山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

秩父往還ウォーク第1回目。熊谷から寄居まで。

2022年02月27日 | ウォーキング
 秩父往還はまだ一度も通しで歩いたことは無く、今回改めて熊谷から山梨県の青梅街道との合流点まで歩いてみることにしました。
まず高崎線熊谷駅東口に降りて、駅前にある熊谷直実の銅像を見て中山道に出て北へ向かいます。


 広い通りの国道17号の右奥に熊谷宿の氏神様である高城神社が見えてきました。何でも平安時代の創建と言われ、又熊谷直実の氏神様でもあります。
素通りするのも申し訳ないので立ち寄ってお参りしておきました。


 なお17号を北へ向かうと熊谷唯一のデパート八木橋です。正面アーチの入り口を旧中山道とデパートが共有しています。デパートを突き抜けた先が北口玄関です。


 デパート南口前が有名な熊谷直実の菩提寺である熊谷寺(ゆうこくじ)への参道です。一応山門前まで行きましたが、檀家でない一般人は自由に立ち入ることは出来ませんので、見学を希望する人は受付で申し込んでください。ということで私は門前から引き返してきました。


 こちらが八木橋デパートの北口玄関です。ちゃんと旧中山道と表示されています。


 旧中山道は写真のように約500mほどが残っていますが、すぐに17号国道と一緒になってしまいます。


 旧中山道や秩父往還を歩いた人であれば、良くご存じと思われる秩父道道標が「寶登山道」「ちゝぶ道」「しまぶへ十一り」の3基が置かれています。目印になる分岐の歩道橋は現在補修中で防護シートで覆われています。


 上越新幹線下を抜けると左に赤城神社があって、そこには富士塚がありました。江戸時代には富士講が盛んであちこちに富士塚が造られたといいます。こちら埼玉でも良く見かけますが、この往還沿いにもこうして残っているのですね。



 秩父往還は他の街道同様車時代になると、改修が繰り返され幅も広くなり、直線化されて道路わきにあった馬頭様や地蔵尊が廃棄されたり、移動してしまったりと、悲しい運命になってしまったものが沢山あります。それでも僅かに残った旧道脇に今も細々と立っているのを見つけると嬉しくなってしまいます。


これも珍しい煙り出しの付いた大きな家がありました。秩父は絹織物の名産地。北関東の農家では蚕を飼っていた農家が多く、その名残の家がまだ残っています。


 上越新幹線の高架下に秩父の両神山が左の方に見えています。寄居が近くなるまでこの山は進行方向に特徴のある姿を見せていました。


 大麻生周辺は視界が大きく開けていて、雪化粧をした浅間山を望むことができました。


 田んぼの脇にこんな蕎麦屋の看板がありました。


 丁度お昼になったところで秩父鉄道の明戸駅に着いて、外はとても寒いことから駅舎の中に入れてもらい昼食にしました。ついでにトイレも借りることが出来て大助かりでした。たった一人の駅員さんは何くれと親切で楽しい30分の休憩でした。


 待合室の壁にこんなお知らせがありました。秩父鉄道も3月12日からPASMOが使えるようになるのです。


 武川を過ぎて永田まで行くと荒川六堰が左に見えますのでちょっと寄り道。今は重忠橋が出来て対岸まで車で渡ることが出来ます。昔水争いが絶えず、そのために六つの堰が造られて、関東平野の田んぼに広く水が行きわたるようになったとか。この重忠橋を渡った先に肩に愛馬を背負った重忠像があります。


 重忠橋の近くにこんな大きな馬頭観音が立っていました。





 小前田の長善寺には相当に古い石仏や仏塔が残っています。関心のある方は立ち寄ることをお勧めします。


 254バイパスの歩道橋を渡ると寄居の街に入ります。バイパスはこの先で二つに分かれ、右に行けば群馬県藤岡です。
熊谷駅を午前9時に出発して寄居駅着は午後3時40分でした。途中の道草が多かったので予定到着時間を1時間もオーバーしてしまいました。
 次回の日程は決めていませんが、寄居から釜伏峠を越えて札所1番の四萬部寺までを予定しています。











西上州・荒船山に南面の線ケ滝登山口から登って来ました。

2022年02月07日 | 登山
 南牧川支流の星尾川に沿って奥へ延びる県道201号を、線ケ滝まで行くと道はそこで終わっていて、そこから登山開始


 先行者の車が2台ありましたが、この車の主たちは立岩の方へ行ったようです。


 荒船山への登山道はこのような道から始まります。消え残りの雪が少しありました。


 星尾峠と立岩への分岐に地蔵堂があって、登山の安全を祈願して手を合わせておきました。


 少し進むと氷結した堰堤がありました。西上州の各沢の滝は良く結氷するので、アイスクライミングの良い練習場になります。


 星尾川の登山道は過去の豪雨災害で大変荒れており、今もって復旧が完全に為されておらず、木造の橋は元より鉄造の橋までも流されている状態です。沢に架けられた橋で、鉄造のもの2基、腐った木造橋が3基ありますが、木造はもう危なくて渡るのには勇気が必要です。この星尾峠越えの道は、内山峠を国道254が開通して以来、登山者以外は利用する人も少なくなり、今はただ荒れるに任せた状態です。車以前は西上州の人や佐久の人たちにとっては、大切な生活の道として、又荒船不動への参拝のための道として、内山峠以上に大切な道だったはずです。


 対岸の崖から大きなつららが下がっていました。


 大きな岩の上に石標が乗っています。


 古い石垣がのこっていますが、峠越えの人や荷を背負った牛馬が頻繁に往来した昔を偲ばせます。


 このように朽ちた木造の橋の隣に鉄の橋が設置されています。しかしこれとて残っているのは2基だけです。


 崩壊した道の脇に残された石碑が寂しそうです。


 凄まじい崩落個所に巨木が行く手を阻んでいます。この巨木を下から回り込んで、取り付けられた鎖を頼りに登りなおして登山道に復帰。


 仰ぐと立岩が聳えています。


 荒れた広い沢の中に古く錆びた案内板が木に打ち付けてありました。


雪も出て来て峠への道は消えており、赤いテープだけが頼りの登りになります。


 古い鍋が木に掛けてあります。多分伐採時に作業小屋があったときのものでしょう。


 田口峠と荒船山分岐の標識がありました。


 振り返ると西立岩と東立岩が見えます。


 雪面には夥しい動物の足跡が残されています。鹿や猪のものでしょう。


 星尾峠に2時間半かかって着きました。ここまで来ると登山者の足跡が沢山ありました。


 京塚山が見えてきました。


 荒船山の稜線に登り着きました。内山峠からの道との合流点です。


 空は晴れ上がり青空が広がりました。


樹氷が奇麗です。


 荒船山の頂上・京塚山に着いたのが丁度12時30分。予想より時間がかかりました。


 登山口になる線の滝が見事なのでぜひ降りて行って見ることを勧めます。



 南牧川途中に蝉の峡谷という見事なゴルジュがあるので、車を止めて覗いて見てください。



 南牧川に沿う砥沢や羽根沢の集落は古い街道の面影を今も残しています。兎に角道が狭いので車の運転にはご注意を。









 

成田街道2回目の歩きは西船橋駅からです。

2022年02月04日 | ウォーキング
 1月16日は日曜日。前回1回目は西船橋駅で止めましたので、今回は武蔵浦和駅で武蔵野線に乗り換えて9時丁度にやって来ました。冷え込みは相変わらずで、両手をこすり合わせながら駅を出て、千葉街道に戻りました。日の当たる左側の歩道を1kmも歩かないうちに、山野浅間神社の鳥居の前に着き、何となく高い所にある本殿まで往復しました。おかげで20分ほど時間を余分に費やしてしまいましたが、気分はスッキリしました。


 龍神社を過ぎて大覚院の手前で千葉街道と別れて、左の中野木に向かう道に入りました。総武本線を地下道で通り抜けて、やけにコンビニの多い通りを歩き、船橋駅を左に見送り海老川橋を渡ります。この橋が変わっていて、橋の中央に欄干から川に向かって船の舳先が飛び出しています。昔この川には橋が無く、船を並べて橋の代わりにしたことが、市の名前の起こりになったと言われています。また長命で有名な泉重千代翁の手形もありました。


 橋を渡るとすぐ大神宮です。大きな神社で大勢の参拝客で賑わっていました。神社内を通り抜けるとすぐ右が船橋高校です。日曜日なのに部活で練習をしている学生たちの姿が見えました。


 国道296号の中野木交差点を突っ切ると、成田街道入り口の碑が交差点角に立っています。ここを直角に左に曲がりると、やっと成田街道そのものを歩くことになります。まったくやれやれです。


成田街道に入ると道は今までの半分の幅になります。歩道も狭くそこを自転車がバンバン走るので歩くのも楽ではありません。又車道を走る自転車には、後方からクラクションが鳴らされるという案配です。御嶽神社に着いて昼飯にしました。ここもかなり古く由緒ある神社です。
 神社を出ると左に薬円台公園、郷土資料館と続き、右に自衛隊空挺団、陸上自衛隊習志野演習場が広がっています。左に立派な八幡神社を見て、その後も同じような道が続き、八千代市役所入り口交差点を過ぎて、印旛放水路(新川)に架かる大和橋を渡り、国道16号を横切るとほどなく今日のゴールと決めておいた、東葉高速鉄道勝田台駅に午後3時丁度に着きました。