超絶技巧トランスクリプション物のスペシャリスト = 高須博 のここ数年での快心の出来!
であった。
特に、本プログラム最後の リスト作曲「スペイン狂詩曲」が曲の魅力も深く、会心の出来! コレッリ「ラ・フォリア」が元曲だが、「リストの超絶技巧」がここあそこにちりばめられ、きらきらと輝くような演奏であった。
リスト「スペイン狂詩曲」は、若手ピアニストが「コンクール用ピース」として持ち歩く『流行ファッション曲』の1つ(← これ本当)
「コンクール用ピース」として弾かれる演奏の大半は、『コレッリ → リスト をすっきりと割り切って表現』する。少々詳しく書けば
モーツァルト → ベートーヴェン → ツェルニー → リスト の流れが当たり前! かのような演奏
と言えばわかり易いだろうか? はっきり言ってしまえば
ベートーヴェン の配下にツェルニーがあり、ツェルニーの「つまらない練習曲」の下にリストが育った
と言う(聴く側からは)極めてつまらない倫理観に支配されたつまらない演奏である。この演奏をしたピアニストは・・・
・・・止めておこう。多過ぎるわ(爆
高須の演奏は、『ベートーヴェンの精神をそのまま受け継いだピアニズム』
である。すなわち
- 技巧のひけらかし
- 「テンポ」も「デュナーミク」も大袈裟に動かす
が基本。「ベートーヴェンの作品番号が付かないで生前に出版されたピアノソロ変奏曲」の楽譜を見れば、お解り頂けることだろう。
高須のピアノは雄弁だ! 時に「聴衆の騒然としたざわめき」も「2本の腕と1台のピアノ」で表現し、時に「静けさ」を表現する。テンポの設定は「巾が極めて大きい」が特徴。リスト作品だけでなく、タールベルク作品も(アンコールのゴドフスキ作品も)同じである。
高須は「ノンペダルの静けさ」を十全に聴かせてくれる希有なピアニストの1人
である。リストもタールベルクも「ノンペダルの静けさ」をまず初めに呈示してから、「ペダルありの朗々たる歌唱」をピアノで演じた。これは、ベートーヴェンやモーツァルトの「変奏曲」でも同じであるが、リストやタールベルクの方が徹底している。「聴衆の要望」が強くなっていたのだろう!
「高須博の演奏会」が『年1回』なのは、私高本の個人的な感想として物足りない方向で残念である。これだけの「リスト : スペイン狂詩曲」が演奏できるピアニストは(既に死んだリスト自身とかシフラを除き)私高本は想像できない。「趣味の良いピアニスト」では無いが、一流のピアニストであろう。全盛期がいつまで続くのかはわからない。できることならば「全盛期」の間に
- リスト : ハンガリー舞曲第2番
- リスト : ハンガリー舞曲第15番
辺りは聴きたい。「編曲モノ」ですよ!!!