「その時,どきっとしたんです。」
ゼミ生のSくんと学内のカフェで話しているときに,彼の口から出てきた言葉だ。4年生だが,先頃書いた院生のTくんに違わず優秀な学生で,教職に対する高い志を持っている。
Sくんは今年度はじめから,広島市内の小学校に週2日程度通ってきた。支援が必要な児童の指導補助をするためだ。最近,彼が関わっている子どもの状態について保護者の方(かた)から話を聞きたいと求められ,懇談する機会を得たという。学校での様子など尋ねたいということだったらしい。
やりとりの中で,お母様が「障碍(がい)を持っている子の親は必死なんですよ」と,ぼそっとおっしゃったという。それを聴いたSくんが,どきっとしたというのだ。
「どきっとしたって,どうして?」
「いや,その言葉の切実さや重さ,そしてその言葉のリアリティに接している自分自身の責任の重さに改めて気づかされたんです。」
「親は誰だって,子どものことに必死なんだよ。障碍があろうとなかろうとそれは同じなんだ。子どもに一対一で向き合うことはもちろん何より大切だが,子どもの向こう側には必ず親の必死な願いがあるってことをいつも感じられる教師でいたいものだね。」
と話した次第だ。思いを受け取るアンテナが彼にはしっかりと働いていることにうれしさと頼もしさを覚えたからなのか,彼の太い眉がきりりと引き締まって感じられたのは,あながち見間違いではあるまい。
写真はヘルシンキ大学附属学校の外観・・・北欧アートでしょう。驚きです。
ゼミ生のSくんと学内のカフェで話しているときに,彼の口から出てきた言葉だ。4年生だが,先頃書いた院生のTくんに違わず優秀な学生で,教職に対する高い志を持っている。
Sくんは今年度はじめから,広島市内の小学校に週2日程度通ってきた。支援が必要な児童の指導補助をするためだ。最近,彼が関わっている子どもの状態について保護者の方(かた)から話を聞きたいと求められ,懇談する機会を得たという。学校での様子など尋ねたいということだったらしい。
やりとりの中で,お母様が「障碍(がい)を持っている子の親は必死なんですよ」と,ぼそっとおっしゃったという。それを聴いたSくんが,どきっとしたというのだ。
「どきっとしたって,どうして?」
「いや,その言葉の切実さや重さ,そしてその言葉のリアリティに接している自分自身の責任の重さに改めて気づかされたんです。」
「親は誰だって,子どものことに必死なんだよ。障碍があろうとなかろうとそれは同じなんだ。子どもに一対一で向き合うことはもちろん何より大切だが,子どもの向こう側には必ず親の必死な願いがあるってことをいつも感じられる教師でいたいものだね。」
と話した次第だ。思いを受け取るアンテナが彼にはしっかりと働いていることにうれしさと頼もしさを覚えたからなのか,彼の太い眉がきりりと引き締まって感じられたのは,あながち見間違いではあるまい。
