山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

山遊荒川倶楽部久しぶりの軽いウォーキングを楽しみました。

2023年09月04日 | ウォーキング
 本当に暑い夏です。80歳にもなると今年の猛暑は本当にきついです。この3月に一人で小川町駅からバスも使わず、徒歩で笠山に登り、その足で都幾山を経て再び小川町駅に戻るという少し長めの歩きをやって来ました。それが原因なのか、その後左足膝の痛みが強くなり、医者にも通ったり色々と手当てを尽くしましたが、なかなか痛みが取れず今に至っています。幸いこのところ平地歩きであれば1,2時間は歩けるようになったため、思い切って9月2日に倶楽部仲間と飯能の宮沢湖周辺を歩いて来ました。
 猛暑続きで例え3~4時間の歩きではあっても、高齢者ばかりのチームですからやはり心配はありました。この日8名の参加者がありましたが、幸い一人の落後者も無く予定コースを歩くことができました。
 私は自宅から車を使って西武線高麗駅まで行き、そこから集合場所の東飯能駅へ行きました。高麗駅は日和田山の岩場に行くため良く利用した駅です。駅前には二本の大きなトーテンポールが立っています。今から1200年も昔に朝鮮半島から渡って来た、高麗人たちの子孫がここに住み着いたと言われています。


 私たちは午前9時45分に東飯能駅を出ると、強い日差しの下を北に向かって八高通りと呼ばれる道を進み、中山陸橋の下を潜り中居の寳蔵寺前に着きました。とても長い歴史のある立派な寺です。この先が登坂になり森の中に入って行くと、トイレのある分岐点に着きました。


 ここまでは車も入っており、暑い中を歩くのが嫌なら車利用も良いと思います。


 これより山道に変わり、気持ちの良い木陰の中を歩いているうちに、いつの間にか道の両側に高いフェンスが続くようになり、なんだか刑務所の中に放り込まれたような気分になってしまいました。






 森の中の道はいくつかの登りと下りがあって、もし木陰が無かったらこの暑さの中で相当つらい歩きになっていたと思います。もうそろそろ宮沢湖と思っていたころ、急に広い舗装道路に出てそこがメッツア・ムーミンテーマパークの正面入り口でした。私にとっては50年も昔、まだ小さかった息子を連れて来ただけの宮沢湖で、当時はただのため池でしかなかったところが、大きく変わっていることに驚いてしまいました。




 池にはボートで遊ぶ人も、またメッツァビレッジにはレストランや土産物なども売る大きな建物もあって、若いアベックに親子連れが沢山来ていました。ここで暑さで喉が渇いていたため、缶ビールを一本買って、しばらく休ませてもらいました。


宮沢湖堰堤を歩いて対岸に移り今度は高麗峠を目指しました。


 途中写真のようなアーチの下を何度か潜りましたが、これは道の両側にゴルフ場があるために、歩行者の安全を考慮して造られた防護ネットです。コースを外れたゴルフボールがいくつも両側の林の中に転がっていました。今ではゴルフが贅沢な遊びとは誰も思ってはいませんが、このような所を歩いているとあまり良い気分にはなれません。


 3時間ほど歩いて高麗峠に到着。全然峠らしくない峠です。ここは2017年11月に「高麗王若光の道」として大磯の高麗神社から日高市の高麗神社まで歩いた折に立ち寄った場所です。現在の日高、飯能市にまたがる一帯は716年、東国七カ国から集まった高麗人1799人が武蔵国に移住して高麗郡を建郡したと「続日本紀」にあるそうです。由緒正しい古道の一部です。




 高麗峠から南下すること僅かで森の中にポッカリ開けた草原に出ました。しっかりと「ほほえみの丘」と書いてあります。ここでやっと昼飯にありつきました。涼しい木陰に陣取って、冷たい飲み物やみずみずしい梨を頬張ったりと、楽しいひと時を過ごしました。


 草原の先の森を抜け、相変わらずのゴルフボール避けのフェンスに沿った道を歩いて住宅地に出ると、再び強烈な真夏の太陽に晒されて東飯能駅まで戻りました。駅に戻ったのは午後2時10分でした。自分はここで同行の皆さんと別れて、名栗湖へ向かう道筋の小瀬戸にある、野口種苗研究所まで行き、ライ麦と三浦大根とクローバーの種を仕入れてから帰宅しました。

埼玉県さいたま市鴨川の桜は今が一番の見頃です

2023年03月29日 | ウォーキング
 このところ雨の多い日が続き、せっかくの桜もこのまま散ってしまうのではないかと、かみさんと我が家のワン公も一緒に、近所の鴨川縁の桜を見に出かけました。久しぶりに晴れ上がった青空のもと、満開の桜を十分楽しんで来ました。江戸時代に築造された備前堀の土手に咲く桜は老木が多く、その枝ぶりが素晴らしく、鴨川の流れに向かって枝を伸ばして花を散らしていました。ウィークデーのせいか、人の姿も少なくて静かな良い一日でした。隠れた桜の名所とでも言えばいいのか、ここに鴨川の桜を少し皆さんにも鑑賞して頂きましょう。












 所々に休憩するベンチもあって、ゆっくりと散策が楽しめます。


 関沼の湿地には木道もあって、これからは小鳥たちの姿や鳴き声が楽しめます。


 探鳥を楽しむために設備もあります。


 近くの農家の庭先の芝桜がなかなか綺麗です。ワン公まで覗き込んでいます。


 関沼の近くにはこんな立派な古墳もあります。桜の名所は沢山ありますが、こんな人にあまり知られていない桜の奇麗な所もあります。一度足を運んでみてはどうですか。
 




山遊荒川俱楽部の第231回定例ウォークは荒川左岸の堤防歩きでした。

2023年03月08日 | ウォーキング
 コロナ騒ぎで中断もあった定例ウォークも231回目になりました。例え月1回の定例と言えども、続けていればこれだけの回数になってしまうのですね。発足から既に20年の歳月が過ぎました。残って頑張っている会員も、皆後期高齢者と言われる年になってしまいました。
 この倶楽部のそもそもの始まりが「荒川を歩く」でしたから、今回昔を懐かしむのもいいかと、荒川の一部を歩いてみようとなった訳です。
スタートは埼京線指扇駅。ほんの2、3日前には指扇駅と南古谷駅の間で正面衝突の大事故が起こりそうな事件がありました。なんせ古くて今もって単線のままなのですから怖い話です。
 さて今回は参加者がたったの6名。少ないであろうとは予測していたものの、やはりこの人数はガッカリです。でも気を取り直して平均年齢80歳は頑張ります。上江橋のすぐ下手の荒川堤防上の埼京線踏切が今回の本当のスタート地点です。


 この踏切から川越市方向を見ると一本の線路が荒川に向かって一直線に延びています。この線路が通るこの位置は堤防の高さが現在も旧来のままなので、川の水かさが増した時のことを想像するととても心配です。


 我々は荒川左岸を東京湾に向かって歩いているので、出て来た標識には東京湾から現在地までの距離が書いてあります。


 荒川堤防の右手、河川敷には武蔵野高校と埼玉栄高校のグランドが並んでいます。土曜日とはいえ沢山の学生たちが汗を流していました。




 西遊馬運動公園の傍には「荒川防災ステーション工事」が5年前から行われています。どこからこれだけの土を運んで来るのか。まるで城塞のようなものを造っています。


 前方には新都心ビルが並んでいます。この日は快晴だったのですが、空気がどんよりと霞んでおり、いつもは良く見える富士山も見えませんでした。


 治水橋近くまで来ると県警機動隊があり、パトカーが売るほど並んでいました。一台くらい貰えないかしら。




 治水橋の堰堤工事は今も進行中で、ここは堤防を切通しのように切り抜いて、そこに水門のような可動関を設けて、非常の際にはその水門を閉じることで水の流入を防ぐというやり方のようです。




 堤防が高くなったことで堤防沿いの住宅の屋根を越えてしまいました。これでは今まで見えていた富士山も見えなくなってしまいました。
悔しがっているでしょうね。ただこの堤防上は立派に舗装されており、それも車が2台並んで走れるだけの幅があるのに、車の通行は禁止されています。正にウォーキングとサイクリングには天国のようなところです。360度の展望が楽しめる別天地です。


広大な河川敷内にある健保組合運動場。メタセコイヤの並木がもうすぐ芽吹きます。夏は緑、秋は黄葉が見事です。


 荒川総合運動公園事務所に立ち寄ってトイレ休憩。現在はむしろチャリダー達の休憩所になってしまいました。なんたって土、日の堤防はロードレーサーのオンパレードですから。


 指扇駅を出てから約6km程の所に水道タンクが現れました。我々さいたま市民の生活用水を供給してくれる大事な施設です。


 そしてすぐ次に出てくるのが大久保浄水場です。こちらは我々の生活排水を処理してきれいな水にしてくれる所です。


 羽根倉橋を過ぎてすぐ右下の河川敷にある、レッヅランドの駐車場脇の芝生をお借りして昼の弁当にしましたが、夏のような日差しを浴びて汗をかきながらの昼食でした。食後に堤防上に上がると、12月に歩いた鴨川大囲堤のNHK放送所鉄塔が見えていました。


 左に鴨川が並行して流れ、その向こうにさくら区クリーンセンターの大きな建物が見えます。埼玉県においては最も最新式の焼却炉をもっていると聞いています。


 とうとう秋ヶ瀬橋が見えてきました。ゴールのさくら草水門はもうすぐです。


 ゴールのさくら草水門と武蔵野線鉄橋が近いです。


 ゴールに着いたメンバーたち。到着は午後1時20分でした。指扇駅からほぼ12km。スタートが午前9時10分でしたから4時間以上かけて歩いて来た訳です。これでは亀にも笑われます。でも楽しいコースでした。























山遊荒川倶楽部恒例の正月越生七福神巡りをやってきました。

2023年01月08日 | ウォーキング
 このイベントが始まったのはかれこれ20年前。定年退職者が集まって出来たような倶楽部は今高齢者軍団になり、歩行困難者の集まりになってしまい、いつ終焉の時を迎えるのかもう時間の問題です。当初30名を超す会員がいたのですが、現在は半数の15名に減ってしまいました。その中で実質毎回参加してくれるのは10名足らず。ことにコロナ問題が起きてからは、参加者の数がグンと減ってしまい、毎回寂しい人数で歩いています。今回も寒気が厳しい埼玉県北部の越生ですから、集まる会員は僅かだろうと思っていたら、9名も顔を出してくれました。お陰で何だかホッとした気分になりました。
 例によって越生駅前から黒山三滝行のバスで、まず布袋尊の全洞院に参拝。それは越辺川の上流の清流に架かる橋を渡った、山裾に建つ小さなお堂です。北に面しているため寒い所です。全洞院には明治元年5月新政府軍との戦いに敗れ、僅か22歳で自刃した渋沢栄一の義弟で、養子の渋沢平九郎の墓があります。


 ここから次の毘沙門天は龍穏寺に向かいます。天気予報は期待できる予報はしていませんでしたが、それは外れて雲一つない快晴になってくれました。




 龍穏寺までは約2,5kmの歩き。標高差150mの小さな峠を越えて行きます。途中柚木の里を抜けて行きますが、今年は実の付き具合は悪いようです。


 峠を越えて薄暗い杉林の中を降りて広い道に出ると、道路わきに下馬門と刻まれた石標がありました。龍穏寺は相当格式の高い寺であったようで、侍であってもこの先は歩いて行ったのでしょう。


 龍穏寺山門に着きました。1842年建立の堂々たる山門です。ここには太田道真、道灌親子の墓があることで知られています。草創は807年、1472年に太田道真、道灌親子によって再興された格式10万石の名刹です


 山門を潜ると道灌像が立っています。ちょいと小ぶりな像で威圧感がありません。もうちょい大きな像にして欲しいですな。




 龍穏寺で私が好きな所は、境内にある鏝絵で外壁を飾った蔵です。今は塗装もはげ落ちて、ほんの僅かしか残っていませんが、昔は素晴らしい彩色が施されていたはずです。ここも手を入れて昔の姿に戻して欲しいですね。


 龍穏寺は小さな谷間にあって、冬の今でも穏やかな緑に囲まれています。いい所です。


 龍穏寺を出ると今回のコース最悪の急坂を越えなくてはなりません。以前は未舗装の悪い道でしたが近年道幅も広くなり、舗装もされて格段に良くなりましたが、やはり登りはきついです。登り終えれば後は下り一方です。途中の柚子畑の中に代官屋敷が残っていて、私を除いた8名はそちらへ見学に回りましたが私はそのまま直行。すると道路脇に無人販売があり、無造作に造った台の上に、2個100円のミカン(いわゆるデコポン)を売っていたので買っておきました。


 無人販売店の先で竹炭を焼いているおじいさん(私も負けず劣らずのおじいさん)の所で引っかかってしまい、お互いにペチャクチャやっている間に、仲間にグンと引き離されてしまいました。しかしこの辺りは冬でも日当たりは良く、緩い斜面に七曲りの細い車道、そして利用客などいるのかしらと危ぶむ喫茶店の手造り看板。何とものどかな風景でございます。




丁度正午に三つ目の寿老人円通寺に着きました。昼飯はいつもここの農産物売店の食堂で「ひも川」を食べることと決めていますので、迷わず2階の食堂へ。普通盛りと大盛りがあって、普通が500円、大盛が600円なり。当然私は大盛を注文です。今日はここに着くまで店はやっているか心配でした。なぜなら今年の巡礼者が極端に少なかったからです。そのため年中やっている食堂ではないので、この分では休業ではと心配したのです。円通寺の参拝は形通りに済まし、境内のユニーク過ぎる大きな仁王像に対面をして、四つ目の最勝寺に向かいました。


 最勝寺へは梅林で有名な越生梅林を横切って、越辺川に架かる道灌橋を渡って、川の左岸に沿って行きます。橋を渡った先に道灌の父,道真退隠の地とされる場所があり、三体のお地蔵さんと並んで碑も立っています。


 四つ目の最勝寺にはいつも門前の蝋梅が独特の芳香を放っているのですが、今年はそれがありません。花も僅かです。楽しみが無くなっていたのでここも型通りの参拝に済ませ、山門を出たら丁度長老のIさんが、円通寺の「ひも川」を食べた食堂にストックを置き忘れ、取りに行き今戻って来たところでした。年を取ると忘れ物が多くなる。他人ごとではない。自慢じゃないが私も忘れ物は多い。この忘れ物を長老に代わり、私が取って来ましょうと言い出す者が一人もいなかったことが、現在の倶楽部の状況を良く現しています。ああー悲しい。誰も余分に歩きたくない。




 越生梅園正面です。入園する人が見当たらない。なんせまだ梅は咲いていません。それどころか昨年の内に延びた余分な枝切もまだ終わっていないのです。この枝切作業は大変です。


 五つ目の弁財天の弘法山ですが、ここがまたきつい。長いしかも勾配もきつい。ここが登れなくなったら、長年続けてきた越生七福神巡りも終わりですなと、お互いをいたわり合いながら登るのです。


 登り終えると目の前に飛び込んできたのが赤い南天の実。傍の銀杏の木の周りには皮が付いたままの実が沢山転がっていました。その実はタダで差し上げます、と張り紙がありましたが、皮付きの銀杏は貰っても臭いし、その皮むきが大変なことは子供の頃の経験から解っているから誰も持って行かない。通りすがりの無人販売所で見かける一袋100円は、その苦労を考えると涙ものの値段です。


 弘法山を降りて四度越辺川を渡り、新しく建て替えられた越生町役場前を通って大黒天正法寺に着きました。大黒天のお堂は寺の左奥にあり、参拝者はここでよく間違えて、正法寺本堂に参拝して帰って行きます。なにしろ一見ただの蔵みたいにしか見えませんから。


 最後の法恩寺へ向かうために、正法寺の横手から出る所に可愛い石仏が置いてありました。このような石仏は地方の田舎道を歩いていると良く見かけます。手を握り合った男女の仏像など、ほほえましいものがあると、なんだかホッとするものです。


 午後3時に最後の恵比寿法恩寺に着きました。ここから越生駅まではほんの5分ほど。大黒天に参拝して法恩寺にもお参りをすまし、なおも四国88ケ所を巡ったと同等の御利益があるという、碑にもお参りをしてやっと解散と相成ったわけです。来年もまた会いましょう、と別れましたがどうなることやら。
 ここ法恩寺には渋沢平九郎の首が埋葬され、その埋首之碑があります。平九郎の首と躯は後に渋沢栄一により収容され、東京谷中の渋沢家墓地に埋葬され、全洞院に墓石が建立されたということです。いい勉強になりました。この正月も有意義なウォーキングになりました。
















成田街道を京成勝田台から京成佐倉駅まで歩きました。

2022年12月19日 | ウォーキング
 前回のゴールは勝田台でしたので、今回はそこからスタートしました。ここで出口を間違えて南口に降りてしまいました。駅の外に出てみたら駅前の様子が何だか変です。目の前に見覚えのない風景が広がっています。そこで頭が混乱して降りる駅を間違えたかもと思い、駅前をウロウロ歩き回って、町内の案内看板を見つけてそれを眺めて、やっと自分が駅の反対側にいることに気が付いた次第。そんな訳でスタート時間が午前9時50分と、えらく遅くなってしまいました。
 伊野町に来た辺りで成田道の道標がありました。石の道標は三つも並んでいて、後ろには石の灯篭も立っています。一番右のものは歌舞伎役者の市川団十郎が寄進したものだそうです。それは置いて周辺は住宅団地が多くて、歩いている成田街道(国道296号)は兎に角車が多い。登り下りの車線は一車線ずつの狭い国道。そこへ持って来て歩道も狭いと来ているから、正面から人や自転車が来るともう歩道はいっぱい。


京成ユーカリが丘はモダンな駅で、さすが新興住宅団地の駅ならではと納得。ここから京成線と成田街道は離れていきます。


 街道沿いは休憩場所がほとんど見当たらなく、上座総合公園まで行って休むことができました。ここから手繰川まで下りになります。手繰川の水源は印旛沼です。


 手繰川に架かる手繰橋を渡るとすぐ旧道は左に分かれます。ここからはあまり車のことは気にしなくて済むようになりました。が道はいきなり急坂となり暫く息を切らす登りとなりました。登り切るとなんと昭和の面影を残す懐かしい住宅風景が目に飛び込んできました。ゆっくりとその情景を楽しみながら歩いているとT字路にぶっつかり、そこに右成田の古い石の道標がありました。ここは臼田のほぼ中心地で、とても落ち着いた良い町だと気にいってしまいました。




 道標の通りに右に進むと雷電の碑の案内がありました。雷電と言えば子供の頃マンガ本を読んで知った、ものすごく強かった相撲取りです。




 案内に沿って進むと妙覚寺というお寺の前に、立派な石碑が立っていて、それには等身大の雷電像が掘られています。そしてその脇には大きな手形もありました。


 雷電の碑を見て今度は雷電の墓へ向かう途中に、放し飼いにされたニワトリたちが呑気に遊んでいました。このような光景を見るのはもう何十年ぶりでしょう。




 雷電の墓は街道を下った所から、右に入った細い道を500mほど行った先にありました。ごく普通のお墓でした。2m近くもあったという大男の墓とは思えない、ささやかな墓石が親近感を抱かせます。夫婦並んだお墓でした。


 現在の成田道と合流した所に立っている道標です。




 左に京成電鉄と並行に東に向かうのですが、このころから天候がおかしくなり雨が降ってきました。ついでに気温もぐんと下がり、慌てて防寒上着を着込みました。京成電鉄が街道から離れて行くところから道は単調になり、ただ黙々と歩くだけでした。道が下りとなり下り切った所が鹿島川で、立派な鹿島橋が架かっています。


 橋を渡って左に少しばかり旧道が残っているので、そこを歩いて現在の国道に戻り、佐倉城の外堀に沿って進むと国立歴史民俗博物館の入り口に着きました。正面の大きなゲートを潜り緩い石畳の坂を登って行くと博物館でした。


 この城址は明治になって陸軍の訓練場になり、それらの説明看板があちこちに立っています。


 博物館は大人600円の入館料が必要です。玄関前まで行きましたが、帰りの時間を考えて入館はしませんでした。立派な建物です。


 一応城址は見ておこうと少し歩き回ってみました。その中に大きな石がゴロゴロと転がっている場所がありました。何か陸軍の建物の基礎に使うべく、城の基盤として使ってあったものを持って来て利用したということです。




 本丸跡と天守閣のあった場所を示す石碑です。すっかり公園化されて、近所に住む人たちの憩いの場所になっています。住民にとってはとても贅沢な公園です。
 最後に博物館を出てから街道を南に進み、佐倉市立美術館前から京成さくら駅まで歩いて、今回の成田街道歩きは終了としました。時刻は午後3時50分になっていました。街道歩きの最後のステージは来年の春ごろに予定しています。


 


 



山遊塾荒川俱楽部第228回目「鴨川を歩く」後半です。

2022年12月04日 | ウォーキング
 さいたま市の西、荒川に沿うように南下する鴨川後半を一年ぶりに歩きました。新型コロナは未だ衰えることなく、逆に勢いを増してきている現在ですが、何とも世間はもういい加減うんざり状態で、町に出れば昔と同じ人、人で溢れています。しかし私たち後期高齢者の集まりでは、やはりコロナは脅威で、人との接触を極力避ける人がいますから、このようなイベントに参加する人の数はなかなか増えてきません。今回も参加者の数は8名とちょっと寂しいものになりました。
 12月3日はこの冬一番の冷え込みになって,みんな背を丸めて埼京線日進駅に集まりました。スタートは午前9時10分。駅北口を出て前回ゴール地点の番場公園まで行き、そこから鴨川左岸を南下しましたが、埼京線鉄橋を迂回するするのに少々時間を無駄にしてしまいました。写真は何とか川べりに出て新開橋を過ぎたところです。


 鴨川は新大宮バイパスの東を並行して流れていますが、陸上自衛隊大宮駐屯地の下流、新平和橋で右岸に移り三橋総合公園に入りました。何と言っても冬場はトイレが近くなります。公園のトイレを逃がすわけにはいきません。


 と、そんな訳で全員用を済ますと軽い足取りで公園内を、南入り口を目指して歩きます。メタセコイヤも粗方葉を落としていました。公園を出た所が旧国道16号で、ここで加茂川橋を渡って再び左岸に戻ります。


 左岸を少し歩いて今度は内野橋を右岸に渡り、更に新大宮バイパスに架かる歩道橋を渡ってバイパスの西側に。私たちが歩道橋を渡っているとき、手前で立小便をしていた老人(私たちも老人ですが)が、堂々とバイパスを横切って行きました。片側3車線の広い車専用の、しかも交通量の多い所なのに凄い度胸だと、感心するやらあきれるやら。




バイパスに沿って鴨川大橋を渡り、大宮スイミングスクールの前を通り、大宮~所沢を結ぶ県道56号に出て、栄橋の大宮駅側のほとんど見過ごしてしまうような細い道に入ると、「鴨川水辺の里」入り口の立派なゲートに着きました。ゲートを潜って人工の流れに沿った遊歩道を行くと、可愛い花壇もある東屋に着いてそこで昼飯タイムにしました。


 公園の広場は落ち葉に埋まり、晩秋の姿そのままです。風も冷たく雲も低く陽も差さないような状態では、公園で遊ぶ人も無くてひっそりしていました。落ち葉の中に誰も採らないカリンの実が沢山転がっていました。


 昼食後、再び鴨川縁に戻り新川(元入間川)の合流点を確認してきました。鴨川は元々入間川に流れ込んでいた支流のひとつだったのですが、江戸時代の河川改修などで荒川の流れを一本化して、そこに流れ込む支流を整理した際に現在の形になったということです。鴨川下流一帯は昔見渡す限りの大湿原で、その中を旧荒川が乱流していたそうです。




 新川合流点のすぐ下流に関沼溜井跡があります。ここで軽い休憩にしましたが、ここは堤を築き鴨川の水を溜めて関沼貯井とし、周囲八ケ村の用水としたそうです。現在も残る堤には桜の老木が並木を作っています。春の桜が見事です。


 今も残る関沼(備前堀)です。今は野鳥の保護のために立ち入り禁止が禁止されています。野鳥観察用の窓から見た関沼風景です。


 野鳥観察場所のクロガネモチの並木が素敵です。白いスベスベの幹が奇麗で思わず撫でてみたくなります。


 鴨川縁を歩いているとき良く皇帝ダリアを見かけました。今年はどこもこの花が良く咲いていました。


 関沼を過ぎてからは鴨川左岸の土手道をせっせと歩き、国道463号(浦和所沢バイパス・地元では埼大通りと呼んでいる)までは時折陽も差し、陽気も良くなって皆上着も脱いでピクニック気分で歩きました。ここの浅間橋を過ぎて次の諏訪橋で県道57号に移りましたが、この約550mほどは元入間川の大囲堤であって、今は大型の車が引っ切りなしに走っています。57号から離れ桜区役所に立ち寄ってトイレ休憩。なかなか立派な建物で一見役所とは思えないほどです。


 桜区役所を出ると間もなく鴨川堤桜通公園で、快適な土手道を歩いて行きますが、ここも江戸時代に築かれた元入間川の大囲堤です。鴨川は荒川に沿って直線的にさくら草公園に向かって流れています。大囲堤の中にNHK放送所の紅白に塗り分けられた電波塔が聳えています。私たちはその下を通って、さらに桜区クリーンセンター前のさくら橋に着いて、今回のウォークを終了しました。

青梅街道を中奥多摩バス停から小菅村まで歩き、そこから上野原丹波山線を通って丹波山に出ました。

2022年11月20日 | ウォーキング
 19日、20日の2日を利用して、青梅街道大菩薩峠越えをする予定でいましたが、生憎20日の日曜日は天候は悪くなるという予報が出ていて、それでは大菩薩峠越えは厳しいなと考え、小菅村までで止めにしました。JR青梅線も丹波山へのバスも満員でしたが、それも奥多摩湖までで、その後はガラガラになったバスで中奥多摩まで行き、そこからスタートしました。時間は既に9時半に近くなっていましたが、快晴の空の下気分よく歩きだしました。


スタートして10分もしないで奥多摩湖に架かる深山橋に着きました。なかなか立派な橋で渡る途中の眺めも最高。


 渡り終えた所が小菅川の河口で、奥多摩湖周回道路の起点になる三頭橋が架かっています。




 小菅川に沿った道を一人テクテク歩くのですが、周囲の紅葉がまだ頑張ってくれているので、それを愛でながらのんびり歩きました。


 途中で道路山側の擁壁を補修作業中の人たちがいました。ロープにぶら下がってのスリリングな作業を暫く見学しました。




 金風呂という珍しい名前の集落に「すずめのお宿」なる旅館がありますが、長引くコロナ問題で現在休業中の看板が出ていました。道路に面して建つ民宿や土産物屋も殆ど戸を閉めています。


 山の斜面に刈り取った茅の束を、こけし様に面白く作って立ててあります。


 小菅村の村営釣り場ですが、釣り人が竿を伸ばしていました。川底を重機で掘り下げて作った釣り堀です。


 丁度お昼に小菅村役場に着きました。庁舎玄関前のベンチに座って昼の弁当にしました。土曜日とて庁舎は休みで誰もいません。庁舎前に村唯一の信号があります。深山橋からここまで信号は無く、更に今川峠を越えて丹波山まで行く間にも信号はありませんでした。



 大菩薩峠への旧青梅街道に分れて県道18号(上野原丹波山線)に入ると、小菅城址の説明看板がありました。こんな所にもお城があったのか。知らなかったとは言えビックリです。


県道18号の小菅側はこんな道です。道の両側は杉の木がビッシリと立ち並んでいて暗い道です。


 今川峠ですが切通になっています。峠の手前、今川から右に行けば大丹波峠経由で丹波山に下る道がありますが、私は県道をそのまま丹波山まで下りました。


 下って行く途中、正面に熊倉山(だと思う)が見えます。この道はツーリングのバイクが多く、その方面のマニアには良く知られたコースのようです。日光のいろは坂のようにヘアピンカーブが多く、ライダーには格好のトレーニングコースと言えます。


 ずっと下の方に丹波山村が見えます。白い建物は小学校でしょう。


 丹波山村に着きました。村役場の前を通って青梅街道に出るとバス停がありました。到着は午後2時28分。ただし奥多摩行のバスは午後3時51分まで来ません。その間に丹波山温泉のめこいの湯でひと風呂浴びてきました。


 







山遊荒川倶楽部第227回目のウォーキングは目黒不動尊から目黒川に沿って豪徳寺までを歩きました

2022年11月07日 | ウォーキング
 目黒駅中央改札を出て、ご存じあの急坂は行人坂を下ると、でっかい扇のような雅叙園が目黒川の川辺にデンと立っています。その太鼓橋を渡って江戸の昔より老若男女が参詣した目黒不動尊に立ち寄ってみました。日本三大不動尊のひとつとされているだけに、そこいらの不動様とはわけが違うな、ということを確認してきました。ここは天台宗龍泉寺というれっきとしたお寺なのに、なぜか立派な鳥居があって、その両側にはコマイヌ様が睨みをきかせています。


 目黒不動尊の大きな山門


 本堂前の階段下に、薩摩芋収穫祭と大書された幕が張られています。


 長い階段を登ると立派な本堂です。


 本堂裏には銅造大日如来坐像がありました。しかし龍泉寺の御本尊は不動明王です。


 目黒不動尊から再び目黒川太鼓橋まで引き返して、いよいよウォーキングのスタートです。


 目黒川沿いには両岸に桜並木の遊歩道があって、なかなか贅沢な遊歩道です。中目黒橋まで来ると目黒清掃工場の高い煙突が嫌に目につきます。しかし川沿いの桜の紅葉は今が盛り。目の保養になります。


 橋の全てに橋名がしっかり刻まれています。お陰で自分たちが地図上のどこにいるのかが良く分かります。


 目黒川には餌の小魚を求めて色々な鳥たちが来ています。私が目にして名前を知っているものだけでも五種類の鳥たちが集まっていました。


 目黒川は烏山川と北沢川の合流点までたった8キロしかなく、その手前600メートルは暗渠になっています。私たちは河口から歩いていませんから、実際歩いた距離はずっと短くなります。両川の合流地には立派な標石が立っています。暗渠になった部分は人工の小川が流れ、その両岸には各種の花が植えられていて、なかなかいい雰囲気の遊歩道になっています。


 これは遊歩道の途中で見た季節外れの桜の花です。






 目黒川から北沢暗渠の遊歩道を楽しんで、お昼少し過ぎに羽根木公園に着いて昼の弁当タイムをとりました。黄色に化粧した銀杏が奇麗で、近所の家族連れがのんびりくつろいでいました。結局この日は小田急の豪徳寺駅まで歩いて終わりとしました。本当はもっと先の京王線桜上水駅まで行くつもりでした。




10月1日に荒川倶楽部の7人で成田街道を歩きました。

2022年10月05日 | ウォーキング
 今回は既に今年初めに歩いたコースを又歩いて来ました。予想以上に気温も上がって汗をかきかき勝田台駅まで歩きました。
コロナ騒動が始まってから定例ウォークも度々中止になって、実行できた月も参加者が減りすっかり精彩を欠いてしまいました。会員の年齢も上がり、体調不良を訴える人も増えてきたこともありますが。
 船橋の海老川橋で記念の一枚を撮っておきました。


 海老川橋を渡って間を置かずに大神宮が現れますが、今回は人出も少なく静かでした。七五三のお参りで来ている親子がいました。


 千葉街道から成田街道への分岐にある大きな石の道標です。ここからは道幅が狭くなり、特に歩道部分が大変狭く、右左の車線関係なく行きかう自転車が多く、歩いていても気が休まりません。陸上自衛隊習志野演習場前を通り、八千代市役所前を過ぎ、国道16号交差点を過ぎると間もなく勝田台駅で、午後3時丁度に着きました。
 常に渋滞している成田街道なので、排気ガスをたっぷり吸いながらの、あまり健康に良くないウォーキングでした。

山遊荒川倶楽部定例ウォーク玉川上水第2回目です。

2022年09月04日 | ウォーキング
 台風11号の影響か、このところスッキリしないお天気模様なので、今回ももしかして雨になるのでは?、と心配しましたが、幸い天気は回復して気持ちの良い散策ができました。3年目になるコロナ騒ぎで、倶楽部の活動も低調路線を辿り、その間に会員の士気の低下と高齢化が進み、今回も参加者8名という寂しさでした。今度の企画はEさん夫妻が、下見から案内まで担当してくれて、何のトラブルもなく楽しく終わることができました。今回はJR拝島駅をスタートして、西武国分寺線鷹の台駅まで約4時間の軽いウォーキングでした。でも玉川上水に沿って続く並木道(むしろ森)がとても良くて、また歩いてみたい気にさせられました。写真はふたみ橋を過ぎた辺りを歩くメンバーです。


 拝島上水橋から覗いた上水の流れです。両岸は深い緑に覆われています。


 西武立川駅近く、右に昭和の森ゴルフコース脇で上水は地下に潜り見えなくなってしまいました。戦時中に滑走路延長のために蓋をしてしまったのだと聞きました。戦争遂行のため、お国のためといえば何でもできたのですね。


 このコースの良い所は用水沿いに林立するスダジイなどの巨木の素晴らしさです。東京の大都会の中を水と森が一本の帯となって続いている。神宮の森などと同じく人工的に造られた森とはいえ、もうここは自然そのものです。未来永劫いつまでも残して欲しい所です。


 地下に潜っていた玉川上水が再び顔を出した所です。


 立川分水で砂川用水が分岐します。左が多摩川上水、右が砂川用水で我々はその間を進みます。


 用水の流れの中に緋鯉が泳いでいました。


 玉川上水と残堀川が交差しています。所謂サイホン方式で交差させています。


 上水右岸一帯は広い農地になっていて、私たちが普段目にする畑の大きさとは規模が違います。東京の台所です。


 歩く道すがら枯れた木の幹に隙間なく生えたキノコを見ました。




 午前11時半に玉川上水駅に着きました。多摩都市モノレールが上空を走っています。私たちはこの駅の傍の小さな公園で昼食にしました。
ところが木陰に入るとやっぱり蚊がいまして、だいぶやられました。




 玉川上水駅を出ると間もなく小平監視所を過ぎた所に上水小橋がありまして、そこから上水水面まで下る階段がありました。玉川上水で水面まで行けるのはここだけだそうです。上水の水に触れるように水面まで降りていける木造階段があります。


 ここはこもれびの足湯。ゆっくり休んでいきたいなと思いましたが、仲間もいるとそうもいきません。


 気持ちの良い道はなおも続き、朝鮮大学校の建物が左に木立の間から見え隠れしていました。


 鷹の台駅が近くなると、小平西高校や創価学園の学生に混じって行きかう人々が多くなり賑やかになって来ました。


 西武国分寺線鷹の台駅までの狭い通りの左には、ちょっとレトロな店が並んでいて楽しい気分にさせられます。駅に着いたのは午後1時半。今回は楽なウォーキングでした。

雨の8月最後の日曜日に、青梅街道第4回目を歩いてきました。区間は青梅駅から中奥多摩湖(川野)

2022年08月29日 | ウォーキング
 天気予報では奥多摩湖周辺は降雨1パーセントから0パーセントとなっていましたが、大した降りではありませんが、歩いている間ほとんど雨でした。それでも今までの猛暑から見ればずっとマシな天気でした。スタートは奥多摩駅に電車が15分以上も遅れて到着したため、午前7時半になってしまいました。駅前のバス停もヒッソリしていました。




 スタートしてすぐの氷川大橋手前に奥氷川神社があり、そこには立派な三本杉があります。お杉さまに手を合わせて安全に歩けるようお願いしておきました。なにしろ休日の青梅街道は車とオートバイの数が凄くて、狭い国道が本当に酷道になってしまいます。


 多摩川に架かる氷川大橋を渡ると間もなくむかし道の入り口です。




 入り口はわかりやすく、丁寧に大きなコース案内板が立っていました。


 入ってすぐ左折しますがすぐに羽黒三田神社の長い階段がありますが登るのは大変そうなので止めにしました。




 ここから暫く羽黒坂のきつい登りが続きました。登る途中左下を見ると現在の青梅街道が見えました。




 知らないとビックリするのがむかし道と並行する鉄道跡です。これは奥多摩湖小河内ダム建設のために造られた鉄道で、今もそのまま残されています。廃路線マニアには知られているようです。結構歩かれているようですから。




 途中にはこのような地蔵尊などが多くあります。




 歩き始めて30分の所に立派なむかし道槐木観光トイレがありました。水洗様式の奇麗なトイレでした。


槐木には茶店もあった所で往来の人たちで賑わったそうです。今も石仏が大事に置かれています。
 

 小留浦を通る時前方を見上げると、旧水根貨物線の橋梁が見えました。この鉄道は今でも使えそうな立派なものです。


 奥多摩も秩父の大滝村なども同様、山地の急斜面に住宅が建てられていますが、この道が唯一の道であったころは危険を承知でこのような所に住むしかなかったのでしょうが、私のようなさいたまの平坦地に住む者には恐ろしくてとても住む気になれない所です。




 白髭神社に上がる急な階段を登ると、白髭の大岩の下にその神社がありました。雨も降っていることだし、大岩の下にいると濡れることもないので、しばらく雨宿りを決め込みました。


白髭神社の狛犬です。なかなかとぼけたいい味の狛犬です。
 

 弁慶の腕抜き岩です。弁慶がこぶしで射抜いた岩だそうです。ほんまかいな。




 耳神様です。説明版があります。このような辺鄙な所に住んでいた人たちの苦労が偲ばれます。

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 白髭トンネルの出口で一旦新旧街道が出合いますが、トンネルのすぐ上に旧水根貨物線の高架橋が見えます。


 樹齢200年と言われるいろは楓の木です。昔この前を通る人たちに大変人気があったと言います。今もこのむかし道沿いには楓の木が多く、秋の紅葉時期になると素晴らしい紅葉が見られると思います。


 気持ちの良い道を歩いていると右に惣岳不動尊が見えましたが、階段を上がるのが億劫で素通りしました。




 深く切れ込んだ多摩川に架かる、見た目にも些か危なそうな吊橋はしだくら橋です。同時に渡るのは2名までと注意書きがありました。橋の中央から下を覗くと惣岳渓谷の男性的な流れが見えます。




 馬の水飲み場と昔の茶店です。今は廃家となっていますが、移動が人や馬に頼るしかなかった時代の名残です。




 道の崖下に埋まるように小さな馬頭観音がありました。昔馬や牛は農耕や荷物運搬に欠くことの出来ない大事なものでした。峠道や古い街道脇に今も残っている馬頭観音は、その時代の人々の馬に対する優しい心情を表したものでしょう。




 虫歯地蔵尊なる御地蔵さんがありました。小さな小さな地蔵さんですが、歯医者さんなど無かった時代、しかも山奥の小さな集落ではただ痛みに耐え、神にすがることしかなかったでしょうから。


 消防訓練所の東屋で軽く休んだ後、歩き始めたら草に埋もれるようにして玉堂歌碑がありました。「山の上のはなれ小むらの名を聞かむやがてわが世をここへぬべく」


 しだくら橋と同じような吊り橋の道所橋です。ここも一度に渡れる人数は二人までとありました。この先で猿の集団に遭遇しました。数が多かったので結構ビビッてしまいました。


 むかし道は「西久保の切り返し」で今までの平坦な道から急坂の登りに変わりました。急な山道を息を切らせて登り切ると青目立不動尊で、今は境内を通り抜けられないので、六ツ石山登山道分岐まで行き、中山集落の中を抜けて行くことになります。


 中山集落から見る奥多摩湖です。生憎の雨で遠くの方が良く見えません。


 むかし道の奥多摩湖側の入り口です。ここから水根バス停までは5分ほどでした。




 奥多摩湖小河内ダムに午前11時40分に着きました。ここに着くまでむかし道を歩いている間誰にも会いませんでした。しかしダムに着くと雨にも関わらず観光客はそれなりに来ていました。ここで昼飯を済ませてから深山橋を目指しました。


 途中振り返るとダムの堰堤が雨に霞んでいました。




 奥多摩湖名物のドラム缶橋が見えます。数人が橋を歩いているのが見えました。ここを渡っても目指す小菅~大菩薩峠には行けますが、予定のコースは深山橋経由大菩薩なのでここはパス。




 午後2時までで今回の行動を打ち切ることにしていましたので、心残りではありましたが、深山橋の少し手前の中奥多摩湖バス停で今回は終了にしました。着いた時間は午後1時53分で、午後2時7分の奥多摩駅行バスに乗って帰りました。
 今回のむかし道は楽しくて良い歩きが出来ました。他の人に出会わないというのも良かったです。雨の一日でしたが今年の猛暑を考えると、雨であってくれて助かりました。いろは楓の紅葉がきれいな秋に歩きたいものです。






























8月14日の台風明けに青梅街道3回目で青梅駅~奥多摩駅間を歩いて来ました。

2022年08月17日 | ウォーキング
 青梅駅を午前5時半にスタート。まだ完全に雨が上がった様子はなく、時折パーツと強い雨が降りかかる中を傘を差して歩きました。それでも炎天下を歩くことを考えると楽なものです。上の写真は青梅駅南口です。青梅街道はここからが面白くなるのです。2回目までは車の多い車道歩きであまり面白味のない区間でしたから。




 スタートして暫く行くと道はかぎ型に曲がり、その左手に熊野神社が現れました。ここは昔森下陣屋があった所です。


街道右手に七兵衛公園なるものが現れました。その入り口に年代不明の石塔が立っています。字も読めません。勉強不足で申し訳ありません


みやのひら駅を過ぎて多摩川が大きくV字に曲がる所に出て来たのが古刹明白院です。


 ひなたわだ駅で左に分かれ対岸を走る吉野街道へ行く神代橋があり、その分岐にあるのが青梅街道を通る人なら誰でも知っているへそまんじゅう総本舗です。






 石神社を見て旧道に入ると右の崖下に馬の水飲み場がありました。そしてその中にはメダカが沢山泳いでいました。誰かが飼っているのかも。




 石神前から二俣尾に至る旧道は(アオイ)通りとなっていました。私にはこの字が読めません。


 この道はふたまたお駅の先で終わっていました。ただし人が通れるだけの陸橋があり、それを利用して現在の青梅街道に出ることができました。写真はふたまたお駅です。






 軍畑駅手前に着きました。大きな立派な橋が多摩川を跨いでいます。軍畑大橋です。鎌倉街道の渡し場が橋の下にあったと言います。


 鎌倉街道と青梅街道が交差する手前に平溝川に架かる大正橋がありますが、車で通る際ほとんど気が付きません。橋の袂に橋の歴史とモルタルで歴代の橋が描かれています。大正橋は現在の青梅街道として使用されていますが、橋の欄干が時代を表しています。


 交差点からすぐのバス停の先に昔の石橋が連続して残っています。川井橋と読めます。ここには昔小さな川が2本あったようです。昭和初期に造られたもののようで、当時の青梅街道はこんなに狭い道だったのですね。この先で旧道は右の山側に分かれています。




 御岳駅のすぐ上、北側に慈恩院があって高水三山への登山口になっています。今しもトレラン姿の若者が三人登って行きました。


 通行止めの柵がなされた細い道は今は廃校になった古里中学校への道です。


 更に行くと右の崖の窪みに小さな六地蔵がありました。四つしか見えませんが後ろに二つあります。


 山に向かって登る狭い急な階段の先には川井八幡神社があるのです。


 古里駅に着きました。ここから現奥多摩街道も道幅が狭くなっきて、お盆の休日を使ったマイカーやバイクにヒヤヒヤしながら歩くのです。兎に角青梅街道は車の多いところです。そこで旧道に入るとホッとします。


 鳩の巣への途中にこんな立派な石塔群がありました。霊山信仰が盛んだったころの物でしょう。三つの霊山名が彫り込まれています。


 鳩の巣トンネルの脇を通って白丸ダムに立ち寄りました。立派な魚道を持つ観光ダムなので、見学の人たちが下の方に結構あるいていました。


 そして今回のコースのハイライトである数馬の切通しへ向かいました。狭い階段や桟道はあまり人が通らないらしく、草も茂り苔も生えて足元が悪く、せっかく探勝路として整備された道がもったいないと思いました。途中には小さな馬頭観音が崖にめり込むように置かれていました。


 途中の石垣にしっかりした案内板がありました。










 数馬の切通しは鳩の巣と氷川(現在の奥多摩駅)との間にあって、昔はこの間の通行には大きく山を越えて行く必要があっっため、ここの岩を人力で砕いて大変な苦労の末、道を造ったといいます。現在切通しを通り抜けてもその先は行き止まりになっています。






 その後は氷川トンネルを避けて旧道を奥多摩温泉もえぎの湯に向かって歩きました。もえぎの湯手前に日向の馬頭観音がありました。この観音様は文仁11年の年号が刻まれており、現在の位置よりずっと上にあったそうです。変わっているのは観音様の頭の上に馬の顔が乗っています。ここからは奥多摩駅までは10分ほどでした。もえぎの湯には沢山の車が停まっていました。駅到着は12時57分でした。やっぱり10時過ぎからはいつものように暑かったです。






















青梅街道ウォーク第2回目です。武蔵野線新小平駅から青梅線青梅駅間を歩いて来ました。

2022年07月18日 | ウォーキング
 7月17日日曜日は梅雨の戻りか、このところスッキリしない天気が続き、当日も家を出る時は霧雨が降っており、気乗りがしないもののスタート地点の武蔵野線新小平駅に向かいました。
 今回は青梅駅までと決めていたので、たとえ雨が降っても中止にする気はありませんでした。カンカン照りの中を歩くより、むしろ雨に濡れて歩く方が気持ちいいのではと思ったもので。それに青梅の町には古い時代の映画看板が町のあちこちにあり、それを眺めて歩くのも楽しいですから。


 午前8時丁度に新小平駅南口を出発。雨は降っておらずむしろ天気は良くなる方へ向かっている。駅前がすぐ青梅街道で、街道に出て西に方向を定めて歩行開始。朝から東京へ向かう車が多い。それより猛スピードで狭い歩道を駆け抜ける自転車が怖い。


 歩道脇を流れる水は野火止用水から分岐して送られて来るものらしく、今もこれを管理、手入れをしている人たちがいることに思いが行く。


 小平市では緑を大事にしているようで、街道沿いの大きな木には市の重要保存樹木としてその旨の札が取り付けられています。


小平小川町に小平神明宮がありましたので、少しの時間寄ってみました。この神社は明暦2年(1656年)村の名主、小川九郎兵衛が当地の開拓を志し、荒れ地の開墾を行い、寛文元年(1661年)西多摩郡殿ケ谷村神明ケ谷から分祠遷座されたものと説明されています。約360年昔のことになります。


 1時間歩いたところで青梅橋交差点に着きました。頭上に西武拝島線東大和市駅があります。ここには橋は無くて野火止用水が暗渠となって足下を流れています。ここから南へ750m行けば玉川上水です。また西武拝島線を西に一駅行けば玉川上水駅です。更に北へ3kmも行けば東京都民の水瓶である村山貯水池です。何だかこの辺り東京都民の命を預かってきた心臓部のような所なんですね。



 さてここからが問題。四方八方からここへ道が集中しています。ガードを潜りそのまま道なりに行けば新青梅街道に出てしまいます。ここは地元の人に教わって西に行く桜街道を行くことにしました。これが旧青梅街道だということです。


桜街道行くこと暫し。左手に先の青梅橋分岐で教わった東京都中小企業大学校がありました。


 芋窪街道交差点上に多摩都市モノレールの桜街道駅が現れました。


 更に進むと緑ヶ丘団地群、更に進み東京経済大学を横目に進み、所沢武蔵村山立川線との榎交差点を通過。ここから元日産村山工場跡地に入ります。行く手に武蔵村山病院、巨大なイオンモールの建物が見えます。


 日産村山工場跡地にはまだまだ広い空き地が広がっています。


 イオンモールを挟み元工場のテストコースが一般道路として利用されています。


 イオンモールを出た所が残堀川でした。


 残堀川に沿うように住宅街を抜けて行く細い道を進みます。


 この辺り茶畑が多くなりその間に新興住宅地が侵入してきているという状況です。


 三ツ藤二丁目、三丁目と過ぎて青岸橋東で新青梅街道に合流しました。


 ここから又残堀川沿いに両岸の住宅を結ぶ表橋、仲町橋といくつもの橋を過ぎて行きます。


 瑞穂第一小学校で青梅街道に合流しました。横田基地が近いので米軍機が低空で目の前を横切って行きます。


 すぐに箱根ヶ崎時計台に出会いここで道は二分して、旧青梅街道は左に分かれます。


 道は八高線の踏切を渡りますが、すぐ左手に箱根ヶ崎駅が見えました。


 12時半に国道16号との交差点に着き、交差点を越えた所にある食堂に入り昼食を済ませました。昼飯時であったせいか大変混んでいました。圏央道が完成するまでは北アルプス、南アルプス、八ヶ岳などへ行くたびに通った16号国道ですから、この交差点も良く通った所です。


まったく予想もしなかった真昼の太陽の照り付ける中を営々と歩き続け、青梅新町交差点を過ぎた右手に茅葺の大きな家が現れました。旧吉野家住宅とありました。立ち寄ってみたかったのですが、もう暑さに参ってその気力が無くなっていました。


 青山三丁目交差点で左折。青梅線のガード下を潜り奥多摩街道に合流して東青梅駅に向かいました。東青梅駅の北側は車で良く通っていましたが、市役所のある南側は一度も通ったことが無いので回ってみました。


 まず目につくのは左に大きな郵便局で、その向かいにあるのが立派な青梅市役所の建物です。人口100万の我が大宮市役所より立派で大きいじゃありませんか。


 そしてすぐに現れるのが東青梅駅です。こちらはずっと素朴な建物でした。


 青梅街道に戻り青梅線の線路を挟んで少し高みにある乗願寺に寄って見ました。踏切があって自転車と人以外は通行止めの看板が立っています。


 秋川街道が左から合流してきます。その先にレトロな雑貨屋さんがありまして、覗いて見るとなかなか面白いものを売っています。はっぴだの草鞋だのありました。


 青梅の町中には昭和時代の懐かしい映画のポスターがあちこちに見られ、オールドファンにはうれしい町です。今町では猫をモデルに往年の名映画をマンガ風にもじったポスターを、町中のあちこちに展示しています。これがなかなか良くできていて、思わずにんやりしてしまいます。











 私が気に入ったポスターだけですが、ここに並べてみました。関心のある方はどうぞ青梅駅まで行ってそれら作品を楽しんで下さい。




通りに面した広場では屋台も出て、町内の人たちが賑やかに飲食を楽しんでいました。


 そして今回の青梅街道歩きのゴールである青梅駅に午後3時30分に到着しました。距離的には20km足らずでしたが、途中足を止めることが多く、なかなか前に進まず予想以上に時間がかかりました。しかし楽しくて良い一日でした。それにしても蒸し暑い一日でした。




 おまけの画像です。青梅駅地下道にはこんなレトロな昭和映画全盛時代の復刻版ポスターが描かれています。
 
 








今月から青梅街道歩きを始めました。

2022年06月19日 | ウォーキング
 6月18日土曜日は一日中曇り。蒸し暑い日でした。東京メトロ丸の内線四谷三丁目で地上に出て、西に向かい四谷四丁目大木戸跡からスタートしました。交差点角に大木戸跡碑がありました。




 交差点を渡ると左に玉川上水水番所碑が立っています。江戸時代にはここに水番所があって、水番が一人いて上水を各所に流したり、水を綺麗にする作業をやっていたということです


 並行する甲州街道は左に地下を走っているので、新宿御苑は左方50メートルほどの所に見えています。


 新宿二丁目まで来ると新宿中心街も真近です。


 新宿駅北側の狭い地下道が旧青梅街道ということになっています。人と自転車しか通れません。ホームレスの人が4~5人まだ寝ていました。夜一人で通るにはあまり気持ちの良い所ではありません。


地下道を出た所が飲兵衛の天国は思い出横丁です。


 思い出横丁を横目に旧青梅街道を進みます。




 新都心歩道橋から空を仰ぐと巨大な高層ビルのオンパレード。私のような田舎者にはまるで別世界で、宇宙人でも現れるんじゃないかとまったく落ち着きません。




 高層ビルの谷間に鬼子母神を奉る小さな神社が現れました。朝からお参りに来る人がいます。青梅街道沿いは神社が多いことに気が付きました。


ビルの奥まった路地の先に肩身の狭そうに成子天神社がうずくまっていました。




 神田川に架かる淀橋には謂れがあって、その説明が脇の看板にあります。なんぞその昔大金持ちがこの橋の下に大金を埋めたそうで、その作業を行った人、皆を殺して埋めてしまったという恐ろしい所です。


 些か歩き疲れて杉並区役所前のベンチに座り込みました。まだまだ先は長いのですが、近ごろ体力が落ちて来て長時間の歩きがきつくなってきました。ベンチ前にはダンスに興じる二人の男女の銅像がありました。


 JR中央線を跨ぐ天沼橋を渡ります。






 10時50分やっと井草八幡に着きました。結構知られた神社でもあるし、素通りするにはもったいないので立ち寄ってみました。なかなか立派な神社でした。ここの駐車場で暫く腰を下ろして足を休ませてあげました。


 善福寺池へ行く分岐に江戸向地蔵がありました。青梅街道はこうしてみると見るべきものが結構あります。


 東伏見四丁目交差点の五日市街道分岐に架かる歩道橋を渡ります。




 四丁目交差点から少し歩くと右に伏見稲荷が現れましたので、ここでも寄り道をして大金が転がり込んで来るようにお願いしておきました。なかなか立派で大きな神社です。




 田無町一丁目交差点を左折すると、大きくて立派な総持寺が現れました。ここも本当は寄りたかった場所でしたが、帰宅時間を考えると遅くなりそうなので割愛しました。




 西武新宿線の踏切を過ぎた所に「小平ふるさと村」がありましたので、休憩がてらに立ち寄ってみました。メインは小山家住宅や旧小平小川家郵便局建物などでしょう。このふるさと村内での飲食は不可とありましたので、短時間の休憩のみで外に出ました。


 小平市には今も古い懐かしい郵便ポストが市内に沢山残っているそうで、現に私が歩いている道脇にもそのポストが立っていました。


 午後3時10分今回の目的地である武蔵野線新小平駅に着きました。一日中どんよりとした曇り空の下、蒸し暑さに大汗をかきながら歩きましたが、それでもカンカン照りの中を歩くよりは良かったと、空いている電車に乗ってわが家に戻りました。次回は7月半ばに新小平から先を歩く予定です。















山遊荒川倶楽部の第223回目のウォーキングは八王子に残る絹の道を歩くでした。

2022年06月09日 | ウォーキング
 集合は京王線京王片倉駅で、そこを午前10時にスタートして片倉城址公園に向かいました。


 湯殿川を渡ってすぐの所が片倉城址公園で、まず菖蒲園の中を歩いて行きます。


 城址公園を過ぎてJR片倉駅を通り抜けて日本文化大へ向かいます。このころになると気温が上がり、坂道の多い道に息も上がってしまい、文化大正門の大きな木陰で早速大休止の情けない状況と相成ってしまいました。


 片倉台の住宅街は坂道が多く、ここでも片倉高校近くの木陰でまたまた大休止。兎に角登りの多いコースです。そしてとどめが八王子バイパスからの長い階段。これは我々年寄りにはこたえます。


 登りついた所が大塚山公園の一端で、振り返ると京王片倉駅側が良く見渡せます。


 舗装道路から解放されて歩く土の道は快適で、間もなく絹の道は道了堂跡に着きました。八王子絹の道というのはここから約1キロほどの短い区間です。


 その少しだけ残った絹の道を下って行きます。鍋の底を歩くようで足元はゴロゴロした丸石のため少々歩きずらい。




 舗装道路に出た所に絹の道入り口の案内があり三つの石塔が立っています。この間に道了堂へ向かう数人の人たちとすれ違いました。


絹の道入り口から少し下った所に絹の道資料館がありまして、丁度お昼の時間でもあり立ち寄ってみました。


 資料館入り口です。ここは鑓水商人,八木下要右衛門の屋敷跡でそこに絹の資料館が建てられています。






 中はこのように絹関係の物が展示されています。


 絹の道を下り切ったところが御殿橋で八王子道道標が立っています。御殿橋は渡らずに川に沿って左に行くと嫁入橋で、そこを渡って鑓水公園に向かいました。


 右に当時の養蚕農家であった小泉家の茅葺の大きな屋敷が現れました。中には入って見ることはできませんでした。




 坂道を営々と登り鑓水小山給水所が見えるところから、小山内裏公園入口の階段前に着きました。兎に角登ることばかりで些か疲れます。




 小山内裏公園には立派な広い戦車道が走っています。第二次世界大戦が終るまで戦車のテスト走行に使用された道だそうです。後は京王線多摩境駅まで降りて帰って来ました。歩行距離はたった8キロでしたが、登り坂が多くてくたびれました。