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前回のゴールは勝田台でしたので、今回はそこからスタートしました。ここで出口を間違えて南口に降りてしまいました。駅の外に出てみたら駅前の様子が何だか変です。目の前に見覚えのない風景が広がっています。そこで頭が混乱して降りる駅を間違えたかもと思い、駅前をウロウロ歩き回って、町内の案内看板を見つけてそれを眺めて、やっと自分が駅の反対側にいることに気が付いた次第。そんな訳でスタート時間が午前9時50分と、えらく遅くなってしまいました。
伊野町に来た辺りで成田道の道標がありました。石の道標は三つも並んでいて、後ろには石の灯篭も立っています。一番右のものは歌舞伎役者の市川団十郎が寄進したものだそうです。それは置いて周辺は住宅団地が多くて、歩いている成田街道(国道296号)は兎に角車が多い。登り下りの車線は一車線ずつの狭い国道。そこへ持って来て歩道も狭いと来ているから、正面から人や自転車が来るともう歩道はいっぱい。
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京成ユーカリが丘はモダンな駅で、さすが新興住宅団地の駅ならではと納得。ここから京成線と成田街道は離れていきます。
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街道沿いは休憩場所がほとんど見当たらなく、上座総合公園まで行って休むことができました。ここから手繰川まで下りになります。手繰川の水源は印旛沼です。
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手繰川に架かる手繰橋を渡るとすぐ旧道は左に分かれます。ここからはあまり車のことは気にしなくて済むようになりました。が道はいきなり急坂となり暫く息を切らす登りとなりました。登り切るとなんと昭和の面影を残す懐かしい住宅風景が目に飛び込んできました。ゆっくりとその情景を楽しみながら歩いているとT字路にぶっつかり、そこに右成田の古い石の道標がありました。ここは臼田のほぼ中心地で、とても落ち着いた良い町だと気にいってしまいました。
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道標の通りに右に進むと雷電の碑の案内がありました。雷電と言えば子供の頃マンガ本を読んで知った、ものすごく強かった相撲取りです。
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案内に沿って進むと妙覚寺というお寺の前に、立派な石碑が立っていて、それには等身大の雷電像が掘られています。そしてその脇には大きな手形もありました。
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雷電の碑を見て今度は雷電の墓へ向かう途中に、放し飼いにされたニワトリたちが呑気に遊んでいました。このような光景を見るのはもう何十年ぶりでしょう。
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雷電の墓は街道を下った所から、右に入った細い道を500mほど行った先にありました。ごく普通のお墓でした。2m近くもあったという大男の墓とは思えない、ささやかな墓石が親近感を抱かせます。夫婦並んだお墓でした。
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現在の成田道と合流した所に立っている道標です。
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左に京成電鉄と並行に東に向かうのですが、このころから天候がおかしくなり雨が降ってきました。ついでに気温もぐんと下がり、慌てて防寒上着を着込みました。京成電鉄が街道から離れて行くところから道は単調になり、ただ黙々と歩くだけでした。道が下りとなり下り切った所が鹿島川で、立派な鹿島橋が架かっています。
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橋を渡って左に少しばかり旧道が残っているので、そこを歩いて現在の国道に戻り、佐倉城の外堀に沿って進むと国立歴史民俗博物館の入り口に着きました。正面の大きなゲートを潜り緩い石畳の坂を登って行くと博物館でした。
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この城址は明治になって陸軍の訓練場になり、それらの説明看板があちこちに立っています。
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博物館は大人600円の入館料が必要です。玄関前まで行きましたが、帰りの時間を考えて入館はしませんでした。立派な建物です。
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一応城址は見ておこうと少し歩き回ってみました。その中に大きな石がゴロゴロと転がっている場所がありました。何か陸軍の建物の基礎に使うべく、城の基盤として使ってあったものを持って来て利用したということです。
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本丸跡と天守閣のあった場所を示す石碑です。すっかり公園化されて、近所に住む人たちの憩いの場所になっています。住民にとってはとても贅沢な公園です。
最後に博物館を出てから街道を南に進み、佐倉市立美術館前から京成さくら駅まで歩いて、今回の成田街道歩きは終了としました。時刻は午後3時50分になっていました。街道歩きの最後のステージは来年の春ごろに予定しています。
伊野町に来た辺りで成田道の道標がありました。石の道標は三つも並んでいて、後ろには石の灯篭も立っています。一番右のものは歌舞伎役者の市川団十郎が寄進したものだそうです。それは置いて周辺は住宅団地が多くて、歩いている成田街道(国道296号)は兎に角車が多い。登り下りの車線は一車線ずつの狭い国道。そこへ持って来て歩道も狭いと来ているから、正面から人や自転車が来るともう歩道はいっぱい。
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京成ユーカリが丘はモダンな駅で、さすが新興住宅団地の駅ならではと納得。ここから京成線と成田街道は離れていきます。
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街道沿いは休憩場所がほとんど見当たらなく、上座総合公園まで行って休むことができました。ここから手繰川まで下りになります。手繰川の水源は印旛沼です。
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手繰川に架かる手繰橋を渡るとすぐ旧道は左に分かれます。ここからはあまり車のことは気にしなくて済むようになりました。が道はいきなり急坂となり暫く息を切らす登りとなりました。登り切るとなんと昭和の面影を残す懐かしい住宅風景が目に飛び込んできました。ゆっくりとその情景を楽しみながら歩いているとT字路にぶっつかり、そこに右成田の古い石の道標がありました。ここは臼田のほぼ中心地で、とても落ち着いた良い町だと気にいってしまいました。
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道標の通りに右に進むと雷電の碑の案内がありました。雷電と言えば子供の頃マンガ本を読んで知った、ものすごく強かった相撲取りです。
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案内に沿って進むと妙覚寺というお寺の前に、立派な石碑が立っていて、それには等身大の雷電像が掘られています。そしてその脇には大きな手形もありました。
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雷電の碑を見て今度は雷電の墓へ向かう途中に、放し飼いにされたニワトリたちが呑気に遊んでいました。このような光景を見るのはもう何十年ぶりでしょう。
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雷電の墓は街道を下った所から、右に入った細い道を500mほど行った先にありました。ごく普通のお墓でした。2m近くもあったという大男の墓とは思えない、ささやかな墓石が親近感を抱かせます。夫婦並んだお墓でした。
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現在の成田道と合流した所に立っている道標です。
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左に京成電鉄と並行に東に向かうのですが、このころから天候がおかしくなり雨が降ってきました。ついでに気温もぐんと下がり、慌てて防寒上着を着込みました。京成電鉄が街道から離れて行くところから道は単調になり、ただ黙々と歩くだけでした。道が下りとなり下り切った所が鹿島川で、立派な鹿島橋が架かっています。
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橋を渡って左に少しばかり旧道が残っているので、そこを歩いて現在の国道に戻り、佐倉城の外堀に沿って進むと国立歴史民俗博物館の入り口に着きました。正面の大きなゲートを潜り緩い石畳の坂を登って行くと博物館でした。
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この城址は明治になって陸軍の訓練場になり、それらの説明看板があちこちに立っています。
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博物館は大人600円の入館料が必要です。玄関前まで行きましたが、帰りの時間を考えて入館はしませんでした。立派な建物です。
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一応城址は見ておこうと少し歩き回ってみました。その中に大きな石がゴロゴロと転がっている場所がありました。何か陸軍の建物の基礎に使うべく、城の基盤として使ってあったものを持って来て利用したということです。
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本丸跡と天守閣のあった場所を示す石碑です。すっかり公園化されて、近所に住む人たちの憩いの場所になっています。住民にとってはとても贅沢な公園です。
最後に博物館を出てから街道を南に進み、佐倉市立美術館前から京成さくら駅まで歩いて、今回の成田街道歩きは終了としました。時刻は午後3時50分になっていました。街道歩きの最後のステージは来年の春ごろに予定しています。
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