都幾川に架かる学校橋を渡り、源義賢の墓に立ち寄りました。戦国時代や幕末から明治維新にかけての話は、テレビドラマなどで沢山見ることはできますが、室町、鎌倉の時代をメインにしたドラマはほとんど見ることがありません。もっと作ってくれても良いのですが。
源義賢は木曽義仲の「おとっつあん」です。写真はその義賢のお墓です。一説には奥方のものとも言われていますが。
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源義賢の墓から笛吹峠に向かって鎌倉街道を少し南下すると、縁切橋と書かれた大きな表示板があります。その橋はどこにあるのと、周囲を見回してみると確かに小さな橋があります。本当に見過ごしてしまいそうな橋です。坂上田村麻呂が京から面会に来た奥方との縁を切ったゆかりの場所だそうです。
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笛吹峠と名のつく峠は全国至る所にありますが、鎌倉街道上道ではこの峠だけです。ここは新田義貞の遺子義宗と宗良親王の連合軍と、足利尊氏軍との最後の決戦場で、最後の陣を張った所です。このとき既に天下は足利尊氏のものになっており、このとき宗良親王は、月明かりの中で笛を吹いたことから、その名が付いたと言われています。今は道も広くなり車が頻繁に行き交う道になっていますが、峠の雰囲気は歴史の匂いが漂っているような峠です。
源義賢は木曽義仲の「おとっつあん」です。写真はその義賢のお墓です。一説には奥方のものとも言われていますが。
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源義賢の墓から笛吹峠に向かって鎌倉街道を少し南下すると、縁切橋と書かれた大きな表示板があります。その橋はどこにあるのと、周囲を見回してみると確かに小さな橋があります。本当に見過ごしてしまいそうな橋です。坂上田村麻呂が京から面会に来た奥方との縁を切ったゆかりの場所だそうです。
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笛吹峠と名のつく峠は全国至る所にありますが、鎌倉街道上道ではこの峠だけです。ここは新田義貞の遺子義宗と宗良親王の連合軍と、足利尊氏軍との最後の決戦場で、最後の陣を張った所です。このとき既に天下は足利尊氏のものになっており、このとき宗良親王は、月明かりの中で笛を吹いたことから、その名が付いたと言われています。今は道も広くなり車が頻繁に行き交う道になっていますが、峠の雰囲気は歴史の匂いが漂っているような峠です。