私の故郷は福岡県大牟田市。同窓会のお声がかかったので、5月20日に行ってきました。写真はその翌日気の合った者同志で、柳川の川下りに出かけた折に撮ったものです。
柳川の町の中に、張り巡らされた掘割を舟はゆっくりと進みます。これが又いいのです。折りしも新緑。良い命の洗濯をしました。
私の故郷は福岡県大牟田市。同窓会のお声がかかったので、5月20日に行ってきました。写真はその翌日気の合った者同志で、柳川の川下りに出かけた折に撮ったものです。
柳川の町の中に、張り巡らされた掘割を舟はゆっくりと進みます。これが又いいのです。折りしも新緑。良い命の洗濯をしました。
5月17日佐久の八幡宿をスタートして、和田峠を越えて18日に下諏訪までを歩きました。和田宿までの第1日目は、きつい登りの瓜生坂を越えて望月宿に下り、間の宿の茂田井宿は白壁の家が建ち並ぶ中を歩き、笠取峠の松並木を歩いて峠を越えました。さらに長久保宿を通過して下和田、そして和田宿に至って一泊。といきたいところでしたが、現在和田本亭旅館は営業をしておらず、エコーバレースキー場の、山本一雄さん経営のペンション、サイレント・スノーに泊まりました。車で片道30分もかかるところを往復してもらいました。
和田宿からの長い登りと、下諏訪までの超長い下りの和田峠越えは、本当に中山道歩きの泣き所です。みんなクタクタになって下諏訪駅に辿り着きました。
次回も長いです。写真は和田峠頂上での我パーティです。
奥州街道は二本松にある亀谷坂の頂上に、幸田露伴のペンネームの由来を記した看板があります。露伴が故郷を出て飲まず食わずの旅の途中、陽も暮れ疲れ果てて亀谷坂の頂上に着き、そこで野宿をしたことから付けた名だと言われます。露伴の碑もあっていつも新鮮な花束が添えられています。二本松へ行ったら智恵子記念館と共に亀谷坂を訪ねてください。
二本松は秋の菊人形展が有名です。こちらも一見の価値があります。
年々増え続ける山岳遭難。今年のゴールデンウィークは本当に多かったと思います。
5月8日朝日新聞朝刊の天声人語にもそのことが書かれています。記事を一部書き抜いて見ます。「大型連休中、山の事故が相次いだ。街場では汗ばむ季節でも、高山の天候はなお厳しく、気まぐれだ。亡くなった方々には60代、70代が多い。日ごろの若さ自慢も、危地を脱する体力や判断力が及ばなかったか。山岳遭難が増えている。警察庁によると、一昨年は発生件数、遭難者数とも、統計のある1961年以降で最多となった。それまでの10年間でどちらも約1,5倍だ。死者、行方不明者の7割近くを60歳以上が占める。
と言った按配で、社会面にもページの半分を割いて連休中の遭難について語っている。
なぜこんなに遭難が増えたのか。私たちは真剣に考えてみなければいけません。
5月3日、4日の2日間で郡山から福島までを歩いてきました。中間の二本松市で一泊して翌日福島までという日程です。
今回の行程は2日間ともに結構長い距離を歩いたため、年寄り組にはきつい2日間でした。救いは常に安達太良山が左に見えることでした。二本松では智恵子記念館前を通りましたが、時間がないこともあって素通りしました。まことに残念の至り。
奥州街道を歩いていて分かることは、東海道や中山道に較べて極端に道案内の標識が少ないことです。そのために今回も2回道を見失いました。幸いすぐに間違っていることに気がついて、大事に至らずに済みましたが。
奥州街道は江戸五街道の中では歩く人が一番少ない街道です。特に白河以後はほとんど歩いている人を見かけませんでした。今後も多分そうだと思います。
次回は6月14日、15日です。仙台まで行く予定でいましたが、槻木までがせいぜいでしょう。参加希望の方はご一報ください。
写真は二本松にある智恵子の実家で、今は智恵子記念館になっている、元造酒屋の大きな家です。
11日、正丸駅から伊豆ケ岳に登りましたが、山頂は大変な人の数で一時は座る場所も無いほど人で溢れ返りました。私の過去の経験でも、これほどの人出は無かったと思います。
一日中快晴。風も穏やかで空気も乾燥しており、汗もさほどかくこともなく伊豆ケ岳から正丸峠まで歩いて、また正丸駅に戻るという最もポピュラーなコースを歩きました。一行4名。
写真は伊豆ケ岳山頂の風景。
10日安達太良山のコース下見のために、新野地温泉から箕輪山まで登ってみました。雨とガスと強風で最悪のコンディションの中を歩きましたが、残雪と根曲がり竹のブッシュ漕ぎでえらい苦労をしました。特に箕輪山の登りは最悪でした。広い雪渓の前後の道の繋がりが判然とせず、何度もブッシュに突っ込んでは後戻りの連続。登山道を覆った根曲がり竹がルートを塞いでおり、やっと見つけた登山道には雪が残り、歩くとボコボコと股まで潜り、下は水が流れているといった按配。深くえぐれた赤土の急な道はヌルヌル滑り、靴もオーバーズボンも泥まみれ状態。
予想以上の時間がかかってしまい、山頂は冷たい強風が吹きぬけており、エビノシッポが岩や山頂標識にこびりついていました。
越後の藪山もそうですが、安達太良山も歩くなら、藪が雪下になった春3月からゴールデンウィーク前までが適季かと思います。それにしても風の強さには閉口しました。
写真は箕輪山山頂のエビノシッポです。
さいたま山遊クラブの始めての山登りは箱根明神、明星ケ岳でした。
当日は曇りから雨に変わるという生憎の天気でしたが、初めての登山という人も元気に予定通りのコースを歩くことが出来ました。
登り出しは宮城野橋、下りは道了尊までと、少々長いコースになりました。特に雨の後の下りが滑りやすい道だったために、予想以上に時間がかかってしまいました。
この回は地図の読み方と磁石の扱いについて少し勉強しました。また登りの歩き方、下りの歩き方についても基本を練習しました。
シニアの登山は無理をしないこと。競争ではないからガイドブックに記載されている時間は気にしないこと。歩幅は短く、段差は低くとることなどを頭に入れて登るようにしました。
シニアは登りたい山より登れる山を。
写真は明神ケ岳頂上で撮ったものです。生憎の雨の中で富士山は見えず。
第2日目は軽井沢から、北国街道との分岐(分去れ)から御代田、小田井宿、岩村田、塩名田と歩いて八幡宿まで28kmを歩くという、長丁場でした。
この日はとても暑い日で結構日焼けしてしまいました。標高が1000mにもなると、桜、梅、桃、コブシが一度に咲き誇り、お花見気分で歩くことができて、贅沢なウォーキングを楽しみました。
右手にはまだ残雪の浅間山が、左前方には八ヶ岳連峰とロケーションも抜群。御代田の一里塚の桜の下では浅間山を眺めながらの休憩、岩村田の龍雲寺では武田信玄公のお墓(と言われている)も見て、皇女和宮ゆかりの「相生の松」で休憩して、塩名田では千曲川の「舟つなぎ石」も確認して午後4時に八幡宿にゴールしました。なかなかハードなコースでしたが、ちゃんと歩き通しました。
次回は5月17日、18日に八幡宿から和田峠を越えて下諏訪までの予定です。参加は自由なので早めにお申し込みください。
写真は手前に御代田の一里塚。後方に浅間山が見えます。