Hei!(「ヘイ」って読んで「やあ」って意味)~義務教育世界一の秘密

義務教育世界一の国の教師養成の実態を探る旅。フィンランドの魅力もリポート!その他,教育のこと気にとめた風景など徒然に。

どきっとした

2007年07月31日 | Weblog
「その時,どきっとしたんです。」

ゼミ生のSくんと学内のカフェで話しているときに,彼の口から出てきた言葉だ。4年生だが,先頃書いた院生のTくんに違わず優秀な学生で,教職に対する高い志を持っている。

Sくんは今年度はじめから,広島市内の小学校に週2日程度通ってきた。支援が必要な児童の指導補助をするためだ。最近,彼が関わっている子どもの状態について保護者の方(かた)から話を聞きたいと求められ,懇談する機会を得たという。学校での様子など尋ねたいということだったらしい。

やりとりの中で,お母様が「障碍(がい)を持っている子の親は必死なんですよ」と,ぼそっとおっしゃったという。それを聴いたSくんが,どきっとしたというのだ。

「どきっとしたって,どうして?」

「いや,その言葉の切実さや重さ,そしてその言葉のリアリティに接している自分自身の責任の重さに改めて気づかされたんです。」

「親は誰だって,子どものことに必死なんだよ。障碍があろうとなかろうとそれは同じなんだ。子どもに一対一で向き合うことはもちろん何より大切だが,子どもの向こう側には必ず親の必死な願いがあるってことをいつも感じられる教師でいたいものだね。」

と話した次第だ。思いを受け取るアンテナが彼にはしっかりと働いていることにうれしさと頼もしさを覚えたからなのか,彼の太い眉がきりりと引き締まって感じられたのは,あながち見間違いではあるまい。

写真はヘルシンキ大学附属学校の外観・・・北欧アートでしょう。驚きです。
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いわたくんちのおばあちゃん

2007年07月30日 | Weblog
天野夏美/作,はまのゆか/絵『いわたくんちのおばあちゃん』主婦の友社,2006年。

「ぼく」の大切な友だちの「いわたくん」には,おばあちゃんがいます。「ちづこさん」といいます。ちづこさんは,家族そろって写真を撮ろうとすると,にこにこしながらも「いやーよ」といって,手をふってことわります。どうして?実はちづこさんには,家族いっしょの写真に写りたくないわけがあったのです。

「ぼく」は,そのわけを知っています。原爆が爆発したところからいちばん近い小学校の「平和学習」で,いわたくんのお母さんと,おばあちゃんが話をしてくれたから・・・。

あとがきで天野夏美さんは次のように書いています。
---
いわたくんのお母さんは,
子どもたちに原爆の話を伝えるとき,
こんなふうに結びます。

「『戦争なんてずっとむかしの話』,なんて思わんでね。
ひょっとしたら,『未来の話』になるかもしれんのよ。
『未来』,それは君たちみんながつくっていくものだからね」

あまりに残酷で,つらく悲しいお話です。
でも,もしできることなら,子どもたちの心に
恐怖や不安より,優しさや希望を伝えたい。

そんな不可能にも思えた私たちの願いを
はまのゆかさんは,優しい絵でみごとに表現してくれました。(後略)
---
広島に住む人には必ず読んで欲しい本です。広島に住んでいなくても,ヒロシマを伝える熱意を持つ人には必ず読んで欲しい本です。
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ぼろは着ててもこころ・・・

2007年07月29日 | Weblog
7/27に「ぼろは着ててもこころの錦」って書いたんだけれど,実はその時点で少し気になっていたことがあった。「ぼろは着ててもこころ『の』錦」なのか,「ぼろは着ててもこころ『は』錦」なのかってことだ

頭の中で再生される水前寺清子さんは,背筋を伸ばして確かに「ぼろは着ててもこころの錦」って唄っている。でも「ぼろ」と「錦」を並列させる意味の分かりやすさから考えれば「ぼろは着ててもこころは錦」で,もしかしたら聞き違いや記憶違いだったのか?ってね。

で,山口県東和町出身の作詞家,星野哲郎氏による「いっぽんどっこの唄」(1966年)を調べてみると,

ぼろは着てても こころの錦
どんな花より きれいだぜ
若いときゃ 二度ない
どんとやれ 男なら
人のやれない ことをやれ

やはり前者だった。ちょっと安心。

ところが,Googleで簡単に検索をかけてみると,ヒット数は

「ぼろは着ててもこころの錦」→98件
「ぼろは着ててもこころは錦」→315件

「ぼろは着てても心の錦」→551件
「ぼろは着てても心は錦」→1530件

どうも「こころ(心)は錦」って覚えて(使って)いる人が約3倍多いようだ。自分の記憶を曖昧なものと考えて,言葉の意味で確認し直して記憶した結果だろうか。面白い。

写真はヘルシンキ大附属学校食堂に設置されていた現代アート。もちろん背景は食堂,スゴイ吹き抜けでしょ。ちなみにフィンランドでは給食は無料で提供されるため,給食費未納などの問題で子どもが辛い思いをすることがありません。また,ブッフェスタイルで自分の好きなものを好きなだけとって食べてます。大変美味です。
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乳牛

2007年07月28日 | Finland フィンランド
これは,ヘルシンキ芸術大学(The University of Art and Design Helsinki)内での1ショット。

有り体に言えば室内配管に他なりません・・・が,室内に乳牛なんて意外ですね。配管下のジョイント部分?を見ていた学生が,ふと乳牛の「おっぱい」に見立てちゃったんでしょう。かくして配管はピンクに塗装され,乳牛の下半身が描き加えられたって寸法です。どうでしょう,日常を非日常化し非日常を日常化する,こんなアートの発想とその実現,痛快ですね。知的に感じられませんか?
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若いうちは形に残らないものに金を使え

2007年07月27日 | Weblog
「若いうちは形に残らないものに金を使え」とよく言われる。

ステキな服装や自動車,携帯電話など,形のあるものに投資するのもモチロン結構だ。しかし,形に残らないもの,例えば旅行とか,コンサートとか,展覧会とか・・・これらのものは体験や学習として,若くて柔軟な頭やこころを大きく成長させてくれる。

テレビ番組で旅行したつもりになったり,音楽をCDで聴いたり,図版で美術を見たりすることももちろん可能だしそれはそれで悪くはないのだが,これら疑似体験に比べると,本物の体験は情報の質と量が圧倒的に違う。

形に残らないものに投資するために日頃はぼろを着てたって,いいじゃないか。イマドキ「ぼろは着ててもこころの錦」なんてはやらないだろうけれど,限られたお金をどちらかに投資しなければならないとしたら,中身にすべきではないか?

大学では今まさに夏休みに入ろうとしている。人それぞれにさまざまな過ごし方があるだろう。それを決めるのはすべて君自身だ。だから,本当に身になる本物の体験に投資してみたらどうだろう。

※写真はヘルシンキにある現代美術館「キアズマ」の教育普及用ミニバン。ボロだけど,中身はいっぱい詰まっている,かな?
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暑い暑い暑い・・・けど

2007年07月26日 | Weblog
西条キャンパス本日の最高気温は32.4℃暑い!暑すぎる!電力消費量もうなぎ登り。契約電力量を超えそうになったのため,事務局からは緊急の節電警報が出され,エアコン,照明,パソコン等の使用を控えることに。

ゼミがあったんだけど,たまらないから窓を全開,扉を全開で対応。その時気づかされたこと。

エアコンをつけっぱなしの生活は,少しの暑さがとても不快だね。
エアコンをつけない生活では,少しの風がとても快適だね。

いったいぜんたい,どちらが幸せなんでしょ,ねぇ。
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ヘルシンキ大附属中・高等学校美術室

2007年07月26日 | Finland フィンランド
パソコンの中に保存していた写真から。一昨年秋,フィンランド・ヘルシンキ大学の附属中・高等学校を訪問した時の1ショット。美術室の作品展示。ヘルシンキ大学というと,日本でいえば東京大学のような位置づけになるだろう。描かれた人物像が個性的に見えるのは,色遣いによるところが大きいと思う。使っている描画材だけでなく,紙の色もね。
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「学問のすゝめ21」

2007年07月24日 | Weblog
広島大を元気にするためののUI(University Identity)像を共に議論し模索してきた仲間から,次のメイルが届きました。彼は今,慶應義塾大学で創立150年記念事業関連の仕事をしています。

講演者の村井実慶應義塾大名誉教授は広島文理大出身の教育哲学者として有名な先生です。講演の内容も家庭教育ということなので,皆さんにお勧めします。機会を逃すと,もったいないですよ。

■申込締切は2007年8月20日のようです。

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慶應義塾創立150年記念講演会「学問のすゝめ21」
<広島会場:「家庭教育を考える」>が開催されます。
=================================================

慶應義塾は創立150年記念事業の一環として、2007年8月5日(東京会場)を皮切りに、2008年夏まで全国13ヶ所で、記念講演会「学問のすゝめ21」を開催いたします。
入場無料(事前申込制)で、どなたでもご参加いただけますので、ぜひご参加ください。
広島会場のテーマは「家庭教育を考える」です。
開催概要は以下の通りです。

 日程:2007年9月1日(土)
 時間:12時30分会場 13時30分開演
 場所:広島国際会議場 フェニックスホール
 講演テーマ:「家庭教育を考える」
 内容:現在、教育制度の改革の必要性が声高に叫ばれている。
   しかし本来、教育の基本は「家庭における教育」にある。
   核家族化が進み、共働きが増え、家庭の機能自体が
   低下しつつあることに問題の深刻さがあるのではないか。
   そこで、福澤諭吉以来、義塾の先人達が良しとしてきた
   家庭の在り方を世に示すと共に、その今日的意義と
   これからの「家庭教育のありかた」を考える機会としたい。   
 講演者と演題:
    「よく生きようとする人間」村井実(慶應義塾大学名誉教授)
    「家族の文化を創る」渡辺秀樹(慶應義塾大学文学部教授)
    「福澤諭吉の家庭教育」岩崎弘(慶應義塾幼稚舎教諭)
  ※講演後、講演者によるパネルディスカッションを行います。   
    コーディネーター:宮崎緑(千葉商科大学政策情報学部教授)
 
 詳細は http://www.gakumon21.jp/hiroshima/をご覧下さい。

◆お申込方法:
 事前申込制(webサイトまたはハガキで応募)です。
 お申込方法詳細は、各会場ホームページをご覧ください。
 応募者多数の場合は抽選となりますのでご了承ください。

皆さまのご参加をお待ちしています。

<以上>
----------------------------------------
創立150年記念講演会「学問のすゝめ21」を全国13箇所にて開催します。
http://gakumon21.keio150.jp/
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7/23中国新聞夕刊

2007年07月24日 | Weblog
昨日23日の中国新聞夕刊に,過日取材を受けた「ア・ラウンドリー」が掲載されました。手元に夕刊はないのですが,中国新聞HPを確認してみると次のURLに掲載されていました。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200707230241.html

中国新聞HPトップページ「地域ニュース」→「→過去記事はこちら」→「7月23日(月)」からも見られます。

記事には次のように書いてくださっています。
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広島大に洗濯物空間アート '07/7/23

 東広島市の広島大キャンパスの教育学部講義棟入り口に、洗濯物をつり下げたユニークな空間アートがお目見えし、来館者を楽しませている。吹き抜けの2階の手すりと壁の間に5本のひもを張り、赤、青、黄、白、黒のTシャツやズボンの洗濯物約40点を展示。造形芸術を専攻する10人が、身の回りにあるさまざまな色を見つめ直してもらおうと制作した。行き交う学生からは評判で、風景に驚く人もいるという。

【写真説明】赤や青などカラフルな洗濯物をつるした空間アート(写真省略)
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※本ブログ本日の写真は独自に撮影したもので,中国新聞7/23夕刊のものではありません。夕刊と似たようなアングルで撮影したものがありましたので掲載しました。
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たったひとつのたからもの

2007年07月23日 | Weblog
学部授業「生涯活動教育論」(4セメスター/2年後期)で毎年紹介する,加藤浩美『たったひとつのたからものー息子・秋雪との六年』文藝春秋,2003年。

  あなたに会えて ほんとうに よかった
  うれしくて うれしくて
  言葉にできない

著者の加藤浩美さんは,CMで流れた小田和正氏のこの歌声を聞いて,息子・秋雪ちゃんの大好きだった海で撮った一枚の写真を応募した。フォトコンテストだ。コンテストのテーマは『しあわせな瞬間(とき)』。写真は「たったひとつのたからもの」と名付けられていた。

平成4年10月19日に大きな産声を上げて生まれた加藤秋雪ちゃんは,ダウン症と重度の心臓障害を負っていた。しかし,一歳のお誕生日を迎えるのは難しいだろうという医師の予想を覆し,6年2ヶ月プラス10ヶ月(おなかの中にいた時期)を生き抜いた。

この本は,秋雪ちゃんが全うした6年間が,105枚の写真と母・浩美さんの文章で綴られている。本の帯には,次の一文がある。
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「人の幸せは,命の長さではないのです」
今現在を楽しく元気に過ごせたら,それが一番大切で喜ぶべきことだった。
これは,秋雪と共に生活して気づいたこと。
今の命を精一杯。
病気の人に限らず,すべての人間に言えること。
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子どもたちは,親や家族そして社会の思いに包まれた「たったひとつのたからもの」として生まれ育っている。一人ひとりが大切な大切なかけがえのない存在であることを,秋雪ちゃんが笑顔で教えてくれている。
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教員採用試験

2007年07月21日 | Weblog
この週末は,西日本を中心にして,各地で教員採用試験が行われる。団塊の世代教員の大量退職で,教員の質の低下が懸念されてはいるものの,採用数が上向いているのは優秀で志の高い学生にとって好材料だ。

ゼミ生Tくんは本日,広島県・広島市を受験する。もうそろそろ開始時刻か。彼女は昨年60倍程度の倍率のなか,学部4年生で最終選考にまで残るほどの実力の持ち主。大学院に進学,造形芸術教育学ゼミに所属し,更に教育について理論・実践両面で深く学んだ。この一年で格段に教員の卵としての力量を高めたのが傍目にもよく分かる。

このTくん,入学前から「必ずすばらしい先生になる!」という高い志を持っていた。加えて何よりしつこい!自分を教員として高めることにどん欲だ。こんな学生を採用しないと,ホントもったいないぞと私は思っている。

試験は水ものだから今のところ結果は誰にも分からない。しかし確実に,実力は去年より上だ。自分の力を信じ,全力を出し尽くすことだけに集中すべし。健闘を祈る。
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『いつもカメラが』内田ユキオ

2007年07月20日 | Weblog
内田ユキオ氏による『いつもカメラが』(出版社,2006年)。モノクロームの世界は,敢えて色を省くことによってかえって色を強く意識させてくれる。人は何かを隠されると自然にそれを探そうとしてしまうものらしい。
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(本文より)カメラを持っていると些細な変化に敏感になり,街ゆく人が着ている服や,新しいビルの看板や,空に浮かぶ雲やら,そういったことのひとつひとつが新鮮に見える。仕事先から駅まで歩く短い時間でも旅にできる。光にも敏感になり,季節の移り変わりを誰よりも早く感じる。光が美しく見えれば,街全体が美しく見える。
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7/18ア・ラウンドリー復活!に写真

2007年07月19日 | Weblog
7/18「ア・ラウンドリー復活!」に写真がなかったので,加えました。もちろんこちらにも。基本的には,雨漏り修理のための一時退避前と同様の展示状況になっているはず・・・と思っていたら,学生によると洗濯物の間隔などバランスを考えて調整したということです。いかがですか,こだわってるんですよー。
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写真撮影の様子

2007年07月19日 | Weblog
小山記者が,取材を受けた3氏を入れて撮影して下さっています。撮影の時に,視点を通常とは変えるという意味で,また広角レンズの持つ遠近感を効果的に使う意味で,脚立は大いに役立ってくれます。さすがプロです。
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ア・ラウンドリー取材

2007年07月19日 | Weblog
昨日午前,中国新聞の小山記者がア・ラウンドリーの取材に来てくださいました。取材を受けたのは造形芸術(美術)教育教材・構成論受講の2年生,藤原,比留木,藤川の3氏。近日中に掲載していただけると思います。

取材では作品に関わるさまざまなことが尋ねられます。そのことを通して,自分自身が何を知っていたのか知らなかったのか,そのように考えていたのか考えていなかったのかなどが明らかになりますね。取材を傍目に見ていると,小山記者が2400年も前のソクラテス!のように・・・見えたとか見えないとか。そういえば,産婆術とか問答法とか言ったってピンとこない学生が増えましたねぇ。
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