山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

南伊豆は石廊崎へ行って来ました。

2018年10月30日 | ウォーキング
 太平洋に突き出した石廊崎の先端です。岬はいろんな所を見てきましたが、石廊崎はその中でも上位に入ります。写真の岬先端から見下ろしても真下は太平洋です。丁度大型船の先端に立って下を見下ろすようなものです。周囲のロケーションも最高。先端にある石室神社の神主さんの言うことには、大雨の時など階段が滝のようになってしまい通行できなくなるそうです。台風となったらこの場所に来ることさえできないとか。


石廊崎先端にある石室神社の祠です。しっかりお参りをしておきました。


足元を見下ろすと太平洋の荒波が岸壁に打ち寄せています。


石廊崎港から観光の遊覧船が出ていまして、岬先端からは良く見えます。


石廊崎港からきつい坂道を登ると、遊歩道の先に石廊崎の白い灯台が現れます。

会津西街道は中山八幡の大ケヤキです。

2018年10月23日 | ウォーキング
 会津長野駅をスタートして八幡峠、中山峠と越えて中山に着くと、八幡の大ケヤキと呼ばれる巨大なケヤキが道路脇に立っています。樹齢950年とされていますが、本当は1000年以上かも知れません。比較のために同行者に並んでもらいました。屋久島の縄文杉にも負けていません。正に感動ものです。


会津西街道には部分的に旧道が残っていますが、写真は八幡峠の旧道です。旧道の入口が判り難い所なので要注意です。


中山峠手前の「長寿の水」です。地元の人がポリタンクに詰めて持って行きました。この水に較べると水道の水なんか飲めないと言っていました。


八幡峠の下、楢原宿に「玄蕃のへいほう石」があります。昔玄蕃というたいそうな力持ちがいて、河原の大石でお手玉をしたそうです。その絵がありましたので撮っておきました。



大内峠の茶屋で一休み風景です。戊辰戦争の折り多くの戦死者が出た所です。大内ダムから氷玉峠に至る間は往時そのままで、降り積もった落ち葉を踏んで、戊辰戦争で亡くなった会津の人たちのことを考えながら歩きました。

会津西街道第4回ウォークで大内宿民宿に泊まりました。

2018年10月22日 | ウォーキング
西街道ウォークは今回で最後。会津長野駅をスタートして、八幡峠、中山峠と越え大内宿に着いて、民宿・蔵の宿本家扇屋に泊まりましたが、江戸時代に建てられたという蔵と繋がった、古い貫禄のある建物は流石に本物の日本の住宅です。写真は大内宿の全体を撮ったものですが、大内宿を紹介した写真には必ずある風景です。会津西街道にただ一ケ所だけ残っている、江戸時代当時の建造物群です。


本家扇屋の表側です。この蔵の中に客室があります。私達はこの部屋に泊まりました。



夕食はこのようなものです。左にあるのは馬刺しです。右上には岩魚の塩焼きがあります。囲炉裏で焼いてくれたものです。とても美味かったです。


本家扇屋のおばあちゃんと一緒に撮ったものです。話の上手い気さくな人です。リピーターが多く、そのほとんどがおばあちゃんに会うために来るそうです。

紅葉の八海山・八ツ峰の岩稜歩きを楽しんで来ました。

2018年10月19日 | 登山
 八海山ロープウェイを使い楽をして稜線まで上がると紅葉の稜線漫歩。千本檜小屋からは八ツ峰の岩稜歩きで、次々に現れるクサリ場はなかなかスリルもあって楽しい時間を過ごすことができました。


登って来る仲間を見下ろすと、なんか凄い所を登っているな、と少々心配にもなりますが。


お山は晴天。秋晴れの下は全山紅葉です。


地蔵岳から見下ろす千本檜小屋です。


草紅葉。山の斜面がビロードのように光って見えます。午後4時のロープェイに乗って下って来ました。

さいたま市の氷川神社参道の長さは日本一と言われています。

2018年10月07日 | 日記
 参道入口の碑に武蔵国一ノ宮と刻まれています。明治天皇から授かった銘だそうです。当初中山道はこの参道を通っていたそうですが、現在の中山道はこの碑の手前から左を通過しています。参道の長さは2kmもあって、参道の両側には見事な欅の並木が続いています


参道一の鳥居です。ここから三の鳥居まで2kmの参道が続きます。


二の鳥居が見えます。とても暑い日でしたが、欅の木陰を歩くので暑さは感じませんでした。


まだ早いとは思いますが、もう七五三の参拝の親子が沢山来ていました。日本の女の子には着物が良く似合います。おじいさん、おばあさんまでが一緒に来ていて、何とも賑やかでした。