森林公園のせせらぎ広場の小川に入って裸で遊んでいます。台風が過ぎ去って快晴の一日でしたが、今朝は11月下旬の気温だったというのに、いやはや子供は元気です。
台風一過。ちょっとずれましたが素晴らしい秋晴れになった今日、東松山森林公園へ行ってみました。紅葉までもう少しというところですが、ケヤキが大分黄色くなっていました。
我が家のワン公ユキも一緒に行きましたが、兎に角車に弱く車中でゲーッをやる始末。お医者さんが言うには100回も乗せれば馴れるよ、とつれないお言葉。
雨に濡れた石畳は良く滑るので、歩くのに結構神経を使います。また滝山城址の道は赤土のツルツルで、こちらも良く滑りました。雨の日は登らないのが利口です。
滝山城については八王子市教育委員会文化財課によるパンフレットの中で、下記のような説明がなされています。
滝山城は戦国時代の中頃、大永元年(1521年)に武蔵国守護代の大石定重が、この城の北西約1,5kmの高月城から移り築城したものと伝えられています。定重の子定久のとき北条氏康の支配を受け、その子氏照を養子に迎えて、滝山城は大石氏から北条氏照の居城となりました。氏照はさらに城を拡大し、その規模雄大さは当時関東屈指の山城と称されました。本丸、中の丸、二の丸、空堀などの巧みな遺構にそれがうかがえます。上杉謙信、武田信玄などから猛攻を受けた滝山城ですが、なかでも信玄、勝頼父子による永禄12年(1569年)10月の城攻めは、熾烈を極めたといわれます。後に北条氏照は領地の備えをより固めるため、南西約9kmの地に八王子城を築き滝山城から移りました。移転の時期は定かではなく、天正の中頃(1580年代)と推測されます。
秋の長雨の季節になりました。気温も2日前に較べ10度以上も低くなるという乱暴な天気。それでも5人のメンバーで予定通りに歩いてきました。
今回は八王子本郷町の横山バス停からスタートして、みつい台団地を抜け、東京富士美術館、都立滝山自然公園(滝山城址)と進み、多摩川を多摩橋で渡って福生市に入り、玉川上水に沿って羽村堤まで歩き、青梅線小作駅をゴールとしました。
上の写真は滝山自然公園を歩いているところですが、ここは昔滝山城があったところです。空堀の跡が沢山あって複雑な地形をしています。立派な木々に覆われた城址で、散策にはもってこいの場所です。
すっかり前日の天気予報に騙されて、今回の荒川倶楽部の参加者はたったの5名になってしまいました。しかしあの予報から見て5名という参加者数は驚異的です。
山頂の展望櫓に登って見る、横浜のランドマークや横須賀港の船を見て大喜びのメンバーたちです。
東逗子駅からいくらも歩かない内にいきなり山道に入ってしまいました。雨上がりの滑りやすい道です。
これがたった標高200mほどの、低山とは思えない山深さを感じさせる山です。
突如として現れました巨大なミミズ。25cmはあります。これでは蛇と間違えても不思議じゃない。
ミミズはいくら大きくても構わないが、マムシどんは遠慮します。
今はあまり見なくなったセイタカアワダチソウが、二子山では元気いっぱいに成長していました。
下山の頃にはすっかり天候も安定し、頭上の雲も減って青空が広がってきました。山頂には我々5人と若い男性が一人いただけで、いとも静かな山頂でした。
富士山の富士宮口コースの6合目以上は草紅葉に変わっていました。遠目には綺麗に見えます。70歳を過ぎてから膝の具合が悪くなり、治療に通う日も増えて、時に山に行くと下山中にひどく痛み出したりで、この分では山を辞める日も近いのかなと、浮かない毎日を過ごす日が多かったのですが、この夏から治療を行ってくれている、さいたま市内の西大宮病院のS医師による指導と治療で、痛みがほとんど無くなりました。お蔭で谷川岳西黒尾根を試験的に登ったり、今回もその続きで富士山に登ってみたと言う訳です。
そのテスト山行で年齢相応のスピードで登降でき、今後もまだ少しは山を楽しむことが出来そうです。
富士宮口七合目から登山コースを見上げる。
富士山最高点の剣ケ峰です。測候所のドームがありません。
山頂火口壁には早くも白いツララが見えます。
山頂の池には氷が張っていました。
山頂まで自転車を担ぎ上げて来た人もいました。
富士山は2500mを越えると、山体が雲の上に飛び出して、爽快な青空が広がっていることが多いので、過去何十回も登った経験から、雨に降られたことはほんの数回しかありません。これはたまたま私の場合がそうであっただけかも知れませんが。