山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

青梅街道ウォーク第2回目です。武蔵野線新小平駅から青梅線青梅駅間を歩いて来ました。

2022年07月18日 | ウォーキング
 7月17日日曜日は梅雨の戻りか、このところスッキリしない天気が続き、当日も家を出る時は霧雨が降っており、気乗りがしないもののスタート地点の武蔵野線新小平駅に向かいました。
 今回は青梅駅までと決めていたので、たとえ雨が降っても中止にする気はありませんでした。カンカン照りの中を歩くより、むしろ雨に濡れて歩く方が気持ちいいのではと思ったもので。それに青梅の町には古い時代の映画看板が町のあちこちにあり、それを眺めて歩くのも楽しいですから。


 午前8時丁度に新小平駅南口を出発。雨は降っておらずむしろ天気は良くなる方へ向かっている。駅前がすぐ青梅街道で、街道に出て西に方向を定めて歩行開始。朝から東京へ向かう車が多い。それより猛スピードで狭い歩道を駆け抜ける自転車が怖い。


 歩道脇を流れる水は野火止用水から分岐して送られて来るものらしく、今もこれを管理、手入れをしている人たちがいることに思いが行く。


 小平市では緑を大事にしているようで、街道沿いの大きな木には市の重要保存樹木としてその旨の札が取り付けられています。


小平小川町に小平神明宮がありましたので、少しの時間寄ってみました。この神社は明暦2年(1656年)村の名主、小川九郎兵衛が当地の開拓を志し、荒れ地の開墾を行い、寛文元年(1661年)西多摩郡殿ケ谷村神明ケ谷から分祠遷座されたものと説明されています。約360年昔のことになります。


 1時間歩いたところで青梅橋交差点に着きました。頭上に西武拝島線東大和市駅があります。ここには橋は無くて野火止用水が暗渠となって足下を流れています。ここから南へ750m行けば玉川上水です。また西武拝島線を西に一駅行けば玉川上水駅です。更に北へ3kmも行けば東京都民の水瓶である村山貯水池です。何だかこの辺り東京都民の命を預かってきた心臓部のような所なんですね。



 さてここからが問題。四方八方からここへ道が集中しています。ガードを潜りそのまま道なりに行けば新青梅街道に出てしまいます。ここは地元の人に教わって西に行く桜街道を行くことにしました。これが旧青梅街道だということです。


桜街道行くこと暫し。左手に先の青梅橋分岐で教わった東京都中小企業大学校がありました。


 芋窪街道交差点上に多摩都市モノレールの桜街道駅が現れました。


 更に進むと緑ヶ丘団地群、更に進み東京経済大学を横目に進み、所沢武蔵村山立川線との榎交差点を通過。ここから元日産村山工場跡地に入ります。行く手に武蔵村山病院、巨大なイオンモールの建物が見えます。


 日産村山工場跡地にはまだまだ広い空き地が広がっています。


 イオンモールを挟み元工場のテストコースが一般道路として利用されています。


 イオンモールを出た所が残堀川でした。


 残堀川に沿うように住宅街を抜けて行く細い道を進みます。


 この辺り茶畑が多くなりその間に新興住宅地が侵入してきているという状況です。


 三ツ藤二丁目、三丁目と過ぎて青岸橋東で新青梅街道に合流しました。


 ここから又残堀川沿いに両岸の住宅を結ぶ表橋、仲町橋といくつもの橋を過ぎて行きます。


 瑞穂第一小学校で青梅街道に合流しました。横田基地が近いので米軍機が低空で目の前を横切って行きます。


 すぐに箱根ヶ崎時計台に出会いここで道は二分して、旧青梅街道は左に分かれます。


 道は八高線の踏切を渡りますが、すぐ左手に箱根ヶ崎駅が見えました。


 12時半に国道16号との交差点に着き、交差点を越えた所にある食堂に入り昼食を済ませました。昼飯時であったせいか大変混んでいました。圏央道が完成するまでは北アルプス、南アルプス、八ヶ岳などへ行くたびに通った16号国道ですから、この交差点も良く通った所です。


まったく予想もしなかった真昼の太陽の照り付ける中を営々と歩き続け、青梅新町交差点を過ぎた右手に茅葺の大きな家が現れました。旧吉野家住宅とありました。立ち寄ってみたかったのですが、もう暑さに参ってその気力が無くなっていました。


 青山三丁目交差点で左折。青梅線のガード下を潜り奥多摩街道に合流して東青梅駅に向かいました。東青梅駅の北側は車で良く通っていましたが、市役所のある南側は一度も通ったことが無いので回ってみました。


 まず目につくのは左に大きな郵便局で、その向かいにあるのが立派な青梅市役所の建物です。人口100万の我が大宮市役所より立派で大きいじゃありませんか。


 そしてすぐに現れるのが東青梅駅です。こちらはずっと素朴な建物でした。


 青梅街道に戻り青梅線の線路を挟んで少し高みにある乗願寺に寄って見ました。踏切があって自転車と人以外は通行止めの看板が立っています。


 秋川街道が左から合流してきます。その先にレトロな雑貨屋さんがありまして、覗いて見るとなかなか面白いものを売っています。はっぴだの草鞋だのありました。


 青梅の町中には昭和時代の懐かしい映画のポスターがあちこちに見られ、オールドファンにはうれしい町です。今町では猫をモデルに往年の名映画をマンガ風にもじったポスターを、町中のあちこちに展示しています。これがなかなか良くできていて、思わずにんやりしてしまいます。











 私が気に入ったポスターだけですが、ここに並べてみました。関心のある方はどうぞ青梅駅まで行ってそれら作品を楽しんで下さい。




通りに面した広場では屋台も出て、町内の人たちが賑やかに飲食を楽しんでいました。


 そして今回の青梅街道歩きのゴールである青梅駅に午後3時30分に到着しました。距離的には20km足らずでしたが、途中足を止めることが多く、なかなか前に進まず予想以上に時間がかかりました。しかし楽しくて良い一日でした。それにしても蒸し暑い一日でした。




 おまけの画像です。青梅駅地下道にはこんなレトロな昭和映画全盛時代の復刻版ポスターが描かれています。
 
 








7月3日谷川岳連峰の北部にある大源太山に登って来ました。

2022年07月06日 | 登山
 谷川岳は昔死の山とも呼ばれ、山岳遭難者の多いことで知られていました。私もご多分に漏れず二十代の頃には一ノ倉や幽ノ沢の岩場に足繫く通っていました。一ノ倉沢烏帽子岩や衝立岩正面、コップ状正面などよく登ったものです。今から50年、60年前の時代はヨーロッパアルプスや、アンデス、ヒマラヤなどの岸壁や高峰に憧れて、若者が争うようにして難壁や冬季登攀に情熱を注いだものです。
 しかしそれも昔。今は老いぼれて八十の声も聞くようになると、体力も落ち、膝は痛むしバランスは悪くなる一方で、特にこの夏のように大変な猛暑ときては、ただ太陽の下にいるだけで眩暈はするし、熱中症の初期症状は出るわで、我が体力の限界をはっきりと認識するに至りました。現在は有名山岳はなるべく外して、マイナーな山で人気を感じないコースを選び、ゆっくり登山を楽しんでいます。
 今回は蓬峠の北に上越のマッターホルンとも呼ばれ、山好きには人気の大源太山に登って来ました。標高は1598mとさして高くもない山ですが、なかなかどうして私のような高齢者にとっては結構ハードな山でした。


 今回は越後湯沢側の旭原登山口から弥助尾根を登って大源太山の頂上に立ち、七ツ小屋山1674,7m、シシゴヤの頭1472,6mと巡って再び登山口の旭原に戻って来るという周回コースを楽しみました。


 この山の素晴らしいところは、狭い山頂ですが周囲360°何の遮るものも無く壮大な展望が開けていることです。北は巻機山から南は谷川連峰の雄大な山並み、遠くに苗場山そして越後湯沢の町までが目の前に広がります。弥助尾根の急登には泣かされますが、山頂に着いたとたんにそんなことはすっかり忘れてしまいました。


 ちょいとスリリングな大源太南面の岩尾根の下降の後、痩せ尾根の緊張する縦走が嘘のような、七つ小屋山の頂に立つと波打つような笹原のなだらかな山稜が蓬峠に向かって伸びています。ニッコウキスゲや山の花を楽しみながら稜上漫歩がシシゴヤの頭まで続きました。しかし今回はシシゴヤの頭への分岐辺りから空模様が怪しくなり始め、谷川主稜線には厚い雲がかかり雷鳴が響き渡り、ちょいと落ち着かない気分になってしまいました。幸い雨にはなりませんでしたが、蒸し暑い樹林の中の下りで大汗をかきました。シシゴヤの頭から登山口までの道は、謙信ゆかりの道と銘打ってありますが、一般登山道としては歩き易い道ではありません。私の場合どうしても下りの時には、右膝の痛みと左足首の痛みが出てくるため、この下りは些か苦痛でした。
 北沢の渡渉点で汗でびしょ濡れになったシャツを脱ぎ、冷たい渓流に体を浸し汗を流してサッパリした後車に戻りました。この日大源太山の山頂に立った人は10人程度だったのでは。日帰りの山としては程よい緊張感と、草原状の稜線歩きの両方の楽しさを味会うことが出来、良い山登りでした。
コースタイム 旭原登山口4:15⇒大源太山7:10~7:30⇒七つ小屋山8:35~8:45⇒蓬峠分岐9:20⇒シシゴヤの頭10:00~10:10⇒旭原登山口11:40
天気 ほぼ晴れ 蓬峠分岐辺りから雲が多くなる 往復マイカー使用






,