山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

奥只見未丈ケ岳に登りました。週末の寒波で越後三山はすっかり雪化粧。もう冬山です。

2021年10月25日 | 登山
 未丈ケ岳1552,8mは奥只見の真っただ中にあって、関東から行くには朝立ち日帰りをやるには些か遠すぎます。それで23日午後4時に家を出てナキ沢口を目指して車を走らせました。西高東低となってあちこちの山からは雪山情報が流れてきます。出発前から雨が降り続き、新潟方面の天気もあまり思わしくない様子だったのですが、なにせ標高が1500mちょっとで奥多摩の三頭山程度だから、例え降っていたとしても大したことはなかろうと思い出発した訳です。


 小出から国道352号を走り折立からシルバーラインに入り、湯ノ沢トンネルと黒又トンネルの継目にあるナキ沢口作業用出入り口に着いて、重いシャッター押し上げて外に出るとそこが登山口。到着は午後7時30分でした。少し入ると駐車スペースがあり、そこで仮眠をとりました。
 24日起きてみたら車が5台ほど増えていました。まだ雨は降っていたのですが、午前6時に私も出発しました。ナキ沢に沿った道は結構悪いトラバースがあったり、渡渉個所も2ケ所あり靴も濡れてしまいました。黒又川の本流になるみかぐら沢に架かる、鉄で作られた橋に着いたのが午前6時45分でしたから距離の割には時間がかかりました。上の写真がみかぐら沢に架かる橋です。こんな所に鉄の橋とはと驚きました。


 鉄橋から見下ろすみかぐら沢の流れです。


 橋を渡るとすぐに痩せ尾根の登りが始まり、徐々に見晴らしも良くなり、雲が巻いていますが荒沢岳が見えてきました。既に白く雪化粧をしています。


 花崗岩の痩せ尾根の快適な道を行きます。この細い稜線に見事な松が並木道のような景観を作り出しています。


 紅葉の尾根の先に越後三山の山肌が雲の下に見えています。


 かくも見事な松の木が稜線のど真ん中に堂々と突っ立っています。


 浅草岳の方面です。まだ雲が低く山を特定できません。


 越後駒ケ岳の方ですが稜線に雲がかかり姿が現れてきません。ただ雪は標高1000m近くまで降りて来ているようです。


 974mピークまではこのような良い道が続きます。


 974mピークから松ノ木ダワの鞍部まで下り、そこから頂上まで急登に変わり1200m付近から雪が現れ始めました。


 先登者の足跡からみて積雪は5センチくらいです。


 紅葉の尾根先に雲がかかった未丈ケ岳が見えます。


 流石に豪雪地帯だけあり、大きなブナの木も雪の圧力で曲がっています。


 頂上が近くになるにつれて、急傾斜の道は雪のために登りにくくなり、一部に大変悪く感じる所がありました。特に短いけれどもトラバース混じりの登りではそうでした。下りにはロープが必要になるかも知れないとちょっと気になりました。


 山頂にほぼ近い所から見た荒沢方面です。


 こちらは越後駒ケ岳です。なかなか雲が切れてくれません。


 未丈ケ岳山頂に午前10時10分に着きました。私を追い越して先に着いていた若い男女二人に撮ってもらったものです。逆光で映りが良くありません。この時点で雲が切れ山頂は明るくなりましたが、周囲の山には相変わらず雲がかかり、期待の山頂からの眺望を楽しむことは出来ませんでした。寒いので山頂には5分ほど居ただけでさっさと下山に移りました。



 下山途中974ピークから見た荒沢岳(上)と越後駒ケ岳(下)です。


 再びあの嫌なナキ沢沿いの道を歩いて登山口に戻って来たのが午後1時37分でした。予想していた下山時刻よりも1時間早い下山でした。振り返ると晴れあがった空の下に今登って来た未丈ケ岳が見えていました。結局この日の登山者は20名くらいいたと思います。
 帰路高速が混んでいて帰宅は午後7時40分になってしまいました。











 


富士山が雪化粧しました。

2021年10月21日 | 日記
 昨年は今年の正月を迎えても富士山にはさっぱり雪が積もらず、真っ黒けの富士山を見てガッカリしました。しかしこの冬はえらく彼も頑張って雪のマントをかっこよく羽織ってくれました。昨年に比べ2ケ月も早い冠雪です。でも考えてみれば私たちが若かった頃は、11月になるとどこの山岳会も雪上訓練と称して富士山へ行ったものです。正面右寄りの大きく窪んだ部分が吉田大沢で、あそこで滑落停止や耐風訓練(姿勢)の練習をやりました。真剣にやったものです。



今年もまたスズメバチが巣を作りました。

2021年10月16日 | 日記
 自宅のベランダ下にある蝋梅の中に、サッカーボール大のスズメバチの巣が出来上がっていました。過去2回植え込みの中にスズメバチが巣を作り、その都度自分で取り除いてきました。その経験もあり今回も20分ほどでかたずけてしまいましたが、やはり50匹ほどが巣の中から飛び出してきました。


 近くに寄ってみると正面に出入り口があり、大きなハチどもがせっせと出入りしていました。


 飛び出してきたハチたちはスズメバチ駆除用のスプレーで撃破して、ビニール袋に巣をくるみ込んで蝋梅の枝から引き離して地面に落としました。


 割れた巣の中に幼虫が残っていますが、放置しておくとこれからもどんどん増えて行くはずです。


 使用したハチ撃退用のスプレーです。スズメバチの巣を取り除くには、やはり専門家に依頼するのが安全ですが、私の場合アンダーに羽毛ジャケットプラス羽毛ズボンを、さらに上着には上下冬山用防寒着を着て、両手は肘まである冬山用羽毛ミトンを使用。頭からは登攀用ヘルメットに網戸用のネットを頭から肩までの長さに切って、それをヘルメットにグルリと巻き付けてガムテープで止めたものを被りました。これで完璧。一発もやられることなく作業が出来ました。それでも頭の周りをハチがブンブン唸りながら飛び回っていると怖いものです。どうせ来年もまたやって来て巣を作るのでしょう。



奥武蔵子の権現から伊豆ケ岳まで歩いて来ました。

2021年10月13日 | 登山
 10日の日曜日は一日中曇りの冴えない天気でしたが、さいたま山遊クラブの仲間3人でスタコラ歩いてきました。通常このコースを歩く場合、伊豆ケ岳から子の権現に向かって歩くのですが、今回は何やら計画担当者が逆コースを選んだので、まっいいかと従った次第。でもやっぱり私は少々疲れました。この日山頂に着いたときはもう誰もいませんでした。我々とは反対に子の権現を目指して歩く人たちには沢山出会いました。


 50年以上も昔山頂には茶屋がありまして、面白いおばあさんが店番をやっていました。話し好きの面白いおばあさんでした。子供が好きでその子供たちを見ると、リトル坊やなどと呼んで可愛がっていました。そのため登山者たちにイングリッシュばあさんと、親しみをもって呼ばれていました。おばあさんが亡くなってから茶屋を引き継ぐ人も無く、小屋も取り壊されて今はその跡さえありません。その後小屋跡の近くの岩に、有志達によってレリーフが取り付けられて今に至っています。本当は昔のように茶屋があると楽しいのですがね。

秋の軽いウォーキングを後期高齢者14名が、見沼代用水東縁をヨタヨタと歩いてきました。

2021年10月03日 | ウォーキング
 台風16号は関東の南をかすめるように通り過ぎた後、10月2日の土曜日は汗ばむほどの陽気になり、快適なウォーキング日和になりました。JR宇都宮線東大宮駅を午前9時半にスタートして芝浦工大の方に向かい、見沼代用水に架かる出戸橋から用水沿いに下流に向かって、サギ山公園まで歩くのが今回の企画です。西縁の方は歩き尽くし、東縁に関しても残り部分は少なくなってきて、私自身も今回初めて歩く部分になります。歩く人も少なくゆっくり歩きには最適なところです。


 東武線七里駅までの間は用水沿いに新しい住宅が立ち並び、秋の小川の散歩道を楽しむ、という気分にはなりません。まして残土置き場の小山があったりの、新興住宅地そのままの風景が続きますから。ひと昔前までは田んぼや畑だけの風景が広がっていたのですが。



 でもやっぱり秋です。柿の実も程よく色づいてきました。コスモスやカンナの花も今が一番見頃です。


 周りが見沼田んぼの懐かしい風景に変わりだせば七里駅も近いです。


 小深作の神明神社で息継ぎの一休み。予想以上に気温が上がり、おかげでこっちも息が上がってしまいました。用水に沿ってこのような神社は今も結構残っています。各村落には必ずあった神社なので、こんなところが一番気楽に腰が下ろせます。


 広大な畑に張られた白いシートは何だろうと、近くに寄ってよく見たら小松菜の新しい芽が出ていました。既に青々とした小松菜を採取している場所もあり、どうやら此のあたりは年中小松菜を栽培しているようです。



 七里公園に着いてお昼の弁当にしました。比較的新しい公園で遊びに来ている人たちも、近所の若い夫婦やその家族たちといった感じで、静かで心地よい昼休みタイムになりました。


 用水に沿って桜並木が続きます。春の花の頃に来ればきっと美しい並木道になっている筈です。


 見沼田んぼのもっとも見沼的風景です。このような風景をさいたま市内で手軽に楽しめるのは恵まれていると思います。田畑がどんどん宅地化されて、子供の頃に見ていた風景が亡くなっていくことに、寂しい思いをしているのは我々高齢者ばかりではないでしょうから。


 今回のゴールであるサギ山公園に午後1時25分に着きました。大宮行のバスが来るまで間があるので木陰でのんびり待ちました。
50年ほど前まではサギの営巣地になっていて、サギの糞で森の木々が真っ白になっていました。国道122号が近くを通るようになり、さらに高速道路が平行して出来たため、サギたちは一羽も残らずいなくなってしまいました。またこのあたり一帯の田んぼは、冬も水が引かない深田であったために、たにしやどじょうに昆虫類が沢山いたので、餌場としても適していたのでしょう。今はその田んぼも無くなり住宅が建っています。