山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

八十里越えと番屋山登山第二日目です。

2022年10月21日 | 登山
 シンと静まり返った森の中で聞こえてくるのは小さな流れの水音のみ。結構気温も下がりましたが、10年前にネパールのアマダブラム峰に行ったとき以来使用することもなかった、羽毛のインナー上下と軽量シュラフのお陰で、まったく寒さを感じることのない一夜を過ごすことが出来ました。
 まだ真っ暗な午前4時に起きてツェルト内を整理して、出発準備を整えておいてから朝食準備。昨夜と同じくジフイーズにお湯を入れて15分待つのだぞ、と併せて熱いコーンポタージュにコーヒーを一杯。まことに簡単な食事を終えると外に出て、朝露で濡れたツェルトを撤収して午前5時半に殿様清水を出ました。正面に赤く染まり出した烏帽子山がなかなか迫力があります。


 緩いジグザグの開けた道を登って行くと、朝の光がブナの林の間から差してきて、気持ちの良い一日が始まりました。






 鞍掛峠には午前6時16分に着きました。切通しになった峠の向こうには青空が広がっていました。一段高みに山神の石祠が祀ってあり、何百年もの間ずっと峠越えの人々を見守ってきたのでしょう。


 峠を越えると周囲の景観が随分と変わってきました。道も広く緩やかに造られており、私など膝の痛みを抱えている者にとっては有難い道です。道を横切る小さな流れも沢山あり、水には不自由しない道です。ところが途中にこんな大きなブナの倒木があったりもします。




 鞍掛峠から木ノ根峠までは今までと違って尾根上を行くようになり、俄然展望が開けて硫黄沢を隔ててその先に、守門岳から大岳に至る紅葉の素晴らしい眺めが広がっていました。


 小松横丁とある展望個所から見る黒姫の眺めも、一人で鑑賞するにはもったいないと思いました。


 奥深い山中の山道に橋を架けた跡の石垣の名残がありました。越後の方からにしろ、会津側からにしろこのような作業に関わった昔の人達がいたという事実。正に歴史的、文化的貴重な遺産です。


 八十里越えの道は、牛馬が越える道としてとても立派に造られていたことが解ります。


 木の根峠に午前7時50分に着きました。ここも切通になっています。小さなテントがあって、現在測量中の看板が立っていました。ここは新潟県と福島県の県境で、ここが八十里越え峠ということになります。


 木ノ根峠を越えると道は左に叶津川が並行するようになります。道はゆっくりと下りになって行き、途中に古い石垣も見られるようになりました。しかし泥濘の多い道で靴もズボンも泥だらけになりました。水が靴の中までしみ込んでしまい、歩いていて靴の中からグチョグチョと音が聞こえるほどでした。


 下方に建設中の国道289号が見えるようになり、後10分も歩けば国道というところで、茸を採りに来ていた男性に出会いました。今回の八十里越えで出会ったのは、番屋山で会った5人とこの男性の6人だけでした。この人が下に車があるから只見駅まで乗って行けと言うから、、有難く乗せてもらいました。国道に出たのが丁度午前11時。歩けば2時間は優にかかる所を30分で只見駅まで行ってしまい、11時半には駅に着いてしまいました。車中で茸のこと、冬の猪や鹿狩りのことなど面白い話を聞かせてもらいました。




 11年ぶりに全線運行が始まった、只見線の特別列車が丁度只見駅に着き、大勢の乗客が降りて来たのに遭遇。この列車は折り返し会津若松に戻るので、私は午後4時半まで待たないと来ない小出行を待つ間に、只見小学校の裏の田んぼの畦道で、濡れたツェルトやフライシートを広げて乾かしたり、泥だらけの靴を田んぼの用水で洗い時間を潰し、なおコンビニのお兄さんに教わった公衆浴場に行って汗を流してきました。
 今年の登山やウォーキングで出かけた中で、今度の八十里越えが一番楽しかったし、良い思い出が出来ました。
 

八十里越えと番屋山登山の第一日目です

2022年10月19日 | 登山
 ずっと以前から歩きたいと思っていた、八十里越えをやっと今回実現できました。司馬遼太郎の長岡藩士河井継之助について書かれた「峠」や、今年公開された役所広司主演同名の映画、それに只見線の11年ぶりの全線運行が10月1日から再開されたこともあって、膝が痛いの、腰が痛いのと言いながら、14日の内に小出駅まで行き翌朝一番の電車で長岡まで。何と言っても河井継之助は長岡の人だから、ここ長岡からバスを利用して栃尾まで行き、予約しておいたタクシーで八十里越えスタート地点になる吉ケ平に入りました。
 連れて行ってくれたタクシーの運転手が、まだ若い人で吉ケ平までは行ったことがないと言い、車一台がやっと通れる狭い山道を恐る恐る走ってくれましたが、まだ始まったばかりの紅葉を、鑑賞しながらの谷間の道は楽しいものでした。
吉ケ平は守門岳の北麓にあり、守門川最奥の集落のあった所で、現在はキャンプ場になっていて、2014年まであった小学校校舎跡には新しく吉ケ平山荘が建っていました。江戸から明治中期まで30数軒あったという村の面影は全く無く、小学校の門が残っているだけです。


 午前9時20分に山荘前を出発して、守門川に架かる樽井橋を渡り、緩やかな坂道を東に向かう途中の道脇に墓地があり、小さな墓石が並んでいました。どれもが字も読めないほど風化していて、こんな山奥でここの人たちはどんな暮らしをしていたのだろうかと、小さな墓石を見て暫く考え込みました。


 500mほど行ったところで道は二つに分かれて、分岐の石標には右に行くのが鞍掛峠、左は雨ケ池(本当は雨生ケ池・まおいがいけと言うそうです)と刻んであります。この標石は昔からあったものではなく、近年道が修復されたときに設置されたものでしょう。この標石は要所ごとにあって、このコースを歩く人にとっては大変有難いものだと思います。


 道は荷駄が通れるほどの広さがあり、それも緩い登坂なので歩くには楽ですが、足元は結構水っぽく靴もかなり水を含んでしまいました。また平坦な道も長い年月の間に崩落してしまった所や、小沢が道を横切る個所は必ず深くえぐれて通過に時間を食ったりしました。大きなブナの森を抜け、最初の水場で後ろを振り返ると番屋山がこちらを見下ろしていました。


 番屋山への分岐に小さな木ハシゴがあります。そこで今日の泊場の殿様清水までの時間を考えても、番屋山の往復は可能と見て登ってみました。


 大きなブナの幹に古い鉈目が沢山刻まれています。昔猟師や山仕事で入った人たちが残したものでしょう。


 山の斜面が崩落した後に新しく道が造られていました。両足がやっと乗るだけの狭い道です。


 番屋山には12時丁度に着きました。そこには雨生ケ池から登って来た5人の登山者がいて、反対側から登って来た私を見て驚いた表情をしていました。八十里越えを歩いている間に会ったのはこの5人だけでした。


 番屋山から北の方角に大谷ダムとひめさゆり湖が見えました。新八十里越えとでも言うべき、国道289号が近い将来あそこまで通じることになるわけです。


 番屋山で昼飯を食ってまた元の道に戻るのに20分かかり、登りも含め山頂の休憩も入れれば約1時間20分を余分に使ってしまいました。しかし高度が上がるに従いブナの黄葉も良くなり、それによってか元気も出て、荷の重さもあまり感じなくなりました。




 番屋乗越に着いたのが午後1時45分。標高872mの切通になっていて、ここで今まで尾根の西側を歩いて来たのが、東側に変わりました。


 このコースには白い肌のブナの大木が多く、道中目を楽しませてもらいました。


 このブナ沢への九十九折の下りは、黄葉の美しいブナの林になっていて、コース中で一番快適な部分でした。しかしブナ沢の流れを渡るには、危なっかしい丸木橋が待っていました。渡るとお助けロープに頼るガケ登りです。このロープに頼っての通過は数えきれないほどあります。


 そんな苦しい個所も通過すればハッとするような景観が現れてくるのです。兎に角この繰り返しがこのコースの特徴です。


 殿様清水の少し手前の空堀茶屋跡に着いた時が午後3時20分になっていました。目の前には烏帽子山の岩塔が聳えています。茶屋跡と言っても何もありません。昔はここに茶屋があったそうですが。


 殿様清水が近くなった道脇にブナの巨木が立っていて、その幹にはやはり沢山の鉈目がありました。


 午後3時50分に今日の宿泊予定地の殿様清水に着きました。途中番屋山に立ち寄って余分な時間を費やしたのに、到着予定時間に辿り着けたことでまず一安心。すぐにツェルトを張って体を休め、明日の長い道中に備えました。ツェルトで夜を明かすなど何十年ぶりだろう。夜半ツェルトの外に出てみると、雲一つない夜空に半月が輝いていました。物音ひとつしない山奥に一人居ても、別に寂しいとも思わなくなったのはやはり年のせいかな。







10月1日に荒川倶楽部の7人で成田街道を歩きました。

2022年10月05日 | ウォーキング
 今回は既に今年初めに歩いたコースを又歩いて来ました。予想以上に気温も上がって汗をかきかき勝田台駅まで歩きました。
コロナ騒動が始まってから定例ウォークも度々中止になって、実行できた月も参加者が減りすっかり精彩を欠いてしまいました。会員の年齢も上がり、体調不良を訴える人も増えてきたこともありますが。
 船橋の海老川橋で記念の一枚を撮っておきました。


 海老川橋を渡って間を置かずに大神宮が現れますが、今回は人出も少なく静かでした。七五三のお参りで来ている親子がいました。


 千葉街道から成田街道への分岐にある大きな石の道標です。ここからは道幅が狭くなり、特に歩道部分が大変狭く、右左の車線関係なく行きかう自転車が多く、歩いていても気が休まりません。陸上自衛隊習志野演習場前を通り、八千代市役所前を過ぎ、国道16号交差点を過ぎると間もなく勝田台駅で、午後3時丁度に着きました。
 常に渋滞している成田街道なので、排気ガスをたっぷり吸いながらの、あまり健康に良くないウォーキングでした。