詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

詩 七回忌  (中沢新一「カイエソバージュ」から)

2011年05月17日 | 
窓を全開にして
左右に海が見える一本道をぶっと飛ばす
この水面しか見えない道に
旅立ち前の燕たちが集まって いよいよ
ヘミングウェーのキーウェストへの道になるのは晩秋

あっちこっちに揺らめく湾岸の灯が心の揺らめきに同調してゆく
砲弾と化した燕たちのチキンレースの真っ只中
「よせよせ!無駄死にするんじゃない!」と泣き喚きながら
漆黒の闇を切り裂いて運転してたのは
もう7年前のこと


豆はクリトリスで・・燕は冥界からの暴走族かもしれない。 
節分で有名な「豆」は、日本でもずっとクリトリスの隠語だったとか。

ギリシャ神話と日本神話との類似性が指摘されてるけど、その原因はたぶん、ユーラシア大陸でヨーロッパと繋がってた時代の共通な文明・文化のせいだろと思う。

つい最近の歴史では、もともとギリシャのすぐ隣にいて、現在のロシア・キジル共和国までやってきた最初の騎馬民族の黄金の民スキタイの影響が強いのかもしれない。このスキタイの騎馬文明を受けついたのが匈奴。騎馬遊牧文明は、その後モンゴル~トルコまで約二千年間ユーラシア大陸中央部を支配する。

古代ギリシャでも、豆まきの儀式が行われていて、ギリシャ・ローマでは、ユピテルの祭りや死者の登場する祭りには、家の主婦は豆(ソラ豆)を茹でて、供えなければならなかっととか。
《このため、通常、死者の葬儀、埋葬にあたってソラ豆を食べた。・・古代の人々は穀物とは言わず、幸運を招くためにソラ豆と言った(「博物誌」プリニウス)

つまり豆とは、女性のクリトリスを豆と表現したように・・女性原理や再生を象徴するものと考えられたようだ。生と死を媒介するような。
それゆえに、数や論理や音楽を理想として、それらを使い、純粋に合理的な推論のみで、真理を語ろうとしたピタゴラス学派が、神話を不純な論理によるいかがわしい思考とみなして、その代表格として豆(ソラ豆)を憎悪・拒否したのではないのかと思う。

ツバメもまた同様で、この鳥は「若いツバメ」とも言われるように・・春から秋にかけて二度も産卵する精力抜群の鳥だ。
おまけに水辺に近いこの世とあの世の境界に位置する鳥だ。この鳥はほんとに迷惑な鳥で、暴走族みたいな鳥だと思う。

堤防道路を走ってると車の前を、びゅんびゅんと猛スピードで横切る。車にぶつかった死骸があちこちに。

窓を全開して、ハードロックをがんがんかけても効果がないので・・「馬鹿野郎!どけどけ!」と怒鳴りながらの仕事帰りを思い出す。母の介護があるのでいつも100キロ以上での仕事帰りだった。