Hei!(「ヘイ」って読んで「やあ」って意味)~義務教育世界一の秘密

義務教育世界一の国の教師養成の実態を探る旅。フィンランドの魅力もリポート!その他,教育のこと気にとめた風景など徒然に。

私が信頼する学生の言葉(19)

2014年07月20日 | 教育・研究・ひとの育ち
視覚に障害を持った児童や生徒に美術を教えると考えたときに,まず浮かんだのは,粘土などの立体作品でした。しかし,井戸原先生は絵を描くことを教えていたので驚きました。

視覚に障害があっても,制作を楽しむことができるること,できた作品が視覚に障害があるないに関わらず,人の心を打つものであるということは,美術教育の大きな可能性を示していると思います。そんな可能性を伸ばしていくためには,,井戸原先生のような手助け(色選び,絵の具をたらす位置,タイミング)が欠かせないものだと思います。それができるような教師になりたいと,心から思いました。
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あなたは「教師」になりたいの?それとも「いい教師」になりたいの?

2014年07月19日 | 教育・研究・ひとの育ち
今日は自慢話みたいなものなんだけど,まぁ聞いて下さい。私はとても幸せ者なのだ(結論!)。

実は私は素晴らしい学生に囲まれて,いつもニンマリの毎日を送っている。学生の教員としての資質は,今の時点で決して確定できるものではないだろう。でも,さすが教育学部・教育学研究科だけあって,何としても教員としての力量を高めたいという志の高い学生が何人か近くにいて,私はとてもとても幸せ(^_^)vなのだ。

その中でもほぼ毎日顔を合わせている山本さんはうちのゼミ生。キラリと光る逸材だ。今日は山本さんの自慢話をしてみようと思う。

山本さんは,高い志と前向きな姿勢がとてもステキだ。何より向上心がすごい!でも,その志と向上心には,「お陰様」という言葉を思い出すように,実は陰に隠れた応援団の存在があるようだ。その秘密って何だろう。今日はそれを語ってみたい。

学部時代,山本さんは芸術学部で日本画を専攻していた。今年度4月,広大の大学院博士課程前期の1年生として入学し,美術教育を専攻している。

学部時代には当然制作中心の生活を送っていた。でも,だからかな?教育学研究科の大学院の授業ではリポート作成や発表が多くて正直ヒーヒーしているみたいなのだ。それでも山本さんは「だから勉強になっていい!」なんて言っていつも前向きだ。

そんな状況の山本さんに年度始め,東広島市が未就学児を集めて毎年八月末に開催している「こどもアートベンチャー」の実行委員をやらないかと誘ってみた。もちろん,教員としての力量を高める学びの一環としてだ。

でも,山本さんはこどもアートベンチャーの実行委員を受けるかどうかを迷っていた。っていうのも,この夏は,いろいろな授業のリポートに加え,非常勤で勤務している中学校の授業の準備をしたり成績を出したりすることで大変で,さらに加えて教員採用試験を受けたいと思っているからなのだ(ちなみに,広島市では,大学院1年生の時に教員採用試験に合格したら,採用年を延期してもらい,大学院を中途退学をする必要がない!という,志の高い学生を採る効果的なシステムがある!)。

今これだけ忙しい状況なので,こどもアートベンチャーの実行委員を受けることができるのか,中途半端になりそうで,責任ある仕事ができるのだろうか,やはり断るべきなのか・・・と迷いに迷ったらしい。

そんなときに,お母様に相談したそうだ(山本さんに聞いた様子をリポート(^_^)v)。

山本さん:「忙しいし,ちゃんとできるかどうか不安なので,お断りした方がよいかなって迷ってるんだけど,どうしよう・・・。」

お母様:「あなたは「教師」になりたいの?それとも「いい教師」になりたいの? どっちなの?」

山本さん:「は,,,はい。「よい教師」です。」

お母様:「じゃ,迷うことはないよね。」

山本さん:「は,,,はい,お引き受けするように返事します。」

チャンチャン,っていうことになったそうだ。

常に前向きに自分をブラッシュアップしようとする姿勢には,こんな応援団がいらっしゃっるからなんだね。一度,お会いしてみたい,そう心から思っている。

実は今日,教員採用試験当日だった。試験は水ものであるし,結果はどうなるかわからない。でも,こんな人材を採らなきゃ,誰を採るんだ。私は日頃,日常の多くの学生の振る舞いを見る立場にあって,そう思っている。
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私が信頼する学生の言葉(18)

2014年07月19日 | 教育・研究・ひとの育ち
「思い切って,目をつむって描かないのですか?」という言葉に,とても胸を打たれました。

確かに視覚情報に強く影響を受けながら,私たちは作品を多く生みだしています(全ての作品がそうではありませんが・・・)。

視覚情報をまた視覚化させて表現するのは,今や当たり前。触覚・味覚・聴覚などの視覚以外の感覚器官を視覚化させる方が個性が出ますし,新たな表現方法となりうるような気がします。
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私が信頼する学生の言葉(17)

2014年07月18日 | 教育・研究・ひとの育ち
大変失礼なことに,私はVTRを観る前に,全盲の人が絵画を描くと聞いて,「目が見えないのに,視覚的に訴えることができるのだろうか?」と考えていた。

しかし実際にそうした人の描いた作品を見て,自分の考えは大きく変わった。そこにあったのは,私たちより深遠な感覚の世界だった。

そして,絵画制作に当たって,いかに自分が表層的な視覚情報に縛られていたかということに気付かされた。

「思い切って目をつぶって描いてみないんですか?」という言葉がグサッと胸に刺さった。
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私が信頼する学生の言葉(16)

2014年07月17日 | 教育・研究・ひとの育ち
DVD(絵を描く子どもたち)を観て,前に観たACのクジラの絵のことを思い出した。子どもたちの絵は,自分の気持ちを表すつもりはなくとも,よく素直に表現されている。これを大人に試したらどうなるのだろう。前回の五味太郎さんの言うとおりであるなら,自分を取り繕おうとして,下手な部分を懸命に隠そうとしている絵になるのだろうか。「絵を大切にする人は,絵のうまい下手を言わない」ということで,わたしも,絵の目的や感情を読み取って評価できるような人間になりたいと思った。
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私が信頼する学生の言葉(15)

2014年07月16日 | 教育・研究・ひとの育ち
児童が描いた絵から「今この児童はこのような気持ちなのだろう」と推測することは有効なのかもしれませんが,危険なこともでもあると私は考えます。寂しげな絵を描いているからといって,子どもの心がそっくりそのまま現れているとは限らないと思います。手を動かすことで気持ちとは別の新しい世界が生み出されることもあるのではないでしょうか。しかし,児童や生徒の作品から何かを感じ取ろうという気持ちは忘れてはならないなとも思います。「この児童(生徒)はこういう気持ちなのかも」と考えつつ,それにしばられない指導が大切なのではないかと考えました。
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私が信頼する学生の言葉(14)

2014年07月15日 | 教育・研究・ひとの育ち
五味太郎さんの「先生」という役についての考えは,私にとって驚きであった。先生が受動的であるか能動的であるかの大きな違いについて考えたこともなかったが,先生という役を演じる上でとても重要なことであると感じた。

後半に観た映画では,「自分の心を素直に表す勇気」ということばが印象的であった。私は今でも表現をする一歩を踏み出すのに時間がかかるが,私にはこの勇気が充分にないのだなと思った。子どものこの勇気を育てるためには,肯定の気持ち,おおらかに見守る気持ちが必要であるように思う。
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私が信頼する学生の言葉(13)

2014年07月14日 | 教育・研究・ひとの育ち
五味太郎さんは著書で,絵は上手に描くものではないと言っています。そして,ビデオ「絵を描く子どもたち」では,教師は子どもたちの描いた絵から,その子の内面的なところを捉えようとしていました。だから,美術や図工の授業は,ただ上手に作品をつくるところにあるのではないと考えさせられます。小学生の,力へのあこがれの時期に来たとき,その子を危険視するのではなく,その力を黒板の大きな絵にぶつけるように持っていくところでは,美術が持つ一つの力を感じました。
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ランタンの黄色い炎

2014年07月13日 | 人生

最近,この小さなランタンの黄色の炎がとても愛おしく,ときどき眺めてしまいます。うそがない,そんな気がします。
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私が信頼する学生の言葉(12)

2014年07月13日 | 教育・研究・ひとの育ち
子どもが親の安心する目標・目的に向かって努力するフリをするというのはとてもよくわかります。親が何も言わない時でさえ,自分に何を求めているのか気になってしまうのが子どもだと思います。ですから放任もよくないと僕は思うのですが,無責任に目標・目的を押しつけるよりはましかな?と考えてしまいます。何にせよ,子どもが自発的に考え,問題解決に取り組めるような土壌をつくることが重要なのだと思います。簡単ではないでしょうが。
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陸上自衛隊レンジャー訓練~専門性を支えるもの

2014年07月11日 | 人生
陸上自衛隊レンジャー訓練

泥だらけでもふらふらでも,この姿がとても美しいと思わないか。僕も実は一人だけ,レンジャー徽章を持った人物を知っている。彼はこの国を救う大きな役割を果たした。

[リンク(wikipedia):レンジャー (陸上自衛隊)

高い資質と志を持った者が弱さをさらけ出して自分と向き合い,そこから強さを積み上げていく。そして例えばこのような厳しい訓練を通して能力を更に高め,選ばれし者(受験エリートとは限らない)として本当に人の役に立つ仕事ができるよう自分を更新する。世にあるさまざまな専門性とはそういうものだ。

専門性をその核とする(はずの)専門職には,そう簡単になれるものではない。常に学び続ける覚悟と向上心が必要だ。君は何を目指すのか。

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このVTRから,打倒大リーグボール1号と鉄球を打ち返す訓練をしていた花形満氏を思い出してしまった・・・昭和は遠くなりにけり。
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教育実習入門~教育実習で学んだこと

2014年07月10日 | 教育・研究・ひとの育ち
1年生が受講する教育実習入門では附属福山中学校と附属東雲中学校を訪問し,教室で授業観察と協議を行った。

訪問をふまえ,先週と今週をかけて授業観察を通して学んだことを整理し,来週,教科毎に全体発表を行う。

そこで,観察の結果学んだと思ったことをカードに書き出し,その雑多な情報からKJ法の手法を援用した仲間分けで特徴を抽出しようと試みた。







1年生の最初期であるこの時点で,なかなかいい着眼を示した発言を聞いたこともうれしかったが,それ以上に志の高さを感じる表情が見られたことが最大の収獲かな。授業は考えているほど簡単なものではない,その認識で常に向上できる教員が育つといいんだけど。
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スポーツにはストーリーがある

2014年07月08日 | アート・動画

僕は本当はスポーツって決して好きなわけではないが,人生もまたスポーツだなって思っている。
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私が信頼する学生の言葉(11)

2014年07月07日 | 教育・研究・ひとの育ち
五味さんの授業の様子を見て,どうしてだかヒヤヒヤした。それはやはり五味さんのどこでも誰相手でも自然体に接する態度にあったと思う。わたしたちは,子どもを割れもののように扱っている。傷つけないように,伸び伸びとできるように。まるで怯えてるみたいだと,五味さんと我々とは真逆の態度のようだと,見て感じた。

『大人問題』は,言うだけなら簡単だよなぁと思う。それを実行するのが難しいし,きっと別問題が出てくるし。いつまでたっても現状維持の理由がわかった気がする。
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東京ガス CM 家族の絆 「次男の帰省」篇 永山絢斗

2014年07月07日 | Weblog
東京ガス CM 家族の絆 「次男の帰省」篇 永山絢斗
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