山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

鎌倉街道上道荒川渡河点近くの史跡を捜してみました

2016年09月25日 | ウォーキング

 写真は鎌倉街道が秩父鉄道小前田駅から、南に1kmほど行った荒川の岸近くに残っている「お茶々の井戸」です。六角のコンクリートに囲まれた小さな井戸ですが、ここに昔は茶屋があったそうで、そこにお茶々という美しい娘がいたという話です。この位置を捜すには土地の人ならいざ知らず、よそ者にはなかなか捜しずらいところです。目標はホテルモア(モーテル)です。

 お茶々の井戸から川下に向かい、花園橋と関越自動車道との中間あたりが、赤浜の渡しですが、今はそのあたりと思える場所には砂利工場があって、どこがその位置であったかわかりません。右岸は花園橋を渡り下流に向かい高速道路の先で川岸の道に下り、再び上流へ向かうと古道鎌倉街道と書かれた白い円柱が立っている所を通り、し尿処理場から川沿いの道を行くと、右の河原の中に大きな石が二つ並んで見えます。それが獅子岩で昔の渡河点と言われています。上の写真がその獅子岩です。

 し尿処理場の近くの鎌倉街道道標ですが、もう字も薄れています。このすぐ後ろには竹炭を焼いていた炭焼き窯があって、お年寄夫婦が働いていました。今はそれもなく草むらに変わってしまいました。鎌倉街道は道標から南に坂道を登って行きます。


我が家にも彼岸花が咲きました

2016年09月22日 | 日記

 9月22日は秋分の日です。暑さ寒さも彼岸までと昔から言い伝えられてきましたが、今年は本当にそうなりました。そして感心なことに彼岸花は、そのお彼岸の日にピッタリ照準を合わせて咲くのです。写真の花も昨日までは蕾だったのです。今朝植え込みの中を覗いたら見事に開いていました。

 妻が5年前に荒川の土手から1本抜いてきて、我が家の植え込みの中に植えておいたのが、いつの間にやらあちこちから顔を出すようになりました。昔は便所の花などと言われ、嫌われたものですが、現在は人寄せのために、マスコミまでが相乗りをして宣伝に努めています。日高の巾着田などはその最たるものでしょう。日本では数少ない毒を持つ植物となっていますが、でも良く見ると可愛い花です。この花が消えると本格的な秋がやって来ます。


秋雨前線が居座って台風16号も接近中それでもキャンプと山登り

2016年09月18日 | 登山

 土曜日に山中湖畔のキャンプ場でキャンプを楽しんで、翌日曜日には石割山に登りましょうと、勇んで出かけました。キャンプの方は楽しかったのですが、山はもう雨で散々。とにかく石割山だけは登って来ましょうと、初期の計画を大幅に縮小して山頂だけは往復しました。途中1200mのところに石割山の名前にもなった、大きな縦に割れた石があって、それがご神体として崇められています。この割れ間は幅が60cmほどで、この間を3回抜けるとご利益があるそうです。皆さん喜んでやっていました。

登り出しの403段もある階段がきついです。

 


水戸街道第3回目です。

2016年09月11日 | ウォーキング

取手宿の正源寺です。正門の鐘楼は二階建てですが、その二階に上がる階段も入口もありません。でも二階にはちゃんと鐘もあります。ここは本堂が入口正門より低い所にあります。本堂は門より一段高いところにあるのが普通だと思いますが。

土浦に近い下高津にも古い石の道標が残っていました。こういう物を見つける喜びが旧道歩きのだいご味です。来月も続きを歩きます。興味ある方はどうぞ一緒に歩きませんか。今日の天気は予想が外れて大変暑い一日でした。


中央線鳥沢駅から扇山に登りました。

2016年09月04日 | 登山

 台風12号の影響か、朝家を出る時から雨が降っている。こんな時でもやっぱり山へ行かなきゃあならないのかと、シブシブ約束の待ち合わせ場所へ。行って見ると馬鹿な老年男女が顔をそろえている。鳥沢駅で千葉の老熟女2人を加えて、総勢7名でエッチラオッチラ。何も見えない山頂でボソボソと弁当を食べ、濡れてツルツル滑る道を悲鳴を上げながら下り、鳥沢駅まで戻って来ました。あーしんど。山頂はガスで何人も見えません。

 

 

山頂風景です。

ガマの崖登りです。


今日は暑い中を古河の野木町煉瓦窯まで行ってきました。

2016年09月03日 | ウォーキング

 天気予報とはまるで違った晴れの一日になってしまい、熱中症寸前の状態で古河の街を歩き回り、野木町の煉瓦窯を覗いてきました。明治22年に設立された下野煉化製造会社の、重要文化財に指定されているホフマン式煉瓦窯です。かなり手を加えてはありますが、大変良い状態で保存されていると思います。最盛期には国内に60基あったとされるホフマン式煉瓦窯は現在4基があるということですが、原型を留めているのは、埼玉県深谷市にある日本煉瓦製造会社のものと、古河市にある下野煉化製造会社のものの2基だけだそうです。我が国の近代化に大きな貢献をした煉瓦窯なので、一度は覗いてみることをお勧めします。