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PAP-JAPAN代表、川井眞理のお仕事(以外もてんこ盛り)日誌

何とえげつない子どもだったのか…(反省)

2008-10-13 | Weblog
子どもの頃の物を整理していたら、小学5年の時に書いた作文に遭遇。
郡部校区の小学生の作文を、先生たちが選んで定期的に文集にしてくれる
のだが、その中に載っていたもの。

タイトルが何ともすごい。
「ねこに食べられたアヒル」。
2年前を回想して書いたらしい。

3年生の夏休み、縁日で母にねだってアヒルのヒナを2羽買ってもらった。
大切に育てていたのだが、休みの終わりに世話を祖母に頼み、1泊旅行して
帰ったら、アヒルが2羽ともきれいに消えていた。

現場検証した結果、アヒルを飼っていた箱から重石をぴくとも動かさずに
外へ出ることのできた飼い猫が、問答無用で疑われ、私はその日のうちに
父の車に乗せてもらって知らない街へ猫を捨てに行ったのだった…。

その辺の家族の発言や私の心理描写が単純にされているのだが、
しかしまあ、何と強烈な話よ!

悲しく、とても悔しかったのは今でもしっかり覚えているが、
それにしても結末が、
「…中略…わたしは、ねこを道ばたに捨てました。
『ニャーン』と、何も知らずに、道ばたでないていた、ねこのすがたが、
アヒルといっしょに今でも、ときどき思い出されます。」
とはまあ…。

(ウンと昔の、かなり田舎の話なので、内容に倫理的解釈はご勘弁)」

私は当時からリアルな描写を得意としていたのか、小学生の頃に書いた
いくつかの作文を、今読むと赤面するばかり。
要するに体裁をつくろうということを一切しない(知らなかった?)
子どもだったのだ。

単なるバカか、あるいは゛栴檀は双葉より芳し゛か?
自分では後者だと思いたいが、あまり(ほとんど)自信はない。

大事なのは自分ならどうするか考えること

2008-09-28 | Weblog
朝から久しぶりにキャリアカウンセリングの勉強会に参加。
今年お初。
思いがけず懐かしい面々とも再会、私を含めCoを目指すような人は皆勉強熱心だ。

が、参加は体と心と時間に余裕がないとできない。
2月以降、今日までその余裕がなかった自分を思う。

本日はセカンドライフの過ごし方について皆でディスカッションするプログラムがあったので参加したのもあるが、残念ながらこちらはあまり興が乗らず。

「あれをやりたい」「こう生きたい」と思うのは自由だし私自身も充実して暮らしたいとは思うものの、半年間の特養での体験が強烈過ぎて何の理想を掲げても虚しいだけのような気もするのだ…。

30代後半と思しき人の言う、「定年退職してから平均寿命の80歳までに、40年間の会社での労働時間に匹敵する10万時間の自由時間があるんですよ!」の言葉や、50代前半で働き盛りの企業人男性の言う、「退職したら若い頃の趣味だった○○活動を再開して…」の将来像に水を差す気は毛頭ないが、現在の体力・知力・気力が10万時間(継続して)あるわけではないのだ。

彼我の世界へ行くまでに失い、捨てねばならない物は余りにも多い。
年をとるほどに他人のお世話になる自分を潔く受け入れ、感謝し、一方、排他的で、欲深く、物欲のかたまりである自分を出来るだけ脱却したいと願うが、まだまだ。
これが生きてるということかもしれないが。

自分の意にそまぬ見苦しい終焉も十分あり得ることをしっかり認識した上で、高齢期の生き方を考えるのでないと嘘っぽい、と思う私がいる。

あるがままに

2008-09-14 | Weblog
例会参加者が少なくなったので設立26年の歴史にいったん幕をおろし、メンバーの゛卒業゛を祝って明るく散会しようという趣旨のパーティ企画が進みつつある。

私がその異業種勉強&交流会の会員になってからでも早17年。
大阪でもかなりの老舗グループなだけに残念だ。
しかし当時青年だったメンバーは皆壮年になり、設立当初とは社会情勢も個々のメンバーのニーズも変わりつつある中で、仕方のない選択かとも思う。

昨年4月から月例会は中止しており、昨日、久しぶりにメンバー10人ほどが集まってホテルランチを楽しんだ。

あと数ヶ月で定年を迎える人、定年後の生きがい作りに新たにカメラ(撮影)を始めた人、早期退職して介護施設にいる親を見舞いつつ、仔猫を飼い始めた人、単身赴任中?の人…。

もちろん状況があまり変わらない人もいるが、皆子育てが中後期に入ったか、親の介護が避けられなくなったか、あるいは自身の老後を考えるステージに入りつつあるのは共通だろう。

猫を飼い始めた人は生涯独身(主義?)で、およそ生き物とは縁がなさそうに見えたが、ある日、天井から赤ちゃん猫が落ちてきたという。

ドラマチックなペットの出現に、一同「神様が飼えと遣わされた仔猫やね!」と盛り上がったが、真相は天井裏に野良猫が入り込んで子どもを産み、その1匹がたまたま落ちたということのようだ。

元から動物は嫌いではなかったという彼は今ではケータイで仔猫の写真をいっぱい撮り、「可愛いやろ」と皆に見せて鼻の下を伸ばす見事な゛親バカ゛ぶりを発揮している。
ちょっとほほえましくて羨ましい。

私はというと会場に着く直前に原因不明の腹痛に見舞われ、「今日は食べるなってことね…」とガッカリしていたのだが、これが少し食べ物を口に入れた途端、見事に復活。
お陰で寂しい思いを味わわずに済んだ(^^)。

実は一昨日来、不思議なタイミングが重なり、久しぶりの再会を果たすことになった人・なる人が現れ、「これも何かのメッセージね」と受け止めているところだ。

話すクセ、聴くクセ

2008-09-12 | Weblog
先日、大手企業・健康管理室勤務の看護士さんとの模擬傾聴場面で。

CLこと私:「あのぉー、最近○○な気がして自分でもちょっと困ってるんです。」
COこと看護師さん:「……」
私:「……。それでね、△△かと思いまして××したんですけど――。」
看護師さん:「……」
私:「……」

彼女は多分カウンセリングの基礎訓練を受けたことがない(はず)。
自分でも「相談にくる社員さんの話をどう受け止めていいかわからない」と言っていたが、頼むから何か言ってくれぃ。

重い気を何とか相談する方向に向けてしゃべり出そうとしている身には、相手の柔らかな笑顔や頷き、問いかけが何よりも励みになるのだ(とCLとして実感)。
ずーっと黙っていられると「ちゃんと聞いてくれてるのか?」と心配になる。

別の日、知合いとの会話はさんざん。
言いたいことを言いあえる間柄とは認めていたが、この日彼が口にしたのは゛自分はOK、相手はNO゛の典型会話ばかり。

私が思いついたことを口に出すと「そんなん誰でも考えてるわ!」「何メモしてるねん?ムダや!」等々、言いたい放題。
不愉快になって自然と無口になる私。

他人を攻撃するしか自分を守る術がないのかと勘ぐりたくなった。

しかし、「他人のフリ見て…、というメッセージかも」と日頃のわが身を振り返って謙虚に反省しとこう。

自分が日頃何気なくしている話し方・聞き方(聴き方)のクセを知るのは辛い。
知って直すのはもっと辛くて難しい。
けれど大事だ。

食い気負け

2008-09-01 | Weblog
生まれて初めて阪堺電軌阪堺線なる電車に乗った。
1両だけの電車に、いかにもひなびた感じのする、改札もない不思議な駅舎。

電車を降りると戦禍を免れたのか古き良き大阪を偲ばせる古い町並みがくねくねと続き、このところ路地裏探検が大好きになった私を大いに刺激してくれるのだった。

で、帰りにゲットしたのがコレ。
まさか取材先でこんな気を使う果物を買おうとは夢にも思わなかったが、近所のスーパーと違い、昔ながらの八百屋で無造作に売られていたのに誘惑されてしまった。

実は2Lぐらいのサイズなのに妙に安かったのが一番の動機だったりして(^^;)。
親切な店主が空き箱に詰めて紐をかけてくれ、残りは袋に入れて手持ちに。

ところが他に荷物もあって、うっかり桃を入れたカバンをぎゅうっと押してしまった。
潰れていても不思議じゃないのに、これが不思議なことに見事に無事。

それもそのはず、十分熟れてそうな色合いにもかかわらず、この桃はいずれもしっかりと硬いのだった!

゛硬い桃゛とはこれいかに。
しばらく常温放置して、食べる直前に冷蔵庫に入れるといいそうだが、大丈夫か?

最悪、シナモンまぶしてピーチパイかも。
(実は皮こそつるりとむけなかったが、種は小さく、非常にジューシーで甘かった。300円(2Lの桃2個)ですごーく幸せになれる私ってエライ?)

いくら何でもそれは

2008-08-29 | Weblog
とある会社にて。
「うちの仕事のメインは実はこれなんです」。

見れば見事なまでのピンク雑誌!
要するに男性が行くそういうサロンやそこで働く女性の紹介がメインってこと。

エロ雑誌は広告したいサロンが沢山ある上、競合が少ないので仕事になるらしい。
チラシだと捨てられるが、雑誌として綴じてあると売ることも可能なんだそうな。
だからここが作っているのはまさにチラシを束ねた雑誌という感じだ。

女性にも取材できないことはないらしいが、好奇心でそういう仕事をするほど余分な時間を持たない私はお断りした。

仮に私がウンと若くて、SEX描写を売りにした小説家などを目指している場合はこういう仕事は大変面白いと思う。
この分野はオッサン、もとい、ほとんど男性が活躍しているだけに、女性も読みたくなるような、言ってみればハーレクインロマンスのSEX描写がもっと沢山あるような小説を書くと絶対売れるんではないかと思う。

そういう志のある女性なら修業の場としてこういう仕事はピッタリだろう。
が、残念ながら私はその方面に才能なし。

昔、応じてくれるオーナー探しに苦労してラブホの取材をしたことがあった。
しかし記事にする段階で私は早くもめげてしまったのだった。
ちゃんと写真も撮ってきたのに、好奇心は一過性のものだったらしい。

他人が何と言おうが、人は自分が興味あることにしか反応しない(できない)ものなんである。
シニアの生きがい記事なんかよりよほどおカネになりそうなのに残念…。

前評判が高いと…

2008-08-28 | Weblog
実際に見聞きした時ガッカリすることも多いが、「セックス・アンド・ザ・シティ」(映画)はその典型と見た。

サラ・ジェシカ・パーカーが40歳という設定の割に(あとの3人に比べると)一人だけ贅肉のないスーパーモデル並みのナイスバディなのはよくわかった。(しかしやはり顔は長すぎる!)

女性は4人ともファッショナブルだが、特に主人公のキャリーはナイスバディを武器にこれでもかというほど色んなファッションを次々と披露する。
オシャレだけを見てる分には非常に楽しい映画だ。(中年女性に希望を与えそう)

が、映画が始まって1時間もたつ頃には飽き飽きしてしまっている私がいた。
途中退場すると他の人の迷惑になるので、何とか最後まで見たというところ。
上映時間の2時間半は拷問に近かった。

女性たちは日本語で言うところの親友。
しかし、いかにもアメリカ映画という感じがするのは、華やかで騒々しいばかりで、中身の薄っぺらな映画だから。

40歳で初婚という設定の、仕事を持つキャリーは結婚が決まった途端にお披露目のことばかり目が行ってしまい、超高級ドレスによる゛お姫様ごっこ゛に夢中になっていて、未来の夫と肝心の結婚後についての話はほとんどしないまま。

お披露目パーティの内容はキャリーの希望でどんどん決まっていく。(←20代の女性なら許せても、仕事を持つ40歳の女性がこれではいかにも幼すぎると思う)

豪華なペントハウスを買い、リフォームして彼女にプレゼントするのはハンサムな上、大変なお金持ちの実業家で今度が3度目の結婚という男。
キャリーとはケンカもしながら10年以上の付き合いという設定だ。

しかし3度目ゆえに彼は結婚することに迷う。
また失敗するのではないかと不安になり、結婚式前日にキャリーに電話して彼女が彼の心配を吹き飛ばしてくれるよう懇願するが、式のリハーサルで忙しいキャリーは親友の養女がケータイ電話を隠したこともあって彼の訴えを結果的に無視した形に。

その行き違いがいわばストーリーの伏線になるわけだが、女性たちが著しく精神的に幼く、弁護士である親友すらも自己中の固まりなのには驚いた。
人(男)には目一杯色々求めるが、イザ何かトラブルが起こった時は自分は一切反省なし。

女性たちは相手の言い分は一切聞こうとせず、一方的に被害者になるばかり。
腹が立っても一応きちんと相手の主張を聞き、一方で自己反省もしたならもっと早くに解決したであろうすれ違いが多いのだ。

アメリカ人女性が皆こうではないだろうが、国民性の違いというのかメンタル面での日本人女性との違いを強く感じた場面である。

アクションは派手で、花嫁のブーケで男の頬をぶったり泣き喚いたりするのだが、何かあっても相手に真摯に向き合わず、すぐに親友を頼るのも気になるところだ。
この精神レベルは女子中学生か高校生のようで、40代の女性たちの取る行動ではないと思う。

まあとにかく疲れる映画だった。
完全にハズレ。

化粧ポーチや~い!

2008-08-21 | Weblog
何年ぶりかで(久しぶりに)落し物をした。
ショック!

カバンにパンパンに物を入れていたのが良くなかったようで、夕方まではしっかり使った覚えがあるのに、家に帰って無意識にカバンから取り出そうとして「あれ、ない?」てな感じで気づいた。

「○○で確か使ってたな」「その後どうしたかな…?」と色々考えてみるが全く思い出せない。
帰りに立ち寄ったビル3,4箇所に電話してみたが「残念ながらソレらしい物は届いてませんね。」とつれない返事ばかり。

もう軽く5年以上は愛用していた品々、いや、一番惜しいのはポーチそのものだったりして。
お値段も通常の軽く3倍ぐらいはするだけに大変丈夫、かつシンプルでオシャレで使いやすかったのに…。

中身をまた新たに買い揃えなくてはならないがこれも決してお安くはない。
しかし物は考えようだ。

隣りに入れていた財布を落とさずに済んだことに感謝せねばならないかも。
仮にポーチでなく財布を落としていたら…。
でもそうでなかったのがせめてもの不幸中の幸いだ・

オジサンの大半はサービス業に不向き?

2008-08-20 | Weblog
ある日、ハロワで。

いかにも定年後、嘱託として雇われた感じの60代と思しきオジサン。
私の番号を読み上げたのですぐにそのブースに近づいていったにもかかわらず、オジサンはその場で周りを確認するだけの時間を取らず、(私をいないものとして)ただちに次の番号を押してしまった。

当然の結果として、私の後に次の人もやってきてブースに2人がたまることに。
困ったオジサンは別の担当者に次の人を振ろうとするがうまくいかず。
2人ほど待たせてからようやっと次の人を別ブースに割り振ったようだ。
確認するときはゆっくりと、せめて(信号同様)左右を見てからにして欲しい。

私の相談したいのは3件だったのに、ブースのパソコンが隣りの相談員と共用だったため奥へ印刷しに入ったオジサン、いくら待っても出てこない。
いい加減待ちくたびれた頃、お願いした件数をはるかに超え、私の持っていった資料を全部印刷して現れた。

誰もそんなこと頼んじゃいない。
私がそれを望んでいるか確認してくれなかったので紙とインクと印刷時間が全くムダに。
それよりも早く相談タイムに入って欲しい。

ところが今度は要領がよくわからないのかモタモタ。
受話器を持って先方へ電話してくれようとするのだが、尋ねるポイントがわからないらしく、私が「ここは○○を尋ねてください」「こちらは××を」と指示する有様。

1件についてはいかにも気乗りしない風でそのマイナス面を語り、私の応募する気をそいでしまった。
残り2件はあいにく不在、すると「どうします?」って…。
アホらしくなって「自分で電話します」と資料だけ貰って帰ってきた。

(ウッカリしてそれらの事業所への紹介状を貰っておかなかったために、後日二度手間でハロワへ行く羽目に。その場で先方に連絡が取れなかったからって、ちょっとは気をきかせておくれよ、オジサン。訪ハロの大きな目的はソレなんだから。)

人は良さそうだが極めて無能な人を(多分現役時代は著名企業の人事部などに勤めており、その毛並みの良さで雇われたのだろうが)窓口に配備しないで欲しい。

今まで色んな機関で色んな相談員(の肩書きの人)に当たったが、大体こういう場面では女性の方が的確に仕事をこなし、相談業務その他でもはるかに有能だ。
年配のオジサンには(目の敵にしているわけでは決してないが)当たらない方が良さそうと見た。

オジサンは何となく仕事をしているように見え、真剣度が足りない。
自分のいた大手企業の感覚で物事を見、今の社会情勢がよくわかってないことが多い。
頼んでもいないことをしてくれるが、悲しいかな全て的はずれ。
(一方、オジサンの経歴を尋ねたりすると大喜びで゛自分゛を語ってくれる。)

日頃はオジサンの味方の私だが、世間で見る一般オジサンにはどうしても激辛になってしまうのだった……。

勝手に期待…の、その後

2008-08-19 | Weblog
先日ここへ、よその勉強会に参加させてもらった、いわばお客さんの立場でありながら遠慮なく思ったことを言って途中で席を立って帰ってきたことを書いた。

実はその後、(そんな帰り方をしたにもかかわらず)会長さんから私宛に御礼のメールを貰ったのだった。

私の無作法をなじるどころか内容がお気に召さなかったようで申し訳ない、発表方法に不備があって申し訳ない、だけどこれは発表者自身の研鑽の場にもなっている面があるので少し大目に見て欲しい云々と誠実に綴られたメール…。

そして自分も私の指摘したことに気づきながらどうして注意しなかったのかも書かれていた。
この辺は私などにはわかりにくいのだが、年配の男性特有の゛配慮゛なのかも。

このような紳士的な振る舞いに比べ、私ときたらまるで石つぶてを投げてアカンベーをして帰った子どものようなレベルだ。
少しだけ自己弁護するなら、私のようなウルサイ女の方が(気づいても無視していく女性に比べて)ウンとウンとマシなんだよと言いたいところ――。

さてね、
少しは大人の振る舞いを身につけるべきなんだろうかと思いつつ。