山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

旧鎌倉街道山ノ道を歩きはじめました。

2019年09月26日 | ウォーキング
 鎌倉街道は上ノ道が良く歩かれており、私も過去2回歩きました。今回は上ノ道より西に寄った、鬼石や皆野を通る峠越えの多い山ノ道を歩きました。


 台風17号の心配もありましたが、幸い小雨程度の雨に降られる程度ですみました。八高線群馬藤岡駅を午前8時にスタートして藤岡の街中を南に向かい、大きな前方後円墳の上に建つ諏訪神社に立ち寄ってから、神流川寄りの旧道を進み、本郷の埴輪釜跡を見学。


 本郷は古代6世紀後半から7世紀に渡って埴輪造りが盛んに行われ、その窯跡が道路沿いに残っている珍しい所です。その時代には沢山の窯があったようで、埴輪製造を職業とする土師部たちも沢山住んでいたといわれます。



 本郷の村はずれに野見宿禰を祭神とする土師神社があって、境内に相撲檀が築いてあります。相撲発祥の地とも言われ、出世力士の披露や勧進相撲に使われたものだといいます。


本郷から鬼石に向かう途中には、遺跡発掘のためか稲田や畑があちこちで掘り返されていて、それだけ古代には人が沢山住み、往来も多かった証拠でしょう。そんなことのない道路脇には既に彼岸花も咲いていました。


 鬼石の手前に八潮温泉があり、道路脇の自動販売機で飲み物を買って休んでいたら、販売機の塵収集に来ていたオジサンが、「そこにあるバイクはあんたの物かね」と聞かれたので、後ろを振り向いたら立派なバイクがある。「自分はウォーキング中で歩いてここまで来た」と答えたら、そのバイクはもう1週間もそこにある、と言う。ナンバープレートを見ると練馬ナンバーである。さてこれは問題だ。盗難車かも。警察には届けたかと問うと、まだだと言う。


 鬼石は近年冬桜が有名になって、12月に入ると途端に車が多くなります。昔は三波石が有名で今も石屋さんが目につきます。今は名勝・天然記念物に指定されていて三波石は採集禁止に。鬼石の町名の起こりは鬼石神社だと言うことです。鳥居は普通赤が多いのですが、ここの鳥居は真っ黒。


 神流川に架かる上武橋を渡ると埼玉県に入ります。神流川は穏やかに流れていました。上流の山々はまだ雲の中です。埼玉県に入ったところで丁度12時でした。


 杉ノ峠を目指して登る途中から振り返った鬼石の町です。下のゴルフ場は阿久原牧という平安時代の官営の牧場があった所だそうです。


 峠を越えて出牛に下ると今も山間の山里の雰囲気が残っています。天気も回復して青空も広がってきました。農家の庭のコスモスも元気に咲いています。


 根古屋に出るとゴールの皆野もそう遠くはありません。


 荒川に架かる栗谷瀬橋から見る武甲山です。午後4時8分に秩父鉄道皆野駅にゴールイン。些か疲れました。



9月のクラブ山行で千曲川源流の天狗山、男山へ行ってきました。

2019年09月10日 | 登山
 7日土曜日の昼に大宮を出て、野辺山の滝沢牧場のキャンプ場でテントを張って一泊。翌日の8日に天狗山と男山に登って帰って来ました。心配した台風15号の影響もなく、素晴らしい青空の元で八ヶ岳や、秩父の山々の大パノラマを楽しみました。ほとんど貸し切り状態のキャンプ場で、夜は相変わらずの酒飲み話しで憂さ晴らし。
 滝沢牧場は観光牧場なので、多くの観光客で賑わっていました。乗馬を楽しむ人や、名物のバーベキューに、ソフトクリームを食する大人や子供たちなど。


 滝沢牧場のテント場は敷地の南端にあって、林間の静かな所です。オートキャンプ場と違い、静かにキャンプだけを楽しむには打ってつけです。


 牧場から小海線信濃川上駅まではマイカーで20分ほど。そこからバスに乗換えて大深山中央バス停で下車。ここから天狗山に向かいます。このコースは現在あまり利用する人がいないようで、道標もほとんど無く加えて踏み跡も消えてしまっており、途中方向を誤ってしまい、大分時間と労力を無駄にしてしまいました。しかし野菜畑の先に立ちはだかる天狗山はとても立派です。天狗山へは南相木村へ越える車道があり、それを使って馬越峠から稜線通しに歩いて行く、というのが一般的なようです。


 道らしきものもない林の中の一直線の急登。今どきこんなところを登る奴は我々くらい。


 天狗山からは八ヶ岳連峰が望め、その手前に男山が見えます。


 天狗山1882mの山頂です。いつも同行してくれる元気なS君です。


 男山から見た天狗山。後方の山は奥秩父の甲武信岳から十文字峠に続く稜線です。


 男山1851mは展望に優れた山で、周囲360度何の遮るものも無く、胸の透くような大展望が開けていました。八ヶ岳の裾野に広がる、高原野菜の畑の広がりに圧倒されます。この日この山頂に立ったのは、我々を含めたったの5名でした。


 男山山頂から野辺山の方向を見下ろしたもので、このころには八ヶ岳山頂部分は雲に覆われてしまいました。