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いろ波・6 納戸色

2007年02月20日 | 色の世界

小説「悉皆屋康吉(しっかいやこうきち)」船橋聖一著、(文春文庫1998年1月第一刷)で、主人公の康吉が、ライバルの悉皆屋の伊助爺さんに、「深川納戸」の色について長口舌を聞かされるくだりを、引用しよう。

「だがね、康さん、お納戸には、幾種類もあるんだよ。鴨川納戸、相生納戸、花納戸、橋立納戸、幸納戸、隅田納戸、鉄納戸、藤納戸、深山納戸、深川納戸、大内納戸 ―――ざっと数えただけでも、このとおりだ。今のうちでも、深川納戸と花納戸の見分けなんざ、なかなか素人にはできるもんじゃねェ。橋立納戸と鳥羽鼠(とばねずみ)なんぞもむずかしい。一方はお納戸で、一方は鼠だが、ちょっと見ては、同じようにしか見えねえ。現に、お前さんが引きうけてきた、深川納戸と、鴨川納戸との区別なんか、実に、むずかしいんだ。ありきたりの鉄納戸だって、深川や鴨川と並べて見て、どこがどうちがうってことは、なかなか、口に出しては、いえるこっちァねェ。納戸に花田に鼠にぶどう――こういった傾向の中に、また細かく、種類が分かれていて、鼠のうちの紺に近いものと、納戸のうちの藍がっかたものとでは、ほとんど色気がスレスレになってくる―――大雑把に注文してくるお客はいいが、今のように、深川納戸なんて、細かいところまで注文が出る客には、こっちもまた、それ相応の心得でむかわなくちゃァならねエ。山春に出してやるにも、ただ、深川納戸とだけいってやったんじゃァ、向こうでも間ちがえるおそれがある。やはり、そういう小面倒な色気を注文するなら、ちゃんとこっちから、色見本をつけてやるのが、悉皆屋の務めだ。そうじゃないか、康さん」

大正の終わりから、昭和一けたごろの話だ。

悉皆屋(しっかいや)については、この小説の一章の冒頭に詳しい説明があるが、染物から、和服の解き洗い張り、染替え、染み抜きなどの加工の仲介をする職業、悉皆とは何でもオールという意味があり、きものに関しての便利屋さんというところか。

今は、和装のコンサルタントなどと現代風に称しているが悉皆屋は、悉皆屋。 きものの店は、呉服店、呉服屋といったほうがストレートで分かりやすい。

ところで「納戸色(なんどいろ)」であるが、色は何でも、小説の引用のように口で言い表すのはむずかしい。

小説の、註によると

納戸色  江戸後期に流行したくすんだ藍色。染めの工夫によって様々なヴァリエーションが生まれた。

とある。

藍染の色名のひとつ、納戸色は、お納戸色とも言い、くすんだ色調の濃い青をいうが、色名については、諸説ある。

この色に染めた反物をしまっておく納戸の薄暗い青の色とか、納戸の幕の色だとか、またその納戸を管理する役人の衣裳の色だったとか、つまびらかでない。

さらに濃い藍染は、染めるのに手間がかかるので、一度に大量に染めて納戸に蓄えて置いたとかで、その藍染の色を納戸色というようになったとの推測などで、本当に色名の根拠かどうかにわかに信じがたいので、ただただ、納戸色というしかない。

江戸時代後期から、大変人気のあった青色らしく、天空の星に名前をつけるごとく、小説の引用部分のような、少しの色の差異にも、もっともらしく色名をつけていたものか。藍色に鼠や、茶の混色で微妙な色合いを楽しんだものであろう。

今なら何百万画素ものデジタル色で表現できるが、絹に染めるにはアナログの色彩感覚が味である。