Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

シューベルト演奏に於いて大切なモノとは?「小森谷巧のシューベルト」を聴いて(No.2018)

2012-03-18 19:31:20 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 数多くの「演奏会批評」を書き残していることは重々承知している。「佐伯周子のシューベルト」の宣伝もしなければいけないことも重々承知している。しかし、体内から噴出してくる衝動はもう抑え切ることが出来ない。「音楽ヒョーロン界のドン・キホーテ=私高本」が風車小屋に向けて暴走します(爆
 衝動が止まらなくなった原因は

「小森谷巧の感動のシューベルト」を2回聴いた上、3/16に「佐伯周子+草冬香の連弾最終合わせ」を聴いたが轢鉄


 小森谷巧、佐伯周子、草冬香 に感謝するばかりである。(小森谷さん、ヴィヴァルディの批評はもう少し待って下さい><)


シューベルト演奏に於いて大切なモノとは?



「小森谷巧のシューベルト」はそれはそれは「ピアノ~ピアニッシモの音の美しさが際立っている!


 ここで1つ明記しておく。

同じ「シューベルト弾きヴァイオリン奏者=クレーメル」に比べても「シューベルトのピアノからピアニッシモ」に関しては、小森谷巧 の方が美しい


 では、

「なぜ、クレーメルは世界的なソロ・ヴァイオリン奏者として名声を博し、小森谷巧は読響のコンサートマスターに留まっているのか?」と言う素朴な疑問が湧き上がる


 ズバリ書く。

フォルテ音量がクレーメルが圧倒的に大きく、「協奏曲演奏家適性」がクレーメルが上


だからである。小森谷巧 は「ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲では充分な音量で豊に音楽を語れるが、ブラームス や パガニーニ のヴァイオリン協奏曲でクレーメルに比肩する音量が鳴らせる、とは想定し難い」のである。(あっ、「小森谷巧のヴィヴァルディ」を聴かせて頂いたおかげでこの1文が書けています。小森谷さんありがとうございます。) 

 「シューベルトの室内楽」を紀尾井ホールや東京文化会館小ホールで奏でる限りは、小森谷巧 の音量は充分な説得力を持つ。これが「NHKホールでブラームス協奏曲」になると、どうなるのだろうか? 他のヴァイオリン奏者で聴いたことがあるが、なかなか説得力を持たないモノである。近いところでは 昨年12月のN響定期の批評 を掲載しているので、興味ある方はご覧下さい。尚、「クレーメルのシューベルト最新盤」 は、リンク先の4枚組で聴けるので、興味ある方は聴いて下さい。私高本は、協奏作品は初回録音から購入して聴いていますが、「クレーメルのシューベルト」は『シューベルト理解の妨げ』と強く感じている次第です><

「クレーメルのシューベルト」は『やたらと鳴らしているだけ』


です。「小森谷巧のシューベルト」を聴くと、どうしても1人でも多くの人に「伝えなければならない」使命感に駆られました。「クレーメルのシューベルト」はスカだからなあ(爆
 ちなみに「小森谷巧のシューベルトCD」は私高本は聴いていないので、何とも言えないのだが、「ジャケット写真 + 十勝の音楽事情」を熟知している私高本としては、「ピアノサイズが、もしかしたら寸詰まりピアノでの録音?」の可能性も高い、ことを附記しておく。もし、購入に際して懸念があれば、直接小森谷巧さんにお尋ね下さい。
 「室内楽」は、「ピアニストの表現の巾」次第でヴァイオリン奏者も(チェロ奏者も)表現の最大幅が決まってしまうからなあ。この辺りは聴いていないモノについては何ともワカラン(泣


 佐伯周子 + 草冬香 の(演奏会当日ゲネプロを除く)最終練習を 草冬香さんのご好意で聴かせて頂いた。本番会場の「カワイ表参道パウゼ」。「サロン」であり、狭い会場。ご近所の NHKホール とは全く音響が異なる。チラシに掲載されている「シューベルティアーデ」の雰囲気になるのか? 「NHKホールで春の祭典」の雰囲気になるのか?


 「シューベルトの連弾曲」は「タール&グロートホイゼンの全曲録音」以外には良い録音が全く無いのが欠点。さらに言えば

大きくしたくなる「クレッシェンド記号」が多過ぎ


多くのピアニストが「ヴァイオリンのクレーメル」と同じ方向で音楽を作ってCDにしている。「行き着く先」が「fff」に毎回なるならば問題無いんだが(爆

 考えてみれば、連弾に限らず、ピアノソロでもデュナーミクの問題は大きい。

田崎悦子のシューベルト「遺作変ロ長調ソナタ+即興曲作品90」

 田崎悦子は「シューベルト弾き」として1990年代前半に大いに売り出しており、私高本も聴きに行ったが、

「田崎悦子のシューベルト」は音がやたらとデカイだけで汚い


のである。会場のピアノの状態が悪いのか? と思い、CDを会場で購入して聴いた(上でリンク貼ったCD)が、同じ方向の音作りであり、ご丁寧にも『<汚い音の混じったシューベルト>」と書いてあった(涙
 田崎悦子 は、「バルトーク協奏曲」で売りだしたピアニストだった。バルトークのピアノ協奏作品は、ちょっとでも音量が足りないと、オーケストラが被さり、ピアノソロが聴こえなくなってしまう。(特に第1番と第2番)
 田崎悦子 がバルトーク協奏曲演奏会で重宝されたのは「音が大きい」ためである。但し、「バルトークピアノ協奏曲録音」は無かったようで、未だかつてCDを目にしたことは無い。レコーディング では、ゲーザ・アンダ とか ポリーニ とか コチシュ のように「音が綺麗で大きいピアニスト」の盤が人気あるからなあ。
 他に「田崎悦子のシューベルト」で耳につく点は

シューベルトが要求する「リズム感」が全くと言って良いほど、田崎悦子 には欠けていること


音量で「f」と「ff」が(汚いだけでなく)区別が無い


2拍子なのか? 4拍子なのか? 楽譜を見ながら聴いても判別が難しいほど。「躍動感が全く感じられない」


のだ。

 実は「クレーメルのシューベルト」も全く同じである。先にリンク張った「4枚組CD」を聴くと、誰の耳にも明らかだろう。

シューベルトが要求する「リズム感」が全くと言って良いほど、クレーメル には欠けていること


音量で「f」と「ff」が(汚いだけでなく)区別が無い


2拍子なのか? 4拍子なのか? 楽譜を見ながら聴いても判別が難しいほど。「躍動感が全く感じられない」


 結論を述べる。

  1. 指が廻っているだけでは、シューベルト音楽は映えない


  2. 音が汚くては、シューベルト音楽は映えない


  3. 「リズム感」が優れていて初めて、シューベルト音楽は息づく


コメント (1)
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