夏を思わせる陽気に合わせて、大宮公園の桜も満開になりました。日曜日でもないのに大勢の花見客で賑わっていました。空も見えないほどに重なりあった花が見事です。
大宮公園の桜は老木が多く、近い将来枯れてしまうとも言われています。
大宮公園の桜は老木が多く、近い将来枯れてしまうとも言われています。
河津三郎祐秦の墓の前を通る道は鎌倉古道(旧下田街道)だと言われています。古い石畳の道が僅かですが残っています。しかしこの道を踏査するのは、今では殆ど無理だと思います。別荘地造成で古い道はあらかた消えてしまっているでしょうから。もし残っていたらロマンあふれる街道歩きができた筈です。
伊豆北川駅は無人の小さな駅です。山腹に山を削って造られており、麓の漁港からはゼイゼイ息を切らして登って来なくてはなりません。上の道から降りて来るにしても、麓から登るにしてもとても不便な所にあります。
その駅前にある江戸城石垣石の説明文を写しておきました。ときに徳川幕府の権力の大きさに驚きます。今日本の政治の世界で、忖度が大きく取り扱われていますが、今も昔も権力者に阿るのは変っていないようです。
その駅前にある江戸城石垣石の説明文を写しておきました。ときに徳川幕府の権力の大きさに驚きます。今日本の政治の世界で、忖度が大きく取り扱われていますが、今も昔も権力者に阿るのは変っていないようです。
第3回は3月11日日曜日、伊豆高原駅から稲取まで歩きました。伊豆はさいたま市に較べ2度以上に温かいです。河津桜は既に散ってしまい、葉桜に変わっている木もありました。
伊豆高原駅で参加者待ちの間に、駅前に出てみたらなんと大きな石がドーンと置いてありました。太い縄が掛けられていて、説明文によると江戸城の石垣に使われた石ということでした。
伊豆半島は石垣に良い石があり、それが大量に江戸城に運ばれたわけです。現在のように重機で運び出すことの出来なかった時代に、よくぞこのような大岩を江戸まで運んだものです。
伊豆高原駅で参加者待ちの間に、駅前に出てみたらなんと大きな石がドーンと置いてありました。太い縄が掛けられていて、説明文によると江戸城の石垣に使われた石ということでした。
伊豆半島は石垣に良い石があり、それが大量に江戸城に運ばれたわけです。現在のように重機で運び出すことの出来なかった時代に、よくぞこのような大岩を江戸まで運んだものです。
昨年3月に武蔵水路下半部を歩いたので、今回はさきたま古墳から先の上半部を歩きましたが、距離が短いものでお昼過ぎには取り入れ口の、利根大堰に着いてしまいました。
天気も良くて風もなく、まことに気持ちの良い一日でした。写真は利根大堰です。
天気も良くて風もなく、まことに気持ちの良い一日でした。写真は利根大堰です。