Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

パドモア+フェルナー シューベルト「冬の旅」批評(No.1954)

2011-12-10 23:45:26 | 批評
 本日、所沢ミューズにて開催された パドモア+フェルナー の日本最終公演を聴いた(私高本1人)後、皆既月蝕を 佐伯周子 と見た。演奏は深く考えさせられる出来であり、皆既月蝕は「欠け始めから皆既月蝕なるまで晴天」に恵まれた!


ピアノ~ピアニッシモを巧みに操る パドモア の魅力全開の「冬の旅」だが


  パドモア は人気あるテノールで、古楽~シューマン辺りで特に評価が高く、録音も多い。かく言う私高本も「グラアム・ジョンソン のシューマン全集」録音で聴いて興味を持ったテノールである。ナマで聴くのは今回が初めてである。
  パドモア は、「ピアノ ~ ピアニッシモ の美しい声」が魅力であり、高い声域は「基本的ファルセットで抜いた声」で歌う。「カウンターテノール」の技巧の応用である。甘くたっぷりと歌い上げる。テンポを小刻みに揺らして表情を付ける。アンコールで歌われた「夜と夢」などでは、その甘い声に酔い痴れる!
 この日も「パドモアの魅力」は充分に聴かせてくれた。第1曲「おやすみ」は、それはそれは「よそ者の寂寥感」を見事に表現。第2曲「風見の旗」では、シューベルトが指示している「フォルテの高音域」をファルセットで抜いて歌う。第1曲に続く寂寥感がホールを支配する。ピアノの フェルナー はブレンデルの弟子として有名。パドモア とは「アン・デア・ウィーン劇場」を始めとし、「シューベルト3大歌曲全曲」で共演している。第1曲前奏冒頭第1小節から「4つの8分音符」が不均等に演奏される。師匠=ブレンデルとは随分解釈が異なるものだ。アクセントはほとんど出さない。左ペダルを巧みに操り「ピアノ~ピアニッシモ」を パドモアの音色 に合わせる。右ペダルの使用法はこれまた ブレンデル とは全く異なり「ハーフペダルは用いず、基本的に音符1つ または 1小節毎に踏み替える」。音の濁りを極端に嫌う奏法だ。第3曲「凍った涙」では「涙」を象徴する「1拍目裏からの2分音符」を遠くに響かせるように鳴らす、あたかも「鐘の音」のように。効果的だ。

 ・・・で、この調子で全24曲が演奏通せれば、「パドモアの魅力」だけが浮かび上がるのだが、有名な第5曲「菩提樹」辺りになると、都合の悪いことが発生してしまう。まず、ピアノ。

「菩提樹」の短調の中間部を導く「フォルツァートで 左手の符点2分音符 と 右手の3連符16分音符の箇所」で フェルナー は「音が濁らないよう」に3連符の束毎に踏み替える


 力感が全く生まれない。ダイナミクスも「フォルテにも達しない」感じ。パドモア は(苦手な低音域に)処理を苦労して、ほとんどピアノ1本槍で中間部を通したかのよう!
 曲集の中でも超有名な曲なので、これは「締まらない」こと甚だしい。長調が戻って来た時も、「表現の差」がほとんど無いので、「安らぎが戻って来た感」が全く無い。パドモア の解釈だと推測するが、「美しい音域が狭い」のが原因だろう。中間部最後の「中央C の すぐ下の H の2分音符」は ピアノ と言うもののほとんど響きが無かった。


 同じ問題が第11曲「春の夢」で起こる。

「春の夢」は「冬なのに、春の夢」を見てしまう「夢見心地の気持ち良いフレーズ」と「冬の現実の耳を塞ぎたくなるフレーズ」の対比が命! の名曲


だが、

ピアニスト=フェルナーは「フォルティシモの中のフォルツァート」を轟かせ無いし、パドモア は「軽く流す」


 何と平坦な薄い表現に「シューベルトの名曲」は貶められたことだろう(泣
 「春の夢」は「冬の旅:第1部」のピークの1つなのに(爆涙


パドモア + フェルナー の演奏で耳障りだったことの1つに「前奏ピアノの音量がシューベルトの要求よりも必ず大き過ぎる」こと!


がある。フェルナーは「ソロピアニストでも売ってま~す」を宣伝したいのだろうか? テノールが入る箇所から、いきなり無意味に音量が落ちるのは興醒め。何だか安い酒で悪酔いした時の感触に近い。(若い頃はバカな呑み方をしたものだ > 私高本)
 パドモア は「前奏」には全く興味が無いようだ。同じテノールの シュライヤー や ボストリッジ とは「違う音楽観」だ。シュライヤー も ボストリッジ も「前奏まで責任持った音楽作り」だったからなあ。


 「パドモアの高音域」は全部が全部ファルセットで抜く、と言う訳では無い。それでは「音楽作り」が成立しないからだ。例えば第21曲「宿」の終結部周辺は(高音域であるが)実声で「張る」。だが

「nur」のEsも「Nur」のFもぶら下がり!


だった。「第9コーラスのバス」でさえ、「F実声」だよ! これはヒドい!


 1部に熱狂的なファンがいるし、また第1曲やアンコールでは極めて魅力的な声を聴かせてくれるテノール = パドモア であるが、シュライヤー や ボストリッジ の域には遠い、と感じた演奏会である。しかも(曲数は2曲か3曲か絶対音感が無いので断定できないが)下に移調して歌った曲があったし(泣
 フェルナー が「師匠 = ブレンデル」の域に達することは不可能。「音を聴く」ことが出来ていないからだ。しかも

フェルナーは『譜めくり無し』の演奏だったが、楽譜を自分でめくる際に「音が落ちる」が多発!


 「シューベルトの音楽」を完全に「舐めている」。

 シュライヤーは引退した。ボストリッジは全盛期を過ぎた。「ドイツリートのテノール」を牽引してくれる次世代テノールが現れてくれることを首を長くして待つ。私高本の首が「ろくろ首」になっても構わない。「シュライヤークラスのテノール」が1日も早く登場してほしい限りである!!!
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