「リズムの権化」を音で示した 広上淳一 X 東響 の 伊福部昭「プロメテの火」再演!
この演奏会は、いろいろな「音響空間」を聴衆に示してくれた演奏会となった。前号で書いたように「鹿踊り」で、放映された映像と「舞台で現に鳴っているオーケストラの音」がずれて終曲したこと、のように、誰の目(=誰の耳)にも明らかなこともあった。だが、私高本が最も興味を持ったことは
前半の「プロメテの火」で充溢していた緊張度高い音響空間が、後半の「鹿踊り」では明らかに後退して開始され元には戻らなかったこと!
これに尽きる。前半は「通常の舞台照明」、後半は「映像優先でステージ照明を落とし、指揮者&オーケストラ奏者は手元照明で楽譜を照らすスポットライト群」だった。私高本は「老眼」で、暗い場所の視力が弱い。しかも(音響最優先で)座席を確保したので、(視覚最優先の)1階中央最前列ほどは「指揮者の照明」は理解できていない。(1階最前列音響は「好き」なのだが、弦楽器が圧倒的に強く、管楽器が奥に引っ込み過ぎて、「指揮者の意図」が掴み難いので、批評を書く予定のオケ公演では、2階以上の座席がある場合は、基本的には選ばないようにしている。1階最前列で聴いて「管楽器が物足りなかった」と書かれたら、管楽器奏者は激怒する、と思うから。)
まず、「プロメテの火」について。広上淳一指揮は「初演を担当した東京交響楽団に起用された」意欲がリズム感に反映されたのか、極めてリズム感に富む。具体的には、低音を短く弾ませ、「ウキウキさせる」指揮。(東日本大震災で「関東で唯一ぶっ壊れたクラシック音楽ホール」として高名を馳せた)川崎ミューザ のリニューアル後の音響が相変わらず素晴らしいことを実証する演奏、となった。
ここで突然だが、生前に私高本が伊福部昭から聞いていた言葉を記す。
伊福部昭「私の最長のオーケストラ音楽は、プロメテの火です。タプカーラ交響曲ではありません。」
当時、「ピアニスト = 川上敦子」のマネジャー、今は「ピアニスト = 佐伯周子」のマネジャー、である私高本からすると、(事前勉強が足らなかった可能性は否定できないが)極めてショッキングな発言であった。「タプカーラ交響曲」は事前勉強していたが、「プロメテの火」は音源が見付からなかったので聴いていなかったからだ。
「伊福部昭音楽」を語る人は多い。「騙る人」も結構多い。特に「新弟子とそのさらに弟子」はすさまじい。伊福部昭 は生前に、私高本に「編曲しました。承認下さい。と言う人が後を絶たない。楽譜を見ると、承認できない人の方が圧倒的に多い。」と語っていた。
その中で、死ぬまで拒絶したのが「日本狂詩曲」、と語ってくれたのだが、「プロメテの火」も『生前承認編曲が皆無の曲』
である。(この稿、「続々」に続く)