Kakashi
あの日から三四半世紀。ヒロシマが七十五年目の朝を迎えた。
広島大学名誉教授の小笠原道雄先生によると,「『75年は草木も生えぬ』という言説は、原爆製造計画である所謂「マンハッタン計画」(Manhattan Project)に関わったハロルド・ジェイコブソン(H.Jacobson)博士の談話として1945年8月8日付けの<ワシントンポスト(The washinton post)>紙上に掲載されたもの」ということだ。
[Link(PDF): 小笠原道雄 「『75年は草木も生えぬ』という言説から ― 原子力破局の時代における教育学の課題 ―」]
大国の思惑によって,当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡・戦死し,原爆投下後の入所被爆者も含め56万人が被爆したとされる。
[Link(Wikipedia):広島市への原子爆弾投下]
私自身は戦後の生まれでヒロシマの惨禍を直接は経験していないが,40年近く前に広島大学の学生だったあの日,「平和教育」という講義で藤井敏彦先生に問われた。
「君たちは原爆死没者慰霊碑の碑文は誰がつくったものか知っているか。ヒロシマに学ぶ学生として世界の人たちに平和を伝えるとき,碑文をどう英語で伝えるか。」
全く答えられなかった。当時の浜井信三広島市長の要請によって碑文文案を執筆したのは雑賀忠義広島大学教授,英訳は次の通りだそうだ。
Let all the souls here rest in peace; for we shall not repeat the evil.
75年前と同じように朝から照りつける日差しが眩しく暑い。今日は鎮まりし者たちへの祈りの日。
※13年前の初出を使って書きました。
広島大学名誉教授の小笠原道雄先生によると,「『75年は草木も生えぬ』という言説は、原爆製造計画である所謂「マンハッタン計画」(Manhattan Project)に関わったハロルド・ジェイコブソン(H.Jacobson)博士の談話として1945年8月8日付けの<ワシントンポスト(The washinton post)>紙上に掲載されたもの」ということだ。
[Link(PDF): 小笠原道雄 「『75年は草木も生えぬ』という言説から ― 原子力破局の時代における教育学の課題 ―」]
大国の思惑によって,当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡・戦死し,原爆投下後の入所被爆者も含め56万人が被爆したとされる。
[Link(Wikipedia):広島市への原子爆弾投下]
私自身は戦後の生まれでヒロシマの惨禍を直接は経験していないが,40年近く前に広島大学の学生だったあの日,「平和教育」という講義で藤井敏彦先生に問われた。
「君たちは原爆死没者慰霊碑の碑文は誰がつくったものか知っているか。ヒロシマに学ぶ学生として世界の人たちに平和を伝えるとき,碑文をどう英語で伝えるか。」
全く答えられなかった。当時の浜井信三広島市長の要請によって碑文文案を執筆したのは雑賀忠義広島大学教授,英訳は次の通りだそうだ。
Let all the souls here rest in peace; for we shall not repeat the evil.
75年前と同じように朝から照りつける日差しが眩しく暑い。今日は鎮まりし者たちへの祈りの日。
※13年前の初出を使って書きました。