山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

この夏最後の日曜日は入間川も名栗川も大変賑やかでした。

2017年08月30日 | ウォーキング

 入間川の飯能河原風景です。夏休み最後の日曜日とあって、パパ達が奮闘していました。この日は日中の気温も上がって、どこの河原も人がいっぱいでした。

こっちは高麗川の巾着田です。ドレミファ橋を渡ると、河原にはもうテントやタープを広げる隙間はないほど混みあっていました。駐車場はもちろん満杯。巾着田からあふれ出た人たちが、上下の河原にまで進出していました。一見透き通って綺麗に見える水も、実際にはかなり汚れているのでは。


七国峠から高麗峠と歩いてみました。

2017年08月28日 | ウォーキング

 写真は七国峠へのハイキングコースです。同じ名前の峠が東京都町田市にもありました。こちらの七国峠は同じ東京都青梅市にあるもので、岩蔵街道の笹仁田峠から続く低い尾根上にあります。東京都民のポピュラーなハイキングコースになっていますが、一帯はほとんど立正佼成会の持山になっているみたいです。

 

道筋にはこんな大きなキノコもありました。

こんな物騒な動物も出没しているようです。

これは怖いです。場合によっては熊より危険。

 

 


早くも秋が近ずいてきました

2017年08月14日 | 日記

 8月に入って曇りや雨の日が多く、何だか夏ももう終わりなのかと思わせるこの頃です。私の住むさいたま市では、すでに稲も穂を垂れて刈り入れを待つばかりになっています。

稲田の向こうには新都心のビルが並んで、ちょっと面白い風景を楽しめます。

我が家のワン公にとっては、この広い稲田の道は恰好の散歩道です。


玉川兄弟の銅像です。

2017年08月14日 | ウォーキング

 玉川上水の距離は約43kmでその高低差は約100m。大変緩い勾配で水が最後まで滞りなく流れています。これは大変高い土木技術と測量技術が必要な工事です。それを徳川幕府初期の時代に成し遂げたことは驚きです。

 日本人の技術力の高さは世界的に認められていますが、ずっとずっと昔から日本人は優れた能力を持っていたのです。それを玉川上水は改めて私たちに教えてくれます。そんなことで玉川兄弟の事はもっと私達は知る必要があると思いました。


福生の清巌院橋から羽村玉川上水取入口までの散策です

2017年08月13日 | ウォーキング

 そろそろ猛暑も収まってくれても、と念じて玉川上水脇をブラブラと歩いてみました。清巌院橋から歩き始めて新橋、宿橋と行って宿通りのヤマジュウ田村家住宅を覗いたりしながら、木陰の涼しい加美上水公園の中を歩いて、玉川兄弟の像まで行きました。

 玉川兄弟のことは良く知られている話しです。徳川時代初期に江戸庶民の飲料水確保のために、多摩川から四谷大木戸まで43kmの水路を造った人です。このような難工事をたった8ケ月で完成させたというから驚きです。特に工事の半ばで幕府が出してくれた金が足りなくなり、自宅まで手放して工事につぎ込んだということで、更に驚きです。この水は今も東京の人たちのために役に立っているそうです。

取水堰の玉川上水側です。左の黒い部分が昔からの堰で、右奥の白い部分が新しい堰です。

堰の多摩川の方です。水に入って遊んでいる人がいます。

多摩川は今アユ釣りの人たちが釣を楽しんでいます。多摩川橋の上流。

 


暑い埼玉を離れて岐阜県高山へ行ってきました。

2017年08月06日 | 旅行

 写真は飛騨平湯温泉から高山へ行く途中にある銚子の滝です。昔は銚子そっくりの形で水が落ちていたそうです。

 しばらくご無沙汰していた高山へ行ってきました。自分が山岳ガイドを行うに当たってお世話になった、市内松ノ木町に住む50年来の友人(先輩)に会い、その節のお礼を述べ山の話、家族の事、山友たちの近況などなど、飲みながら夜の時間を楽しく過ごしました。

 翌日久しぶりに高山の旧市街を歩き、朝市に立ち寄り買い物をしたり、三ノ町を散策したりと、朝の街を楽しみました。通りでは旧七夕祭りの準備をしていました。

 今は全国でもここだけの陣屋跡です。高山は徳川幕府の直轄地だったためこのような陣屋(代官所)が置かれたそうです。この門前の広場で朝市が開かれていました。

 宮川に架かる朱塗りの中橋です。高山祭りでは有名な山車がここを渡って行きます。

 神岡に回り穂高岳山荘の創立者である、今田重太郎さんのお墓参りをして、二代目山荘オーナーの英雄さんにも会うことができ、やはり山小屋生活中やガイド業中のお礼を延べておきました。みんな懐かしく大切な人たちばかりです。