Hei!(「ヘイ」って読んで「やあ」って意味)~義務教育世界一の秘密

義務教育世界一の国の教師養成の実態を探る旅。フィンランドの魅力もリポート!その他,教育のこと気にとめた風景など徒然に。

愛のカタチ

2007年02月18日 | Weblog
誰に聞いたか読んだのか,それすら分からない昔の記憶。愛には二つのカタチがあるのだと。

一つは許す愛であり受け容れる愛。「ドラえもん的愛」とか「母性的な愛」とかって言っていたように憶えている。もう一つは立ちはだかる愛であり,はねつけはねとばし鍛える愛。「父性的な愛」って言っていたろうか。星一徹のような愛とは言わなかったと思うがそんなイメージか。

ドラえもんは,「う~ん,のび太くんったら~。しようがないんだからぁ~。」とぶつぶつ文句は言いながらも,決して拒否せずつきあってくれる。最後はのび太に添いつつなんとか力を貸して問題解決してくれる・・・実にある意味現代的。心地よい。

対して星一徹はというと,決して優しかったり柔らかかったりする言葉や態度はない。「バカモーン」とも言わずいきなり竹刀で殴る。蹴る。ちゃぶ台をひっくり返す(これは実際にはなかったらしいが)。そして有無を言わさず大リーグボール養成ギブスを装着する・・・実に時代錯誤。いやになるほど旧臭い。

どちらが良いかって聞かれるまでもなく,一般的にはそりゃ前者が好まれるでしょう。眼に見えて愛されている気がする。でも両方とも,そう,受け容れられるかどうかは別にして,後者だって確かに「愛して」いるんじゃないか。要は愛のカタチが違うのだ。

そう言えば,仏様だって人間の望みの声を聞けば何でもそれを叶えてくれるという観世音菩薩つまり観音様がいらっしゃる。一方,忿怒(ふんぬ)の相で迦楼羅焔(かるらえん)を背にし立ちはだかる不動明王だっていらっしゃる。人間の弱さを知り抜くからこそ添いつつ代わって願いを叶えようとする仏と,人間の弱さを知り抜くからこそ立ちはだかり無理矢理にでも正しい道に導こうとする仏。かの山折哲雄氏は,観世音菩薩・不動明王(と地蔵菩薩)のセットが日本ではそれぞれ母・父(と子)のイメージの投影であろうと指摘しているらしいが,古今東西人間のあり方と願いの本質は変わらないのだ。

我々が知らなくてはならないのは,表面的には横暴かつ前時代的に見えスマートさに欠けた振る舞いであったとしても,実は近視眼的には見えにくい何かを懸命に励まし育てようとする慈しみを秘めたものがあるかもしれないってことだろう。逆に言えば,優しく受け容れているように見えても,実は立ちはだかることを避けているだけってことがないわけではないのかもしれない。家庭だって学校だってね。違うかな?
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井上康生氏の学び

2007年02月16日 | Weblog
昨年末に飛行機に乗ったときのこと,見るともなしに機内誌をペラペラとめくっていると,ある記事に目が止まった。ノンフィクション作家の小松成美氏による「アスリートインタビュー第20回 井上康生 鍛錬」,言わずもがな,主人公は2000年シドニー五輪柔道で金メダルを獲得した井上康生氏である。そこには,次のような内容が書かれていた(JAL機内誌『SKYWARD』2006年12月号,以下一部の概要,敬称略)。
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康生が柔道を始めたのは5歳の時,父井上明が警察官として勤務する宮崎県延岡署の柔道教室だった。幼稚園児の康生が「柔道をやりたい」と言い出した時,一番喜んだのは父であった。康生は小学生になって年上の中学生を相手にしても負け知らずで,その強さは抜きん出ていたが,父は容赦なく中学生以上の練習量を康生に課していた。

康生が小学4年生になったとき,突然父が稽古中の態度を一変させた。「お父さん」と呼んでも突然ゲンコツを見舞われる。訳が分からない。その時康生は,子供ながらに3ヶ月も悩んだ挙げ句,あることに気づいたのだ。その時のことを次のように語っている。

「ある日,兄が父を『先生』と呼んでいるのを見てはっと気がついたんです。それで僕も『井上先生』と呼ぶと,父は黙って稽古をつけてくれた。道場では師弟関係でなければならない。僕が自分でそのことに気づくまで父は待っていた。」
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父明氏は,年端もいかない子供なのに懇切丁寧に道場の掟を教えたりはしなかった。しかし教えなかったからこそ,結果として康生氏の深い学びの力を引き出すことに成功したのではないか。3ヶ月「も」かかってしまったのか,3ヶ月「しか」かからなかったのかは評価の分かれるところだが,この学びは康生氏にとって終生忘れることのできない,人生最大の学びになったはずだ。

彼はこの学びによって,周囲の誰が何をどのようにしているかにしっかりと目を配り観察する人物になっただろう。自分がどうかというだけでなく,周りがどうしているかに目を向け自分を相対化して情報を集める力を身につけただろう。おそらくたったこの一度だけで,「周りをしっかりと見なさい」と百万遍言われるよりもずっと身に沁みて「そうしたい」「そうしなきゃ」と思ったのではないか。自分で気づいた学びは何より大きい。康生氏が学んだのは,「父でさえ井上先生と呼ぶこと」などといった矮小なことではない。周囲にしっかりと目を配り「観察する」こと,つまり,あらゆる学びに転化可能な,学びの基本中の基本である。

父明氏が行ったような乱暴でわかりにくく時間のかかる教育による学びはただただ旧臭く,決して良いと言い切れるものではないだろう。二人が父子関係にあったことや武道の学びであったこと,何より康生氏自身に柔道を学びたいという強い意欲があったことなどの事情が大きく関わっていることもよく分かる。しかし,このような教育による学びを徹底排除する雰囲気が市場原理の台頭によって教育界を席捲するのならば,学びとは決してそれだけではないということを,我々は頭の隅に少し置いておいてよいのかもしれない。
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