子どもの頃の物を整理していたら、小学5年の時に書いた作文に遭遇。
郡部校区の小学生の作文を、先生たちが選んで定期的に文集にしてくれる
のだが、その中に載っていたもの。
タイトルが何ともすごい。
「ねこに食べられたアヒル」。
2年前を回想して書いたらしい。
3年生の夏休み、縁日で母にねだってアヒルのヒナを2羽買ってもらった。
大切に育てていたのだが、休みの終わりに世話を祖母に頼み、1泊旅行して
帰ったら、アヒルが2羽ともきれいに消えていた。
現場検証した結果、アヒルを飼っていた箱から重石をぴくとも動かさずに
外へ出ることのできた飼い猫が、問答無用で疑われ、私はその日のうちに
父の車に乗せてもらって知らない街へ猫を捨てに行ったのだった…。
その辺の家族の発言や私の心理描写が単純にされているのだが、
しかしまあ、何と強烈な話よ!
悲しく、とても悔しかったのは今でもしっかり覚えているが、
それにしても結末が、
「…中略…わたしは、ねこを道ばたに捨てました。
『ニャーン』と、何も知らずに、道ばたでないていた、ねこのすがたが、
アヒルといっしょに今でも、ときどき思い出されます。」
とはまあ…。
(ウンと昔の、かなり田舎の話なので、内容に倫理的解釈はご勘弁)」
私は当時からリアルな描写を得意としていたのか、小学生の頃に書いた
いくつかの作文を、今読むと赤面するばかり。
要するに体裁をつくろうということを一切しない(知らなかった?)
子どもだったのだ。
単なるバカか、あるいは゛栴檀は双葉より芳し゛か?
自分では後者だと思いたいが、あまり(ほとんど)自信はない。
郡部校区の小学生の作文を、先生たちが選んで定期的に文集にしてくれる
のだが、その中に載っていたもの。
タイトルが何ともすごい。
「ねこに食べられたアヒル」。
2年前を回想して書いたらしい。
3年生の夏休み、縁日で母にねだってアヒルのヒナを2羽買ってもらった。
大切に育てていたのだが、休みの終わりに世話を祖母に頼み、1泊旅行して
帰ったら、アヒルが2羽ともきれいに消えていた。
現場検証した結果、アヒルを飼っていた箱から重石をぴくとも動かさずに
外へ出ることのできた飼い猫が、問答無用で疑われ、私はその日のうちに
父の車に乗せてもらって知らない街へ猫を捨てに行ったのだった…。
その辺の家族の発言や私の心理描写が単純にされているのだが、
しかしまあ、何と強烈な話よ!
悲しく、とても悔しかったのは今でもしっかり覚えているが、
それにしても結末が、
「…中略…わたしは、ねこを道ばたに捨てました。
『ニャーン』と、何も知らずに、道ばたでないていた、ねこのすがたが、
アヒルといっしょに今でも、ときどき思い出されます。」
とはまあ…。
(ウンと昔の、かなり田舎の話なので、内容に倫理的解釈はご勘弁)」
私は当時からリアルな描写を得意としていたのか、小学生の頃に書いた
いくつかの作文を、今読むと赤面するばかり。
要するに体裁をつくろうということを一切しない(知らなかった?)
子どもだったのだ。
単なるバカか、あるいは゛栴檀は双葉より芳し゛か?
自分では後者だと思いたいが、あまり(ほとんど)自信はない。