シューベルト ピアノ連弾ソナタ D823 の出版に纏わる話題を集中的に書く。
真っ先に書いておかなければならないことがある。
ブライトコプフ旧シューベルト全集では、得意げに「ピアノ連弾」の中で 『第18曲 = ハンガリー風ディヴェルティメント』に続けて、『第19曲 = フランス風ディヴェルティメント』を掲載している。
作品番号で 『54 → 63』の間には、連弾曲は『作品55の行進曲』があるだけだが実際の出版は「作品54 = 1826.04.08」と「作品55 = 1826.02.08」と逆転しているから、『D818 と D823 は、連弾曲として連続して出版された曲』は正しい。
である。「第2グランドソナタ」は(悲しいことに)「ピアノソナタ」の名称でシューベルト生前に出版された最後の曲であり、「第1グランドソナタ」と違って「変奏曲楽章」さえ持たないママに出版された。希有なことである。
シューベルト生前の「ウィーンの出版社」は、21世紀の我々の目から見ると極めて横暴な要求をシューベルトに突きつけていたようだ。
などなど。
ハ長調ソナタD840 が途中で廃棄された原因もおそらく「変奏曲楽章」と「ロンド楽章」が無かったことだろうし、連弾ソナタ ハ長調D812 が出版に至らなかったのも「変奏曲楽章」と「ロンド楽章」が無かったことだろう。
おそらく ニ長調ソナタD850 も「ロンド楽章」こそあったが、「変奏曲楽章」や「行進曲楽章」が無かったので、あやうく「出版差し止め」になりそうだった可能性大である。シューベルトは、何が何でも ニ長調ソナタD850 を出版したかったので、出版社アルタリアのわがままを聞き入れたようだ。すなわち
である。
になるのだが、連弾曲なのでほとんど注目されていない。
こうして ニ長調ソナタは「シューベルト意図のオリジナルに限り無く近い出版」になったのだが、これは当時推定人口20万人のウィーンの楽譜出版社には即伝わったことは、想像に難くない。
連弾ホ短調ソナタD823 を受け取った 出版社 = ヴァイグル は、要望通りの楽譜を受け取ったハズである。つまり
である。そのまま出版してくれれば良かったのに、ますます欲が深くなったのだろう、ホ短調ソナタを
と3分冊にして出版。しかも、第1分冊は1826.06.17出版、第2&第3分冊は1827.07.06出版と念入りである。う~ん。
この悲劇はさらに生前のシューベルトを悩ます結果をもたらしてしまうのである!
真っ先に書いておかなければならないことがある。
「フランス風ディヴェルティメント D823 作品63+作品84」の題名 ← 「ハンガリー風ディヴェルティメント ト短調 D818 作品54」からの命名
ブライトコプフ旧シューベルト全集では、得意げに「ピアノ連弾」の中で 『第18曲 = ハンガリー風ディヴェルティメント』に続けて、『第19曲 = フランス風ディヴェルティメント』を掲載している。
作品番号で 『54 → 63』の間には、連弾曲は『作品55の行進曲』があるだけだが実際の出版は「作品54 = 1826.04.08」と「作品55 = 1826.02.08」と逆転しているから、『D818 と D823 は、連弾曲として連続して出版された曲』は正しい。
「ハンガリー風ディヴェルティメント 作品54 D818」は、「第2グランドソナタ 作品53 D850」と同じアルタリア社から同時出版された双子の姉妹作
である。「第2グランドソナタ」は(悲しいことに)「ピアノソナタ」の名称でシューベルト生前に出版された最後の曲であり、「第1グランドソナタ」と違って「変奏曲楽章」さえ持たないママに出版された。希有なことである。
シューベルト生前の「ウィーンの出版社」は、21世紀の我々の目から見ると極めて横暴な要求をシューベルトに突きつけていたようだ。
- 変奏曲楽章を入れろ!
- 終楽章は「ロンド」にしろ!
- 行進曲楽章を入れろ!
- 「ソナタ」の名称はハズせ!
などなど。
ハ長調ソナタD840 が途中で廃棄された原因もおそらく「変奏曲楽章」と「ロンド楽章」が無かったことだろうし、連弾ソナタ ハ長調D812 が出版に至らなかったのも「変奏曲楽章」と「ロンド楽章」が無かったことだろう。
おそらく ニ長調ソナタD850 も「ロンド楽章」こそあったが、「変奏曲楽章」や「行進曲楽章」が無かったので、あやうく「出版差し止め」になりそうだった可能性大である。シューベルトは、何が何でも ニ長調ソナタD850 を出版したかったので、出版社アルタリアのわがままを聞き入れたようだ。すなわち
行進曲付きの「ソナタ」名義で無い連弾曲 = 作品54「ハンガリー風ディヴェルティメント」を差し出した
である。
「シューベルト史」で言うと「性格小品の始まり」
になるのだが、連弾曲なのでほとんど注目されていない。
こうして ニ長調ソナタは「シューベルト意図のオリジナルに限り無く近い出版」になったのだが、これは当時推定人口20万人のウィーンの楽譜出版社には即伝わったことは、想像に難くない。
連弾ホ短調ソナタD823 を受け取った 出版社 = ヴァイグル は、要望通りの楽譜を受け取ったハズである。つまり
- 変奏曲楽章あり
- 終楽章 = ロンド
である。そのまま出版してくれれば良かったのに、ますます欲が深くなったのだろう、ホ短調ソナタを
- フランス風動機の行進曲に拠る確固たる形式に拠るディヴェルティメント
- アンダンティーノ変奏曲
- 華麗なロンド
と3分冊にして出版。しかも、第1分冊は1826.06.17出版、第2&第3分冊は1827.07.06出版と念入りである。う~ん。
この悲劇はさらに生前のシューベルトを悩ます結果をもたらしてしまうのである!