Hei!(「ヘイ」って読んで「やあ」って意味)~義務教育世界一の秘密

義務教育世界一の国の教師養成の実態を探る旅。フィンランドの魅力もリポート!その他,教育のこと気にとめた風景など徒然に。

「とんでもございません」は,とんでもないことでございます。

2008年05月29日 | Weblog
過日,『「申し訳ございません。」は,申し訳ないことでございます。』なんて書いた。

すると某氏がそれを読んでくださって,「よくぞ書いた」とお褒めのことばをいただいた。

そこで,「とんでもございません。私が気づいたわけではないですから。」と答えたところ,「とんでもございませんとは何事だ。」とお叱りを受けてしまった。はて?

そうか,「とんでもございません」だってそうだよね。「とんでもない」は形容詞として一語で,「とんでも」が「ない」訳ではないのだ。だから「ない」のところをていねいに「ございません」って変化させるのは・・・適切とは言えない。

もちろん,前のケースと同様に,一般に多用されるようになれば必ずしも誤用とは言えないという指摘もあろう。その通りだ。ことばは時代と共に変化するものだからね。一方,保守的という批判があったとしても,古い使い方にこだわって使うのもまたうつくし,そう思う。

[NHK 気になることば 「とんでもございません!?」2003.12.11]

[NHK 気になることば 「(続)とんでもございません?」2007.5.14]

↑↑↑「ことばおじさん」で指摘されていたのは,この「とんでもございません」で,「申し訳ございません」ではなかったですねぇ。あれ恥ずかしい。

※今日の場面設定は,フィクションでした。チャンチャン
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「申し訳ございません。」は,申し訳ないことでございます。

2008年05月15日 | Weblog
最近しばしば耳にしちょっとだけ気になっている言葉,「申し訳ございません。」。実は自分でも,丁寧に謝るときに真心を込めるつもりで「申し訳ございません」なんて平気で使ってきた。

「申し訳」で広辞苑を調べると,次の2つの解説がされている。

(1) 申し訳
 ①いいわけ,いいひらき。②実質が伴わず,体裁だけであること。
(2) 申し訳無い
 (形)弁解の余地がなく,相手にすまない。詫びるときなどに言う語。

「申し訳ございません。」って用いるときの使いたい意味は,当然(2)の方だろう。つまり「申し訳無い」+「(ていねいに表現する気持ち)」のつもりだ。しかし,この「申し訳無い」は形容詞で一語,「申し訳」+「無い」のように分けられない。ていねいな気持ちを加えようとすれば,「申し訳ないことでございます」あるいは「申し訳なく存じます」が正解。

考えてみれば,「申し訳ございません」が成立するのであれば,「申し訳ございます」や「申し訳ある」がその前にあるはずじゃないか。「申し訳ございます」や「申し訳ある」っていったい何だ。「申し訳ございません」がここまで一般化して使われたら誤用とは言えないって見る向きもあるけれど,やはりおかしく感じる。

さてさて,気になっているなんて最初に書いたが,これ,もちろん自分で気づいたことではない。NHKの「ことばおじさん」がだいぶ前に語っていたことだ。自分で気づいたようにも見える書き方をしてしまって,申し訳ございません・・・あやや,申し訳ないことでございます。
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たぶん・・・きっと・・・おそらく・・・

2008年05月14日 | Weblog
5月9日付のYoutubeからのリンク,設定がうまくいっていなかったらしく,「見られない」という声をいただいた。自分のパソコンの数台でいろいろな環境からテストしてアップロードしたつもりだったが,単にキャッシュが再生されていただけのかもしれない・・・まだまだ未熟[: +∇+ :]。We're sorry, this video is no longer available.って画面に出たのではないだろうか。その後Youtubeの方の設定をいじってみた。今度はどうだろう。もしまだ見られないという方がいらしたら,お知らせください。
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広島大学 造形芸術教育 修卒展 教育学研究科長挨拶

2008年05月09日 | Weblog
1年以上も前のビデオだけれど,可能になったのでアップしてみた。

2007年3月6日,修了卒業制作展・論文発表会のオープニングにあたって,
坂越正樹教育学研究科長にご挨拶いただいたもの。広島県立美術館県民ギャラリーにて。

アートを,なかなか言葉にできない思いを伝えるかけがえのないツールとして位置づけて下さった。ある学生は「自分たちが行ってきたアートの営みの意味を改めて気づかされ,大きな元気をいただくことができた」と語っていた。感謝。

広島大学 造形芸術教育 修了卒業展 教育学研究科長挨拶
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授業の極意~「テオ・ヤンセンTheo Jansen」

2008年05月08日 | Weblog
昨日授業の極意なんて書いちゃったけど,そういうことでいえば,セロ氏のマジックよりもこんな「動く彫刻(キネティック・スカルプチャー)」の方が授業化に近い,いい動画だろうか。テオ・ヤンセン氏の作品。風の力が生命を与える。これも衝撃。

BMW (South Africa). Defining innovation.


アートの語源を辿ると,ラテン語「アルス(ars)」,あるいはギリシャ語「テクネー(techne)」に行き着くという。「技術」という意味だ。その意味では最もアートらしい作品の一つと言ってよいかもしれない。
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授業の極意~「セロの首が」

2008年05月07日 | Weblog
今日は学生向け。

youtubeをはじめとしたinternet動画をこのところずっとあれこれ調べたり試したりしている。そのなかでたまたま行き当たったのがこの動画。20秒に満たない短い動画だけれど,衝撃がすごかった。気づかぬ間に十数回繰り返し再生していた(たぶん君も)・・・で,ふと気づいたのだが,授業の極意はここにあり。

セロの首が


奇を衒(てら)うというのではない。授業を同じようにするわけにはいかないことも,むろん承知のうえだ。しかし,人は面白いこと不思議なことに対しては興味を持ち,自然と学びに向かってしまう。この事実を忘れてはならない。

各教科が取り扱う内容は,子どもたちの興味が自然と向かってしまうような文化のすばらしさを必ず背景にしている。セロ氏のマジックのようにはしないにしても,授業で取り扱う文化によって感動したり不思議を感じたりする,こんなスパイスを少々ふりかけなきゃ。授業ってこんな工夫が大切だよね。授業をするとき,単に「生徒は授業だから聞かなければならない」と開き直って淡々と進めるのと,生徒が自然と学びに向かうようにこれらの要素を取り込もうと努力するのとでは,大きな違いがある(これは授業者の内なる覚悟として。生徒への要求はまた違うこともある。)。

さてさて,無粋なことだが簡単に振り返ってみると,動画を見た自分が行っているのは,

(1) 首の位置に不自然さを覚える。
(2) 通常の首としてはあり得ない位置にあることが分かる。
(3) 見間違いではないかと確認する。
(4) 見間違いではないことが分かる。
(5) 見間違いでないことは不自然なことと思い,再確認を何度も繰り返す。
(6) 不自然のあるいは不思議の原因を探ろうと何度も見直す。
   ・
   ・
   ・
といったことだ。結局この不思議は解明できない・・・できないからマジックなのだが・・・やはり自分から何度も見てしまう。見せられるのではなく魅せられる。各教科が取り扱う文化のよさを素材にして,生徒が「面白かったからあっという間に1時間経っちゃった」と言える,そんな授業づくりにトライしてみないか。
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今日の誕生日5/4

2008年05月04日 | Weblog
たまたまググってみたところ,今日5/4はこんな方々の誕生日。印象の強かった方のみ,敬称略です。故人も少なくないですが,お誕生日おめでとうございます。

1929年 - オードリー・ヘプバーン,女優(1993年没)
1929年 - 仲谷昇,俳優(2006年没)
1928年 - ホスニー・ムバーラク,エジプト第4代大統領
1918年 - 田中角栄,第64・65代内閣総理大臣(1993年没)
1913年 - 森繁久彌,俳優
1899年 - 笹川良一,政治家・日本船舶振興会会長(1995年没)
1897年 - 芹沢光治良,小説家(1993年没)
1888年 - 小泉信三,経済学者(1966年没)
1846年 - エミール・ガレ,ガラス工芸家(1904年没)
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Mt.Fuji 富士山

2008年05月02日 | Weblog
ちょいと日付が飛んでしまうけれど,時期があまりはずれてもなんなので・・・4月20日には飛行機に搭乗。富士山を撮影できるかもしれないと思ってカメラを用意したところ,タイミングよく撮影できた。少々ぼけてたりするところもあるけれど,まあご愛嬌。下界はだいぶ暖かくなったけれど,4月中(下?)旬,雲上の富士はこんな様子でした。まだまだ雪化粧。

Mt.Fuji 富士山


※ボーイング777-200(772)の主翼も,少々富士山に見立てられるように撮影してみました。いかが?



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今日は八十八夜

2008年05月01日 | Weblog
今日は,♪夏も近づく八十八夜~♪と文部省唱歌『茶摘み』に歌われる八十八夜。そろそろ夏ですね。

【wikipedia/八十八夜】
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学部・附属共同研究-打ち合わせ会議

2008年05月01日 | Weblog
3月31日は附属高等学校を訪問。美術室をお借りして,平成19年度に学部・附属共同研究として行った「教育実習における図画工作・美術科鑑賞学習指導の検討(1)―図画工作・美術科教育実習生における問題点と課題―」の最終まとめと,平成20年度に向けた方向性の確認などを行った。

問題意識の中心は,教員養成における教育実践力の向上を教育実習においてどのように保障するかという点にあった。そのため,望まれる教育実習の在り方について,図画工作・美術科の鑑賞学習を糸口に探ることをねらいとした。

その結果は,平成19年度学部・附属共同研究紀要に執筆した次の点に集約される。原稿から転載しよう。

3.まとめと今後に向けて
 教育実習生がしばしば口にしたり,また他から指摘されたりする経験不足は,教育実習生にとって宿命である。経験不足に由来する困難を乗り越え教育実習の場で経験を積むのが,いつの時代も教育実習生としての学びである。また生涯にわたって学び続ける態度は,教員に求められる姿勢や資質の一つでもある。
 今年度実施された教育実習において,教育実習生が鑑賞学習を行った授業を観察した。本稿でも授業の概要が報告された。以上をふまえて判断すれば,教育実習生の多くは自分の経験不足を克服し授業を児童・生徒の興味を惹く質の高いものにしようと健闘していた。これらの認識の上に,教育実習の質をさらに高めるために克服すべき問題点と課題を,次のように整理した。
<問題点>
(1)学習目標が適切に設定されないこと
 鑑賞の授業実習では,附属教員による指導のもと,教育実習生によって比較的自由に教材などが決定されている実態が明らかになった。しかし教育実習生によって自由に設定された学習目標が,教育実習期間外の教材系統性や児童・生徒のあるべき姿の軸をぶれさせてしまうのでは問題である。学習指導要領において示される目標に基づいて,学習目標を適切かつ明確に設定することが求められる。
(2)鑑賞学習に対するイメージの欠如
 鑑賞学習に対するイメージの欠如は,大学においても十分に認識している。克服のために,テレビジョンで放映されたり研究会で公開されたりした優れた鑑賞授業を視聴させ,その工夫点について集団討論などを通じて検討させてきた。また学習指導案の作成を行って授業づくりの視点と方法を獲得させてきた。多くの教育実習生は,これらの学習をふまえて子どもたちの興味・関心に基づく授業の工夫を行っていたようだ。十分ではない状況にあるが,継続する必要がある。
(3)コミュニケーション力の不足
 コミュニケーション力は,人間を相手にする教員にとって不可欠の能力である。大学の授業では,集団討論などの場を設けて,自分の考えを他に伝えるようにさせているが,十分に効果を上げているとは言い難い。実習中はクラス配属などで児童・生徒の実態を把握しつつ,コミュニケーションを取ることのできる環境整備が求められよう。また,教育学部が教員養成や教員の主目的養成を行う目的学部であることを考えれば,教職に対する関心・意欲,コミュニケーション力などを考査対象にするような入学試験の方法及び内容の再検討が必要かもしれない。
<課 題>
(1)教育実習において実習生が担当する授業を自由に決定させることが適当かどうかの検討
教育実習で自由に教材作成を行うことが適切か,それとも一定の指導の型を与えまず体験することが適切かといった問題を,現代の教育実習生像をふまえて検討することが必要である。教育実習において一定の質を保った授業を行うことは,教育実習生による授業を受けなければならない立場にある児童・生徒の学習権を保障することにもつながる。
(2)教育実習において授業の視点を焦点化して示し,観察を容易にするための観察録などの検討
 経験不足の教育実習生は授業全般に対するイメージが十分に定着しておらず,授業を観察する時,無目的にただ漫然と観察することになりがちである。附属で授業観察をする際に,授業づくりの視点を明確に示した観察録などの作成と使用によって,授業づくりの視点を獲得することが容易になると期待される。
(3)自分自身が行った授業を振り返るためのVTR撮影・視聴や批評会の充実
一部の附属ではすでに実施し効果を確認している。教育実習生の行った授業を客観的に観察することによって,初めて自分自身の課題を認識することができる。予算措置が必要だが,導入を試みたい。
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