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私は被爆2世です。
私の病気が被爆2世ということと関係があるのかどうかは判りません。
九大病院の先生は無いといわれていますが…。
私の父親は、被爆当時市内大浦地区の自宅で防空壕に行こうと準備をしていた所で、
凄い衝撃を受け、こりゃすぐ近くに爆弾が落ちたばい、と思ったらしい。
母親は、被爆当時市内夫婦川町の防空壕内にかくれていたそう。
戦後2人は結婚し私が生まれたわけです。
テニアン島から飛び立った爆撃機B-29エノラ・ゲイは、
原爆投下の第一目標小倉へ向かったものの、雲が厚く第二目標の長崎へ。
その長崎上空でも雲に覆われていたのですが、
投下予定地点より北寄りの地点であったものの、
雲の切れ間から一瞬だけ眼下に広がる長崎市街が覗き見えたので原爆を投下。
本来の投下予定地点はどこだったのでしょうか。
おそらく長崎の造船所を破壊しつつ、効率良く被害を広げられる場所、
長崎港のど真ん中だったのではと思います。
もしそこに落とされていたら…今の私は存在してません。
原爆を投下したアメリカには個人的な憎しみ等もなく、
戦争だったので仕方ないと思っています。
が、許せないのは広島と長崎に落とされた原爆の種類が別で、
実験の意味合いが高かった事。
戦争を終結させるために落としたということになっていますが、
2発も落とす意味があったのでしょうか…。
実家の近所の浦上天主堂で、浦上天主堂再現プロジェクトとして、
被爆前の浦上天主堂がプロジェクション・マッピングで再現されると聞き、
調べると…
おおっ8月9日から11日まで見られるみたい。
お盆の帰省直前の週末なのですが、行こうかどうしようか…と思っていたら…
来年の話だった~(笑)
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