学校の下を通って、三富道の駅手前の神社で一服。このころから太ももや足首、つま先が痛くなり出して休まずにはいられなくなりました。真夏を思わせる空の向こうには越えて来た秩父の山並みが見えていました。


 窪平の古い町並みを抜けて武田信玄の菩提寺である恵林寺に着いたのが午後3時20分で、本当はここで恵林寺に寄って行きたかったのですが、時間が気になり素通りしました。荒神山に新しいトンネルが出来ていて、それを横目に見て窪八幡神社で最後の休憩。歴史のある神社ですが、蚊が多くて見物もままならず10分ほど居ただけで立ち去りました。








 午後5時に亀甲橋に着いて青梅街道と合流。「差出の碑」を見て万力公園に入ると夕方の散歩を楽しむ人たちが結構歩いていました。園内の鹿公園には鹿がこちらの苦労も知らずのんびり遊んでいました。




 最後に根津橋を渡る時北の方を振り返ると、遠くに雁坂嶺や大菩薩の峰々が連なって見えていました。今回のゴールである山梨市駅には午後5時32分に着きました。長い舗装道路歩きで、しかも底の堅い登山靴のために膝や太もも、足首まで痛みが出て、3日経った今でも階段の上り下りに苦労しています。






















ゴールデンウィークも終盤の5月7日は、山遊荒川俱楽部においては栃木県足利市へ軽いハイキングに行ってきました。

2022年05月09日 | ウォーキング
 東武足利市駅に13名の会員が集合して渡良瀬川に架かる中橋を渡って足利学校へ向かいました。今朝までの天気予報では曇りで午後には雨も降るようなことを言っていましたが全くの大外れ。空を仰ぐと青空が広がっていました。










 足利と言えば足利学校。誰でも訪れる足利観光の定番コースです。我々は13名という大部隊?なので、美人の(顔半分が隠れてしまうマスクを着けていたので私には美人に見えた)ボランティアガイドさんが付いてくれました。立板に水のごとく淀みなく説明を続けてくれるのですが、私など半分も聞き取れませんでした。






 足利学校の次は鑁阿寺です。周囲に堀を巡らしたまるでお城のようなお寺で、ここも足利観光の目玉です。特に目を引くのが巨大な銀杏の木です。既に江戸時代には今の大きさであったと言います。




 鑁阿寺を後にして織姫公園に向かいました。ここの噴水のある展望台で昼食にしましたが、藤棚の下で弁当を広げ、桐生の街並みを見下ろしながらの休憩はとても気分の良いものでした。


 織姫公園から更に高い所にある展望台に上がると、益々眺望が広がり足利の街が箱庭のように、盆地の中に密集しているのが良く分かります。この街はあまり高い建物がないのが良く手頃な大きさの街です。




 公園から織姫神社に下る途中に古墳がありました。この古墳についての説明が書いてありまして、織姫神社はこの古墳に由来するものだなと納得。




 織姫神社は竜宮城もかくやと思わせる朱塗りのド派手な神社です。ここでの結婚式を一度見ましたが、赤い絨毯の.上を式を挙げたばかりの二人が歩いて来ましたが、見ているこちらが顔が赤くなるような光景でした。


 最後に渡良瀬橋を渡って足利市駅に舞い戻って来ました。まあまあ楽しい半日を過ごすことが出来ました。




4月30日に第4回目の秩父往還歩きに行って来ました。

2022年05月01日 | ウォーキング
 今回は秩父鉄道三峰口駅から荒川最奥の集落?河又までです。天気は予報とは違い快晴の気持ちよい一日でした。自宅を午前5時20分に出て、三峰口駅着が7時20分でした。車は駅の駐車場に置いて7時40分スタート。荒川に架かる白川橋を渡らず、荒川右岸の道を強石の発電所まで行きました。こちらの方が車も通らないし、道は立派と来ているうえ、誰にも会わず新緑の御岳山を見上げながら行けるので気分良く歩けます。


 新緑が今一番きれいな御嶽山です。


 強石の発電所に架かる万年橋を渡り国道140号に出ます。この橋から見下ろす荒川の眺めがなかなか宜しい。


 強石から国道を500mほど歩いたところから、右の急斜面にに取りつくとほどなく旧往還で、杉林の暗く陰気な道を大達原へ向かいました。ほとんど人も通らないような道にちゃんと指導票は立っていました。


 旧道は現在の国道140号に沿ってほぼ50mほど上にあり、国道を走る車を見下ろしながら歩く格好になります。大正10年に国道が開通して以来、三峰山参拝や甲府、佐久地方への往来も無くなり、ただ寂れてしまいいずれは無くなってしまう道なのでしょう。


 苔に覆われた石垣がまだ残っているところを見ると、軽自動車位なら通れる道幅を確保してあったようです。なんせ遊歩道の案内看板もあるくらいですから、それなりに整備は行われたようです。


思わぬ所に神社が現れました。光石の稲荷神社とありかなり古いものです。荒川側に突き出すように尾根の突端に神社が建っています。この近所に昔茅葺の光岩の小学校があったといいます。それにしても陰気な場所です。


 道が崩落して無くなった所に鉄パイプで組まれた橋が出てきました。


 大きな岸壁が行く手を阻んでいます。




 この岸壁に大きな手掘りのトンネルが掘られています。明治時代に掘られたもので説明版が置かれています。
嘉永3年(1850年)の馬頭観音がトンネル入り口にありました。途中で他にも2基の馬頭観音をみました。








 トンネルを抜けると大達原で、昔ここが秩父往還だった証の高札が立っています。大達原で代々庄屋を務めて来た小口家や、隣に建つ稲荷神社とその神楽殿が立派です。




 大達原からは舗装された旧道を進むと、左下に神岡の集落を見て間もなく国道140号の岡本のバス停に着きました。その先が大滝温泉道の駅で、ここのコンビニでコーヒーを買って一休みしました。奥に御岳山が見えます。




 大滝村落合(今は秩父市になっています)の普寛神社に立ち寄りました。木曽御嶽山はこの大滝村の人、普寛行者に依って開かれたもので、その行者を奉った神社とされています。短い距離ですが旧道がすぐ下を通っています。




 旧大滝村役場とすぐ前に架かる新しい橋から見た荒川と古い方の橋です。この橋を渡った所に今は廃校になった荒川中学校があります。


 荒川と中津川の合流点に架かる橋です。ここから暫くはカーブの多い国道歩きとなりました。


 国道140号を車に怯えながら歩き、国道を離れて大久保集落まで登り、旧道の大師堂の階段に腰を下ろして、下の国道を走る車を見下ろしながら昼飯にしました。快晴の空の下で、新緑の美しい山を見上げながらの昼飯は最高でした。




 道は発電所の水を落とすパイプを跨いでいきます。そしてそのすぐ先が妙見宮・稲荷神社でした。今はほとんど参拝に訪れる人はないと思いますが、奇麗に手入れがなされています。


 道が舗装道路に変わり、南を見下ろすと秩父湖が見えました。




 麻生、寺井、上中尾の集落を過ぎて午後2時40分に栃本関所に到着しました。更に栃本集落を通り、午後3時7分に今回のゴール川又バス停に到着。




 帰りのバスを待つ間に、荒川が滝川との分岐から入川と名前を変えますが、その入川を少しだけ遡ってその美しい渓流を眺めてきました。何度も荒川源流まで遡った流れは相変わらず逞しく奇麗でした。























第3回目の秩父往還ウォークです。

2022年04月16日 | ウォーキング
 前回は釜伏峠を越え札所1番四萬部寺を経て、秩父鉄道大野原駅まで歩いて来ました。そして3回目の今回はその大野原駅をスタートして、県道82号の高篠小前交差点まで戻り、そこから秩父羊山公園を目指しました。県道11号と並行する旧道は昔からの遍路道で、正面に武甲山を見ながら行く車もあまり通らない静かな道です。












 道路わきに残る石塔や札所の道しるべなどが良く目に入り楽しい所です。


 国道299号の上野町交差点近くのコンビニで昼飯の調達をして、羊山公園下の住宅街の細い道を通り、影森駅近くの畑の木陰で昼飯にしました。こちらは桜もまだ花盛りでした。影森駅を過ぎたところで線路を横断して国道140号に入りましたが、浦山ダム下の久那橋を渡った先で再び旧道に戻りました。この辺りから見る武甲山は全く違った形をしています。


 浦山ダムの高い堰堤が見えます。しかし残念なことにこれはここの風景を壊してしまっています。

 長泉寺への古い道しるべが残っています。


 歩く道路脇には今が盛りの黄色のヤマブキが咲き誇っています。






 清雲寺に立ち寄ってみました。ここは枝垂桜が有名です。既に盛りは過ぎていましたが、まだまだ十分楽しむことができました。






 清雲寺を出るとすぐに千手観音堂が現れます。古い小さなお堂ですが、ここの天井板に相撲四十八手の絵が描かれています。堂前には土俵があって、ここでは毎年神前相撲が行われるということです。






 何とも長閑な風景を楽しみながら午後3時半に目的の三峰駅に着くことができました。それにしても4月13日の今日は夏のような日差しに些かバテました。





4月2日山遊荒川倶楽部の会員13名で玉川上水縁の散歩に行って来ました。

2022年04月03日 | ウォーキング
 桜も満開の2日土曜日は花見を兼ねて玉川上水を歩いてみました。何度も歩いた道であっても満開の桜の下を歩くのは気持ちの良いものです。羽村駅を出てすぐ近くの、五ノ神まいまいず井戸に立ち寄って井戸を覗いて来ました。


 すり鉢状の火山噴火口にも似た井戸は、らせん状の階段を降りて井戸まで行くことができます。武蔵野台地にはこのような井戸が昔はいくつかあったようです。


 羽村駅から多摩川に向かって下って行き、奥多摩街道に出るとすぐ玉川水神社で、そこにも立ち寄ってお参りしておきました。


玉川上水取水口の羽村堰です。

 
 羽村堰から玉川上水です。ここから玉川上水は始まります。






 上水脇は丁度桜も満開でした。花見に訪れた人も多く結構賑わっていました。


 加美上水橋の玉川上水の眺め。


 途中田村酒造に立ち寄りました。道路に面して白壁の蔵が立ち並ぶ風景はなかなかのものです。


 古い煙突と大きな杉玉がこの酒蔵の歴史を感じさせます。






 この酒蔵のもう一つの魅力は日本式庭園です。








 上水沿いは春真っ盛り。ぶらぶらと時間を気にしないで歩きました。今回は拝島駅までの短い歩きでしたが、本当に楽しい良い一日でした。
 

秩父往還二回目は寄居駅から釜伏峠を越えて秩父札所一番四萬部寺まで

2022年03月14日 | ウォーキング
 3月の半ばになり急に春がやって来ました。この暖かさに釣られてこの日曜日(13日)秩父往還歩きの二回目に出かけました。前回の終了点である秩父鉄道寄居駅を午前8時50分にスタート。


 荒川に架かる鍾馗橋を渡ります。右手のこんもりしたところが鉢形城址です。


 橋の真ん中から荒川上流を望むと、これから向かう釜伏峠のある登谷山が見えます。


 鍾馗橋を渡るとすぐ右手が鉢形城址です。自然の地形を利用した城なので、壮大な石垣などはありませんが、部分的に僅かですが石積が残っています。


 鉢形城址は今は明るく奇麗な自然公園に整備されており、その中を気分よく歩かせてもらいました。


 鉢形城址を出た所が八高線の踏切でした。


 秋山で県道294号と別れて釜伏峠への道に入ります。


 峠への途中から舗装された道を外れ、中間平へは行かず旧道を登りました。あまり歩かれていないようですが、昔機織りの女工さんや札所巡りのお遍路さんが登った道です。


 釜伏峠手前に関所跡がありました。今は跡形もありませんが昔は重要な道であったことがわかります。


 釜伏峠に着きました。ここにも一里塚跡があります。着いたのが午前11時40分。大分汗をかきました。


 峠の北側に釜伏神社の入り口があり、参道の両側は立派な杉並木になっています。


 一応神社にはお参りをしておきました。この神社の狛犬も狼です。


 峠には30分ほど居ただけで南面に向かって下り、途中山上集落の高中から後ろを振り返ると、小さくなった釜伏山が見えていました。


 小根の集落へ向かって下っていたら、伐採が終わりすっかりハゲ山になっている所がありました。


 秩父国際CCの裾を巻くように旧道が僅か残っていて、その小平に一里塚がありました。長瀞玉淀自然公園線(県道82号)を南下して秩父高原牧場入り口、粥仁田峠入り口と過ぎ、曽根坂一里塚跡を見て皆野町が終わり秩父市に入りました。今回のゴール地点に決めておいた、秩父札所1番四萬部寺には午後3時30分に着きました。正面に武甲山を置く眺めの良い所です。
 汗もかき膝も文句を言い始めたところを、何とか足を引きずりながら秩父鉄道大野原駅まで頑張りました。次回は大野原駅から高篠小前交差点まで戻り、そこから秩父鉄道終点の三峰駅までを予定しています。



秩父往還ウォーク第1回目。熊谷から寄居まで。

2022年02月27日 | ウォーキング
 秩父往還はまだ一度も通しで歩いたことは無く、今回改めて熊谷から山梨県の青梅街道との合流点まで歩いてみることにしました。
まず高崎線熊谷駅東口に降りて、駅前にある熊谷直実の銅像を見て中山道に出て北へ向かいます。


 広い通りの国道17号の右奥に熊谷宿の氏神様である高城神社が見えてきました。何でも平安時代の創建と言われ、又熊谷直実の氏神様でもあります。
素通りするのも申し訳ないので立ち寄ってお参りしておきました。


 なお17号を北へ向かうと熊谷唯一のデパート八木橋です。正面アーチの入り口を旧中山道とデパートが共有しています。デパートを突き抜けた先が北口玄関です。


 デパート南口前が有名な熊谷直実の菩提寺である熊谷寺(ゆうこくじ)への参道です。一応山門前まで行きましたが、檀家でない一般人は自由に立ち入ることは出来ませんので、見学を希望する人は受付で申し込んでください。ということで私は門前から引き返してきました。


 こちらが八木橋デパートの北口玄関です。ちゃんと旧中山道と表示されています。


 旧中山道は写真のように約500mほどが残っていますが、すぐに17号国道と一緒になってしまいます。


 旧中山道や秩父往還を歩いた人であれば、良くご存じと思われる秩父道道標が「寶登山道」「ちゝぶ道」「しまぶへ十一り」の3基が置かれています。目印になる分岐の歩道橋は現在補修中で防護シートで覆われています。


 上越新幹線下を抜けると左に赤城神社があって、そこには富士塚がありました。江戸時代には富士講が盛んであちこちに富士塚が造られたといいます。こちら埼玉でも良く見かけますが、この往還沿いにもこうして残っているのですね。



 秩父往還は他の街道同様車時代になると、改修が繰り返され幅も広くなり、直線化されて道路わきにあった馬頭様や地蔵尊が廃棄されたり、移動してしまったりと、悲しい運命になってしまったものが沢山あります。それでも僅かに残った旧道脇に今も細々と立っているのを見つけると嬉しくなってしまいます。


これも珍しい煙り出しの付いた大きな家がありました。秩父は絹織物の名産地。北関東の農家では蚕を飼っていた農家が多く、その名残の家がまだ残っています。


 上越新幹線の高架下に秩父の両神山が左の方に見えています。寄居が近くなるまでこの山は進行方向に特徴のある姿を見せていました。


 大麻生周辺は視界が大きく開けていて、雪化粧をした浅間山を望むことができました。


 田んぼの脇にこんな蕎麦屋の看板がありました。


 丁度お昼になったところで秩父鉄道の明戸駅に着いて、外はとても寒いことから駅舎の中に入れてもらい昼食にしました。ついでにトイレも借りることが出来て大助かりでした。たった一人の駅員さんは何くれと親切で楽しい30分の休憩でした。


 待合室の壁にこんなお知らせがありました。秩父鉄道も3月12日からPASMOが使えるようになるのです。


 武川を過ぎて永田まで行くと荒川六堰が左に見えますのでちょっと寄り道。今は重忠橋が出来て対岸まで車で渡ることが出来ます。昔水争いが絶えず、そのために六つの堰が造られて、関東平野の田んぼに広く水が行きわたるようになったとか。この重忠橋を渡った先に肩に愛馬を背負った重忠像があります。


 重忠橋の近くにこんな大きな馬頭観音が立っていました。





 小前田の長善寺には相当に古い石仏や仏塔が残っています。関心のある方は立ち寄ることをお勧めします。


 254バイパスの歩道橋を渡ると寄居の街に入ります。バイパスはこの先で二つに分かれ、右に行けば群馬県藤岡です。
熊谷駅を午前9時に出発して寄居駅着は午後3時40分でした。途中の道草が多かったので予定到着時間を1時間もオーバーしてしまいました。
 次回の日程は決めていませんが、寄居から釜伏峠を越えて札所1番の四萬部寺までを予定しています。











成田街道2回目の歩きは西船橋駅からです。

2022年02月04日 | ウォーキング
 1月16日は日曜日。前回1回目は西船橋駅で止めましたので、今回は武蔵浦和駅で武蔵野線に乗り換えて9時丁度にやって来ました。冷え込みは相変わらずで、両手をこすり合わせながら駅を出て、千葉街道に戻りました。日の当たる左側の歩道を1kmも歩かないうちに、山野浅間神社の鳥居の前に着き、何となく高い所にある本殿まで往復しました。おかげで20分ほど時間を余分に費やしてしまいましたが、気分はスッキリしました。


 龍神社を過ぎて大覚院の手前で千葉街道と別れて、左の中野木に向かう道に入りました。総武本線を地下道で通り抜けて、やけにコンビニの多い通りを歩き、船橋駅を左に見送り海老川橋を渡ります。この橋が変わっていて、橋の中央に欄干から川に向かって船の舳先が飛び出しています。昔この川には橋が無く、船を並べて橋の代わりにしたことが、市の名前の起こりになったと言われています。また長命で有名な泉重千代翁の手形もありました。


 橋を渡るとすぐ大神宮です。大きな神社で大勢の参拝客で賑わっていました。神社内を通り抜けるとすぐ右が船橋高校です。日曜日なのに部活で練習をしている学生たちの姿が見えました。


 国道296号の中野木交差点を突っ切ると、成田街道入り口の碑が交差点角に立っています。ここを直角に左に曲がりると、やっと成田街道そのものを歩くことになります。まったくやれやれです。


成田街道に入ると道は今までの半分の幅になります。歩道も狭くそこを自転車がバンバン走るので歩くのも楽ではありません。又車道を走る自転車には、後方からクラクションが鳴らされるという案配です。御嶽神社に着いて昼飯にしました。ここもかなり古く由緒ある神社です。
 神社を出ると左に薬円台公園、郷土資料館と続き、右に自衛隊空挺団、陸上自衛隊習志野演習場が広がっています。左に立派な八幡神社を見て、その後も同じような道が続き、八千代市役所入り口交差点を過ぎて、印旛放水路(新川)に架かる大和橋を渡り、国道16号を横切るとほどなく今日のゴールと決めておいた、東葉高速鉄道勝田台駅に午後3時丁度に着きました。


 

成田街道をこち亀の亀有駅から歩き始めました。

2022年01月31日 | ウォーキング
 この道を歩かれた人は多いと思いますが、私も一応江戸の五街道や北国街道など歩いて来た関係上、近くの成田街道も歩いておかなきゃなんべえと、2021年12月24日に亀有駅から総武線西船橋駅まで、2回目に西船橋駅から東葉高速鉄道の勝田台駅までを2022年1月16日に歩いて来ました。残り部分は又折を見て歩く予定でいます。
 それにしても街道歩きにはあまり適さない道で、正直私には面白い道ではありませんでした。まだ歩いていない部分がどのような道なのかはわかりませんが。
 亀有駅は言わずと知れたマンガ「こち亀」の街。駅前にデンと主人公の両さんと相棒の中川、カトリーヌ・麗子の像が立っています。んまぁ凄いこと。


賑やかな駅前を南東方向へ進むと環七通りで、そこを横断すると香取神社。ここの狛犬は犬ならぬ亀さんだ。そしてここが町内各地点に設置された、両さん像を巡るスタート地点になっています。時間と脚に余裕があれば回ってみるのも面白いと思うのですが。


 ここからが道はちょいと複雑。南に向かいイトーヨーカドーの角を左折して、港北橋通りに入り中川橋を渡るとすぐ右折。ほぼ300mほど南に進んで中川に出る手前で左折。東に250mで水戸街道の中川大橋東の交差点に到着。ここが新宿二丁目の成田街道スタート地点ということになります。
 成田街道は水戸街道を横断して中川と並行に南に向かい、新金貨物線を斜めに横切り南東に江戸川に向かうのが本筋ですが、京成金町線にぶっつかった所で気が変わり、コースを外れて帝釈天に寄り道をしました。柴又駅でトイレを借り虎さんの銅像に御挨拶をして、ヒッソリとした商店街を通り抜けて帝釈天に午前10時半に着きました。


 コロナのこともあってか参拝者の影もチラリホラリ。一応お賽銭50円を納めてこれからの歩きの安全をお願いしておきました。


 帝釈天から新柴又駅に向かい柴又五丁目交差点で、本来のコースに戻るとそこが佐倉街道で、道の中央には小さな用水が流れています。ここでやっと街道歩きの気分になってきました。
 この道はほぼ1キロで江戸川の堤防にぶっつかって終わりです。ここにさくら道と刻まれた碑が置いてありました。道はここで江戸川の土手道歩きに変わります。


江戸川右岸の土手に上がると前面が大きく開け、川の向こうは千葉県松戸市です。右下に小岩天祖神社を見るところから土手下に降りて、旧道を江戸川駅目指して進み、蔵前橋通りの北小岩一丁目信号から市川橋を渡ります。渡り終えた左の橋の袂に市川関所跡があって、そこで昼飯にしました。しかし風が冷たくて土手の下まで降り風を避けての昼食になりました。江戸川は昔渡し船で渡っていたというのですが、この関所跡までの渡し船の乗り場がどこにあったのか皆目わかりません。
さてここから道は千葉街道となっており、車の通行量の多いところです。旧道の面影など微塵もなく、道路両側には高い建物が立ち並ぶ都会の中の道です。街道筋には神社や寺が多くその中のひとつ諏訪神社に立ち寄ってみました。ひっそりと静かな良い雰囲気の神社でした。後はもうただひたすら歩いて午後2時に西船橋駅に着き、武蔵野線の電車に乗って帰路につきました。






新型コロナはオミクロン株に置き換わりまして、今現在その勢いを増してきている中、我が山遊荒川倶楽部では例年続けて来ました、越生七福神巡りを今年もめげずに敢行しました。

2022年01月09日 | ウォーキング
 越生駅前から黒山三滝行のバスは、超満員のお客を乗せて午前9時半に布袋尊の全洞院前に到着。ゾロゾロと巡礼仲間がバスを降りてきます。


 越辺川の源流近くの流れに架かる橋を渡って全洞院・布袋尊の階段を登ります。何と言ってもこの時間はまだ気温は低く、手をこすり合わせながらお賽銭を投げ込んで一礼して早々に退散。この少し先に景勝地・黒山三滝があります。


 越辺川から別れ黄色い柚子の実の下を通って、さらに杉林を抜けて龍穏寺に向かいます。


 龍穏寺の約500m手前、龍ケ谷川の縁に写真の下馬門と彫られた大きな石が置かれています。龍穏寺は格式の高い寺で、例え大名であってもここで駕籠や馬から降りて寺へ向かったということです。


 龍穏寺・毘沙門天の山門まで良く歩き込まれた石畳と、両脇に立ち並ぶ大杉の道を行きます。


 本堂前に太田道灌の像が建っています。龍穏寺は太田道灌所縁の寺です。


 お賽銭を上げる時天井を見上げると天井の桝には見事な筆字が。


 太田道灌親子の墓があるのですが、自分は見ていません。そのうち見に行きます。



 経蔵の見事な鏝絵です。経蔵の四面の漆喰の壁に描かれた鏝絵はいつ見ても感心させられます。内部も立派です。


 龍穏寺の前を流れる龍ケ谷川の清冽な流れです。


 龍穏寺から三つ目の札所円通寺までは約1時間の道程。初めに巡礼道一番の急坂を登って行くのですが、これがなかなかきついのです。杉に囲まれた道を行く途中で鳥骨鶏の親子が遊んでいました。


 柚子の林の中に今も残る代官屋敷があって、龍穏寺の管理を行っていたということです。


 何ともほほえましいミカンの直売所です。2ケで100円でした。弁当無しで来てしまったので買いました。



 戸神の橋の欄干に七福神の板人形が取り付けられています。愛嬌のある笑顔の可愛い人形です。


 お昼丁度に円通寺・寿老人に着きました。心配した昼飯は地元のJAが運営している土産物屋兼食堂で、名物のひもかわうどんを食うことが出来ました。一杯450円でした。安い。




 午後の部は生越梅林を通らず、越辺川に沿って約15分の福禄寿・最勝寺です。ここの蝋梅がいつも満開で、漂う香りに癒されます。また紅梅が一凛だけ咲いていました。



 そして辛い階段登りの弘法山・弁財天です。この階段を見て素通りする人もいました。きついけど登ってみると気分はスッキリです。


 大黒天の正法寺までは30分の車道歩きです。ここまで来ると流石に膝に来ます。写真の左奥に見えるのが大黒天のお堂です。世界無名戦士の墓はここから近いです。


 最後は恵比寿さまの法恩寺。四国八十八カ所の踏み石があったので、それも踏んでおきました。


 法恩寺正門を出ると今朝スタートした越生駅まで2分の歩き。丁度午後3時になっていました。6時間で一周した訳です。風も無く温かい一日でした。今回で何度目の越生七福神巡りだったのだろう。

12月の荒川倶楽部定例ウォークは埼玉県桶川市に源を発する鴨川第1回目でした。

2021年12月05日 | ウォーキング
 桶川駅に午前9時50分に10名の会員が集合。何と言っても高齢者には朝の寒さがきついのです。が太平洋横断の堀江さん83歳が、またまた単独太平洋横断をやると聞けば、寒いなど甘ったれたことは言っていられない。という訳でシブシブ参加した次第。
鴨川は時計台が付いたアーチ型の白い橋の下からいきなり始まり、後はただ真っすぐに南に向かって流れる用水路です。アーチ橋の真ん中に何の意味か解りませんが、カブト虫が一匹張り付いています。


 川の両岸は新興住宅地で、この20年近くの間にすっかり様子が変わってしまっています。川の水量は現在少なく、真ん中の細い水路に色々な動物たちの遊ぶ姿が見られました。


 まずミドリガメの大きいやつ。餌を求めてゆっくりと泳いでいます。


 このような町中の川には決まって大きな鯉がいるのです。この鯉は50cmクラスで、この川の中では普通サイズです。


 これはコサギですね。何やら獲物を見つけたようです。


 亀が二匹甲羅干しをしています。亀も多い川です。大きいのは30cmもあるようなのがいます。


 川辺の小学校のグラウンドでチビスケたちの野球試合が始まります。


 川に向かって店を開けているケーキ屋さん。周りは住宅ばかりだから案外商売になっているのかも。


 途中昌福寺で一休みしました。




ずずむき橋のたもとに馬の顔が彫られた馬頭観音がありました。随分古いものです。


 両岸が完全コンクリート化された流れが無くなり、ふれあい遊歩道と呼び名のついた川沿いの道を進み、三貫清水で左岸に渡る橋の下にギョッとするほどの鯉の群れ。餌をやる人がいて、それに慣れた鯉たちが人影を見て集まって来るようです。




 太田道灌由来の三貫清水は大宮台地の中腹から湧き出る清水で、それにより小さな池が出来上がっていて、小鳥たちの良い憩いの場所になっている。鴨川右岸に聖学園大があり、ここから新大宮バイパスを歩道橋で渡り、川と離れて埼京線日進駅まで歩いて今回は終了。汗をかくような暑い一日でした。次回は日進駅から秋ヶ瀬橋まで歩いて武蔵野線西浦和駅に着いて終了です。





 





 

杉並区内は神田川の支流である善福寺川を大汗かきながら歩いて来ました。

2021年11月09日 | ウォーキング
 西荻窪駅に9名の後期高齢者が集合して、東京女子大の裏手にある善福寺川公園まで行って、下流の神田川合流点まで歩きました。
東京女子大の塀に沿って一行が善福寺川公園目指して歩いて行きます。


 公園からは善福寺川に沿って下流を目指します。


 ヘドロの川底に鈍い動きの太った鯉が泳いでいました。ここの鯉たちはみんな50cm以上の丸々と太った奴ばかり。こんなに太れるのは誰か餌を与えているのかしら。


 善福寺川のほぼ中間の神通橋辺りまでは、ご覧の通り両岸は住宅地になっており、川は三面コンクリートで塗り固められています。川歩きと言っても何の面白味もありません。


 とは言っても都会の鳥たちには住みやすい所であるようです。川鵜が糞をしています。


 カモの家族かな。カモは結構いました。


 コサギが餌を探しています。


 鳩たちが狭い岸辺で日向ぼっこをしています。


 ヘドロで出来た中州にもいます。


 善福寺川緑地は紅葉が始まっていました。


善福寺川緑地からは両岸共に大木が連なる岸辺を歩きます。都内の川岸としては贅沢に緑地部分を広く取ってあり、家族連れを筆頭に散策やジョギングを楽しむ人たちが沢山いました。


 緑地に見られる花々はこんなにあるので、のんびりと花を探して歩くのも楽しいと思います。


 良く注意して歩くとこんなものも目につきます。


 昔懐かしい井戸ポンプがありました。


 環七通りから立正佼成会の建物が見えます。良く目立つ建物です。


 神田川に合流しました。左が神田川、右が善福寺川です。ここから少し先の地下鉄中野富士見町駅から電車に乗って新宿経由で大宮に戻りました。歩行距離10,5kmとありましたが、歩いた時間を考えると15km位は歩いたように感じました。11月とは思えないほど暑い日で、私は半そでのTシャツ姿で歩きました。

秋の軽いウォーキングを後期高齢者14名が、見沼代用水東縁をヨタヨタと歩いてきました。

2021年10月03日 | ウォーキング
 台風16号は関東の南をかすめるように通り過ぎた後、10月2日の土曜日は汗ばむほどの陽気になり、快適なウォーキング日和になりました。JR宇都宮線東大宮駅を午前9時半にスタートして芝浦工大の方に向かい、見沼代用水に架かる出戸橋から用水沿いに下流に向かって、サギ山公園まで歩くのが今回の企画です。西縁の方は歩き尽くし、東縁に関しても残り部分は少なくなってきて、私自身も今回初めて歩く部分になります。歩く人も少なくゆっくり歩きには最適なところです。


 東武線七里駅までの間は用水沿いに新しい住宅が立ち並び、秋の小川の散歩道を楽しむ、という気分にはなりません。まして残土置き場の小山があったりの、新興住宅地そのままの風景が続きますから。ひと昔前までは田んぼや畑だけの風景が広がっていたのですが。



 でもやっぱり秋です。柿の実も程よく色づいてきました。コスモスやカンナの花も今が一番見頃です。


 周りが見沼田んぼの懐かしい風景に変わりだせば七里駅も近いです。


 小深作の神明神社で息継ぎの一休み。予想以上に気温が上がり、おかげでこっちも息が上がってしまいました。用水に沿ってこのような神社は今も結構残っています。各村落には必ずあった神社なので、こんなところが一番気楽に腰が下ろせます。


 広大な畑に張られた白いシートは何だろうと、近くに寄ってよく見たら小松菜の新しい芽が出ていました。既に青々とした小松菜を採取している場所もあり、どうやら此のあたりは年中小松菜を栽培しているようです。



 七里公園に着いてお昼の弁当にしました。比較的新しい公園で遊びに来ている人たちも、近所の若い夫婦やその家族たちといった感じで、静かで心地よい昼休みタイムになりました。


 用水に沿って桜並木が続きます。春の花の頃に来ればきっと美しい並木道になっている筈です。


 見沼田んぼのもっとも見沼的風景です。このような風景をさいたま市内で手軽に楽しめるのは恵まれていると思います。田畑がどんどん宅地化されて、子供の頃に見ていた風景が亡くなっていくことに、寂しい思いをしているのは我々高齢者ばかりではないでしょうから。


 今回のゴールであるサギ山公園に午後1時25分に着きました。大宮行のバスが来るまで間があるので木陰でのんびり待ちました。
50年ほど前まではサギの営巣地になっていて、サギの糞で森の木々が真っ白になっていました。国道122号が近くを通るようになり、さらに高速道路が平行して出来たため、サギたちは一羽も残らずいなくなってしまいました。またこのあたり一帯の田んぼは、冬も水が引かない深田であったために、たにしやどじょうに昆虫類が沢山いたので、餌場としても適していたのでしょう。今はその田んぼも無くなり住宅が建っています。
 


山遊荒川倶楽部213回目の定例ウォークは葛西臨海公園から親水公園を巡る一周コースを楽しみました。

2021年07月18日 | ウォーキング
 本当は7月3日に行うものだったのですが、雨のため中止にして今回17日に変更して行ったものです。梅雨が明けて猛烈な暑さになったこの日は、4回目のコロナ緊急事態宣言下にも関わらず実行しました。画面には写っていませんが、実は9時前から葛西臨海公園駅には結構な数の人がいました。




クリスタルビューのガラスの建物から西なぎさの方を見ると、広い花壇が鮮やかな花々に彩られていました。


一旦西なぎさまで行き穏やかな東京湾の水に触れた後、時計とは逆回りでスタートしました。


昨日までの梅雨空がすっかり夏空に変わってしまい、浜には裸で甲羅干しをやっている人もいました。


公園を半周した後京葉線の下を潜り南葛西のマンション群を左に見ながら、旧江戸川の堰堤を上流に向かいました。


旧江戸川に架かる舞浜大橋です。


旧江戸川で釣りを楽しむ人がチラホラと見えます。


対岸にはディズニーランドの建物も見えます。


堤防を降りてなぎさ公園に入ると、標高13,5mの丘があって暑さを避けて木陰に一時避難と相成りました。


この公園内にはこのような乗馬の練習をやっている人もいました。


公園内を一周する路面電車を模したバスも走っています。乗車賃は大人が200円、子供は100円となっていました。


昼休みをフラワーガーデンの藤棚の下で行いましたが、園内の噴水広場では沢山の子供たちが水遊びに興じていました。


何しろ暑いので皆さん傘を差してのウォーキングです。


新左近川ボート乗り場には人がいない。今日はどうやら貸しボート屋さんは休みだったらしいです。


それでも移動販売のコーヒー店が出ていました。たまらずアイスコーヒーを注文。


新左近橋で親水公園を離れて、葛西臨海公園へ続く歩行者専用コースを歩いて行くと、正面に名物の大観覧車が見えてきました。
公園に戻りスタートした葛西臨海公園駅には午後3時20分に帰って来ました。兎に角暑い一日でした。しかしお年を召したお二人の女性が観覧車に乗ると言うので、お二人を残して帰って来ました。このコースは軽いウォーキングには最適ですが、夏の真っ盛りに歩くコースではなかったようです。






秩父往還川越道で橋場バス停から粥新田峠を越えて、秩父札所一番四萬部寺までを歩きました。

2021年06月20日 | ウォーキング
 板橋から始まった川越街道歩きは、更に川越から川越児玉往還歩きに継続。小川町からは秩父往還川越道を落合で白石方向に向かい、今回橋場のバス停から粥新田峠を越えて、目的地の秩父札所一番の四萬部寺に着いて終了と相成りました。小川町駅からバスに乗るころには心配した雨も上がり、橋場バス停をスタートした時には青空も見えるような空に変わっていました。


 バス停を出るとすぐにこんな古い道標がありました。


 栗和田の山上集落の石垣にはもう萩の花が咲いていました。


 昔この道は秩父札所巡りを志す人や、農耕馬などが盛んに行き交ったのでしょう。路傍に馬頭観音が祀られていました。


 しばらくは車道を歩きますが、その先には奇麗な笠山が見えます。


 民家の庭先に奇麗に咲いた白い紫陽花が今見頃です。


 車道を離れ山道に入ると杉の森の中を歩くことになりますが、深山を思わせる静かな良い道です。


 路傍にこんな可愛い石の地蔵さんが置いてありました。


 明るい山上集落の中で一服です。こんな山の高い所に住む人たちはどんな仕事をしているのか、一度詳しく話を聞きたいものです。


 粥新田峠に着きました。橋場から大きく迂回して来た車道が峠を越えて、秩父側へ下って行く所に東屋があって、そこで大霧山への登山道が分かれます。四萬部寺へもこの道を行くのですが、ここは一旦素通りして秩父側に広がる牧場まで足を運び、そこで昼飯タイムにしました。


 牧場の端に腰を下ろし昼の弁当を食べましたが、眼前には広い草原と武甲山が聳え、その向こうには秩父連山が連なるという、真に贅沢な景色を楽しみながらの昼飯タイムでした。


 峠を越えて皆野町広町への道は歩き易い楽しい山道です。


 そんな道の途中にも馬頭観音が立っていました。


 峠を下り広町の集落に立派な八幡神社がありました。ここで一休みしてから県道82号を秩父市へ向かいました。


 曽根坂にかかる手前に曽根坂一里塚跡がありました。この道は昔寄居から釜伏峠を越えて秩父に入る道として大事な道だったのでしょう。今はツーリングを楽しむバイクが軽快に走り抜けて行きます。


 午後2時半やっと四萬部寺に着きました。平均年齢75歳のジジ、ババが無事目的を達成しました。


 四萬部寺からは正面に武甲山を望むことができました。ここから最後のひと踏ん張り。秩父鉄道の大野原駅まで思い足を引きずりながら歩きました。道すがら立派な武甲山が良く見えました。