Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

デュトワ指揮N響マーラー「千人」交響曲2日目批評(No.1951)

2011-12-06 06:55:13 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 12月4日(日)の2日目を佐伯周子と聴いた。素晴らしい演奏だった。

バーンスタイン、テンシュテットに続く「マーラー指揮者」の可能性高い シャルル・デュトワ




N響常任指揮者就任15周年記念演奏会を「満場のブラヴォー」で迎え入れられたデュトワ


 月日が経つのは早いもので、名指揮者デュトワが「N響常任指揮者」に就任してちょうど15周年となった。就任最初の演奏会は1996年12月6日。1ヶ月に4種類の演奏会を各2日づつ演奏し、自らの就任披露とした。中には「別れた元妻 = アルゲリッチ」とのショパンの協奏曲第1番もあり、カーテンコール時につつかれながら出入りしていたのも微笑ましい思い出の1つである。
 それから、デュトワとN響の関係も結構波風があった時期もある。おそらく「モントリオール響時代のようにラヴェルやドビュッシーを振りまくって欲しい」とN響サイドが希望していたにも関わらず、プロコフィエフを中心としたロシア物中心のプログラムにN響が反発したのだろう、常任指揮者 → 音楽監督 と昇格した後は、ギスギスした感じになり、「常任指揮者時代」の息の合った演奏が極めて少なくなってしまって残念だった。デュトワ音楽監督退任と同時にアシュケナージが常任指揮者就任となった。「モーツァルト弾き振り」を期待しての就任だと推測するが1度も(モーツァルトに限らず)弾き振りせず、退任と相成った(爆
 「オーケストラのトップ指揮者の地位」は難しいポジションであり、N響は「デュトワ常任指揮者就任」当時は、東京のトップオケであったのだが、いつの間にか企画も「ルーチンワーク主体」に見える上、演奏面でも1番トランペットが(津堅退任後は)在京オケで最底辺になってしまった(泣
 「N響でマーラー交響曲第5番」は私高本は怖くて怖くて聴けない(爆涙


 N響が久方振りに「目を惹く企画」として提供したのが「デュトワ指揮 : マーラー 千人」である。デュトワがこれまで共演して来た「世界クラス6名のオペラ歌手」に日本オペラ界期待のバリトン = 青山貴 が共演する「夢の企画」だった。
 ・・・のだが、東電が放射能垂れ流し、日本政府が情報隠しするのを嫌って「来日しないソリストが2名」早い時期に発表された。デュトワ は歯を食いしばって「来日してくれる世界クラスの2名のオペラ歌手」を手当してくれた。「これで練習初日を無事迎え入れられる」ハズだった。おそらく練習開始直前だろう、「第2ソプラノ」が来日中止通告。「世界クラスのオペラ歌手」は「デュトワとの共演」を皆熱望していることだろうが、契約が詰まっている上、就労ビザ発行も間に合わないタイミング!

ここ20数年の「東京の千人」を聴いた限り、日本人ソプラノで「デュトワのメガネに叶う実績」は皆無と推測


される。気の弱い指揮者ならば「鬱病」に罹るほどのショックを、デュトワ自身が受けたことは想像に難くない。


 私高本は「前日に吠える」で「ハイCが出せるスーブレットソプラノとして 中嶋彰子 起用だろう」と書いた。はっきり「間違い」だった。デュトワの読みは「遥か先」を見据えていた。

「B」まで綺麗に出せる共演実績のある 中嶋彰子 指名


 中嶋彰子は辞退した、と推測できる。

マーラーの音型で「フォルティシモの ハイC のお代わり攻め」は声を潰す!


からだ。デュトワもあらかじめ分かった上での指名だった。大胆な戦略が秘められていた。

中島さんは「ハイC」は全部省略して頂いて、「B」まで出して頂ければ充分です。「デュトワの千人」に中島彰子の声が絶対不可欠に必要なのです! 万難を排して受けて下さい!!


と。


 デュトワ指揮N響「千人」2回の演奏会を聴き終えた後で、マーラー「千人」のスコアを読み直す。この演奏会を聴かなかったならば、永遠に理解出来なかった「千人の秘密」を理解できた。

  1. 「ソプラノ1」は単独で「ハイC」を何度も「フォルティシモでお代わり攻め」があるが


  2. 「ソプラノ2」は単独「ハイC」は第1部練習番号91と92の間に2回だけで他は全て「ソプラノ1」とのユニゾン


  3. 該当箇所は「カノン」で全声部を聴き取るのは指揮者以外はまず無理に限りなく近い



である。「1回の演奏会のために声を潰す恐怖」から 中嶋彰子 を開放し、「水を得た魚」の声域だけで存分に力を発揮してもらう。「マーラー:千人」がこれで成り立つ!!!

 これほど「深く」マーラーを研究している指揮者は、私高本は バーンスタイン と テンシュテット しか思い浮かばない。
 バーンスタイン は、全交響曲 と 全管弦楽伴奏歌曲 を指揮した上、「若き日の歌(これだけなぜか抜粋で3曲抜けている!)」「さすらう若人の歌」「子供の不思議な角笛から」「リュッケルト歌曲集」をピアノで弾いている。
 テンシュテット は、「合唱団は絶対にアマチュアのロンドン・フィル合唱団のみ使用」を義務付けられながら、マーラー交響曲全曲を名演で揃えた名手。ドイツ語ディクション が「東ドイツ育ちのテンシュテット」には耐えられたか? 耐えられなかったか? は不明だが、「耳当たりが良いモノでは無い」合唱団と、ロンドン・フィル音楽監督就任以降は「他オーケストラ共演時もロンドン・フィル合唱団と共演以外は(最小で)録音&放送絶対禁止」の必須条件だったようだ。テンシュテットだったら、今回の「東京混声合唱団を名乗るアマチュア合唱団」は狂喜して振ったことだろう(爆


 万難を排して「マーラー : 千人」を実現した「デュトワ + N響」に深く感謝すると共に、出演者皆様にも感謝する次第である。2日目を聴いた 佐伯周子 は、「子供の不思議な角笛から」に熱中しており、少々加熱気味(爆

 今号までに掲載した「私高本発言」は全部責任取るよ。「合唱のアルト外してソプラノに歌わせた発言の大誤報」も含めて(爆

 耳あるんかいな? と思ったことだろう > 初日聴いた「耳ある人」は(爆
「声が軽く」て聴き間違えました。「マーラーのスコア通り」の演奏でした > 2日目に確認!


 まず、N響に感謝する。2日目第1部コーダでひっくり返りまくった「第1トランペット」を除く全ての演奏者に感謝! 第1トランペットは、即引退して下さい。

プロ奏者ならば「落ちても良い」が「音楽ブチ壊しは許されない!」ことは分かっているだろ > 関山!


 第1部コーダは全部「落ちて」欲しかったです > 首席トランペットの関山

 次に、「東京混声合唱団」と名乗るアマチュア合唱団の皆様に感謝。何人が歌っていたのかまでは全くわからないが

ソプラノもテノールも、「ハイC」のカマし をきちんと実声で カマしていた!


ことは特筆に値する。特に「第1部コーダ」で「中嶋彰子のハイCと同時のハイC」をきちんと出してくれたソプラノの皆様には深く深く感謝。あなたたちの「上行スケール」が轟いたおかげで音楽が成り立っていました!!!

 そして、7名のソリスト(ソプラノ1&2,アルト1&2,テノール,バリトン,バス)に感謝。1日目と比べて、ソプラノ2 と バス が2日目に大巾改善されていたことは特記したい。ソプラノ2 = 中嶋彰子 は、2日目は「マーラーらしい息の長さ」は完全に捨てて、(ブレスを短めに取って)「B」まで自在に操っていたことが印象的。バスは「テンポは交響曲なのだからデュトワ指示通り」が腹に入ったらしく1日目とは別人のように切れが良くなった > 声量はやっぱり無かったが(爆

 何と言っても「デュトワ の棒」が圧巻。これほど「マーラーのスコア」を「裏から」も含めて読める指揮者は、バーンスタイン と テンシュテット 以外に思い付かない。

N響はデュトワに「音楽監督復帰」 または 「芸術監督就任」を要請し、『マーラー交響曲&歌曲全曲』演奏&録音


をして欲しい。ホールはNHKホール。歌手はデュトワの指示通り。「東京混声合唱団」で構わない。テンシュテット指揮の「ロンドン・フィル合唱団」よりディクションが良いじゃないか!!!


 初日と2日目の演奏について。

  1. 演奏全体像は2日目がはっきり上。細部が磨きが掛かった上、ソプラノ2 が「音程最優先」でブレスを多く取り「当てる唱法」に徹したことが大きい


  2. 第1部コーダは「1番トランペット=関山」が2日目はブチ壊したので、初日の方が遥かにマシ





 終演後は、両日共に「ブラヴォーの嵐」。素晴らしい演奏だったからなあ!

 最後の最後に「印象に残る最後のシーン」について、是非是非1人でも多くの人に知って欲しいので、書き残す。

2日目の「最後のカーテンコール」の時だけ、「ソプラノ1の エリン・ウォール」がトップで出た後に、誰も登場せず「ブラヴォーの嵐」となった。「ソプラノ2の 中嶋彰子」が エリン・ウォール 1人を出すために遅れて出たからだ。中嶋彰子 が出た後、2人は固く握手を交わした


 ウォールの「2人前以上の声量」が無ければ、「今回の デュトワ の戦略」は成立しなかった。中嶋彰子 は ウォール に敬意を表し、ウォールも(通常あり得ない)敬意を表してくれた 中嶋彰子 に、「共に戦い抜いた戦友としての敬意」を表した。今後は決して事前に組み合わされる可能性が無いキャスティングであるが、共に「あなたがいなければこのブラヴォーの嵐」は無かったことを知っていた。2人共代役とは思えない八面六臂の大活躍であった。


 本日が「デュトワ N響常任指揮者就任15周年」であると同時に、「Piano Music Japan 創刊15周年記念日」でもある。12/4(日)に名演を聴いて「1950号記念に3日掛かりで総力戦!」と思ってこの号を書いていたのだが、「岡原慎也の室内楽告知」が間に合わないことが12/5(月)に判明。泣く泣く 1950記念号を譲った次第。私高本はやはり「猫頭」である(泣
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突然ですが「岡原慎也の室内楽」を聴きに神戸に行くことにした(No.1950)

2011-12-05 11:42:33 | ピアニスト兼指揮者・岡原慎也
 記念すべき 1950号 だが、無計画な性格なため、

12月6日(火)神戸松方ホール「岡原慎也 : ドヴォルザーク ピアノ5重奏曲第2番イ長調」を聴きに行く


になった。
 私高本は、西は西宮&宝塚の演奏会までは聴きに行ったことがあるが、神戸市の演奏会は今回が生まれて初めて。ちなみに弦楽四重奏は「ウィーン・フィルコンサートマスター = シュトイデ」とその仲間である。

岡原慎也 は、ドイツリート伴奏で『シューベルト全曲 + ヴォルフ全曲』が超有名だが、室内楽も「ハズレ無し」の名演揃い


をここに記す。

水越典子(フルート) + 岡原慎也(ピアノ)も名演だった


ことは当ブログ掲載の通り。
 昨日12月4日(日)のデュトワ指揮N響「千人」2日目の批評は必ず掲載するが、岡原慎也室内楽の批評とどちらが先になるかはわからない。基本的に無計画な性格だからなあ(爆
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デュトワ指揮N響マーラー「千人」交響曲初日批評(No.1949)

2011-12-03 23:00:26 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

『東京でのマーラー「千人」公演」の金字塔』となったデュトワ指揮N響マーラー「千人」


  細かな点でいろいろと事故のあった演奏ではあるが、私高本が過去20数年で聴いた(含む「歌った」)「マーラー:千人」中最高の出来だった。何が良かったかと言えば

デュトワ が「マーラー」像を明確に持っていて、「今使える駒がどの程度で、その中で最善手が何か?」を全て掌握している!


に尽きる。

「東京混声合唱団」と名乗る合唱団は(老眼が進行していて不正確な数だが){S32 + A32 +T27 +B27}×2(2つの混声合唱団だから)


くらいで、アマチュア合唱団員が大半の中に、東京混声合唱団員が35名いる感じ。だが

音程が非常に良く、さらにダイナミクスの巾がある


ことは特記したい。「ディクションが曖昧」とか「アーティキュレーションが徹底していない」などと不平不満は言わないように。「テンシュテット指揮のセッション録音CD」よりは合唱団ディクションは上だと感じる(爆

 合唱団員は大半がアマチュア、ソリストは「ソプラノ」「ソプラノ2」「テノール」がチェンジ(← デュトワやN響には一切罪は無い!)という中で、代役手配にも最善を尽くしてくれたことには感謝するばかり。

ソプラノ1の エリン・ウォール はこれまでナマで聴いた全ての「千人ソプラノ1」で最高!


である。第1部の何度も容赦なく降り注ぐ「ハイC」を全部1人だけで歌い切った声量と音程の確かさは「交響曲の骨格」を太い確かなモノにした。ソプラノ2の中嶋彰子は、急な代役にも関わらず、充分に役を務めた。B は少しきつかったが。アルトの2名もボリュームたっぷり。テノールが第2部で1回目登場の箇所で「ファルセット」で歌っているのは初めて聴いた。確かに「ピアニッシモ」の指示なんだが。デュトワの解釈だろうか? バリトンの 青山貴 は健闘。第2部でトップ引きの大役を見事務めた。ソリストで唯一スカだったのが、バスの ジョナサン・レマル。音程悪い上に音量が無い。この公演唯一の人選ミス。

デュトワ は「マーラーの指示通り」に演奏することは特筆する


 テノールソロで「ピアニッシモ遵守」させる指揮者は過去聴いたことが無かった。合唱もやや声量不足気味なのだが、「第1コーラスと第2コーラス」で融通した箇所が聴いた限りでは皆無。唯一、「第1コーラスでソプラノとアルト指定」箇所をソプラノだけで歌わせて「軽やかな仕上げ」にしていたことが印象に残る。

ピアノが「スタインウェイ D(フルコンサートグランド)」で第2部神秘の合唱の直前のピッコロとの掛け合いで効果を挙げていた!


ことも細部までこだわる「デュトワらしさ」だった。
 トランペット1番とホルン1番にだけアシスタントを付けて、他は「スコア通り」に見えた。アシ付けた2名がコケたことは残念。ティンパニは「いつものN響のティンパニ」で在京オケ平均水準には達していなかったのは(期待はしていなかったが)これも残念。コンサートマスターは「ロイヤル・フィルコンサートマスター」の「ダンカン・リデル」を招聘したが、オケの統率が見事な上、ソロも抜群にうまい! バンダは2階Rの通路。2階席Rの皆様は第1部と第2部のコーダは何がなんだかわからなかったことと思います(爆

 2日目も聴きに行くのが楽しみでならない!!!
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12月3-4日デュトワ指揮N響「千人」の前日に吠える(No.1948)

2011-12-02 22:24:47 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 明日と明後日、デュトワがN響でマーラー交響曲第8番変ホ長調「千人」を振る。私高本は両日聴く。佐伯周子は日曜だけ聴く。このチケットは早々に売切になったので、今日まで何も書く気が起こらなかったが、いくつか気になった点があるので、NHKホールに聴きに行く人、テレビやFMで聴く人の役に立つ情報を簡単に記載する。


マーラー「千人」はステージに登場する人数が史上最大で初演時は本当に千人を越した!


ことが有名。ヴェルディ「アイーダ」の比ではないので、オペラファンは誤解無きように(爆

 ソリストが8名に「2つの混声合唱団」「少年合唱団」が必要。アマチュア合唱団が主催して演奏会を催すには規模がとてつもなく大き過ぎて、スケジューリングなどができないので、オーケストラが主催して実演されることが大半だが、プロ合唱団を雇うことは極めて少ない記憶がある。カネが掛かり過ぎるからだ。「録音を兼ねた時」くらいしかプロ合唱団が起用されることは無いような気がする。
 実は、私高本はマーラー「千人」を確か6回以上(おそらく7回)合唱団員として歌った。アマチュア合唱団員で経費がほとんど掛らないからである(爆

今回の デュトワ+N響「千人」は「東京混声合唱団」がクレジットされている


がちょっとここで考えなければならないことがある。

「東京混声合唱団」は「委嘱作品」を核に「現代作品」が主なレパートリーの小編成合唱団で東京文化会館小ホールが定期会場


 佐伯周子の「シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会」会場である。「千人」規模で無いことがお分かり頂けることだろう。

客席数=649 のホールで定期演奏会を実施 が 「東京混声合唱団」


 エキストラが圧倒的多数になることは目に見えているが、プロなのか? アマチュアなのか? アマチュアならばどの水準なのか?

懸念1 : 合唱団は「プロ」を掲げているが、本当に「プロ団員」が全員なのか?


 この点について大いに懸念される。


 鑑賞に当たって、超簡単に全曲をアナリーゼする。スカな「マーラー事典」よりも役に立つぞ(爆


  1. 全曲は2部構成になっているが、第2部は「緩徐楽章」「スケルツォ楽章」「終楽章」が休みなく演奏される形式なので通常の4楽章構成交響曲をあまり変わらない


  2. 第1部は「ソリストがソロを歌うフレーズ」は1節も無く、ラテン語で合唱と重唱を技巧的に走らせる「ソナタ楽章」


  3. 第2部「緩徐楽章」は、長い器楽部分から合唱 → 「役柄になり切ったソロ」の順に登場。ここから終曲までドイツ語。「バリトン → バス → テノール」」の順なのだが、テノールが入る直前に「アルト1」が合唱を従えて「役柄無し」で歌うのが事前に知らないとわからないポイント。テノールの後、ソプラノ2 が締める


  4. 第2部「スケルツォ楽章」は練習番号117から。「ソプラノ1 → アルト1 → アルト2」の順にソロを歌い、続けて3重唱。その後に、ソプラノ2 が来る。次が、児童合唱 に ごく1部合唱ソプラノが加わって、最後にまた ソプラノ2 が締める。全て「女声だけ」の楽章


  5. 第2部「終楽章序奏」は練習番号172から。「ソプラノ3 → テノール」でここまでが「役柄設定」テノールソロに合唱が大々的に加わる。男声の復帰


  6. 第2部「終楽章主部」は「神秘の合唱」(練習番号202の5小節目)から。ソリストは「役柄無し」で重唱だけに戻る。最後にオーケストラとパイプオルガンが壮大に第1部の冒頭を回顧して変ホ長調を堂々と鳴らす



 羅針盤に使って下さい。


 東電福島第1原発放射能垂れ流しのせいでデュトワが想定していたソリスト8名中、3名が来日中止となった。ソリストに罪は無い。東電と日本政府のデマ報道が原因である。
 来日できない人は仕方ない。

懸念2 : 第2ソプラノに中島彰子 起用は「声質」に合わない、と推定


 中島は「スーブレットソプラノ」である。おそらく「ハイCを張れるソプラノ」と言うことで起用されたのだと思うが、声が細いのである。スーブレットソプラノだからなあ。第1部コーダのカノンも聞こえてくるか? 第2部の「3回のソロ」は充分に響くか? 特に第2部は「第2ソプラノ と テノール」で印象の半分が決まる重要な役。ワーグナー歌い、とまでは言わないが、ヴェルディやプッチーニの「主役ソプラノ」(← 「リゴレット」のジルダじゃないぞ!)を任せられるソプラノでないとなぁ。中島の当たり役はプッチーニ「ボエーム」でも「ムゼッタ」だからなぁ、、、  中島は「ソプラノ3」にぴったりなのに(泣
 マーラー「千人」ソプラノ2 に日本人を起用するとしたら、私高本ならば 2人が頭に浮かぶ。

  1. 老田裕子


  2. 大隅智佳子



 老田裕子は関西人だからN響関係者は知らないだろうが、大隅智佳子 は「アイーダ」で共演している。「ハイC」は出していたと思うのだが、東京オペラプロデュース公演の演目はマイナーなので、スコアで確認していないし、私高本は絶対音感無いので断言は出来ないが。(老田裕子は「ヴィオレッタ」で「ハイEs」をそれは綺麗に決めてました。)
 ちなみに「HMV発表」だと最も人気が高い「マーラー:千人」CDは、ショルティ盤。

ショルティはこの演奏で、『ルチア・ポップを起用するが「ソプラノ2」に用いる』


である。そのくらい大切な役なのだ!!! 「ポップのソプラノ2」はいいぞ! 「ソプラノ2」だけ取り出せば史上最高の録音だ、と感じる。(他のソリストもCD全体の出来も良いので、お間違え無いように)

ソロの最も盛り上がるフレーズが「ソプラノ2」が3度目に出現した時の最後の B を含むフレーズ


だからなあ、、、


 ・・・で最後にもう1つある。

懸念3 : NHKホールのパイプオルガンは響くの?


 サンサーンス「オルガン付き」とかデュルフレ「レクイエム」など、「パイプオルガンが活躍する曲はサントリーホールでばかり演奏しているように感じていた。マーラーも「復活」程度ならばNHKホールで構わないのだが、サンサーンス並みに大活躍するからなあ


 批評は書くかも知れない。書かないかも知れない。何かご要望あればコメント欄に書きこんで下さい。
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岡原慎也指揮者デビューコンサート批評 後編(No.1947)

2011-12-01 23:38:15 | ピアニスト兼指揮者・岡原慎也
 岡原慎也から「批評書けとらんやん!」と叱責を受けた演奏会批評の後編である。聴いてから半年までは経過していないが、「遅れ遅れの批評が掲載されがち」な月刊誌でもここまでは遅れない。ブログは毎日更新できるじゃん。この責任は全て私高本にございます。言い訳は本日号の末尾に(泣


 トップは

清水里紗 の モーツァルト第9番変ホ長調「ジュノム」K271


  「ウィーン移住前のモーツァルトの最高傑作」だと私高本は信じている曲だ。清水は見たところ相当に若い。おそらく中学生? 高校生? (違いがわからなくなったのは私高本が年食って当該年齢女性の「年齢」に興味失ったからです。ハイ)
 しかし「出す音」は「モーツァルトの要求」に沿った「軽やかでいながら弾んだ音色」だ。フォルテ方向の音量は(後の2人を聴いた後では)不足していたが、これは年を重ねる毎に強くなる。誰もが恐れる「第3楽章の中間部のメヌエット」のテンポ設定も(年齢からすると)信じられないほど滑らか! 将来が楽しみなピアニストがまた1人聴けた喜びはうれしい限りである。
 2番手は

神永強正 の モーツァルト第17番ト長調K453


  個人的には、最も感銘を受けた演奏。神永は「全てを指揮者`= 岡原慎也」に委ねる。テンポもダイナミクスもアーティキュレーションも! 普通「そこまで信じていいの???」と言うレヴェル。信じられないほど「囁くピアノ」に「囁くオケ」が応える様は圧巻だった。グルダやブレンデルの録音を遥かに上回る「コンビネーションの良さ」が聴けたことに、神永と岡原に感謝!

 3番手は

鈴木かずこ の ベートーヴェン第2盤変ロ長調作品19


  ピアニズムははっきり鈴木が3名のソリスト中群を抜いている! 但し「指揮者 = 岡原慎也」を(神永ほどは)信じていない。「オケを被せられないか?」の不安が強いのだろう。ベートーヴェンが「ピアニッシモ」と指示している箇所も左ペダルは決して用いずに「ダイナミクスはフォルテ方向に偏った」演奏となった。おそらく、過去に協奏曲演奏経験が豊富なのだと感じる。大概の指揮者が無神経にかぶせてくるからなあ、、、
 「演奏経験」も良し悪しである。「岡原慎也が指揮者デビュー」と言うので「過去の忌まわしい記憶が蘇った」のかも知れない。神永のように「煮ても焼いても構いません」状態ではなく、「ソロが必ず浮かび上がる奏法」に徹した。
 極めて聡明なピアニストなので、次回岡原慎也と合わせる時は格段の向上がある、と信じる。


【言い訳】
  私高本はバカである。これほど素晴らしい演奏を、岡原に、鈴木に、神永に、清水に聴かせて頂いたにも関わらず、5ヶ月以上も「批評のクロージング」が出来なかった。その原因の全ては「私高本の猫頭」である。もう少し具体的に言えば

ベートーヴェンピアノ協奏曲第2番がわかっていなかった!


に尽きる。楽譜も持っているし、事前に読んで行ったのだが(モーツァルトの2曲並みには)全く理解出来なかった。なぜか?


モーツァルトピアノ協奏曲は「川上敦子のソナタ全曲演奏会」実行時に精査していたが、ベートーヴェンはきちんと読んでいなかった


に尽きる。鈴木さん、岡原さん、ごめんなさい(泣
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