山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

旧青梅街道大菩薩峠越えをやっと済ませてきました。

2023年09月19日 | 登山
 一昨年春に新宿御苑前からスタートした旧青梅街道歩きは、秋に小菅まで到達以来ずっと休止状態でした。今年3月以来膝の痛みが酷くなり、小さな山は愚かウォーキングすらままならず、せいぜい朝夕の犬の散歩が精一杯の毎日でした。
 最近いくらか具合も良くなり、中断していた青梅街道歩きを再開せねばと、内心不安を抱えながらこの3連休を利用して16日の午後から家を出て奥多摩駅に向かいました。奥多摩駅に午後5時過ぎに着き、5分ほど歩いた先の民宿和尚にお世話になりました。
 宿は日原川に架かる氷川大橋からも見える奥の白い建物です。


 奥多摩駅を午前7時25分のバスに乗って小菅村役場で下車。ここでバスを降りたのは私一人だけ。駅から乗った人たちはみんな深山橋までで降りてしまいました。役場前に人影はなし。ただ一人役場前のベンチで準備をして午前8時半スタートしました。


 少し行けば右に丹波山村への分岐です。一昨年秋にこの道を歩いて丹波山村まで行き、のめこい湯に入って帰りました。


 もうここは秋の気配。彼岸花が満開です。


 白糸の滝までの道はずっと緩やかな登りが続き、歩き易い道ですが単調で飽きがきます。バイクの若者が数人先へ行きましたが、何をしに行くのだろうと不思議に思いましたが、彼らは途中にあった通行止めの看板が目に入ってなかったようです。案の定引き返して
帰って行きました。白糸の滝駐車場の先で道は塞がれていて車は通れません。


 右の崖が崩落して修復工事が行われていますが、現在大きな石は取り除かれて、崖にはネットが張られています。人の通行には支障ありませんが、実際は人も通行は禁止ということになっています。休日には作業をする人はいませんから、自己責任ということで私は通り抜けました。


 白糸の滝にちょい寄りしました。結構な落差があり垂直に落下する滝はなかなか見事です。


 最近ここを訪れる人が少ないと見えて、小菅川に架かるアーチ橋には落ち葉が乗って滑りやすくなっていました。おまけに熊に注意などと看板もあっては少々ビビッてしまいます。


林道が左にカーブしている所の橋の手前の大菩薩峠入り口に11時少し前に到着。峠への道はこの林道を更に行った先からもありますが、私は手前の白糸の滝登山口から登り始めました。登り出してすぐに下山してくる中年女性二人組と出会いました。今日初めて出会う登山者です。こちらへ降りてくる人で、しかも女性とは珍しいなと思いました。






 登山道とはいえ古くから人馬が登降した峠道なので、今も良く整備されていて緩い登りの歩き易い道です。良く手入れされた杉、ヒノキの森が続き、残暑厳しいこの時期も涼しい木陰を提供してくれています。


 この峠道で唯一楽に水が手に入る、小さな流れに丁度12時に着きました。もうこの先水は手に入らないのでここで補給しておきました。この先1時間ほど登った所で、今回2回目の下山中の登山者に会いました。結構お年を召した方二人で私を見て、峠を越えてから初めて人に会ったと喜んでいました。そして心配そうに崩落個所は通れるのかと聞かれたので、大丈夫ですと答えたらすっかり安心した様子でした。


 道々沢山の栃の実が落ちていました。熊の好物と聞いているので、もしかして近くに熊が潜んでいるのかもと、周囲を気にしながら歩きました。栃の実は山間部の人たちは近年まで食べていたものです。私も若いころ飛騨の山で山小屋暮らしをしていたころ、用足しに麓に降りると栃餅を良く食べました。結構美味かったことを覚えています。


 重荷を背負った牛馬が少しでも楽が出来るよう、平坦な道造りが行われた証拠に今も苔むした石垣が健在です。




 丹波山村からの道が合流する、フルコンバの手前に通行止めの札が下がっています。白糸の滝近くの崩落地が危険だと書いてあります。だけど私は通って来ました。確信犯です。フルコンバは明るい尾根上で、丁度良い所にベンチもあって休憩にはもってこいの場所です。ここからは峠まで緩やかな登りが続きますが、疲れから峠まで嫌に長く感じました。




 午後4時丁度に大菩薩峠に到着。随分長い時間かかりましたが、私自身は良く登って来れたと満足気分でした。峠の小屋に泊まる人たちでしょうか、のんびりと風景を楽しんでいました。小屋で15ケ入ったマスカットを買っているとき、この小屋に泊まる客でしょうか、3人の女性が店先で小屋の主人に、「ここには何でこんなに石がゴロゴロしているの」と聞いているので、思わず笑ってしまいました。そこで主人が一生懸命説明をしておりました。




 峠を越えて甲州側に出ると植生がガラリと変わり、斜面を覆う笹原とダケカンバの明るい山様に気分も明るくなりました。何んといっても大菩薩峠は西側から登るのが普通。道は広く歩き易いし傾斜も緩い。子供でも登れるファミリー向きのコースなんだから。


 懐かしい福ちゃん荘の前を通過。私の子供が小さかったころ、ここまで車で上がって来て峠経由で大菩薩嶺に登りました。現在小屋の周りはキャンプをする人が多く、沢山のテントがありました。


 午後5時10分に今夜の泊りとなる上日川峠のロッヂ長兵衛に着きました。足の不調とトレーニング不足で、やっとやっとの峠越でした。しかし良くここまで登って来れたもんだと、自分自身の頑張りにちょいと感動です。ロッヂは大きな丸太を組み上げた立派なログハウスです。風呂もあって2階の客室内には大きなベッドが二つ。夕食は豪華、松茸まで出ました。トイレが一階の奥にしかなくて、膝痛の足で階段の登降はきついです。やっぱりトイレは2階にも欲しいです。


 18日朝食を終えて午前7時にロッヂを出ました。何んとか塩山駅まで無事に歩けるように、祈る気持ちで登山道に足を踏み入れました。上日川峠から裂石までは立派な自動車道もありますが、私は昔からの登山道を下りました。膝痛には下りが大変なので、なだらかな自動車道を歩くべきなのですが、ここは年は取っても山ヤの意地で山道を選びました。


 昔から大変な数の人や牛馬が往来した道なので、道は完全にV字型の大きな溝になってしまっており、雨でも降ったらとても歩けないだろうと気になりました。右上を見れば峠へ向かう車列が木々の間から見えるのです。ロッヂを出てから1時間と50分かけてやっと千石茶屋の前まで降りてきました。これで今日の最悪部分は終了で、この後は普通の道を塩山まで歩くだけです。


 千石茶屋から10分で丸川峠分岐に着きました。こちらから大菩薩嶺に向かう人も結構いると見えて、車が沢山並んでいます。


 裂石の手前,雲峰寺入り口で持参のスニーカーに履き替えました。底の堅い登山靴で舗装路を長く歩くのは膝に悪いです。履き替えて歩き始めたらなんと、膝への当たりも殆どなく、重い靴を引きずって歩いて来たことが馬鹿みたいに思えました。
 大菩薩峠への石の道しるべの所で、私は411号国道(柳沢峠と塩山を結ぶ現在の青梅街道)へは出ずに、この位置から直接塩山駅に向かう一葉の道(県道201号)と呼ばれている道を選びました。国道は車が多く疲れるから嫌です。


 一葉の道は最初の部分が少し登りになりますが、それを越せば後は塩山市街を目がけてただ一直線に下って行くだけです。道幅も広く車の往来も殆どないという、もったいないと思うほどの道です。ただ標高が下がるにつれて強烈な太陽に照らされるので、その熱気には些か疲れました。




 塩山駅北口に向かうのに、町の中で道を間違えて余計な遠回りをしてしまいました。それでも午後1時35分には無事に着くことが出来て、二年越しの目的を達成できました。青梅街道は塩山が終わりではなく、石和温泉の先,酒折が終点なのであと一回塩山まで来る必要があります。それは今年の内に済ませることが出来るでしょう。











東武小川町駅から笠山~都幾山~東武小川町駅と回遊してきました。

2023年03月14日 | 登山
 3月12日の日曜日は穏やかな春の一日となったため、急に思い立って一人で笠山へ行ってきました。笠山登山と言えば白石車庫までバスを利用し、七重峠経由で笠山山頂へ、というのが一般的ですが、今回はちょいと長めのコースにしました。小川町駅から歩き出して越中の切通橋を渡り、槻川の支流である館川に沿って上流に向かい、赤木で舘川ダムへの道と別れて山上集落の栗山から笠山への道をとりました。下山ルートは慈光寺方向へ複雑な尾根道を辿り、都幾山を経由して小門に下り、長い車道を上古寺~下古寺と歩き再び小川町駅に戻るという周回コースです。駅をスタートしたのが午前9時30分という、やたら遅い時間だったので、最初から陽のあるうちに、再び駅に戻って来ることは出来ないだろうと、覚悟を決めての出発でした。


 駅南口から旧川越、児玉街道に出るまでの駅前通りには、20m間隔程度に万葉歌集から抜粋した詩を紹介し、その現代表記と内容説明がなされた小看板が立ててあり、立ち止まって読んでいるとなかなか面白く、足が前に進まなくなってしまいました。


 これはいかんと正気に戻り、古い町並みの続く旧街道に出ると、通る車の数の多いのに閉口しましたが、道の先を見るとこれから目指す笠山が遠くに見えていました。




 腰越郵便局を過ぎ、パトリア小川町健康増進センターまで来ると、視界は大きく開け眼前に笠山と隣の堂平山が良く見えてきました。そして道路脇には早くも春の花が春を告げています。


 矢岸橋と笠山です。橋はとても古い鉄橋ですが、車は通れませんが人の渡橋はOKです。


 切通しの手前に古い茅葺の家があります。車だと見過ごしてしまうでしょうが、徒歩であればまず見逃すことはないでしょう。今でも人は住んでいるようです。


 舘川に架かる切通橋から見た笠山です。なかなかいい感じの眺めです。


 橋を渡った所に東屋とトイレがありました。笠山を眺めながら一服です。




館集落で見た白梅が今最高潮です。又見渡す集落風景が何とも穏やかで平和そのもの。移住するならここがいいなと思いました。


 路傍の古い馬頭観音や石仏が古の山村を思い起させます。なかなかいい感じの道です。


 赤木で左の七重峠と右栗山への分岐ですが、栗山への表示があまりにも古すぎる標識のために、文字が消えかかっており解読に時間がかかりました。ここからきつい坂道に変わりました。こちらがゼイゼイ息を切らして歩いているのに、脇を車がスイスイ抜けて行くのに腹が立ちます。


 白梅も美しいのですが、ピンクの紅梅も負けていません。




 路傍にはスイセンが思いっきり花弁を広げていました。又見上げると早咲きの桜も咲いています。標高は300mほどの所なのですが、温暖な所のようです。


 栗山から見上げる笠山はもうすぐそこに見えますが、登山口に着く前に正午になり、道脇に座り込んで弁当にしました。結構気温も上がり、上に着ているものを2枚脱いでもまだ暑いと感じました。


 栗山の道路脇の福島家のマキと呼ばれている大木です。本来ならば温暖な地方に生育する種類のものが、関東の山の上に大木として元気に育っているのは珍しい事のようです。


 マキの大木のすぐ上手に新しい公衆トイレが出来ています。車であればここまで楽に登って来れます。


 笠山登山栗山口です。ここに着いたのが12時50分。5~6台分の駐車スペースがあります。登山道は良く手入れがされています。


 しかしこのような落ち葉に埋もれた部分もあります。




 山頂の神社には午後1時42分に着きました。周囲が木に囲まれているため眺望は良くありません。頂稜を西に少し行くと三角点のある笠山頂上で、着いたのは午後1時52分。登山口から山頂までの間で4名の登山者に会いました。いずれも単独で来た人たちでした。


 笠山を午後2時に出発して、南に急な山道を七重峠に向かって下り、林道に出ると七重峠に向い、峠から堂平山に向かう山道を右に見送り、写真のガードレール終点から、左に主稜線を離れ慈光寺に向かう道に入りました。


 鬱蒼とした杉山の中の急坂を下ると、舗装された林道に出ました。これが七重峠~赤木林道で、午後3時丁度に白石峠や堂平山への分岐(上の写真)に着きました。さてこれからが今回一番の面白コースになりました。


舗装された林道から外れて東に向かう道は今までとは一転。杉や雑木の薄暗い森の中を、ただひたすら踏み跡を追って30分進むと再び林道に出て、そこには右に行けば天文台、左は赤木とあり、都機山方向へはまたまた森の中へと入って行きます。しかしここからの道は意外に良く、ハイキングコースとして整備されています。


 極端な上り下りも無い道の途中には、木の根元に食い込んだ馬頭観音碑がありびっくりしました。






 尾根上に林道が並行して走り、その道が尾根を跨いで左に変わった所から、尾根上を行く緩い登りの山道を行くと都幾山の広い山頂でした。時刻は丁度午後4時になっていました。さてここから先の道が不鮮明で、西方向へ明瞭な道が下っていますが、これは慈光寺への道と判断し、そのまま尾根上を北に進むと踏み跡が現れました。ほとんど獣道状の踏み跡ですが方向的には間違っていないので、その踏み跡を見失わないように下って行くと又林道に出ました。


林道を横切り深い溝状になった古い山道を小門に向かって下るのですが、鬱蒼とした杉林の中は間伐された杉の丸太や枝打ちされた枝が足元に重なり合って歩き難いことこの上なし。九十九折の嫌な道ですが、恐らく自動車が無かった時代に慈光寺詣での参詣道として多くの人が通ったのでしょう。




 水の音がして小さな流れが現れると荷馬車が通れるほどの道が出て来て、ほどなく今にも壊れそうな橋が現れ、未舗装の車道に出ました。今は無人の小さな荒れた民家の前に古い道案内があって、ほとんど消えかかった慈光寺の文字がありました。


 しかしそこからが長かった。上古寺、下古寺と過ぎて今朝別れた腰越の分岐の郵便局が見えたとき、やっと戻って来れたと安堵したとたん足元がふらつき、膝が痛み出して急に空腹を覚えました。具合よく現れたコンビニでハムサンドと缶コーヒーを買って、歩きながらそれを食べ、午後6時16分に小川町駅に帰り着きました。いい年こいたジジイがまだこうした山と歩きが楽しめることに感謝です。





南房総の富山と伊予ケ岳ハイキングを楽しんで来ました。

2023年01月16日 | 登山
 「南総里見八犬伝」物語の舞台として知られており伏姫の籠穴があり、八犬士終焉の地とされる富山に登り、その足で東の伊予ケ岳まで行ってきました。標高僅か349mの富山と336,6mの伊予ケ岳ですから、通常の登山に比べれば登山とは言えない山なのです。が、さいたま市から南房総岩井までは、片道4時間もかかる鉄道旅です。かかる時間、山の高さを考えれば果たして登るほどの価値があるのかいな、と誰しもが思い、わたしも当然そう思っていました。
 千葉県蘇我に私の息子夫婦が住んでいますが、お互いなかなか顔を合わす機会がなく、この正月には我が家に息子達が遊びに来てくれることになっていました。ところがそこは好事魔多しの例え通り、暮の30日、息子親子がコロナに感染してしまい、計画は中止になってしまいました。そのほとぼりが冷めた14日に蘇我に立ち寄り、翌15日富山に向かいました。今にも降り出して来そうな空模様でしたが、たかだか350mの低山だから、雨が降っても問題ないと勝手に決め込んで、午前9時40分に岩井駅を出ました。岩井駅の陸橋から東を見やれば、目的の富山がなんとも可愛く小さく見えています。


 富津館山道路を過ぎて前方を見やれば、菜の花畑の向こうに富山がチンマリと寝そべっています。


 そして出てきました富山籠穴コース入り口の案内です。ここから800m先に伏姫の籠穴があるというのです。すぐにそちらに向かいました。




 ところが10分も歩かないうちに、後ろから来た軽トラックのおじさんが、富山に登るならこっちはダメだと言われてしまいました。なぜなら台風の被害甚大で今もって倒木、崖崩れの修復がなされておらず、みんな福満寺の方から登っている。ということで仕方なく引き返し福満寺に向かいました。通りから良く見える福満寺山門まで行くと、トイレ脇に竹杖が沢山立て掛けられており、御自由にお使い下さいとありましたので一本拝借しました。


 初めのうちは舗装された道でしたが、途中より写真のような道になってしまいました。それも相当にきつい傾斜の悪路です。恐らくひと昔前までは舗装された立派な登山道だったと思われます。コンクリートの丸杭が打たれた部分などは段差が大きく、足を持ち上げるのも一苦労です。


 兎に角きつい道でした。やっとたどり着いた南峰観音堂は荒れ果てていました。南峰の頂上には電波塔が建っていて侵入禁止。眺望は何もなし。


 北峰に向かって下る途中に籠穴に下る道が分岐しており、そこに皇太子ご夫妻(現在の天皇ご夫妻)が登られたことを記念した鐘が下がっています。




 北峰と南峰との鞍部は広くなっており、北から自動車道路が上って来ています。車も4~5台は置ける広さです。東屋もあって休憩には良い所です。そしてここが八犬士終焉の地であると書かれた標木が立っています。馬琴の創作が本当にあったことのようにされていますが、こんなことは日本国中に沢山ありますから、笑って見てあげればいいと思います。






 北峰の頂上で自分を撮ったらこんな写真になってしまいました。山頂広場は小さな公園と言ってよく、展望台や、皇太子ご夫妻登頂の記念碑、ベンチなどが設置してあります。展望台上からは360度の展望が得られて、なかなか良いところです。山頂広場には20分ほど居て12時丁度に下山を開始しました。


北峰広場から南峰とのコルに戻り、東に下る車道をどんどん下り、吉井の地名辺りに来ると周囲がグンと明るくなって、振り返ると登ったばかりの富山が形よく見えてきました。




 この辺りは高原状で野菜畑が広がっています。気持ちの良い所です。




 そして良いところは道路脇に広がる水仙のお花畑です。今が盛りと至る所に水仙が咲いています。




 次の目標の伊予ケ岳が見えてきました。


 丘状の緩い尾根を越えて谷と呼ばれる広い切通しで、伊予ケ岳から降りて来たご夫婦と会いました。奥さんの方が凄く疲れた顔をしていたので、道の様子を聞いたら旦那さんの方から、伊予ケ岳の頂上下の岩場がツルツル滑って大変でしたと、さも苦労した口ぶりでした。


 六地蔵登山口とある所から再び登山開始。登って行くと山頂部の尖峰が確かに悪相を見せています。ここで俄然登る気が湧いてきて足が速くなりました。


 平群の天神郷から来た道と合流したところから、道は急になりジグザグを繰り返して南峰に到着。ここからの展望も申し分なし。東屋もベンチもあってなかなかグーでした。ここから北峰のてっぺんまでが、固定ロープの連続する岩場の難所。高差100mはあるのでは。


 この岩場はロープはあっても嫌に古いロープで、しかも泥で汚れている。岩はスタンスも多く苦労するほどのものではないものの、先登者の泥で滑りやすくなっており、それが岩に慣れない人には厄介かも知れません。






 ゼーゼー言って登りついた伊予ケ岳336,3mの山頂は狭い岩塔の上で、鉄の柵で囲まれており絶対安全な山頂です。登って来た富山も奇麗に見えました。これから下って行く平群の集落も目の下です。


 伊予ケ岳に登りついたのが午後1時50分。曇り空が明るくなり太陽も時折顔を出すようになって、ここに約25分いて遅い昼飯を食ってから下山にかかりました。固定ロープのお陰ですんなりと岩場は下り終え、麓の平群天神社には午後2時50分に着きました。平群の里は平和で穏やかな景色が広がっているいい所です。
 さいたま市から遠い房総の低山へ行ってきましたが、本当に山は高きが故に尊からずと言います。さいたま市の我が家には帰宅が随分遅れましたが、十分に房総の山を楽しみました。
 
 




2023年元旦は箱根矢倉岳からのご来光と富士山を楽しんで来ました。

2023年01月01日 | 登山
 私の家から箱根足柄峠までは車で1時間半の道程です。そんな訳でここのところ、正月は矢倉岳のてっぺんでご来光を見るのが習わしになっています。矢倉岳は山頂が開けていて、相模湾から昇る朝日や富士山の勇姿を見るのに最適な場所です。今年の矢倉岳は冷え込みも緩く、いつもなら太陽が顔を出すまでの待ち時間が辛いのですが、今回はそれが無くて助かりました。


 小田原の街と相模湾の向こう、雲の上の方が僅かに明るくなり始めました。でも本当に太陽が頭を出すまでにさらに10分ほどかかります。


 ご来光のお出ましです。強烈な光が正面から飛び込んできます。


 振り返ると富士山が淡いピンク色に染まっています。


 富士山の撮影に夢中の登山者の向こうには箱根大涌谷の白い噴煙が見えます。


 矢倉岳の登山道は数年前の豪雨で山の斜面が崩れ落ちて、一昨年まではコロナ問題もあって登山禁止になっていました。それも昨年には崩落した場所にロープが張られて通行可能となりましたが、今年はコースが変わり崩落地を避けた尾根上のコースになっています。しかしこのコースは朝暗い中では登山道が分かりずらく、コースを間違えた人たちのライトがいくつか見えました。しかるに帰りは昨年のコースを利用しましたが、道の状態は昨年とほとんど変わっておらず、崩落個所は別にして尾根コースよりも楽に歩くことができました。しかし安全を考えると尾根コースを歩くべきでしょう。崩落個所を通過中に上部からの落石の危険が大いにあります。




 崩落個所には現在も安全のためのロープが張られていますが大分痛んでいます。


 下山時に使用したコースの入り口は通行止めになっています。


 通行止め手前から尾根道への案内標識があります。


 尾根道の過半部は万葉公園になっており、万葉集にある歌詞を彫り込んだ歌碑が立っています。


 万葉公園の道は散策には打ってつけです。








 足柄城址公園から見る富士山はなかなかいいです。矢倉岳山頂から見る富士より風格があって立派です。また来年も足腰に異常がなければ矢倉岳のご来光を見に来ます。

私が今回気になったのは、矢倉沢から足柄峠までの山岳道路を爆走するドリフト族です。急カーブが連続するこの道は、ドリフト走行には打ってつけなのでしょうが、夜でも一般車が通る公道でのドリフト走行は大変危険です。夜間この道を利用する人は十分気を付けてください。








八十里越えと番屋山登山第二日目です。

2022年10月21日 | 登山
 シンと静まり返った森の中で聞こえてくるのは小さな流れの水音のみ。結構気温も下がりましたが、10年前にネパールのアマダブラム峰に行ったとき以来使用することもなかった、羽毛のインナー上下と軽量シュラフのお陰で、まったく寒さを感じることのない一夜を過ごすことが出来ました。
 まだ真っ暗な午前4時に起きてツェルト内を整理して、出発準備を整えておいてから朝食準備。昨夜と同じくジフイーズにお湯を入れて15分待つのだぞ、と併せて熱いコーンポタージュにコーヒーを一杯。まことに簡単な食事を終えると外に出て、朝露で濡れたツェルトを撤収して午前5時半に殿様清水を出ました。正面に赤く染まり出した烏帽子山がなかなか迫力があります。


 緩いジグザグの開けた道を登って行くと、朝の光がブナの林の間から差してきて、気持ちの良い一日が始まりました。






 鞍掛峠には午前6時16分に着きました。切通しになった峠の向こうには青空が広がっていました。一段高みに山神の石祠が祀ってあり、何百年もの間ずっと峠越えの人々を見守ってきたのでしょう。


 峠を越えると周囲の景観が随分と変わってきました。道も広く緩やかに造られており、私など膝の痛みを抱えている者にとっては有難い道です。道を横切る小さな流れも沢山あり、水には不自由しない道です。ところが途中にこんな大きなブナの倒木があったりもします。




 鞍掛峠から木ノ根峠までは今までと違って尾根上を行くようになり、俄然展望が開けて硫黄沢を隔ててその先に、守門岳から大岳に至る紅葉の素晴らしい眺めが広がっていました。


 小松横丁とある展望個所から見る黒姫の眺めも、一人で鑑賞するにはもったいないと思いました。


 奥深い山中の山道に橋を架けた跡の石垣の名残がありました。越後の方からにしろ、会津側からにしろこのような作業に関わった昔の人達がいたという事実。正に歴史的、文化的貴重な遺産です。


 八十里越えの道は、牛馬が越える道としてとても立派に造られていたことが解ります。


 木の根峠に午前7時50分に着きました。ここも切通になっています。小さなテントがあって、現在測量中の看板が立っていました。ここは新潟県と福島県の県境で、ここが八十里越え峠ということになります。


 木ノ根峠を越えると道は左に叶津川が並行するようになります。道はゆっくりと下りになって行き、途中に古い石垣も見られるようになりました。しかし泥濘の多い道で靴もズボンも泥だらけになりました。水が靴の中までしみ込んでしまい、歩いていて靴の中からグチョグチョと音が聞こえるほどでした。


 下方に建設中の国道289号が見えるようになり、後10分も歩けば国道というところで、茸を採りに来ていた男性に出会いました。今回の八十里越えで出会ったのは、番屋山で会った5人とこの男性の6人だけでした。この人が下に車があるから只見駅まで乗って行けと言うから、、有難く乗せてもらいました。国道に出たのが丁度午前11時。歩けば2時間は優にかかる所を30分で只見駅まで行ってしまい、11時半には駅に着いてしまいました。車中で茸のこと、冬の猪や鹿狩りのことなど面白い話を聞かせてもらいました。




 11年ぶりに全線運行が始まった、只見線の特別列車が丁度只見駅に着き、大勢の乗客が降りて来たのに遭遇。この列車は折り返し会津若松に戻るので、私は午後4時半まで待たないと来ない小出行を待つ間に、只見小学校の裏の田んぼの畦道で、濡れたツェルトやフライシートを広げて乾かしたり、泥だらけの靴を田んぼの用水で洗い時間を潰し、なおコンビニのお兄さんに教わった公衆浴場に行って汗を流してきました。
 今年の登山やウォーキングで出かけた中で、今度の八十里越えが一番楽しかったし、良い思い出が出来ました。
 

八十里越えと番屋山登山の第一日目です

2022年10月19日 | 登山
 ずっと以前から歩きたいと思っていた、八十里越えをやっと今回実現できました。司馬遼太郎の長岡藩士河井継之助について書かれた「峠」や、今年公開された役所広司主演同名の映画、それに只見線の11年ぶりの全線運行が10月1日から再開されたこともあって、膝が痛いの、腰が痛いのと言いながら、14日の内に小出駅まで行き翌朝一番の電車で長岡まで。何と言っても河井継之助は長岡の人だから、ここ長岡からバスを利用して栃尾まで行き、予約しておいたタクシーで八十里越えスタート地点になる吉ケ平に入りました。
 連れて行ってくれたタクシーの運転手が、まだ若い人で吉ケ平までは行ったことがないと言い、車一台がやっと通れる狭い山道を恐る恐る走ってくれましたが、まだ始まったばかりの紅葉を、鑑賞しながらの谷間の道は楽しいものでした。
吉ケ平は守門岳の北麓にあり、守門川最奥の集落のあった所で、現在はキャンプ場になっていて、2014年まであった小学校校舎跡には新しく吉ケ平山荘が建っていました。江戸から明治中期まで30数軒あったという村の面影は全く無く、小学校の門が残っているだけです。


 午前9時20分に山荘前を出発して、守門川に架かる樽井橋を渡り、緩やかな坂道を東に向かう途中の道脇に墓地があり、小さな墓石が並んでいました。どれもが字も読めないほど風化していて、こんな山奥でここの人たちはどんな暮らしをしていたのだろうかと、小さな墓石を見て暫く考え込みました。


 500mほど行ったところで道は二つに分かれて、分岐の石標には右に行くのが鞍掛峠、左は雨ケ池(本当は雨生ケ池・まおいがいけと言うそうです)と刻んであります。この標石は昔からあったものではなく、近年道が修復されたときに設置されたものでしょう。この標石は要所ごとにあって、このコースを歩く人にとっては大変有難いものだと思います。


 道は荷駄が通れるほどの広さがあり、それも緩い登坂なので歩くには楽ですが、足元は結構水っぽく靴もかなり水を含んでしまいました。また平坦な道も長い年月の間に崩落してしまった所や、小沢が道を横切る個所は必ず深くえぐれて通過に時間を食ったりしました。大きなブナの森を抜け、最初の水場で後ろを振り返ると番屋山がこちらを見下ろしていました。


 番屋山への分岐に小さな木ハシゴがあります。そこで今日の泊場の殿様清水までの時間を考えても、番屋山の往復は可能と見て登ってみました。


 大きなブナの幹に古い鉈目が沢山刻まれています。昔猟師や山仕事で入った人たちが残したものでしょう。


 山の斜面が崩落した後に新しく道が造られていました。両足がやっと乗るだけの狭い道です。


 番屋山には12時丁度に着きました。そこには雨生ケ池から登って来た5人の登山者がいて、反対側から登って来た私を見て驚いた表情をしていました。八十里越えを歩いている間に会ったのはこの5人だけでした。


 番屋山から北の方角に大谷ダムとひめさゆり湖が見えました。新八十里越えとでも言うべき、国道289号が近い将来あそこまで通じることになるわけです。


 番屋山で昼飯を食ってまた元の道に戻るのに20分かかり、登りも含め山頂の休憩も入れれば約1時間20分を余分に使ってしまいました。しかし高度が上がるに従いブナの黄葉も良くなり、それによってか元気も出て、荷の重さもあまり感じなくなりました。




 番屋乗越に着いたのが午後1時45分。標高872mの切通になっていて、ここで今まで尾根の西側を歩いて来たのが、東側に変わりました。


 このコースには白い肌のブナの大木が多く、道中目を楽しませてもらいました。


 このブナ沢への九十九折の下りは、黄葉の美しいブナの林になっていて、コース中で一番快適な部分でした。しかしブナ沢の流れを渡るには、危なっかしい丸木橋が待っていました。渡るとお助けロープに頼るガケ登りです。このロープに頼っての通過は数えきれないほどあります。


 そんな苦しい個所も通過すればハッとするような景観が現れてくるのです。兎に角この繰り返しがこのコースの特徴です。


 殿様清水の少し手前の空堀茶屋跡に着いた時が午後3時20分になっていました。目の前には烏帽子山の岩塔が聳えています。茶屋跡と言っても何もありません。昔はここに茶屋があったそうですが。


 殿様清水が近くなった道脇にブナの巨木が立っていて、その幹にはやはり沢山の鉈目がありました。


 午後3時50分に今日の宿泊予定地の殿様清水に着きました。途中番屋山に立ち寄って余分な時間を費やしたのに、到着予定時間に辿り着けたことでまず一安心。すぐにツェルトを張って体を休め、明日の長い道中に備えました。ツェルトで夜を明かすなど何十年ぶりだろう。夜半ツェルトの外に出てみると、雲一つない夜空に半月が輝いていました。物音ひとつしない山奥に一人居ても、別に寂しいとも思わなくなったのはやはり年のせいかな。







台風15号が去った翌25日に会津七ケ岳に登って来ました。

2022年09月26日 | 登山
 本当は9月18日に行くはずの七ケ岳でしたが、生憎大型台風14号が来てしまったために中止にして、今回の実行となった訳です。写真は帰路荒海小学校前の歩道橋から撮ったものです。七ケ岳は七ガ岳と書かれたガイドブックもありますが、国土地理院の25000分の1地形図には七ケ岳と表記されています。


 入山は林道七ケ岳線、標高910mの針生登山口とも黒森登山口とも言われるから所から始めました。出発は午前5時20分。やっと明るくなり始めたのに合わせて出発しました。台風15号が去った直後なので、登山道も水が大量に流れた跡があり、足元はお陰でぬかるんだところが多く、山靴も早々に泥靴状態になってしまいました。


 最初の内はブナの林の緩い登りだったものが、杉の植林地帯に入ると急登に変わり、お助けロープがちょいちょい現れるようになりました。登山コースの案内標識はしっかりしたものが丁寧に取り付けられており、心配なく登れるようになっているので、ただただ足元にさえ気を付けていれば良いというものです。






 ところが所謂護摩滝の滝下を左から右に横断して、汚い固定ロープに頼って左岸の泥壁を登るころから、道は道とは言えない様相を呈し始め、そのクライマックスはこの150mはあろうかと思える、スラブ滝の中段を左岸から右岸へのトラバース部分にありました。いくらお助けロープがあると言っても、頭上から落ちてくる水は避けられません。やはりいつもより水量が多かったようです。滝を登り切ると後は緩やかな滑床の流れになり、極力水を避け右に飛んだり左に飛んだりの、楽しい沢歩きに変わりました。




 沢が細くなり水量も減って、左に細いルンゼが現れると、それが稜線に出るための道になっていて、藪を抜け出た途端高杖スキー場からの道に合して、眼前に台風の名残の雲が流れる先に、遠く那須や安達太良の山々を望むことができました。


 大きな石がゴロゴロと転がる賽の河原を過ぎると頂上はすぐで、誰もいない山頂に午前7時35分に着きました。台風一過の青い空の下に30分以上もいてコーヒーを楽しみました。


 山頂からこれから行く下岳がはっきり見えています。取りあえずあそこまで行って次の休みと決めました。






 下岳への稜線は登り下りが思いのほか多く、それに加え稜線が細い上に草に覆われているため、踏みだす一歩がつい慎重になります。特に下りは雨上がりの滑りやすい土のために、尻もちまではつかなかったものの、3回も滑ってしまいました。稜線の東側は崖が続いているので、兎に角気の抜けない稜線です。写真3枚は途中振り返って見た七ケ岳本峰一番岳です。


 下岳からの本峰方向です。なかなかいい山容だと思います。


 この山は稜線に出ると標識が無くなります。通常山道を歩く際よく見かける赤いテープだの、木の幹に打ち付けた標識がありません。
ただ2ケ所写真の標識がありました。山歩きの途中で見るあのやたら多い赤テープだの標識は私には少々煩い感じがします。。


 下岳頂上には午前9時40分に着きました。下岳から更に下って行った所にも下岳と書かれた標識がありました。


 下岳登山口への分岐です。こういう所にはしっかりと標識があります。


 下山途中の足元には大きなキノコが頭をもたげていました。


 下岳登山口への道は黒森コースに較べずっと歩き易いです。分岐から暫くは結構急な部分もありますが。


 下岳登山口着が午前10時50分でした。ここから黒森登山口まで林道七ケ岳線をダラダラと歩いて、登山口の駐車場に午前11時30分に戻って来ました。快晴の空の下、変化に富んだ山歩きを楽しみました。



越後の名山・守門岳に登って来ました。

2022年08月01日 | 登山
 守門岳はスキー登山の山として、山スキー愛好家には古くから愛されてきた山でした。今では日本300名山のひとつに加えられているせいか、中級山岳愛好家には人気の山のようです。この山に下界の暑さから逃れようと行ったのですが。


 二口コースの登山口の駐車場はまったくのガラ空きで、ここを7月31日の夜明け早々の4時半にスタートしました。


 本高地沢に架かる猿倉橋を渡ると登山届のポストがあって、ここが保久礼小屋を経由して大岳に至るコースと、護人清水を経て一直線に
主稜線を目指すコースの分岐になっています。私は先に大岳を登ることにしていたので、当然左の保久礼への道を選び二分キャンプ場へ向かいました。


 暫くは舗装された道を登って行き、二分キャンプ場からは保久礼小屋下まで下草の生えた今は使われていない林道を歩きます。


 足元にはこんな大きくて派手なキノコも生えていました。


 1時間かかって保久礼小屋下に到着。年を取るとなかなか足が思うように上がらないもので、もうここで顎が上ってくる始末。


 これから先を見やると長い階段が続きます。階段登りは結構こたえるのです。


 階段登りと赤土のヌルヌル道が続き、やっと着いたキビタキ清水で大きな赤ガエルに遭遇。キビタキ清水は強烈に冷たい清水でした。


 キビタキ清水からすぐにキビタキ小屋に着きました。簡単な造りの避難小屋です。大雨に見舞われたらこれでも助かります。


 第二展望台と記された札が吊るされていました。ここからの眺めは生憎霞んでいて遠くの方は良く見えませんでした。


 午前8時丁度に大岳山頂に到着。猿倉橋を出発してから3時間半かかったわけです。思っていたより時間がかかりました。そしてめちゃくちゃ汗をかきました。さらに驚いたことには先に着いていた人が6人もいたことです、駐車場には私の車以外に軽自動車が1台あったのみでしたから。


 大岳山頂には三角点や鐘以外に古い石塔があって、それには巣守神社という字が見えました。守門と巣守。調べてみたくなりました。


 大岳から今度は南に方向を変えて守門岳(袴岳)に向かいます。山頂部には少し雲がかかっています。今回選んだコースは兎に角単純明快で、スタートからまず北に向かい、尾根上に出たら今度はひたすらに東に向かうと大岳です。そして主稜線を南に行けば袴岳に行着き、下りは一旦主稜線を北に半分戻り、西に向かってひたすら下ると元の二口登山口に戻れるわけです。私のような年寄りは足腰が弱くなり、バランスも悪いので、木の根や石ころに躓かないように足元ばかりを見て歩いています。それゆえに先を良く見ていないので、つい道を間違えるという阿保なことをしでかします。ところが今回のコースではそんな心配がまずありませんでした。このスクエアなコースは地図読みがあまり上手くない人や老人には適しています。


大岳から南へ細い稜線の道を最低コルまで標高にして約100mほど下り、そこから袴岳まで約200mの登り返しになります。この間にアッサリと二人の登山者に抜かれてしまいました。眼前には黒姫山の鋭鋒が見え、足下には守門川の源流である硫黄沢の雪渓が見下ろせました。標高が低いと言っても流石豪雪の山だけあって、盛夏の時期にあってもまだ雪が残っているから驚きです。






 大岳と袴岳の中間が大岳の分岐で、ここからひと登りで池塘もある草原の青雲岳の頂に着きました。木道が袴岳に向かっいて伸びています。




 9時36分やっと袴岳・守門岳の頂上に着きました。先着者が三人いました。兎に角大汗をかいてしまいました。予想以上に蒸し暑い日で、山頂には風も無く、低く雲が垂れこめてお陰で眺望も楽しめず、という状態でした。




 山頂に10時までいて、先ほどの分岐まで戻り二口尾根を下りました。この道は非常に単純でさして悪い所も無く楽な道です。中間点の二口尾根展望台が丁度標高1000mで、ここが唯一展望が開けていて、振り返るとオカバミ沢に懸かるウワバミの大滝を望むことが出来ました。このころになると空はすっかり晴れ上がり、今度は強烈な太陽が降り注いでその熱い事。






 ブナの森が続くようになると間もなく谷池平で、ここから尾根を離れて急な下りになりました。下る道々に大きなキノコが傘を広げていて、それが結構楽しめました。


 これは熊よけの鐘です。なんとガスボンベのキャップを使っています。




 ほぼ尾根を下り終えた所に護人清水の水場がありました。ここの水も強烈に冷たかったです。


 登山口に飛び出したらそこから平らな道が駐車場まで続いていました。草むらの道のなんと心地よいことよ。


 スタート地点の猿倉橋に午後1時17分に着きました。熱せられたフライパンのような駐車場に着き、靴を脱いで素足でアスファルトに立った途端に飛び上がってしまいました。本当に火傷しそうな暑さでした。でもここに犬を連れてきている人がいました。あー何たる不幸な犬よ。



















7月3日谷川岳連峰の北部にある大源太山に登って来ました。

2022年07月06日 | 登山
 谷川岳は昔死の山とも呼ばれ、山岳遭難者の多いことで知られていました。私もご多分に漏れず二十代の頃には一ノ倉や幽ノ沢の岩場に足繫く通っていました。一ノ倉沢烏帽子岩や衝立岩正面、コップ状正面などよく登ったものです。今から50年、60年前の時代はヨーロッパアルプスや、アンデス、ヒマラヤなどの岸壁や高峰に憧れて、若者が争うようにして難壁や冬季登攀に情熱を注いだものです。
 しかしそれも昔。今は老いぼれて八十の声も聞くようになると、体力も落ち、膝は痛むしバランスは悪くなる一方で、特にこの夏のように大変な猛暑ときては、ただ太陽の下にいるだけで眩暈はするし、熱中症の初期症状は出るわで、我が体力の限界をはっきりと認識するに至りました。現在は有名山岳はなるべく外して、マイナーな山で人気を感じないコースを選び、ゆっくり登山を楽しんでいます。
 今回は蓬峠の北に上越のマッターホルンとも呼ばれ、山好きには人気の大源太山に登って来ました。標高は1598mとさして高くもない山ですが、なかなかどうして私のような高齢者にとっては結構ハードな山でした。


 今回は越後湯沢側の旭原登山口から弥助尾根を登って大源太山の頂上に立ち、七ツ小屋山1674,7m、シシゴヤの頭1472,6mと巡って再び登山口の旭原に戻って来るという周回コースを楽しみました。


 この山の素晴らしいところは、狭い山頂ですが周囲360°何の遮るものも無く壮大な展望が開けていることです。北は巻機山から南は谷川連峰の雄大な山並み、遠くに苗場山そして越後湯沢の町までが目の前に広がります。弥助尾根の急登には泣かされますが、山頂に着いたとたんにそんなことはすっかり忘れてしまいました。


 ちょいとスリリングな大源太南面の岩尾根の下降の後、痩せ尾根の緊張する縦走が嘘のような、七つ小屋山の頂に立つと波打つような笹原のなだらかな山稜が蓬峠に向かって伸びています。ニッコウキスゲや山の花を楽しみながら稜上漫歩がシシゴヤの頭まで続きました。しかし今回はシシゴヤの頭への分岐辺りから空模様が怪しくなり始め、谷川主稜線には厚い雲がかかり雷鳴が響き渡り、ちょいと落ち着かない気分になってしまいました。幸い雨にはなりませんでしたが、蒸し暑い樹林の中の下りで大汗をかきました。シシゴヤの頭から登山口までの道は、謙信ゆかりの道と銘打ってありますが、一般登山道としては歩き易い道ではありません。私の場合どうしても下りの時には、右膝の痛みと左足首の痛みが出てくるため、この下りは些か苦痛でした。
 北沢の渡渉点で汗でびしょ濡れになったシャツを脱ぎ、冷たい渓流に体を浸し汗を流してサッパリした後車に戻りました。この日大源太山の山頂に立った人は10人程度だったのでは。日帰りの山としては程よい緊張感と、草原状の稜線歩きの両方の楽しさを味会うことが出来、良い山登りでした。
コースタイム 旭原登山口4:15⇒大源太山7:10~7:30⇒七つ小屋山8:35~8:45⇒蓬峠分岐9:20⇒シシゴヤの頭10:00~10:10⇒旭原登山口11:40
天気 ほぼ晴れ 蓬峠分岐辺りから雲が多くなる 往復マイカー使用






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茨城県にある加波山に登ってきました。

2022年04月26日 | 登山
 加波山は筑波山, 足尾山と併せて「常陸三山」と呼ばれ、日本武尊が東征のおり、ここに祠を建てたのが始まりとされています。この山は修験の霊場として栄え、江戸後期まで多くの信者や修行者によって登られたとあります。しかし明治初期の神仏分離令、更に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、かっての賑わいは失われてしまいました。
 4月24日東北本線小山駅で水戸線に乗り換え、岩瀬駅からバスで加波山登山口の長岡バス停で下車。途中雨引観音に立ち寄って行くバスであったため、登山口をスタートしたのが午前9時40分と遅い時間になってしまいました。しかし30分以上も乗っていたのに乗車料金が200円だったのには驚きでした。


 立派に舗装された登り勾配の道を行く右手には形の良い筑波山が見えます。


 加波山神社里宮に寄って二拝四拍手一拝の拝礼をしておきました。


 途中にある加波山神社はアッと驚くド派手な神社です。


 三合目の桜観音で右の本宮路と分かれます。私は左の親宮路を行きました。


 この山は石切り場が多くあちこちに砕石場があります。真壁は石の街として知られ、墓石などミカゲ石の産地となっています。


 五合目で舗装路が終わりここでやっと登山道に変わりました。山に来るとやはり山道の方が楽しいです。


 七合目が山椒魚谷の水場です。ここで一息入れました。


 暗い杉の森の中を登り切るとやっと稜線に出て、右に少し登ると加波山神社親宮です。ここも結構派手な造りの神社でした。


 山頂までの登山道脇には沢山の石碑、石塔が並んでいます。それにしても昔の人はこんな大きな石をどうやって運び上げたのでしょう。実に恐ろしきは信仰の力です。


 このようなものもありました。多分子孫繁栄を祈ってのものでしょう。


 たばこ神社なるものもあります。



 山頂には元首相の吉田茂筆とされる朱の入った石碑がありました。今丁度ツツジも見頃です。


 丸太で組まれた階段の長い下りが終わった所がこれから行く一本杉峠から来る林道の駐車場で、ここまで車で登って来た人たちが数人いました。


 ここから丸山に向かって登るのですが、2基の風車が回っている下を通って行きます。しかし写真で見る通り登山道が消えています。ここんところは林の中の迷路を勘を働かせて丸山まで登りました。


 辿り着いた丸山山頂はこのようにオリエンテーリングを思わせるような札が張り付けてありました。



 下って行く途上で道は徐々にはっきりしてきて、うまく一本杉峠に下りつくことができました。そこにはなんと悪路走行のオフロード四輪やバギー車、バイクが一杯で、いい年こいたおじさんや若者が昼飯を食っている最中でした。



 長岡バス停に戻るには、車進入禁止と書かれた彼らが車で登って来た道を下るしかないので下って行ったら、ご覧の通りの凄い道でした。
悪戦苦闘して登る車たちが下の方から次々に登って来るのを見ると、この道が究極のオフロード走行のトレーニングコースになっているようです。



 やっと人里に出てきたら各家々の庭先は色とりどりのツツジが満開でした。それらの家は石やさんが多く、工場には石を切る大きな丸鋸が見えていました。


 午後2時35分に今朝スタートしたバス停に戻って来ました。正面には登って来た加波山が良く見えます。一日中曇りでしたが、雨に降られず幸いでした。




 


 
 

大宰府の宝満山に登った後、一日置いた3月25日に大分県の由布岳に登りました。

2022年03月28日 | 登山
 由布岳は過去に2回登っていますが、3度目になる今回も十分楽しむことが出来ました。これほどの山が何で日本百名山に選ばれなかったのか不思議でなりません。古く風土記や万葉集にも詠われ、豊後の名山として知られていた山です。湯布院駅前から仰ぐ双頭の孤峰は実に立派です。


 今回は駅前から別府行のバスに乗って正面登山口(昔は東登山口一軒家と言いました)から登山を開始しました。由布岳登山のもっともポピュラーなコースです。登山開始時間が午後0時45分と遅い時間になってしまいました。


 正面に由布岳を見ながら草原の道を合野越に向かいます。この時間ともなれば登る人は無く、下山してくる人ばかりです。


 登る道すがら右の方を見ると鶴見岳が頭を出しています。


 合野越から見る「いもりが城」の牧草のピークです。由布岳も久住山や阿蘇山と同じく牛馬を放牧するために、山全体が牧草地になっている所が多いのです。春ミヤマキリシマが咲くころの牧草の緑が奇麗です。



 合野越から森の中のジグザグ道を登り、樹林が終わると周囲の展望が開け、遠くに九住山などの九州中央の山々が霞んで見えてきました。眼下に湯布院の街が見えます。


 午後2時35分、西峰と東峰の間のマタエと呼ばれる所に着きました。空も雲に覆われ冷たく強い風が吹きつける生憎の天気になってしまいましたが、先に最高点のある西峰に取りつきました。


 西峰は鎖もある岩場の多い道で、そこそこスリルもありました。それにしても気温が下がり風が強くて手もこわばり手袋装着と相成りました。


 西峰1583,5mに午後3時57分登頂。旧火口を挟んで東峰が見えます。山頂には2~3分居ただけで寒さのためにすぐにマタエまで下りました。


 マタエから今度は東峰に登りましたが、こちらも西峰同様とても寒い所で、それでも15分ほど居ました。由布岳登山といえば東峰だけ登るのが普通ですが、できれば西峰、東峰と旧火口を一周するのが面白いので、そうするつもりでしたが、如何せん寒さに負けました。


 下山は岳本西登山口へ向かいました。合野越で別れ「いもりが城」との鞍部から台と呼ばれる放牧場を経て西登山口に午後5時25分に着きました。




 西登山口へ向かう途中の眺めです。


 台と呼ばれる所ですが、作業道が上ってきています。


 西登山口です。正面登山口へのバス道路の途中にあり、車で走っていると見逃してしまいます。
余分の荷を駅前のバス停ロッカーから取り出すためえらく急ぎました。ロッカー使用時間の〆午後6時にギリギリセーフでした。兎に角雨に降られずラッキーでした。それはそうと下山中に出会った4人の外国人は
明るい内に下山できたのかな。随分と軽装だったけど。







私の田舎は九州福岡県大牟田市の片田舎で、今年も兄の畑の手伝いや、田んぼの傍に桜を植える手伝いをやって来ました。その折大宰府天満宮の宝満山に登って来ましたのでその報告を簡単に行っておきます。

2022年03月27日 | 登山
 太宰府天満宮は菅原道真にちなんだ有名な神社です。修学旅行の定番にもなっているくらいです。その裏山とでも呼べる宝満山829mは、英彦山や求菩提山と並ぶ北部九州の霊山として山伏の修験道場として隆盛を誇った山なのであります。その入り口とも言える太宰府天満宮の正面鳥居です。


 中に入ると修学旅行の学生さんたちが大勢来ていました。


 大宰府駅前から竈神社までバスもあって、それで行けばアッと言う間に登山口まで行けます。歩いても通常通りに歩けば1時間ほどで登山口に着くのですが、へそ曲がりの私は天満宮右横にある「だざいふ遊園地」側から古い参拝道を選んで竈神社を目指しました。


 県道35号の下を抜け村道に入ると、写真の古い道標をみてその方向に進んで行ったのですが。


 山中の風光明媚?な場所から正面に目的の宝満山を見て、すっかり気分を良くして登って行きました。


 ところがどうも途中より道が怪しくなり、写真のようなイノシシ捕獲用の檻が出てきたり、道はすっかり獣道状態になり、あとはやけくそになり遮二無二藪を分け、鬱蒼とした杉林の急斜面を登ったりで、適当に見当を付けて登っていたら林道に出て、予想の二倍の時間をかけて竈神社に着きました。癪にさわりましたが結構面白かったです。



 宝満山一合目はこの竈神社になります。ここをスタートしたのが午前11時40分と、登山には些か遅すぎるタイムになっていました。



 この山の凄いところは道が登山口から山頂までずっと石の階段が続くことです。これは辛いです。


 また土の所は長い年月の間に、多くの人に踏まれて掘割のようになってしまっています。


 道中色々な石柱や石標があって面白いです。流石に奈良、平安朝の頃から山伏の修験道場として栄えた霊山の貫禄があります。


 開けた所が中社跡で、昔は沢山の坊舎があったと言われます。


 中社からは岩場が多くなり、ウンウン言って汗をかきながら最後の急階段を登り切って、午後2時25分山頂に着きました。山頂には竈神社上宮が建っています。ここまでずっと雨だったのが雪に変わり始めました。


 山頂の三角点の後ろにはしめ縄を巻いた大岩があって、流石に霊山、ただならぬ雰囲気を感じさせます。


 山頂から三郡山方面を望むも、雲が低く垂れこめており眺望は無し。遅い昼飯を上宮の庇の下で済まし、25分いて同じ道を竈神社まで下りました。下りは早く1時間25分で下りそのまま出発間際の大宰府駅行のバスに乗り込み、アッという間に駅に着いてしまいました。本当はもっとゆっくり楽しみたい山だったんですが。









西上州・荒船山に南面の線ケ滝登山口から登って来ました。

2022年02月07日 | 登山
 南牧川支流の星尾川に沿って奥へ延びる県道201号を、線ケ滝まで行くと道はそこで終わっていて、そこから登山開始


 先行者の車が2台ありましたが、この車の主たちは立岩の方へ行ったようです。


 荒船山への登山道はこのような道から始まります。消え残りの雪が少しありました。


 星尾峠と立岩への分岐に地蔵堂があって、登山の安全を祈願して手を合わせておきました。


 少し進むと氷結した堰堤がありました。西上州の各沢の滝は良く結氷するので、アイスクライミングの良い練習場になります。


 星尾川の登山道は過去の豪雨災害で大変荒れており、今もって復旧が完全に為されておらず、木造の橋は元より鉄造の橋までも流されている状態です。沢に架けられた橋で、鉄造のもの2基、腐った木造橋が3基ありますが、木造はもう危なくて渡るのには勇気が必要です。この星尾峠越えの道は、内山峠を国道254が開通して以来、登山者以外は利用する人も少なくなり、今はただ荒れるに任せた状態です。車以前は西上州の人や佐久の人たちにとっては、大切な生活の道として、又荒船不動への参拝のための道として、内山峠以上に大切な道だったはずです。


 対岸の崖から大きなつららが下がっていました。


 大きな岩の上に石標が乗っています。


 古い石垣がのこっていますが、峠越えの人や荷を背負った牛馬が頻繁に往来した昔を偲ばせます。


 このように朽ちた木造の橋の隣に鉄の橋が設置されています。しかしこれとて残っているのは2基だけです。


 崩壊した道の脇に残された石碑が寂しそうです。


 凄まじい崩落個所に巨木が行く手を阻んでいます。この巨木を下から回り込んで、取り付けられた鎖を頼りに登りなおして登山道に復帰。


 仰ぐと立岩が聳えています。


 荒れた広い沢の中に古く錆びた案内板が木に打ち付けてありました。


雪も出て来て峠への道は消えており、赤いテープだけが頼りの登りになります。


 古い鍋が木に掛けてあります。多分伐採時に作業小屋があったときのものでしょう。


 田口峠と荒船山分岐の標識がありました。


 振り返ると西立岩と東立岩が見えます。


 雪面には夥しい動物の足跡が残されています。鹿や猪のものでしょう。


 星尾峠に2時間半かかって着きました。ここまで来ると登山者の足跡が沢山ありました。


 京塚山が見えてきました。


 荒船山の稜線に登り着きました。内山峠からの道との合流点です。


 空は晴れ上がり青空が広がりました。


樹氷が奇麗です。


 荒船山の頂上・京塚山に着いたのが丁度12時30分。予想より時間がかかりました。


 登山口になる線の滝が見事なのでぜひ降りて行って見ることを勧めます。



 南牧川途中に蝉の峡谷という見事なゴルジュがあるので、車を止めて覗いて見てください。



 南牧川に沿う砥沢や羽根沢の集落は古い街道の面影を今も残しています。兎に角道が狭いので車の運転にはご注意を。









 

薄曇りの風のない日曜日。さいたま山遊クラブの仲間と蕨山に行って来ました。

2022年01月24日 | 登山
 名郷バス停から入間川を渡って、支流の小沢に沿った林道を20分歩いたところで堰堤にぶっつかり、その下から右に沢を渡って北稜(?)の急斜面を登ります。


 登り着いた北稜上から狭い稜線歩きです。周囲は雑木に遮られて展望は良くありません。


 途中にこんな岩場も出てきます。雪が着くと結構悪い所です。


 遠くから犬の吠え声が聞こえていましたが、多分猟をしている人がいるのだろうと、大して気にも留めず歩いていたら、ひょっこりと大きな犬が現れて、我々の後になり先になりと一緒に歩きだしました。首に無線機を着けていて,ただいま仕事中なのに暫く我々に同行してくれました。


 かなり上部まで上がったところで、やっと小梢の間から大持山や武甲山が見えてきました。


 蕨山稜線まで上がると写真のような標識が立っていました。ここから右に行けば逆川乗越を経て橋小屋ノ頭です。本当の蕨山の頂上もここから5分ほど行った所にあります。しかしほとんどの登山者は左の展望台へ行ってしまいます。展望台は標高1033mですが、本当の山頂は1044mです。



 展望台で昼飯を食っていると、何と浦和渓稜山岳会の古い仲間である、鈴木G君が登って来たではありませんか。彼と最後に登ったのは上州武尊の川場谷で、もう10年以上も会っていませんでした。まさか山で会えるなんて奇跡みたいなものです。積もる話も沢山あり、とそんな訳で近くにいた人に写真を撮ってもらいました。



 下山はあの長い金毘羅尾根です。だらだらとゆるい下りの尾根道を歩きます。写真のように実にのんびりした雑木林の道です。


 少し雪が見える山は長尾ノ丸かと思われます。


 そしてやっと尾根末端の金毘羅神社に着きました。むかしはここにちゃんとお堂が建っていました。今は小さな石の祠だけになっています。
ここから名栗湖に向かって30分の急坂を下って、午後2時10分に名栗湖さわらびの湯バス停に着きました。

2022年元旦の日の出と富士山を矢倉岳山頂から拝観して参りました。ハイッ 良かったです。

2022年01月02日 | 登山


 午前6時50分相模湾の水平線から太陽が昇り始めました。その瞬間山頂にいた人々から同時にオーという歓声が上がりました。


 山頂の標識にはお正月のお飾りがかかっていました。


 後ろを振り返ると富士山が薄っすらとピンク色に輝いていました。それにしても寒いこと。冷たいこと。早々に下山。



 足柄峠から矢倉岳のコースは先年の大雨によって崩落した個所があり、通行止めにはなっていませんが、足場も悪くまだ上部からの落石には気を付けないといけません。ロープを張ってあるものの夜間の通行は危険です。




 足柄峠の足柄城址から富士山を見るのが好きなので、今回も上がってみました。なだらかな芝生の丘から富士山を眺めていると不思議と心が安らぐのです。



 また近くの箱根の山や富士の裾野の左に見える愛鷹山も見ていて飽きません。


 峠には足柄神社もあり、熊に跨った金太郎像が可愛いです。又道を挟んで向かいには足柄関所跡もあるので寄ってみました。
この元日は雲一つない素晴らしい天気に恵まれて、私の矢倉岳からのご来光の中では一番でした。